船久保浩子はかく語りき   作:箱女

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 船久保浩子は自分についてよく知っている。

 

 それは平均的日本人が自分自身について知っているよりは詳しいという程度で、それ自体は別に大騒ぎするようなことではない。もちろん隠された才能がまだ眠っている可能性はあるだろうし、浩子自身が考えたこともないような観点があるのかもしれない。仮にそういったものがあったとしても今の彼女には関係のない話で、語られるべき事柄ではない。

 

 浩子は自分をあまり冒険するようなタイプではないと考えている。参謀的な立場に馴染んできたため、むしろ冒険しようとする人を止める側の人間だろう、と。だからこそ浩子は不思議に思う。どうしてあのとき自分は赤木についていくことを選んだのか。結果としては成功と言えるが、それは今だから言えることだ。もし自分以外の部員がそんな誘いを受けていたら全力で止めに入るだろう。そう考えると千里山の部員たちは待つことにおいて相当タフだったと言えるし、浩子はある意味混乱していたと言えるだろう。変な笑いがこぼれる。

 

 

 打ち水をしたそばからすぐに乾いていくアスファルトの様子を窓枠に腰かけて部屋から眺める。細かなことは忘れたが、たしか打ち水というのは暑気を遠ざけるのにかなり効果があるとテレビでやっていたような記憶がある。どうしてこの茹だるような暑い夏の、それも真昼に浩子がエアコンも点けずに窓を開けているのかといえば、掃除のあとの換気中だからだ。たっぷり三十分くらいは窓を全開にしておこうと考えている。ときおり吹く風が汗ばんだ体に心地よい。キャミソールにホットパンツという油断しまくりな格好で、浩子は落下防止用の柵の上に頬杖をつく。

 

 ちりーん、と風鈴が鳴る。思えばあの非現実的な生活の始まりは、この音から始まったのではなかっただろうか。人に話したところで誰も信じてくれないような、そんな一年の始まりは。

 

 もうじきあのインターハイから二年が経つ。浩子は現在大学二年生で、高校生のころよりぐんと長い夏休みを享受している。通っている大学が京都にあるので今は近くにアパートを借りて一人暮らしだ。アパートの近くの麻雀教室でアルバイトもしている。初めのころは生活を送るのが大変だったが、慣れてしまえば案外ラクなものだなというのが浩子の感想である。

 

 

 女子団体で優勝して、個人戦は棄権をした。表彰式のあとに病院へと直行して、もらった診断は “極度の疲労状態” というものだった。大将戦の直後に倒れなかったのが不思議なくらいだったという。それを医者から聞いて浩子はさもありなんと納得した。あれだけの面子だ。出来すぎなくらいに歯車がかみ合って、それでやっと浩子の土俵に誘い込めるくらいの強い選手が相手だった。正直なところ、勝利したと言えるのは天江衣に対してだけで郝にも絹恵にも勝ったとは言えないと浩子は考えていた。これは彼女たちを貶めることに繋がる可能性もあるため、決して口に出さないが。

 

 大会終了後も大変だった。インターハイは麻雀だけに集中していればよかったから、大会終了後のほうが総合的な疲労ではむしろ上回っていたかもしれない。インタビューは山ほど受けたし、一か月くらいはプロやら大学やらのお誘いが途絶えることはなかった。自分の知らないところで高速回転していく環境のなかで、浩子はひとつだけ決心した。プロの道に進まないことだ。周囲からは疑問の声が上がったが、本人にとっては当然のことだった。

 

 どこで嗅ぎつけたのかはわからないが、それを知った健夜と咏とのあいだにひと悶着あったのだが、今となってはそれはそれでひとつの思い出となっている。もちろん申し訳ないと思う気持ちもあるのだが、それ以上に自分がプロというのはなにか違う、と浩子は感じていた。よく物語で見るような、目的を達成して心にぽっかりと穴が空いたとか、そういったことが起きたわけでもない。今でも時間さえあれば試合中継を見たり牌譜を漁ったりするくらいには麻雀に傾注している。それならどうして、と言われると浩子は困ったように笑うしかなくなってしまう。言葉にするとその隙間から大事なものがさらさらと零れていってしまいそうな気がするからだ。

 

 

 換気を十分に済ませ、窓を閉めてエアコンを点ける。今の服装を考えるとそこまで温度を下げる必要もなさそうだ。新聞のテレビ欄を眺めて面白そうな番組がやっていないか調べる。平日の日中にそんなものが放映しているわけもなく、浩子はため息をついてノートパソコンの電源を入れる。ネット上に転がる麻雀に限らない様々な情報に目を通し、気になったものは調べる。それだけでも時間というものは案外潰せるものだ。しかし時計に目をやると陽が沈むにはまだまだ時間がありそうだった。今日は夕方に出かける予定がある。

 

 高校生のときにできたつながりはまだ途切れていないし、おそらくずっと続くのだろうと浩子は考えている。千里山女子麻雀部をはじめ、宮守女子の友達やプロの方々、いろいろとあって龍門渕とも仲良くなった。高校生のころと違って直接会う機会は多いわけではないが、SNSで近況などは話したりしている。実に個性豊かな面子が揃っていて、眺めているだけでも十分に楽しめる。

 

 初めからわかっていたことだが、彼女たちの進路はやはり麻雀に関連したものがその多数を占めていた。プロ然り、大学の推薦然り。逆に普通に入試を受けた浩子のほうが珍しいくらいだった。もちろん人口比率としては麻雀に関わっていない人のほうが遥かに多いのだから、世間的に普通なのは浩子の方である。ちなみに大学の入学式で荒川憩にばったりと出くわしていたりするのだが、それはまた別のお話。

 

 会う機会が減ったとはいえ関西圏に住んでいる友人も多く、大学生やプロ雀士というのは一般的な時間の枠組みから外れた存在である。だからその気になれば集まるのはそれほど難しいことではなく、少なくとも二ヶ月に一度くらいは何かしらの集まりがある。麻雀関連の友人たちが集まって打つとなるとそれこそインターハイ出場メンバーが揃うため、洒落になっていないような卓が立ち上がることが間々ある。浩子たちの集まりに興味があると言ってついてきたサークルの友達の顔が青ざめたことを思い出して、くつくつと笑う。

 

 

 シャワーで汗を流して髪を乾かす。部屋にいてもあまりやることがないため、早めに部屋を出ようと浩子は決めた。待ち合わせ場所の駅ビルならばいくらでも時間は潰せるだろう。今日は夕食をごちそうになる予定なので、さして荷物を持っていく必要も感じない。手早く着替えを済ませて身だしなみを整える。白い下地に細い縦線の入った袖の短いブラウスと七分丈のパンツを合わせる。財布や携帯電話、タブレットなどをトートバッグに入れて準備は完了だ。少しだけヒールのついたサンダルを履いて浩子はアパートを出る。

 

 冬ならば影の伸びているような時間だが、浩子の頭の真上の空はまだ青い。さすがに空の端っこの色は暖色になり始めているが、あらためて考えると夏は陽が長いんだな、と妙な感慨が湧いてくる。どこか遠くのほうから真昼のものとは違ったセミの鳴き声が聞こえる。それに耳を傾けながら普段と変わらない速度で最寄りの駅へと向かう。

 

 “めずらしい人を捕まえたから明日ごはん食べに行こう” と健夜からメールが来たのは昨日のことで、具体的な名前は誰一人として書かれていなかった。めずらしい人と言われてもぴんと来ない。それ以前に捕まえるという表記は正しいのだろうか。というかなぜ京都にいるのだろう。仕事でも入ったのだろうか。電車に揺られながら、そんなことをつらつらと思う。ひとりだけその表現にぴったりくるような人が思い浮かんだが、それこそまずあり得ないということでその考えを頭の隅に押しやる。電車は進む。目的の駅まであと五分といったところだ。

 

 

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 電車を降りて、浩子はまず待ち合わせ場所を覗きに行った。時間まではまだ一時間以上もあるのだが、たとえば豊音やエイスリンが来るとしたらそんな時間に来かねない。遅刻しないことは大事だと思うが、そこまでいくと美徳と言っていいか悩ましいところである。トートバッグをかけた側へ顔を向けてみると、なんだか見たことがあるような人影がそこにあった。

 

 白い髪。黒いシャツ。立ち上るタバコの煙。浩子の位置から見えるのは背中ではあるが、確信に近いものがあった。どこにいても不思議ではないのに、どこにいても異物感の拭い去れない男。

 

 なるほど、と浩子は納得する。この男が相手ならば健夜からのあのメールも頷ける。先ほど考えていた、もっとも可能性の低い人物だ。浩子は迷いなくそちらへと足を向けた。

 

 

 「どーも。赤木さん」

 

 「よう、ひろじゃねえか」

 

 待ち合わせ場所である駅ビルは時節柄と時間帯が重なってかなり混みあっているはずなのだが、浩子と赤木のそばを通り抜ける人は誰もいなかった。見えない繭があるかのように人々は二人を避けて歩いていく。繭の中は声の通りも良いようだ。

 

 「後ろから声かけたんですからちょっとくらい驚いてくれてもええんちゃいます?」

 

 呆れたように浩子が言う。

 

 「悪いな。そういうのには疎くてよ」

 

 二年ぶりだというのに、なぜかそういった感慨は湧かなかった。岩手や神奈川にお邪魔していたときの、学校から帰ってきて交わす会話のようにひどく当たり前のもののように感じられた。

 

 「まあ正直、驚くとはこれっぽっちも思ってなかったですけど」

 

 「クク、なんだよ。冷たいじゃねえか」

 

 からかうように笑う。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 いつの間にか並んで同じ方向を見ていた二人は黙り込む。自然な沈黙だった。一方は煙を吐き、一方はスマートフォンをいじっているが、そこに不調和なものは感じられない。緩やかに時間が過ぎていく。互いが互いに注意をいっさい払わない。やはり師弟というのはどこかしら似てくるものなのだろうか。

 

 

 

 「ああ、そや。赤木さんに会うて、そんでついてって改めて思たんですけど」

 

 ふと思い出したように顔を上げて浩子が口を開く。

 

 「麻雀て、おもろいもんですね」

 

 

 船久保浩子は、かく語りき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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