そして久しぶりに走駝先生のあのセリフを生で聞いて震えたので言いたいと思います。
タイトルは「雨傘」。
ショーマストゴーオンッ!!
重苦しい空から落ちてくる水滴は、人の心のように繊細でか細い。
屋根を打ち付ける音はとても聴き心地がいい。不規則のリズムではあるが、奏でる音は1つのみ。不協和音にってないからだろうか。
肌にジワリと舐めつける湿気には眉をひそめたくなるが、日本独自の気候からくるものだと自分に言い聞かせると、趣があっていいものだな、と不思議と許せてしまう。
歩道橋ではカラフルな傘たちが窮屈そうに行き交っている。1つでも傘を増やしてしまえば、はみ出して落ちてしまいそうだ。
少し薄汚れた白い柵の向こう側では車が雨溜まりを黒いタイヤで蹴飛ばしている。
雨が降る中を急いで走ったためか、ローファーを履いた紺色のハイソックスは少し濡れている。肌の触り心地は良いわけがなく、少しだけむず痒い。
ハイソックスを少し伸ばす。空気が控えめに入ることにより、湿っぽさは一瞬だけ和らいだ。
––––––どうしようかしら。
ぼやけるネオンライトを見つめながら心の中でそう呟く。
天気予報では予報されてなかったゲリラ豪雨。ゲリラだから、すぐに収まるだろうと思って20分。閉店中の宝石店の屋根の下で大人しくしていたが、止む気配は一向になかった。
ゲリラであったため、当然ながら傘は持ってきてない。
少しだけ冷えてきた右腕を左手でさする。僅かだが、確実な温もりが生まれる。
スマートフォンの連絡アプリで99期生のトークルームにメッセージを送ってからしばらく経つ。4件ほど既読が付き、星見さんから返信が来た。『私はいま手が離せないから、代わりの人を送る』とのことだ。
誰かが傘を持って来てくれるだろう。有り難い。どこかで恩を返さなくては。
そう思いながら待つこと数分。下水道の音に耳をすませる。激しく流れる濁音は、荒々しくも趣を感じれる。
すると、自分の足元を1匹のアマガエルが通った。ローファーのすぐ隣で止まって、赤信号を前にした車のように動かなくなる。
雨というのはグレーカラーのドンヨリとしたイメージがついてくるが、こうして雨の中を歩き進むモノは不思議とカラフルが多いと感じる。
人々が持つ傘は重ねれば虹色のようになる。このアマガエルだって、見事に綺麗な緑の背中をモデルのように惜しげもなく私に披露している。
「雨宿りですか?」
しゃがんで、刺激を与えぬように出来る限り小さく柔らかな声で尋ねる。当然、答えは返ってこない。
「私は、雨宿りです。突然の雨は困るものですね」
周囲に誰かいたら、今の私は気が狂った少女に見えているのだろう。事実、周囲に人がいなけれなこうして話しかけてはいない。
「ですが大丈夫です。これから友達が来るので。…トラブルに巻き込んでしまって申し訳ないのですが、少しだけ、心踊っている自分がいます」
懺悔するように言う。一切何も言わずにただ聞き手に回ってるカエルは、祭服を見に包んだ神父のようだ。
「あなたには、友達がいますか?」
するとカエルはローファーの上に飛び乗り、私を見上げる。何も言わなかったが、暫くして、飛び跳ねて下水道の穴に身を消した。
どうやら、友達の元に帰ったらしい。
––––––そして、どうやら私も帰る時間になったようだ。
アスファルトに薄く貼られた水溜りを踏む音が聞こえる。パシャリ、パシャリ。カメラのシャッター音にも似たその音の主は、橙色の傘を広げて、紺色の閉じられた傘を片手に持っている、金の髪をした少女だ。
西條クロディーヌ。私のクラスメートであり、ルームメイトでもあり、ライバルでもある存在だ。
「どうしたのよ、しゃがんだりして」
「いえ。少し語り合いを」
「語り合い?誰かいたの?」
「ええ。今しがた、帰りましたが」
「そう…」
怪訝な眼差しを向ける。まあ、しゃがんで人と話してたともなれば疑わしい気持ちにもなるだろう。
「それよりも。迎えに来たわよ」
「ありがとうございます。しかし、まさか西條さんが来るとは」
「純那には前に宿題でわからないところを教えてもらった貸しがあってね。それでよ」
「なるほど」
紺色の傘を差し出す。
「ほら、さっさと帰るわよ」
「……この前、大場さんから、この世には楽しいことが沢山あると聞きました」
「は?」
突然の私の言葉に、彼女は目を見開いて声をあげる。
そんな彼女を置いてくように私は続ける。
「なにぶん、こうして雨が降りしきる中、同級生と一緒に帰るという行為にはちょっとした憧れがあって……相合傘、お願いできませんか?」
「随分と流れぶった切ってきたわね」
「お願いできませんか?」
「2回言うな!聞こえてたわよ!」
彼女が持っていた傘が揺れる。付いていた雫が落ちて、私の旋毛に落ちる。冷たかった。
「お願いできませんか?」
「なんで3回も言うのよ。イヤよ。せっかく傘があるのに、効率が悪いじゃない」
「…むぅ。期待してたのですが」
「変なこと言ってないで、さっさと帰るわよ。さすがに寒いわ」
もう少し彼女の反応を見ていたかったのと、要求を飲んでくれる淡い期待をハーフハーフに、もう少し粘ってみようと思ったが、さすがにコチラから呼びつけておいて彼女に風邪を引かせてしまうのは気が引ける。
傘を受け取って、スイッチを押して開く。頭上に上げると、足元に大きな影が薄っすらと生まれた。
「大きい傘ね」
「はい。中学での入学式の時、お父様から頂いたものなんです」
「中学から。物持ちがいいのね」
「ありがとうございます」
私が歩き出すと、西條さんは私の後を少し小走りでついて来る。
私たちの横を通る車が水溜りを蹴飛ばす音を挟みながら、私たちは歩く。
暫く歩いていると、抹茶の茶葉をそのまま口にした時に味わう、独特な苦味を含んだ匂いが鼻を刺した。
「いい匂いですね」
「…ん、雨の匂い?」
「はい。昔からなのですが、この匂いが好きなんです」
この匂いが香ると、アスファルトが生きているように感じれるのだ。
私はあらゆる生き物を踏みしめて生きていけてる––––––生物としての当たり前を、再認識できる瞬間なのだ。
「私はあまり好きじゃないけど」
「そうなんですか。残念です」
どうやら西條さんには合ってないらしい。少し残念だ。
「ゲリラだってのに、随分と降ってるわね。最近の天気予報は当てにならないわ」
「飽くまでも予報、ですから。そう全面的に信用するのも如何なものかと」
「ま、そう言われたら終わりなんだけどさ」
天気予報なんて所詮そんなものだ。天気というのは、予想してもその裏をかいてくることがあるから良いのだ。
「″雨に唄えば″を見たくなりますね」
「確かに、見たくなる天気と気分よね。というか、少し前にばななと純那がそれ歌いながら帰ってきてびしょ濡れになってた」
「あの2人らしいですね」
「ええ」
大場さんは朗らかでおおらかな人だ。しかし、時折年相応の子供っぽさも見せることがある。それを見守る星見さんは、まるで保護者のようにも見えるし、元気な犬を見守る飼い主のように見える。
「…歌って帰ります?」
「これ以上濡れたくないわよ。というか私たちのキャラじゃないでしょ」
「あら、キャラどうこうよりも、どんな役にでもなりきって見せてこその舞台少女というものでは?」
「それは、まあ、そうだけど、さ…」
歯切れ悪く答える。
つまり、彼女は私と一緒に歌って帰るのが恥ずかしいということだ。赤くなっている彼女の耳を見て、笑みがこぼれる。
「なに笑ってるのよ」
「いえ、別に蔑みの笑みではないのでご安心を」
「ええ、そうね。どちらかというと揶揄の意が込められた笑みに見えたわ」
「そう見えますか?」
「その答え方で疑惑が確信に変わったわ」
別段、私は人をからかって恍惚の悦に浸る人間ではない。だが、彼女を前にすると、なんだか冗談を言ってしまいたくなるのだ。雑にこぼした冗談であっても、彼女はしっかりと聞いているからしっかりと拾って反応してくれる。
「手でも繋ぎますか?」
「藪から棒にどうしたのよ…今日のアンタ、なんだかおかしいわよ。雨に打たれてネジでも外れたのかしら?」
「そうもしれませんね」
「否定しないのね…」
立ち止まって、彼女の横に並ぶようにして右手を差し伸べる。彼女はポカンと呆けた顔で私と手を交互に見ていた。
「もしかしたら、手を繋いだら、このおかしな症状も治るかもしれません」
「え…」
意識としては、かつて授業でプリンセスを演じた時と同じだ。
試すように、目の前のプリンスに尋ねる。
きっとこれも、彼女には揶揄の姿勢に見えているのだろう。
––––––さあ、どうします?
言葉には出さずとも、視線でそう聞く。
すると彼女は、私の前で膝を屈して、差し伸べた手の甲を受け取り、口元に近づけてみせた。
「ならば、そのお手を拝借いたします、プリンセス」
そう口にし微笑む。「…でいいのかしら?」と、私の顔を覗き込む。
舞台の上でしか見たことのない彼女の姿に、思わず吹き出してしまう。
それは、2割の驚嘆と5割の喜び。そして3割の、舞台少女としての誇りから来る笑いだった。
「なにを、笑ってるのよ」
らしくないことをした、という気恥ずかしさからか、プリンスの顔は真っ赤になっていた、
「いえ、失礼しました。見惚れてしまったもので」
「惚れ…!?」
顔の色は赤というよりも紅色という色に染まっていた。
湯だったタコのような顔色。心なしか、湯気が立っているように見える。
「では、お手をお借りします、
「
また顔が赤くなる。どこまで赤く染まっていくのか、好奇心も湧くほどに彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
視線を背け、震える手で私の右手を優しく迎えた。ぎごちない動作で包み込まれる。
「緊張しているのですか?」
「そんなわけないでしょ!」
「では慣れてないからですか?人と手を繋ぐことに」
「それも違うわよ!…多分」
彼女の鼓動が伝わってくる。とても早く、そして激しい。
今なら彼女の心のうちが、手を取るようにわかる。
「では、相手が私だから、ですか?」
悔しそうな表情を浮かべる。手のひらから汗による湿りっ気が伝わってくる。
「そんなわけ…ない…って…思う…!」
動揺からか、日本語が少し崩れてきていた。
震える手を掴み、2人で並んで歩く。
エスコートをするのは
雨の中でも元気に走る子供たち。鞄を雨除けにして駆けるサラリーマン、突然の雨になす術なく屋根の下で立ち往生している学生。
みんなが雨に打たれて、湿気と冷たさと、それに伴い生じる煩わしさを感じている。
「西條さん」
「な、なによ」
「今の私たちは、周りからはどんな関係に見られてるのでしょうか」
誰も私たちを見ていない。いや、もしかしたら見て見ぬ振りをしているだけかもしれない。
そんな彼らの眼には、いったい私たちはどう映っているのだろうか。
揶揄ではなく、完全なる好奇心から来る疑問だった。
「どう、って…」
「学友、姉妹、幼馴染…」
「近いもので言えば、まあ学友ね」
「若しくは、恋人」
「こい……!?」
″恋人″。その言葉に彼女は餌を求める鯉のように口をパクパクと動かす。
「まあ、どう見えているかなんて、人それぞれですが」
「恋人って…私たち、同性よ…?」
「同性のカップルだって世の中にはたくさんいますよ。愛の形に制限なんて無いのですから」
「…アンタ…天堂真矢は、その、相手が同性でも付き合える、っていうの…?」
おずおずと子犬のように聞く彼女。鼓動もそれに比例して速まる。
「貴方がそう望むのなら、私はあなたの全てを受け入れますよ」
「私の全てって」
「結ばれるというのは、つまりそういうことでしょう」
色恋沙汰というのをまだ理解しきれてない私には、あまりわからないけれど、お互いを受け入れあって、結ばれるものなのだろう。
父と母も、そうして結び合い、私を産んだ。
「…それとも、西條さんは私を受け入れられない、と…?」
「
私の言葉を遮る。
声は震えていなかった。伝わる鼓動も落ち着きを取り戻していて、頬は赤くなく、綺麗なクリーム色へと脱色していた。
「天堂真矢を受け入れられない?そんなの、戯言よ」
手を強く握る。
羞恥、焦燥––––––先ほどまで感じていたあの感情から一転、今はただ情熱が伝わる。
「入学試験で天堂真矢の実力を見せつけられた、あの瞬間からね、私はとっくにアンタの全てを受け入れてるわよ」
心が震えた。骨が揺れる。脈打つ音は速度を速めて、髪の毛が風に吹かれたように舞う感覚を覚えた。
これは、嬉しいということか。
脈打つ鼓動にそう問う。鼓動は打つ速度を緩めず、ただただ速いだけ。
毛穴が開く感覚が皮膚を刺激する。頭が少し痒くなるが、我慢する。
雨が降って空気が冷えているというのに、汗が額を流れた。
耳が熱い。頬が熱い。雨音が反響して聞こえる。
「––––––西條さん」
「なによ」
「ありがとうございます」
「は?」
「私の全てを受け入れてくれて、ありがとうございます」
自分の全てを受け入れてくれる人間なんて、1度の人生でそう多く出会えるわけがない。
だからこそ、感謝をしたい。
その数少ない人間が、私の唯一のライバルであるということに。
「…別に、感謝されるようなことでもないわよ。アンタも私の全てを受け入れるなら、私もアンタを受け入れる。それだけよ」
「では、結婚、ということで」
「そうそう、けっこ……今なんて?」
雨音に遮られて聞こえなかったのだろうか。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする彼女に「結婚です」と耳打ちをする。
その言葉がスイッチとなったのか、再び顔は真っ赤に染まった。
「な、なんでそうなんのよ!」
「いえ、お互いを受け入れ合う。それ即ち結婚かと」
「ぶっ飛びすぎよ!第一、結婚よりも前にお付き合いとか、そういう話があるでしょ!」
「む、それもそうですね。私としたことが。では、交際を申し入れ…」
「そういうことじゃなくて!」
顔を赤く染め上げ、いつものように声を上げる西條さん。
その姿に愛らしさを覚えていると、足元の水溜りに光が映った。
「まあ」
空を見上げると、重苦しく空を支配していた雲たちが太陽の下から掃けていた。
「やっと、晴れましたね」
「え?ああ、そうね…」
傘を閉じる。布に付いた水滴が勢いよく弾き飛ぶ。
久しぶりに顔を出した太陽の光は、いつも以上に鮮やかに、綺麗に見えた。
「虹、出ないでしょうか」
「出るんじゃない?そのうち」
「出たら、是非とも西條さんにはキスをしてもらいたいです」
「キスッ!?」
傘を閉じて影がなくなったことと、光が彼女の美しい姿を照らしてくれていることにより、彼女の赤い顔がより鮮明に見ることができる。
「もちろん口ではなく、手の甲に」
眉を上げて、彼女の口から犬歯が露わになる。
「な、なんでアンタなんかに忠誠を誓わなきゃいけないのよ!」
「私を受け入れてくれるのでしょう?」
「それとこれとは話が違うわよ!」
私の手を強引に振りほどいて駆け出す。しかし、水溜りに左足を突っ込んでしまい、「きゃぁ!?」と彼女らしからぬ甲高く女性的な声を上げる。
私の方に振り向く。変わらず、顔は真っ赤だった。
「か、帰るわよ!」
「…ええ、言われずとも」
少し名残惜しく手を閉じる。
まだ彼女の熱が残っている気がした。まだ鼓動が脈打つ音が聞こえる気がした。
しかし、その手を開くと、その名残は跡形もなく、波にさらわれたように消えてしまった。
––––––手の甲へのキス、少し期待していたのだけど。
まだそうしてくれる時間ではないということか。
少し悔しい現実を甘んじて受け止めて、小走りに駆け出して、偶に立ち止まっては振り向いて、私の様子を伺う彼女の背を追う。
「しかし、手の甲へのキスというのは、なにも忠誠の誓いだけではないのですよ」
虹の下で、私の前で跪き、手の甲にキスをする彼女の姿を思い浮かべる。
––––––いつか、この未来予想図が来てほしい。
そう雲がまだ残る青空に願いながら。
「愛の表現でもあるのですよ、
その言葉はきっと、前を行く彼女には届いていない。
彼女と私の遥か上の青空には、大きく立派で綺麗な虹が架かっていた。
スタリラの配信日が決定しました。皆さまよろしくスタァライトされちゃってください。