翌日。レイドリベンジャーズ・
希繋と悠生の戦績は、過去3999戦中、希繋の0勝3999敗0引き分け。希繋にとって、悠生がいかに「越えられない壁」で在り続けているのかが明確になる数字だ。
しかし、今回ばかりは希繋も今まで通りでいるつもりはない。なぜなら、これは悠生から希繋に与えられた試練。
「勝負は一回きり。俺か兄貴のどちらかが戦闘不能になるか、あるいは逢依が危険と判断した時点で終了。他に何か確認しておくことはあるか?」
「ねーよ。ンなこと確認するまでもねーだろ。おら、さっさと構えろ。こっちはちゃっちゃとカタぁつけて昼休み中に食い損ねた昼メシを食わなきゃならねーんだからよ」
今更、というような悠生の返答に、希繋は少しだけ苦く笑うと、審判を務める
逢依は両者が構えたことを確認すると、その右手を高く掲げ――振り下ろす。
「――始めッ!」
先に動くのは希繋。相も変わらぬスピードを武器として、即座に悠生の背後に回り、その背に突き蹴りを打ち込むが、悠生はよろめくこともなく振り向き、その両の手を合わせて振り下ろす。
希繋はこれを一目散に回避するが、悠生の拳は勢いのまま床を殴りつけ、半径4メートル程度のクレーターが発生。仮にもこの床は100メートル上空から象が落下しても傷ひとつ付かないと言われているが、悠生にとっては土も超合金も大差ない。
先程の希繋の一撃、直線によるトップスピードからの跳び蹴りではない以上、最大威力でこそなかったが、助走をつけない状態での攻撃としては、かなり強く打ち込んだはずだった。
しかし、悠生はそれに対してまるで動じることもなく、身をふらつかせることも、そればかりか蹴りの勢いなどまったく感じていないかのように微動だにしていなかった。
(さすがに「最強」のレイドリベンジャーズ……! あの程度じゃ、ダメージにすらならないか……けどッ!)
だが、希繋にとって悠生が「越えられない壁」であるように、悠生にとっても希繋は「越えがたい壁」であった。
なぜなら、希繋はその貧弱すぎるパワーゆえに悠生にダメージを入れられないが、悠生もまたその鈍すぎるスピードゆえに希繋にダメージを入れられないからだ。
だからこそ、二人の戦術は既に決まっていた。希繋は「離れてかわし、近づいて蹴る」というヒットアンドアウェイ。悠生は「相手の攻撃を全部受け止めて、近づいて殴る」というノーガード戦法。
「相変わらずのヒットアンドアウェイ戦法か……。まぁ、スピード自慢のヤツはたいていそうだわな。でもそれだけで、オレの攻撃を全部かわせると思ってんなら大間違いだぜ」
しかし、そんな理に適っただけの基本に忠実なスタイルが、理不尽の塊である男に通用するわけがない。
悠生は大きく深呼吸をすると、その拳を強く強く握り締め、大振りに振りかぶって、希繋の立っている方角へと勢いよく拳を突き出す。
だがその間に存在する間合いは遥かに15メートル。拳が届くような距離ではない。――が、
「んなぁ……ッ!?」
悠生の繰り出した拳は大気を殴り、その振動は扇状衝撃波としてその範囲を広げながら15メートル先にいる希繋を打ちつけた。
この衝撃波をもろに受けた希繋はダウン。だが未だはっきりしない視界のまま立ち上がり、ゆらめく気配のみを頼りに悠生の挙動を察知する。
「オレの
「
「そうだ。前々から中距離用の攻撃手段がほしくてな。漫画で見た技を元にやってみたんだが……まぁ、大気を殴って衝撃波に換えるなんざ、要領さえ掴みゃ大したことでもねーわな」
大したことはない、といっても、その威力は折り紙付きだ。扇状に衝撃波が分散される以上、ダメージを受けたのは希繋だけではない。
希繋の後方、床と同じ合金で作られた壁は深刻なダメージを受け、円形の皹が入っている。
「離れれば離れるほどに威力は落ちていくが、扇状に範囲が拡大されていく。威力として有用な射程はせいぜい20メートルってところか。次は避けろよ……ッ!」
そう言って不敵に笑うと、悠生は再び苛烈拳衝の構えをとる。さっきはどうにか耐えられたが、これを避けなければ今度こそ戦闘不能は避けられない。
そうだ、これだけは避けなければ、次に繋げられない。しかし、希繋の技のほとんどは悠生には通用しない。希繋が悠生に勝っている点は、スピードだけだ。それ以外の全てを、悠生は越えている。
だとしたら、これを避けたとしても、「次」などあるのか。「次」とはどういう行動を示すのか。そんな思考が逡巡し、希繋の「一歩」を遅らせる。
「希繋ッ!」
「――ッ!」
逢依の悲鳴にも似た呼びかけを聞いて、希繋は咄嗟に後方へと飛び退いた。しかし、それだけでは苛烈拳衝をかわすことはできない。
壁を蹴り、天井に足をつけ、そのまま悠生の背後へと急降下。少なくとも、この位置ならば苛烈拳衝を受けることはない。しかし――。
「そこはオレの射程内だぜ、希繋ァ!」
そう、その場所は悠生の射程範囲――彼の拳が届く範囲内だ。だが、希繋はそれを避けることもせず、むしろその足を「前」に出した。
予想外の事態に、悠生はその拳を真っ直ぐ突き出したまま、その懐へと潜り込むことを許してしまった。
「射程内でも……予想外だろッ!」
言うと同時に、振り下ろす体勢から前屈みになっていた悠生の腹部を、渾身の力で蹴り上げた。
ダメージは少ないだろう。しかも悠生の体重は119kg、思いっきり蹴り上げても滞空時間はそう長くない。だが――だからこそ、落下速度は増す。
「生身での、サンダーフォール……ッ!?」
「そうだッ! エクレールがないからスピードは落ちるが……足りないスピードはお前の体重が補ってくれるッ!」
悠生の体が天井スレスレに近づき、落下を始めると同時に、希繋が跳躍。落下する悠生を越え、天井を蹴って落下速度を上げつつ回転を始める。
落下速度、天井を蹴ることによる加速、回転による遠心力。その全てを右脚に込めて、希繋はそれを悠生へと叩き込む。
「ぜあああぁぁぁぁッ!」
雄叫びが気合いを、気迫を、気持ちを――感情を高めていく。
昂る気持ちを遮るものはなく、希繋はその感情を脚に込め、そして――。
「まだ、弱ぇ」
そして――背中から着地した悠生によってその脚を掴まれ、20メートル以上離れた壁へと投げつけられた。
「が、は……ッ!?」
「今の機転は合格ラインだ。足りねーパワーのためにオレの体重を利用するのも悪くねーし、何よりよかったのはオレの攻撃に対してビビることなく足を前に踏み込んだことだ」
「はぁッ、はぁッ……!」
「……だがパワーもなけりゃディフェンスも足りてねーオマエに、優芽ってヤツの相手ができるのかって点は、今の戦いを見ても疑問が残る。それについてはどうなんだ、希繋」
肩で息をする希繋に対して、一方的な攻撃を受けつつもまったくダメージを負っていない悠生が問いかける。
「確かに……俺は戦うことに関してはズブの素人だ……。
「…………」
「でも……戦わなくちゃ聞く耳も持たない奴だっているんだ! だったら、そいつらが聞く耳を持つまで戦う! そんでもって、聞く気になれば俺は絶対に戦わない! それで騙され裏切られ傷付けられてもだ!」
希繋と悠生が真っ向から対立することが、これだ。
希繋にとって、敵とは「自分とは違う正義のために頑張っている人間」であり、決して悪ではない。互いの正義に折り合いをつけられるのなら、わかりあうことも可能な相手だ。
しかし悠生の場合はそうではない。悠生にとって、敵とは「戦う相手」であり、そこに和解という目的はない。ただ純粋にぶつかり合い、気に入れば「敵」でなくなり、気に入らなければ叩き潰す。それだけだ。
「俺は敵を倒すために戦ったりしない! 互いに和解の道を作るために、まず正面からぶつかって、そしてわかりあうための手段が「戦い」なんだ! 俺は優芽を「倒す」気はない!」
「……相変わらず甘っちょろいヤツだな、オマエは。「戦う」のに「倒す」気はないとか、お前は菩薩にでもなるつもりか?」
「好きに言え。俺は俺がやりたいこと、やるべきことを全力でやりたいんだ! そのためなら……俺は兄貴とだって何度でもぶつかってやる!」
床を砕かんとするほどの勢いで、今度は希繋から悠生へと攻撃を仕掛けた。
亜音速による急接近と、そのスピードを最大限に活かした跳び蹴り。純粋な亜音速キックだ。しかし、クリムゾンインパクトは本来、蹴りによる「ダメージを与える」ための技ではない。
あれは、肉体を電気に変換することで光速接近し、攻撃を接触させる瞬間に電気化を解いて相手を貫く、文字通り『必殺』――「必ず殺す」ためにある技。
優芽との勝負でも、優芽の攻撃に対して迎え撃つことはしたが、優芽自身を狙わなかったのは、それが理由だ。
しかし、相手が悠生となれば遠慮はいらない。まして今はエクレールを使わない生身での攻撃。たかだか亜音速からの跳び蹴り程度で、悠生を殺すことなどできるはずもない。
故に、悠生もまたその右手で拳を作り、横薙ぎに腕を払うと、その勢いによって摩擦を起こし、右腕を炎で包む。
「スヴィルカーニィなしで、炎を……ッ!?」
「そうだッ、これが孤高の炎! 他の誰にも……仲間やスヴィルカーニィにすら頼らない、オレがオレの力だけで編み出した最強の一撃!」
炎に包まれた右腕を再び構えなおし、そしてもう一度突き出す。
その拳撃の名は、「超破壊」――。
「オーヴァー、デストラクトォォォッ!!」
「くっ……! ぜぇあああぁぁぁぁッ!!」
衝突する炎の拳と亜音速の脚。
拮抗は一瞬。まるで勝負にならないとでもいうかのように、悠生の右腕を包んでいた炎がそのまま希繋へと伝い、純粋な拳の破壊力と共に膨大な熱量の炎が希繋を襲う。
――はずだった。
「……炎が、伝わらねー……」
「衝撃を、感じない……」
拳と脚が接触すると同時に、二人の攻撃の勢いが消えた。
希繋はひとまず悠生の拳を足場のようにして蹴ると、空中で後転しながら着地。こんな芸当ができる「たった一人の人間」に視線を向ける。
「私とクリュスタルスが両者の運動エネルギーと熱量をゼロの状態で固定し『凍結させた』わ。両者、そこまでよ」
「……なんだ、こっからがいいトコだったってのに、野暮なこったな。なぁ、希繋?」
「ん? あ、いや……俺はさっきのオーヴァーデストラクト受けてたらヤバかったから、むしろ感謝してんだけどな。ありがとう、逢依」
逢依とクリュスタルスの仲裁により、模擬戦闘は中断。不満気味な悠生に対して、希繋は状況を正しく理解し逢依に礼を言う。
希繋と悠生の力量に関する優劣は、この模擬戦闘が始まる前から既に明らかではあった。故に、この戦いで重要だったのは、その優劣の「差の開き」である。
少なくとも、希繋個人が出せる力で、悠生と対等に渡り合えるということはまず有り得ない。片や最強のレイドリベンジャーズであり、片や最弱のレイドリベンジャーズだからだ。
しかし、だからといって一方的にただやられるだけでは、優芽と戦うには力不足を否めない。そのため、悠生は自分自身を物差しとして使い、希繋の力量を測ろうとした。
結果として、希繋の出した最後の一撃。生身での亜音速キックは、悠生の予想を超えていた。
そもそも、希繋が放ったサンダーフォールを受け止め、壁に叩きつけた時点で、悠生の予想では希繋は「戦闘不能」になっているはずだった。
しかし彼は、壁に接触する直前に受け身を取るのではなく、足を
「……で? 俺は兄貴の眼鏡には適ったのか?」
「ま、及第点ギリギリだな。優芽ってヤツとの戦いに『適応』もできてるし、まぁこんなもんだろ」
「みんなたまに言うけど、その「適応」ってなんだ?」
「ん? なんだ、オマエまだ気付いてねーのか。ま、火事場のクソ力みてーなもんだから、仕方ねーっちゃ仕方ねーんだけどよ」
まぁ自分で気付くこったな、と吐き捨てるように言うと、悠生は戦闘訓練室を出て行こうとする。が、逢依とクリュスタルスがドアを凍結させてその場に留まるよう仕向けた。
「出ていくのはいいけれど、あなたが破壊した床の修繕報告はあなた自身がしておきなさいね」
「あっ、はい……」
にこり、といつも通りの静かな微笑みが、今ばかりは雪女の冷笑にも等しい殺意が込められていたと、後に悠生は語った。