九九組の日常   作:チバ

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マチネの花咲か唄をヘビロテ中です。


ふたり旅

その日は、青空いっぱいの、絵に描いたような晴天だった。

久しぶりの休日。それも完璧なフリーとなった双葉は、買い物に出かけるわけでもなく、車庫に篭って愛車である″HONDA VT250F インテグラ″のメンテナンスをしていた。

 

別に、メンテナンスを普段からしていないわけではない。ただこうして1日かけて、丹精込めてメンテナンスを行う日は、そうないのだ。

 

最初はおぼつかなかった手の動きも、気づけばスムーズに危惧を取れるようになっていた。ドライバーを持ち、スパナを持ち。

手が汚れても、動きは止めない。

 

首回りにかけたタオルで汗を拭う。

と、同時に、重い扉をギィ、と開ける音が聞こえる。

振り向くよりも先に、体重が背中にのしかかる。

 

「双葉はん〜、暇〜」

「ちょっ、香子!危ないから!」

 

持ち前の筋肉でなんとか体を支える。

しかし背に乗る花柳香子は、一向に体重を緩めようとはしない。

 

「降りてってば!」

「双葉はんがうちに付き合ってくれるならどきますー」

「わかった、わかったから!」

 

その言葉を聞いた香子はようやく身体をどかし、双葉を見下ろす形で立ち上がる。

 

「双葉はん、暇どす」

「それ2度目だしわかったから」

 

心底つまらなそうな顔をして腕を組む。

彼女の豊満な胸が強調され、固唾を飲み込む。

––––––女子なんだから、少しそういうのに気を使え。

声を上げればいいのだが、内心ではドギマギしているのが双葉本人でもわかった。自分の煩悩にパンチをしたくなる。

 

「なにしてはるん?」

「メンテナンス」

「そんなん後でええやん」

「そういうわけにもいかないの。もし壊れたりしたら、香子を学校まで送れなくなるんだぞ?」

「む…それは困るわぁ」

 

どうやらこの作業の重要さを認めたらしい。

 

「そういうわけだから、これが終わったら付き合うよ。だから少し待ってて」

「…わかりました。ただ早く終わらせて」

「はいはい、なるべく早く終わらせますよ」

 

隅に置かれてあるパイプ椅子に腰掛けるよう言う。香子はパイプ椅子をわざわざこちらまで持って来て、上品に腰掛ける。

 

「近づきすぎると、油が飛ぶよ」

「双葉はんがミスをしなければいい話どす」

「気をつけますー」

 

まあ、油が飛ぶかどうかは確かにあたしの腕に掛かってるんだけどさ。

双葉はなるべく丁寧に、けれど遅すぎないように無駄なく機器を使って作業を進める。

 

「それ、楽しい?」

「んー?まあ、楽しいといえば楽しい」

「本当に?」

「うん、楽しいよ」

 

声を聞き、目は逸らさないまま答える。

 

「こう、なんていうのかな。子供の面倒を見てる気分になれるっていうの?それが楽しい」

「ふーん…」

 

と、あまり起伏のない声。

「うちにはあまりわかりまへんけどなぁ」

「いつか香子にも、こういうのがわかる日が来るといいなー」

「うちを子供扱いせんといて!」

「はいはい」

 

香子は一見すると大人びている。

しかし、長年に渡って付き合いのある双葉から見れば、年齢不相応もいいところだと思えるぐらいに幼く、脆い。

基本的に自分で何かをしようとしない。大体のことは双葉に任せてしまう。

それは何であっても例外はなく、交友関係ですら双葉をアテにしていたほどだ。

それ故、学校が始まった当初の香子は人見知りが激しく、特に天堂真矢を非常に苦手としていた。

 

「さーてと、そろそろ終わるよ」

 

スパナでネジを締め付け、ようやく作業が終わる。

器具を全て工具箱に入れ、大きく背を伸ばす。バキボキ、と控えめながらも骨が鳴る。

 

「終わったー?」

「終わった終わった。で、何をする…んだ?」

 

と、香子が双葉の体に顔を近づける。花をすすらせ、顔をしかめる。

 

「双葉はん、油の臭いがすごかぁ」

「えっ?嘘っ」

「シャワー、浴びてきて」

 

指図をされるが、この臭いは事実だ。

 

「はい…」

 

素直に従い、駆け足気味に風呂場へ向かう。

服を脱ぎ、お湯に設定してシャワーを浴びる。

ざー、と音ともに体に暖かい雨が打ちつけられる感覚になる。

 

このシャワーを浴びている間はとても落ち着いていれる。何故だろう。

少し不思議に思いながら、双葉は香子のことについて考え始めた。

 

香子はあたしがいないとダメだ。何も出来ない。

普段は強がっているが、実際はとても無力でか弱い1人の少女であることを、あたしは知っている。

 

だけどそれと同時に、香子はあたしには無い強いものを持っている。

それはわからないけれど、あたしなんかよりもはるかに強いものだ。

 

自分が支えてあげていると思ったらダメだ。

あたしもまた、香子に支えられているんだ。本人はそう思っていなくても、あたしはそう思っている。

 

「ま、頑張らないとな」

 

そう自分に静かに言い聞かせて、思考を終わらせる。

さあ、今日はどこに連れて行かれるのだろう。

個人的には、香子を後ろに乗せてツーリングでもしたいのだが。

 

「…まあ、女王さまの仰せのまま、かな」

 

蛇口をひねり、シャワーを止める。

途端に訪れた冷気に体を震わせ、双葉は即座にバスタオルに身を包んだ。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「で、どこに行くんだ?」

 

タオルで髪の水気を拭う。

双葉が戻るまで、香子はテーブルに無造作に置かれていた雑誌を読んでいた。

「んー、特に決まってへんなぁ」

「な…」

 

じゃあ何でここに来たんだよ、というツッコミは置くことにした。気分屋の彼女らしいといえば彼女しい、と思ったからだ。

 

「買い物は買うものも無いし、どこかに食べに行きたいっていうのもあらへんし…」

「……」

 

ここまで案がないと、もはやお手上げものだ。

「んー、そうだなー」

 

双葉ふと、これはチャンスだと思った。

車庫に向けて親指を指す。

 

「ならさ、ツーリングでもしないか?あたしの後ろにでも乗って」

「ツーリング?」

 

可愛らしく首を傾げる。

 

「うん。免許取ってアイツ手に入れてからしばらく経つけど、未だに通学以外じゃ使ってないしさ」

 

買った理由そのものは通学用だったりするのだけど。

しかし、乗り始めてわかったことは、バイクというのはとても楽しいものだということ。通学以外にも、少し遠出をする時などは使っているのだ。

 

「アイツも通学以外で乗られないんじゃ、お役目果たせなくて泣いちゃうだろうからさ。…ダメかな?」

 

と、ここまで話しては来たが、全ては香子の一言で決まってしまう。

女王と兵士。

2人の単純に、そして極端に表した関係性だとそういうことになる。

––––––この沈黙は、気に入らなかったか。

双葉は6割の諦めと4割の期待を込めた目を向けると、香子は腕を組んで頷いた。

 

「ええやん、それ」

「えっ?」

「ツーリング。双葉はんのアイデア気に入ったわ」

 

パチン、と手を叩く。

 

「ほなら早速出発や!双葉はん早く早く!」

「え、あ、ああ」

 

いつもに比べて気分の良い幼馴染に違和感を覚えながらも、双葉はジャケットやヘルメットを取り出す。

 

「これ着とけ」

「えー、暑苦しい…」

「車と違って風もろに受けるんだから着ろ。それと、ヘルメット」

 

双葉用の赤色のフルフェイスのヘルメットをかぶり、香子用の紫色のフルフェイスのヘルメットを渡す。

 

「これも暑苦しい…」

「被らないと死ぬぞー…って何度言わせるんだよ」

 

毎日、バイクに乗るときは決まってこの文句を言う。

交通法上仕方のないことだ。いくら香子の我儘でも、こればかりは通用しない。

 

「ほら、行くぞ」

 

家の鍵を閉める。

キーを鍵穴に差し込んで捻る。轟々しいエンジン音が轟く。

シートに股がると、香子も「よっこいしょ」と年に見合わない声を上げて双葉の背中から腹に腕を回す。

 

しっかり掴まっていることを確認した双葉は、足で少しの助走を付けて発進させた。

ひゃー、という声が背後から微かに聞こえる。

 

肌にまとわりつく湿気がきになる季節だが、バイクに跨りスピードを出せばそんな不快感は関係ない。

冷たく、しかし心地の良い風が、グローブとジャケットの僅かな間から露わになっている肌に当たる。

 

横目に過ぎる景色は忙しなく人が歩くビル群、制服に身を包んだ学生たちが楽しそうに談笑している住宅街、そんな窮屈そうな空気が姿を消したのどかな田舎風景へと紙芝居のように移り変わる。

 

こうして遠出に出てわかる。

とても楽しく、新鮮な気持ちだ。

体全体に伝わる振動、エンジン音、耳に残る風の音、それらを感じ、咀嚼するだけで笑みが溢れる。

 

果たして後ろに乗っている幼馴染はどう思っているか。

それは双葉にはわからないことだ。

 

楽しんでくれてるといいな。

ロウソクに灯る火のような、仄かで暖かな願いを心の中で呟く。

 

バイクは途中で目に止まった道の駅で足を止めた。

 

「休憩っと」

「うー…体が硬い…双葉はんマッサージ…」

「はいはい」

 

双葉に向けて腕を伸ばす香子に仕方ないと言うようにため息をこぼし、簡易的なマッサージをする。

 

「ここいらで昼ごはんにでもするか」

「ここ…何かあるん?」

「あるって。まあおまえが普段食べてるのに比べたら幾らか価値は下がるだろうけど」

 

特注の鰻重を昼ごはんにしているのだ。常人よりも舌が肥えている香子は、果たしてここの食事でなんと言うだろうか。

 

店内に入ると、空調の効いたクーラーが高くなった体温に染み込む。

 

「あぁ〜涼しいわぁ〜」

「ほら、早く決めるぞー」

 

香子の裾を引っ張り、食堂まで来る。

意外にも人は多く、老脈男女問わずにテーブルを囲んで談笑をしたり、箸を進めていた。

 

どうやら食券制らしく、2人は食券機の前に立った。

双葉は目に入った肉をメインに使った料理の中で、しょうが焼き定食が目に留まった。千円札を投入し、しょうが焼き定食と記されたボタンを押す。

 

「香子は何にするんだ?」

「むー…」

 

と、顎に手を添えて真剣な面持ちで悩んでいた。

んー、と唸り声を上げ、ようやくボタンを押す。

 

「何にしたんだ?」

「お蕎麦どす」

「安定だな…」

 

ここに来てもあまり冒険しないのは、香子らしいといえば香子らしい。

 

カウンターに食券を出してしばらく待つ。待っている間は、2人は九九組のメンバーの話をしていた。

 

天堂真矢はなんであんなにも煌めいているのか。

西條クロディーヌはなんであんなにも天堂に食いついていけるのか。

愛城華恋はなんであんなにも、底抜けに明るく振舞っていれるのか。

 

そんな中身なんてあってないような話をしているうちに、予め渡されていたブザーが鳴る。料理が出来た合図だ。

 

カウンターの向こう側からそれぞれトレイに乗せられた料理が差し出される。

双葉はは生姜焼きだ。

隣で受け取ってる香子を見ると、彼女は絵に描いたようなしかめっ面で料理を受け取っていた。

 

料理を見てみれば、麺つゆの入った茶碗に。その麺つゆの上には大量の刻みネギが入っていた。

 

「…ネギ」

「あー…」

 

香子は大のネギ嫌いだ。理由は定かではないが、ネギを見ただけで表情を崩すほどに嫌いなのだ。

 

「双葉はん」

「いらん。というか食え」

「嫌やー」

「ネギは健康に良いんだ。風邪を引かなくなるんだぞ」

「ウチは風邪なんか引きまへん!」

「そう言ってると掛かるぞ」

「むー…」

 

可愛らしいジト目をこちらに向けるが、そんなのどこ吹く風だ。双葉は気にせずに薫子を無視してテーブルにトレイを置いた。

香子も双葉を追ってテーブルにトレイを置く。

 

「我慢して食べろよ」

「嫌どす」

「言うこと聞けっ」

 

まるで駄々っ子だ。17歳になるというのに、こういった姿は10年も前と変わってない。

侍女として、これは憂うべき状況なのだろうか。

 

「わかったわかった。半分あたしが食べるから、残りは自分で食べろ」

「8割じゃあかん?」

「ここまで譲歩してやってまだ言うか」

「双葉はんのいけず!」

「はいはい、いけずな石動ですよー」

 

駄々っ子の幼馴染の文句を聞き流しながら、茶碗の中の刻みネギを箸で掴み、白い丸皿の端っこに添えた。そしてタレにつかった豚肉を口に入れる。

「お、美味い」

 

タレには細かく刻まれた玉ねぎが入っていた。おそらく地元の特産品なのだろう、仄かな甘さが口の中に広がる。生姜の香りがいいスパイスとなってその甘さを更に引き立たせている。

 

肉の食感は意外にも柔らかかった。詳細は聞いてないのでわからないが、これも地元の特産の豚なのだろうか。

タレのついた豚肉をひとくち、口にした直後に温かい白米も口に入れる。口の中に魔法がかかったように美味しさが染み込む。

箸休めに口にするキャベツもみずみずしく、スタミナ料理のブレイクにはもってこいだ。

 

生姜焼きを堪能する双葉は、やけに静かな隣を横目で見やる。

箸で蕎麦を掬い、つゆに半分ほど麺をつけて上品に啜る。

背筋はしっかりと伸びており、顔も凛としていた。

 

普段の行動とはいえ、腐ってもお嬢様だ。食事の時のマナーなどは体に染み付いているのだろう、いつものだらし無さは見る影もない。

 

「美味いか?」

「むちゃ」

 

ネギが入ってるのがやはり気になっているのか、少し声は重い。

 

「ちゃんと食べろよ、ネギ」

「……」

「頑張れよー」

「…むぅ」

 

呻きにも聞こえる声を零しながらも、刻みネギもしっかりと口に運んだ。

侍女兼母親代わりの双葉としては、彼女のこういった頑張りの姿を見るだけでも感傷的になってしまう。

 

「よく頑張ったな」

「子供扱いせんといて!」

「はいはい」

 

似たようなやりとりを何度もするが、双葉はこのやりとりに飽きを感じたことは1度もない。

なぜなら、そのやりとりをしている内は、香子は双葉を見ていてくれているから。その安心感が、双葉から飽きという感情を遠ざけている。

 

食事を終えた2人は、皿を乗せたトレイを返却口に置いてその場を後にする。

 

パーキングエリアを出る前に、落花生バームクーヘンという商品名が双葉の目に入った。

「みんなに土産でも買うか」

「えー」

「えー、じゃない。日頃から世話になってるんだから」

「必要とは思えへんけど」

「日頃から世話焼かれてる奴筆頭が何を偉そうに言ってるんだよ」

 

九九組はは一癖も二癖もある人物ばかりだ。ちなみに香子は世話を焼かれている九九組メンバーランキングでは断トツの1位だ。2番目は遅刻魔の愛城華恋だ。

 

「特にばななからは色々と、天堂とクロ子からはレッスンでアドバイス貰ってるし」

「そういえば、まひるはんのジャガイモの、お返しせえへんとなぁ」

 

香子もなんだかんだで世話を焼かれているという自覚はあるらしい。その事実に双葉は少し胸をなでおろす。

 

「ななはんだったら、これなんかええんちゃう?」

 

香子の指差す先には、バナナの形をしたストラップキーホルダーだ。レザー製なため、どこか柔らかくも高級な印象を持たせる。サイズも500円玉ほどなので、携帯電話に付けるのにちょうどいいだろう。

 

「いいかもな。で、天堂はバームクーヘンで決まりっと」

 

学年一の秀才への土産は、最初に目に入ったバームクーヘン一択だった。

 

「クロディーヌはんは、このお刺身ストラップで」

「いや適当すぎるだろ。いまどき外国人でもそんな物渡されても喜ばないぞ」

「えー、じゃあ何にすればいいんやろ」

「んー、クロ子か…」

 

クロディーヌは強気そうな立ち振る舞いとは裏腹に人のことをしっかりと見ていて、尚且つ空気を作るのがとても上手だ。

多分だが、どんな物を貰っても彼女は笑顔を作ってありがとうと言うだろう。

だからこそだが、チョイスミスをしたくない。かといって無難なものを選ぶのも気がひける。

 

と、悩んでいたが、木箱に並んでいた色あざやかなシュシュを見つけた。

 

「お、このシュシュなんか良くないか。色もアイツに合ってるし」

「シュシュ。また何で」

「ダンスの練習に付き合ってもらってた時に、髪を結うモノが無くなったって前に言ってたからさ」

「練習に付き合ってもらった、ねぇ」

 

香子が怪訝な顔を浮かべる。

「別にいいだろ、練習ぐらい。っていうかダンスのレッスンで先生に色々言われて追い詰められてたもんだから」

「ふーん、まあ別にええけど?どうせウチよりもクロディーヌはんの方が頼りになりますよー」

 

–––––地雷を踏んだか。

心の中で後悔するが、即座にアイスクリームの張り紙が目に入った。

 

「なあ香子、あれ奢るから期限直してくれ」

「…食べ物で釣ろうだなんて、双葉はんも随分と偉くなったどすなぁ」

「…じゃあ何をすればそのお機嫌を直してくださいますか、お嬢サマ」

「んー、そうやなぁ」

 

唇元に指を当てて考える。

 

–––––ああ、これは墓穴を掘ったな。

 

香子がこうやって考えているときは、碌な事を言いださないと双葉はわかっていたのだ。

「そうどすなぁ。じゃあ、今度のツーマンセルのレッスンで、先生になんと言われようとウチの組むこと」

「……それだけでいいのか?」

「えぇ、それだけ」

 

拍子抜けだ。もっと狡猾で、香子にしか利益がない要求をしてくるかと思っていた。

 

「別に構わないけど…また何で」

「天堂はん、怖いから」

「…なるほど」

 

その短い理由で、なんとなくだが納得してしまった。

舞などの踊りに才能があり、持て囃された香子にとって、スパルタ教育の真矢はまさしく鬼そのものだ。

 

「オーケー。じゃあこれでチャラでいいか?」

「まだ不服やけど、水に流します」

「ありがとうございます」

 

その後も2人でクラスメートへの土産を物色した。

華恋には髪飾り。ひかりにはインテリア、まひるには好きな球団のキャラが描かれたことご当地キーホルダーを、純那には壊れてしまったらしい眼鏡ケースを買った。

 

そうこう物色しているうちに、気がつけば15時となっていた。

G-SHOCKの腕時計を一瞥した双葉は急いで駐輪場へ走る。

 

「双葉はんっ?」

「悪い、時間が押してるんだ。ちょっと走ってくれ」

「もう、これだから双葉はんは…」

頭を抱えて仕方ないという風に小走りに双葉を追う。ヘルメットを香子に投げ渡す。

 

「危なっ。けっこー重いんよ、これ」

「ちょっとは筋トレしろっ」

「いややー。疲れるもーん」

「いいから早く乗れっ」

 

渋々とヘルメットを被る。跨り、双葉の腹に腕を回して「ええよー」と合図を送る。

スタンドを上げ、双葉の愛車のインテグラがエンジン音を鳴らし、力強く発進する。

 

「安全運転ー」

「わかってるっ」

 

と、香子からの喚起に応答してハンドルを切る。

 

向かうところは決して遠いわけではない。

だが、双葉は一度でも見てみたい景色なのだ。その景色は、夕方にかけて見るには魅力が半減する。

20分ほど走らせた。

辿り着いた場所は、とても静かで緑に染まっていた。

 

駐車場と併設されている駐輪場に愛車を停め、やや疲れ気味な香子を案内する。

「なんもあらへん」

「ほんと。思ってた以上になかった」

 

ここまで何もないのは正直言って意外だった。

あったのは2台並んだ自動販売機と、手洗場ぐらいだ。必要最低限。田舎の駅みたいだ。

 

「えっと、ここを曲がって」

「双葉はん、ウチ疲れたー」

「もうちょっとだから」

 

香子の手を引いて前を先導する。

建てつけられた看板の案内に従いながら進む。

途中で水分補給をして香子の愚痴を聞いて、再び歩き出して、愚図る香子を説得して、そしてようやく目的地に着いた。

そこは、足元がゴツゴツした道から緑の草の絨毯となっていた。

 

「ここだここ」

「やっと着いた?ここまで苦労させたなら大層な景色なんやろ…うね––––」

 

双葉は言葉を失った。隣の香子も意地の悪い愚痴をこぼすのを途中でやめた。

 

目の前に広がるのは、色あざやかな花たち。赤、青、黄色、白…その色々はとても綺麗で、疲弊しきった2人の心を癒した。

 

花の種類なんてわからない。だけど、それがとても素敵な花だということだけは見ただけでわかった。

 

「綺麗だな……お気に召していただけたかな?」

 

隣で立ち尽くすお嬢様に、双葉は景色から目を離さずに聞く。

 

「……この旅の最後を締めるにしては、ちょっと迫力不足な気もするけど…」

 

前の木の柵に掴まる。

「悪くないです。ええ所やなぁ」

 

どうやら、お嬢様の機嫌は治ったらしい。

 

 

足元に広がる緑の絨毯の上に、予め持ってきていたレジャーシートを広げて、2人で、自動販売機でそれぞれ買ったお茶とミルクティーを片手に談笑した。

 

「でもさ、意外だったよ。香子があんなにもあっさりあたしの案を認めてくれるなんて」

「む、普段から認めてないみたいな言い方」

「ま、でもありがと。あたしもリラックスできた」

 

目の前に広がる花々の海を目に焼き付けて、大きく息を吸って吐く。これだけでも肺の中が洗い流されたような気分になれる。

 

「うちは気にしてへんからええよ。それより双葉はん、ここに行きたがってたんやろ?」

「えっ…?」

 

悪戯っ子の笑みを浮かべて双葉の顔を覗き込む。

 

「あの雑誌にここの地名が載っててなぁ。それはもうわかりやすく赤い丸で囲まれてたで」

「バ、バレてた…のか…」

 

全て筒抜けだった。

よくわからない敗北感を叩きつけられた双葉は、身体の力が抜けて操り糸が切れた人形のように仰向けに倒れこむ。

 

「ごめんな…あたしの我儘につき合わせちゃったみたいになって」

「……双葉はん」

 

–––––こりゃ怒られる。

そう直感した双葉は子供のように目を閉じる。が、襲ってきたのは怒号でも、痛みでもない。

額にトン、と優しく触れる何か。

 

目を開けると、そこには人差し指を双葉の額に当てている香子が。心なしか、表情はいつもに比べて柔らかく、慈愛に満ちた女神のように穏やかだった。

 

–––––こんな顔、いつぶりだろう。

少し高鳴る鼓動を確かに感じた双葉は、しかし何も言えずにただ目の前の幼馴染を見るだけだった。

 

「さっきも言ったけど、うちは何も気にしてへん」

「…香子」

「従者の休暇を取らせるのも、主人たるうちの役目やからね」

 

優しく双葉の髪を撫でる。

少しくすぐったくて、顔が綻ぶ。その顔を隠すために双葉は吹き出す。

 

「主人って…いつも面倒見てるのあたしじゃん」

「何を!双葉はんはうちがいないと何もできへんのに!」

「わかったわかった!わかったから…あははっ」

 

思いっきり鼻を摘まれるが、そんなことをする香子の行動が子供っぽく、そして面白可笑しくて。

笑いが、止まらない。

 

香子もつられて、上品な笑う。

緑の絨毯の上に様々な色の花が咲き誇り、広い広い空間に響くのは、2人の少女の優しく、妖精のような笑い声。

 

ようやく笑いが治った双葉は、見上げる形にはなるが、香子の頬に優しく触れる。

 

「ありがとう、香子」

 

その言葉を聞いた香子は、穏やかな笑みを浮かべて頷いて。

 

「いつもありがとう、双葉はん」

 

絆の強さと、お互いがお互いに必要不可欠な存在であることを、2人は再確認した。

 

–––––あたし(ウチ)には、香子(双葉はん)が必要なんだ。

 

そして、花々の海を照らす太陽がオレンジ色になり、景色の姿が180度変わったところで、2人はその場を後にした。

 

その日の帰り道で、急激に下がった気温に香子が駄々をこねたのはまた別の話。




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