命からがら美琴から逃走する事に成功したとうま。その辺で拾った大振りの木の枝を杖代わりにして、トボトボと自宅へ向かう。
両腕でしがみつくようにして木の枝に体重を預けながら、一歩一歩よろめきつつ歩いていると、何とか自分の部屋のドアの前に帰り着いた。
誰もいない事は承知しつつも、小声で「ただいま〜」と言ってドアを開けると、リビングの方から「おかえりなさい」という女性の声が聴こえてきた。
すわ、御坂美琴か、と身構えるとうまだったが、果たしてリビングに居たのは美琴ではなく、神裂火織だった。傍にはステイル・マグヌスの姿も見える。
神裂は部屋の隅で大人しく座っているが、ステイルは何故か、ローテーブルの上にある豪華な料理を食べていた。
奇襲とは卑怯な、と警戒して構えながら、とうまはリビングを見回す。
「遅いお帰りだな、上条当麻」
ステイルは右手に持ったフォークで料理を口に運びながら言った。
「他人の家で何を平然とメシ食ってんだ、ノッポ魔術師。それ、神裂が作ったのか?」
テーブルの上に所狭しと並べられた料理を指差しながらとうまが言うと、神裂は首を傾げた。
「私が作ったのではありません。我々がここに来た時には既にテーブルの上にありましたが、貴方が作ったのではないのですか?」
神裂はそう言うが、とうまにはこれらの料理を作った覚えはない。
ビリビリの奴が勝手に家に入り込んでいたのは、この料理を作るためだったのか、と合点がいったとうま。
そして、彼(今は彼女)は料理のラインナップの中から、手掴みで食べられそうなクラブハウスサンドを見つけると、それを引っ掴んで一口食べた。
「まあ、料理のことは置いといて、何でお前らがウチにいるのか教えてもらおうか」
とりあえず襲いかかってくる気はなさそうだと判断したとうまは、ステイルの対面に胡座をかいて座った。
現在とうまが着ているボディコンでそんな座り方をすると下着が見えてしまうが、とうまが履いているのは男物のボクサーパンツなので、見られても別に恥ずかしくはない。
「……貴方に、インデックスに関する大事な話をする為に来ました。丁度、あの子はここに居ないようですね、都合がいい」神裂は部屋の隅から立ち上がって、テーブルの一角に正座で座り直した。そして、「その座り方では下着が見えますよ。貴方は露出狂かなにかですか?」と言って、とうまに注意した。露出狂呼ばわりされたことを、意外と根に持っていたらしい。
とうまは仕方なく、自身も正座する。
「インデックスに関する大事な話って、なんだよ」
話の水を向けるとうまに、神裂は、ふむ、と頷く。
「上条当麻、貴方は、象形拳と呼ばれる武術をご存知ですか?」
「象形拳って、アレか。白猿通臂拳とか、北派蟷螂拳とかの、動物や昆虫の動き方を取り入れた武術だろ?」とうまは、手を貫手の形にして顔の前で構えた。「蛇拳なら、俺も一応使えるが」
蛇拳は、上条刀夜が中国出張に行った際、現地の胡散臭い拳法家から習って無差別格闘上条流に取り入れた武術である。
当然、とうまも習得している。
「そう、象形拳は生き物の移動法や攻撃法などを術理にした武術です。そして、あの子はとある象形拳を使う事が出来るのです」
神裂の言葉にとうまは、象形拳まで使えるとはインデックスもいよいよ武術家じみてきたな、と思った。
「今度は象形拳ときたか、俺が見た魔術って殆ど武術みたいなのばっかりなんだが……神裂が使ってた洗髪香膏指圧拳と七閃だって、武術の技だろう?」
「そんなことを言ったら、貴方の使った獅子咆哮弾だって武術由来の技ですよ」
やはりそうだったか、とうまは左手を眺めながらそう独り言ちた。
インデックスからは獅子咆哮弾は魔術だと聞いていたので、魔力を扱う修業などをするんだと思い込んでいたが、実際にはご飯を奢らされただけだ。
そして、そのあとは投げやりに『ん〜、と溜めてパッと放て』と言われて、その言葉通りに試してみただけ。
その際に、なんだか闘気を使用したような気がしていたとうまは、獅子咆哮弾も武術なのではないかと疑っていた。
「気功を操る武術は、我々の世界では魔術の一種と定義付けられています。そもそも、魔術に用いる魔力も、武術に用いる闘気も、生命力を源としたエネルギーですから、闘気によって技を繰り出す武術も、魔術と考えていいはずです」
神裂はそう言うが、それは言い換えれば魔術も武術の一種と考えていい事になるのではないかと、とうまは思った。
しかし、とりあえず何も言わなかった。あまり上等とはいえないとうまの頭脳では、これ以上聞いても思考がこんがらがるだけである。
「大体、君には所謂、魔術らしい魔術は使えない筈だよ。例えば僕の使うルーン魔術のようなものはね」
それまで黙々と料理を平らげていたステイルが、左手の人差し指の先に小さな火を灯しながら言った。
「どういう意味だよ、俺の右手のせいか?」
「君の右手、幻想殺しだったか、魔術を打ち消すなんてとんでもない代物だが、それ以前の問題だよ。君はこの都市の能力者だから、魔術を使えないのさ」
眉根を寄せて怪訝な顔をするとうまにステイルは言う。
神裂も頷いてから、口を開いた。
「この都市の能力者が魔術を使うと、身体に深刻なダメージを負うと聞いています」
「なにそれ!? そんなこと上条さんは聞いてませんことよ!」
とうまは慌てて体の彼方此方を確かめるように触った。
とりあえず痛む所は無さそうである。
「あの子は魔術知識に関してはエキスパートですから、貴方にも問題なく使えるであろう武術由来の獅子咆哮弾を教えたのでしょう……多分、恐らく、きっと」
あらぬ方向に目を向けながら神裂が言った。彼女は気を取り直すように、こほん、とひとつ空咳をすると、「それはともかく」と呟いてとうまに視線を戻す。
「あの子の象形拳には、とんでもない秘密があるのです。アレが起きれば、この都市だけではなく、この国、いや、この世界を滅ぼしてしまいかねない」
突然物騒になった神裂の言に、とうまは訝しむように首を傾げた。
一方、小萌のアパートでは、インデックスと小萌がテレビの前で仲良く並んでいた。
銭湯から帰って来ると、丁度九時前だったので、早速テレビを観ることにしたのだ。
年季の入った卓袱台の上には、缶ビールと、つまみのミックスナッツが置かれている。
もちろん、インデックスにはビールを飲ませるわけにはいかないので、彼女にはオレンジジュースが用意されていた。
テレビに映っている番組は、ワンニャン映像大特集。要するに、その名の通り動物の可愛い映像を特集した番組である。
テレビの中では、白い毛並みの犬が、おすわりと言われたのにベチャッと伏せをする映像が流れていた。
「わ〜、可愛いワンちゃんだね、こもえ」
「おや、ワンちゃんは知ってるんですね、インデックスちゃん」
「むむ、いくら私が世間知らずだからって、馬鹿にしないで欲しいかも。ワンちゃんくらい知ってるんだよ」
そう言われても、猫を知らないくらいなのだから、犬も知らないのではないかと小萌が勘違いするのも無理はない。
「あっ、猫ちゃんだ! こもえ、次は猫ちゃんが出てきたよ!」
「ホントですねえ、私はワンちゃんも好きですが、猫ちゃんも好きです。やっぱり可愛いですよねえ?」
小萌はニコニコしながら、インデックスに同意を求めるが、彼女は目を大きく見開き、食い入るようにテレビ画面の中を見つめている。
「インデックスちゃん?」
小萌が問いかけるが、インデックスは何も応えずにテレビを凝視していた。
テレビには、ピンクがかった珍しい毛色の猫が、猫用のパンチングボールに向かってネコパンチを繰り出している映像が流れている。
その映像を観ていると、インデックスには、もやもやとしてすっきりしない感覚が過った。
テレビに流れた次の映像も、猫に関するものだった。
インデックスはそれを観て、やはり妙な既視感のようなものと、切迫感のようなものを覚える。
その次は犬の映像だった。それを観ても、猫の映像の時のような、特別な感慨は湧かなかった。
猫が観たい、猫が。猫を観れば、この感覚の正体がわかる気がする。
「インデックスちゃん、どうしたのですか?」
テレビを見つめて沈黙しているインデックスに対して、再度小萌が話しかけた。
インデックスは小萌の言葉を聴いて、一瞬、インデックス? 誰だそれは、と思った。
ーーインデックスは私の名前なんだよーー
ーーそうだったか、いや、しかし、私の名前はそんな様なものではなかった気がするーー
ーーそんなことないよ、私の名前はインデックスっていうんだよーー
ーーいや、ちがう……私の名は……我が名はーー
インデックスの脳裡に浮かぶ自問自答が終わった時、インデックスの体内から、生命力の奔流が暴風の様にあふれ出た。
それは、数年前の話だ。
完全記憶能力を持つ少女であるインデックスに、十万三千冊の魔道書の知識を覚えさせた必要悪の教会は、彼女の管理方法に頭を悩ませていた。
彼女の知識は必要悪の教会にとって大事な戦力となる。
しかし、もしもインデックスが敵勢力の手に渡れば、それはそのまま相手にとっての鬼札となり得る。
脆弱で、確立された自衛の方法もない彼女では、いつか隙を見て拐かされる可能性がある。
今は手の空いている者の中から護衛を付けているが、それだけではやはり心許ない。
必要悪の教会の魔術師たちを束ねるトップであり、イギリス清教の最大主教であるローラ・スチュアートのアイディアは明快にして単純だった。
ーー拳法でも覚えさせて、自衛させればいいーー
早速、インデックスに何がしかの拳法を覚えさせることにした。
ローラは、魔術的知識は豊富にあるものの、拳法に関する知識はあまり無い。
そこで、魔術は勿論、武術についても詳しい『知り合い』である、アレイスター・クロウリーに連絡したのだった。
「ーーというわけで、禁書目録に拳法を覚えさせたいのでありけるのですわ。適当な指南書といふものでも送ってくれないかしら? お〜っほっほっほ!」ローラは電話口で高笑いした。
「HAHAHAHA〜HA〜! お安い御用デ〜ス。では私が書いた象形拳の指南書、『猫でもわかる猫拳の極意』を送りマ〜ス」
アレイスターは、弱アルカリ性培養液で満たされた生命維持装置のビーカーの中で、逆さまに浮かびながら防水加工の電話に向かって答えた。
数日後、アレイスターの言葉通り、ローラの手元に『猫でもわかる猫拳の極意』が届いた。
ところ変わって、とうまの部屋では、神裂によるインデックスに関しての情報開示が行われていた。
とうまには相応の戦闘能力もある事だし、情報を隠してとうまを敵に回すよりも、包み隠さず話して味方につけた方が良いだろうと神裂は判断したのだ。
ステイルはあまり納得していないのか、憮然とした表情で黙り込んでいるが。
「指南書が届いて以来、あの子の修業が始まりました」神裂は眉根を寄せて俯きながら言った。「指南書に書かれていた猫拳の修業法は、想像を絶する厳しい物でした」
とうまは、ごくりと喉を鳴らす。今でも小さな少女であるインデックスが、更に幼い頃に受けた厳しい修業とは、どんなものであろうか。
自身も無差別格闘上条流の修業と称して、色々と厳しくも変な修業を積んだ経験があるとうまは、インデックスに同情した。
ちなみに、とうまが最も後悔している上条流の修業は、呪泉郷での修業だということは言うまでもない。
「猫拳の指南書に書かれていた修業法は、『全身にかつお節を括り付けた状態で猫の群れに放り込む』というものでした」
「なんだそりゃ、新手の虐待?」
深刻そうに言う神裂に、とうまがツッコミを入れる。
来る日も来る日も、全身にかつお節を、時にはマタタビを括り付けて、猫の群れに放り込まれるインデックス。
猫たちとの闘争の日々は、徐々に彼女を強靭にしていった。
「そんな事してたら、猫がトラウマになるんじゃ……」とうまが呟く。
「いいえ、むしろあの子は逞しく猫たちを手懐けていきました。修業の日々が三月を数える頃には、半ば猫の神と化していたのです」
猫の神とは大袈裟だなと、とうまは思ったが、更に痛ましい表情になって俯く神裂を見て、疑問を覚えた。
「それで、結局どうなったんだ?」とうまが訊くと、神裂は重々しく口を開いた。
「……ある日の事です。猫拳の指南書は、我々のトップを務めている人間が管理していたのですが、その指南書をインデックス自身が読んでしまったのです」
どれだけ修業しても、全く猫拳を覚えられない事を訝しんだインデックスは、『猫でもわかる猫拳の極意』を盗み読んだ。
その本には、確かに『全身にかつお節を括り付けた状態で猫の群れに放り込む』という修業法が書かれていたが、その後ろに小さく、『などという修業法は全く意味がないのでやったらダメデ〜ス、HAHAHAHAHA!』と追記してあった。
それを読んだ彼女が、「ふざけんじゃないんだよーっ!」と叫んだ声は、イギリス中に響き渡った。
ローラ・スチュアートは、大事な一文を読み逃していたのだった。
「そして、怒り狂ったあの子は、猫拳の奥義に目覚めてしまったのです」神裂は、ポツリと言った。
「猫拳の……奥義……」
とうまが呟いた時、現在着ているテーラードジャケットのポケットから、携帯電話の電子音が鳴り響いた。
画面を見てみれば、着信元は『小萌先生』となっている。
とうまは一言、「悪い」と神裂たちに断って電話に出た。
「上条ちゃん! すぐにウチに来てください! インデックスちゃんが!」
「先生!? どうしたんですか! インデックスに何が!?」
電話の向こうから慌てた声音で叫ぶ小萌に、とうまも呼応するように叫んだ。
「どうしたのですか! あの子に何かあったのですか!」
「そういえば彼女は今どこに居るんだい! その電話の先に居るのか!?」
神裂とステイルも俄かに騒ぎ出した。
とうまは電話に向かって、「先生! インデックス!」と呼び掛ける。
すると電話から、劈くような笑い声が聴こえてきた。
「ふははははははーっ! 私の名はインデックスではない! 我が名は魔神スフィンクス! 猫魔神スフィンクスだーっ!」
「スフィンクス!? おい、お前インデックスだろ! 何言ってんだインデックス!」
電話から聴こえる声は明らかにインデックスの物だった。何をふざけているのかと、とうまは電話に向かって叫ぶが、通話は向こうから勝手に切られてしまった。
「スフィンクスが……目覚めた……」
とうまが電話口に呼び掛けた言葉によって状況を察したステイルは、頭痛を堪えるように額を右手で押さえて呟いた。
「上条当麻、あの子の居場所はわかりますね? 案内をお願いします」
神裂の行動は早かった。ステイルを右腕で肩に担ぎ上げ、とうまを左腕で腰に抱える。
とうまは突然訪れた事態に何が何だかわからなくなっていたが、これから自身に不幸が訪れるという事だけは、何となく察知していた。