九九組の日常   作:チバ

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大遅刻もいいところのずんなちゃんバースデー。


嵐の夜に

 重くて硬いシャッターに、マシンガンの如く打ちつける暴雨。威圧的な音を立てる暴風は、大きなこの家でさえ揺らしてみせる。

 

 別に、台風が怖いというわけではない。幼少期から体験していることだ。日本という災害大国の出身柄、こういったものには慣れている。

 だけど、そういった″慣れ″は時として意味をなさなくなることもある。

 

 例えば今、こうして独りでいる時。威圧的な暴風は、独裁者の饒舌な演説のように聞こえる。耳を蝕んでいき、粘膜のように脳みそにへばりつくあの声と似ている。

 

 シェイクスピアの″ヴェローナの二紳士″を読んで心を落ち着かせようと試みるけど、効果は期待できそうになかった。

 

 シャッターにひときわ勢いのいい雨が打ち付けたと同時に、静かに部屋の扉が開かれた。

 

「純那ちゃん」

「なな。衣装の打ち合わせは終わったの?」

「うん。スムーズにね」

 

 ヒョッコリと扉から顔を出した少女は、私のクラスメートであり、ルームメイトでもある大場なな。

 

「何を読んでるの?」

「ヴェローナの二紳士。台風で眠れなくて」

「あー、確かにすごいよね、雨」

「そ。気を落ち着かせようと呼んでたの」

 

 するとななは、いかにも怪しげに手元を背に隠していた。

 

「…どうかしたの?」

「どうかって、何が?」

「その手。隠してるのバレてるわよ」

 

 私に指摘されたななは、子供のように舌を出して笑った。

 

「バレちゃってたかー」

「隠す気なかったでしょ?」

「それもバレちゃったかー」

 

 転げ落ちそうになる。どうやら隠す気は一切無かったらしい。

 指摘されたのにも関わらず、彼女はかなりもったいをつけて、隠していたそれを「じゃーん!」という声と共に私に差し出した。

 

「…クッキー?」

 

 バナナの絵が描かれた小さなポリ袋に入った、小さくて可愛らしいクッキーだった。

 

「そう。大場なな特製のバナナミックス味」

「え、でも、なんで」

 

 私のその言葉に、ななは首を傾げた。

 綺麗なエメラルド色の、柔らかさを印象付ける瞳が僅かに揺れる。––––––余談にはなるけど、以前は黒を黒だと理解してない純粋な瞳をしていた。

 

「もしかして、忘れてる?」

「何か約束してたっけ」

 

 ななは眉をひそめる。

 

「忘れる人って本当にいるんだ…」

 

 何が何だかサッパリだ。外の爆発のような風の音がよく聞こえる。

 

「今日…というか明日、もっと言うなら2時間後だね。何日でしょう?」

「何行ってるのよ。明日で9月から10月に変わ……あっ」

 

 ななに誘導される形でようやく気づく。鏡がないためわからないが、きっと今の私はとても間抜けな顔をしているのだろう。

 

「––––––忙しくてすっかり忘れてた」

「そっかー、自分の誕生日忘れちゃうぐらい忙しいのかー。手伝わないとなー、私も」

 

 誠意100パーセントの言葉なのだろうけど、今はちょっとした嫌味にしか聞こえない。

 誠意に疑いをかけてしまう自分の邪心を振り切ろうと話題を変えることにした。

 

「クッキー、食べていいのかしら?」

「どぞどぞ」

「じゃ、いただきます」

 

 ハート形を口に入れる。チョコレートがメインの風味だが、微かにバナナの甘さが広がる。

 

「美味しいわ」

「よかったー」

「でも、私の誕生日なんてよく覚えてたわね」

 

 そう口にすると、ななは唇を尖らせて、わざとらしくいじけた態度をとった。

 

「そりゃ、覚えてるに決まってるよ。純那ちゃんの誕生日だもん」

「…本人は忘れてたっていうのに」

 

 自嘲気味に笑う。すると、ななは私の頭の上に優しく手を置いた。

 

「頑張ったんだね」

 

 慣れた手つきで私の頭を撫でる。優しく、髪に癖がつかないように。

 

「子供じゃないんだから」

「でも、純那ちゃんは偶に子供っぽいよ?」

「え、嘘っ」

「ホント」

 

 クスクスと悪戯っ子のように笑う。私のことを子供というが、私からすればななこそかなりの子供だと思う。

 

「今度、ちゃんとしたプレゼントあげるからね」

「いいわよ。気持ちだけで充分嬉しいわ」

「ううん。ちゃんと上げる。じゃないと、私の気が済まないから」

 

 この姿のななは何度も見たことがある。こうなっている時は、誰がなんと言おうとなかなか退かないのだ。

 

「…じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」

「うん。なんでもいいよー」

「じゃあ本」

「本でいいの?」

「ええ。メアリー・シェリーの″最後の人″。あのデパートのお店で日本語訳が再入荷されるらしいから、それでいいわ」

 

 ″最後の人″は入荷されるや否や即座に売り切れてしまう。″フランケン・シュタイン″を生み出した偉大なる小説家、メアリー・シェリーの最後の作品は、日本国内では大変な貴重品なのだ。

 

「…でも、なな」

「なに?」

「ありがとう。私の誕生日を覚えていてくれて」

「何度も言ってるけど、当たり前だよ」

 

 そう微笑みかける。

 その微笑顔に重なる、両親の顔は、もう2年も見てない。

 

「私はいま、家族と距離を空けてるから…こうやって身内で覚えてくれてる人が、ほぼいない状態だから」

「そっか…そういえばそうだったね」

「…ま、だからってどうってわけじゃないんだけどね」

 

 両親の反対を押し切ってまでして掴んだこのチャンス。あの2人を認めさせるには、この学校でトップに立つしかないのだ。

 

「絶対にトップスタァになって、2人を認めさせるしか––––––」

「純那ちゃん」

 

 私の言葉を、ななが遮る。

 ななの顔を見ると、彼女は慈愛にも、同情にも似た笑顔を浮かべていた。

 

「いつか、わかってくれるよ。お父さんも、お母さんも」

「––––––なな」

「純那ちゃんが選んだ道は正しかったってこと。わかってくれるはずだから」

 

 なんとなく、その時のななの顔は、その昔、転んで膝から血が出た時、泣いていた私を宥める時の母の顔に似ていた気がした。

 

「それに、純那ちゃんのキラめきは私が1番よく知ってるから」

「1番」

「うん。何度も見たからね、純那ちゃんのキラめき。みんなのキラめきも」

 

 その言葉は決して世辞や比喩、ましてや戯言ではない。

 彼女は実際に、私たちの姿を何度も見ている。何度も見て、それを脳裏に焼き付けているのだ。

 

 ––––––歌劇の繰り返し。

 ななは1年を何度も往復した。全く同じ光景、音、声、言葉、空気––––––全てを何度も目にして耳にして味わった。

 

 多分きっと、去年の、私のちょっとした、クラスメートたちから教室で静かに祝われた誕生日も、何度も見ているのだろう。

 

 そう考えると、心の中である疑問が生まれた。

 

「ねぇ、なな」

「なに、純那ちゃん」

 

 いつもはサイドに結っている彼女の髪が穏やかな波のように揺れる。

 

「あなた、あの繰り返しの中で何度も私の誕生日を祝ったのよね」

「うん」

「ずっと、同じ喜び方をする私のことを見ていたのよね」

「そうだよ」

 

 頬杖をついて、私のことを見つめ返す。

 

「苦しく、なかったの?」

 

 そういうことを聞くのは、タブーだと私の中で枷をつけていた。

 けど、一度は聞くべきことだった。

 それが大場ななという、歪で純粋な愛をカタチにした少女の心を知る、重要なことなのだとわかっているから。

 

 ななは机の上に置かれた″スタァライト″の台本に手を置く。くたびれたその本は、けれども、杖をついて旅に出る老人のように、まだその輝きを失っていないように見えた。

 

「全然、苦じゃなかったわ。耐えるとかそういう話じゃなくて、私はそれが好きだったの」

「繰り返し、が?」

「そう。楽しいとか苦しいとか、そういう話じゃないの。好きだから、繰り返したの。求めたから、繰り返したの」

 

 ––––––ああ、なるほど。

 私は心の中でうなずいた。

 大場ななは、この世界の誰よりも純粋なんだ。表面的なことじゃなくて、心の奥底に沈ませてしまう根本的な感情を、彼女は惜しげもなく、晒すのだ。

 

「じゃあ、もう1つ質問」

「うん」

「今年の誕生日を繰り返すとするなら、あなたはそれを受け入れる?」

 

 その問いに、ななは唇に指を当てて少し考えた。やがて指を離して、ベッドの上に腰掛けた。

 

「うん、受け入れるよ」

 

 サラリと、この世の常と言わんばかりの答え方だった。

 

「でも、それが選択肢のうちの1つなら、今の私は選ばないかな」

「選択肢の1つ?」

「そう。受け入れる以外の、固辞するっていう選択もあるとするなら。そしたら、私は後者を選ぶ」

 

 私は小首を傾げて、理由を聞くジェスチャーをした。

 

「楽しいから。みんなの変化と成長を見るのが、楽しくてしょうがないから」

「––––––そう」

 

 あのレヴューで得たものは、みんなそれぞれだ。

 その中でも、きっと、大場ななは、黒が黒であることを理解する力を得た。白とグレーしかなかった彼女の世界に、初めて黒が訪れたのだ。

 

「なな」

「うん」

「あなたは偉い娘ね」

「えっ?」

 

 ベッドの上に腰掛けている彼女の頭を優しく撫でて、私の胸に抱き寄せる。突然のことに驚いている様子だ。

 

「ど、どうしたの、純那ちゃん」

「あなたは偉い娘よ、なな。そう簡単に、人は自分の世界を変えられないんだから」

 

 胸に抱き寄せた彼女の髪がチクチクと私の肌にあたる。

 

「そんな…大したことじゃないよ」

「いいえ、すごいことよ。私なんかには、到底できっこないわ」

 

 ななの吐息が私の胸に当たる。少しだけ温かい。

 

「ねぇ、純那ちゃん」

「どうしたの」

「今日、一緒に寝よ?」

「突然どうしたのよ」

 

 犬のように私の胸からお腹に顔を埋めて、グリグリと旋毛の見える頭を擦りつけた。

 

「台風が怖いから?」

「…ななは子供ね」

「子供だよ。だってまだ未成年だし」

「そういう意味じゃ……まあいいわ。そうね、私もあなたと寝たい気分だわ」

 

 恥ずかしい台詞だが、ななの前ではすんなりと言えてしまう。これも一重に、ルームメイトという信頼感からくるものなのだろうか。

 

 橙色の電灯の明かりを消す。

 ベッドの上で川の字になって横になる。ななは身体が大きいため、必然的にスペースは限られてギリギリになるが、身体を寄せ合うことでなんとかスペースを確保する。

 ななの吐息が私の髪を揺らす。肌に当たる。ななの香りがする。体温を感じる。

 ななはその大きいながらも華奢な腕を私の背に回して、耳元まで口を近づけた。

 

「純那ちゃん。誕生日、おめでとう」

 

 囁かれる祝詞。

 くすぐったさで口元が緩むが、私を包むななを抱き寄せる形でそれを誤魔化す。

 

「ありがとう、なな」

 

 彼女の胸に顔を埋めて囁く。

 

「おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

 

 2人の間に茶々を入れるよう暴風雨の爆音は、一切耳に入らなかった。

 

 

 * * * * *

 

 

 隣で静かに寝息を立てるなな。頬にかかった髪に触れて耳にかける。

 

 ––––––純那ちゃんは偶に子供っぽいよ。

 

 昨夜の彼女の言葉が脳裏を過る。

 

「…まったく、どっちが子供なのやら」

 

 寝顔を見る限り、やはりななも子供だ。どっちもどっち、と言ったところか。

 

 微笑みかけると、彼女はよだれを垂らしてだらしなく笑った。

 

 時刻はまだ6時を少し過ぎたぐらいだった。早起きしすぎというわけでもないが、特別遅いわけでもない。

 

 少しゆっくりするか––––––そう思って手櫛で髪を整えていると。

 

 コンコン、と扉を叩く音がした。

 月曜の朝。それも早朝だというのに、いったい誰だろうか。

 寝息を立てるななを起こさないように、バレエの練習で培った静かな足取りで扉の前まで向かう。

 

「何か用かし––––」

 

 小声でそう応答しながら扉を開ける。しかし、私のその言葉は、朝には似つかわしくないよく張った大声によって遮られた。

 

「じゅんじゅん、ハッピバーッ!」

 

 その声が耳の中で爆発したと同時だった。顔に何か柔らかくてしっとりとした物がぶつけられて––––––とは言っても痛さはほぼ無かったが––––––朝にも関わらず、視界は闇へと変わった。

 

 口の中にその物の一部が少しだけ入った。吐き出そうするが、それが舌に付くと、朝にしてはややハードな甘さが伝わった。これはきっとケーキかパイか何かだろうか。

 

 その味と、前で多分ソワソワと動き回ってる人の気配。そしてその声の要素全てを足して、状況を導き出した。

 

 これは99期生による、私への手荒い誕生日パーティーだろう。

 

「おめでとうございます、星見さん」

「やっぱり朝はマズイって華恋ちゃんっ」

「誕プレにしては朝からハードだな」

「ごめん純那ちゃん!言い忘れてた!」

 

 聞き慣れたクラスメートたちの声。たぶん天堂さん、露崎さん、石動さんの順だろう。背後ではななが私の名前を呼んで謝っていた。

 

 突然の出来事に心が放り投げられてそのままという状態もあり、怒気はすぐに湧かなかった。でも、こういう時に言うべき言葉は、この1年で学んだのだ。

 

「ありがとう、みんな」

 

 少し篭った声で––––––ちゃんと伝わってるかわからないが––––––そう言った。

 

 17歳、最初の月曜日の朝は、聞き慣れた声が私を取り巻いて、甘い生クリームの味がする、真っ暗な世界だった。

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