しかし、そんな二人の戦いは激しくも美しく、そこに無意味な「熱さ」はなかった。彼女らは、どこまでも冷たく澄んでいたのだ。
乾いた銃声がビルの内部に響く。その銃口から放たれた弾丸は音を置き去りにしながら逢依へと迫り、そして時間と共に凍結する。
いったい「どれだけの時間を」凍ったままで過ごしただろうか。凍結から解凍まで、コンマ1秒のラグすら発生することはなく、弾丸の直線上から逢依が消失する。
だが、軌道上から逢依が消失することは、ヴォイドが切り裂いた虚空の中から「観測」できていた。だからこそ、次に彼女がどこに出現するかも、覚悟にはバレている。
「たとえ時間を凍らせることができても、最終的にどこから攻めてくるのかわかっていれば、恐れる理由はありません」
「……どうかしらね」
覚悟の正面に出現する逢依。だがこの未来も、覚悟にとっては予想の範疇。既に弾丸は2段階の偏向の末に両者の横から逢依へと接近していた。
が、再び覚悟の視界から逢依の姿が消え、弾丸がその場を通過――そして、再び同じ場所へと姿を現す。
「……ッ! ヴォイド!」
『了解。空間と空間を連結し――』
「そうはさせない!」
時間の解凍と同時に状況を認識した覚悟は、咄嗟にその場を飛び退いて回避を試みた。すると直後、切り払うように一閃された手刀が、覚悟の顎の下を掠めるようにすり抜ける。
どんなに攻撃しても微動だにしない、攻防一体の「不動のスタイル」が、たった1度だが、ほんの一瞬だが、今……確かに崩れた。
「やっと『かわした』わね?」
「――ッ!」
見開かれた視線の先に、逢依の不敵な笑みが映る。
直後、弾丸が三段階の偏向を経て、再び逢依へと迫るが、彼女はこれすらも回避。次にどこから現れるのか、覚悟は即座にヴォイドのギア特性を発動し、未来の虚空と現在の虚空を繋ごうと試みる。
だが――ユナイトギアのギア特性発動は、装着者の任意で行われる。それは即ち、装着者がユナイトギアにギア特性の発動を促さない限り、ギア特性は使えないということだ。
「させない、と……そう言っているでしょう?」
「くっ……!」
どんなに強力なギア特性でも、発動できなければ意味がない。そして、たとえ未来が見えていても、それが断片である以上、見えるのは切り取られた一瞬の未来でしかない。
そう――未来の断片を見て行動を予測できるヴォイドのギア特性は、決して未来の流れを見ることのできる力ではなかった。切り取られた一瞬を映す……ただそれだけの力だったのだ。
確かに……未来を変えることは容易ではない。逢依だけの力では、覚悟の予測を上回ることはできない。だが……だからこそ覚悟は「騙された」のだ。逢依にではなく……自分が信じた未来に。
「なぜ……わたくしの未来予測が完璧ではないと、わかったのですか……?」
「そもそも「予測」というものに完璧なんてありえないわ。絶対どこかに見落としがあって、必ず何かを間違える。9割の確信と1割の疑念……それが予測というものよ。あなたは、その1割を見逃している」
断片的とはいえ、今まで外すことのなかった未来予測。それによって生まれた慢心が、かつて存在していた「1割」を失わせた。
何があっても絶対に変化することのない未来への帰結だと信じ、疑わなかった。それが覚悟の見失っていた「虚空連結」の弱点だ。
「断片的にしか未来を見えないのなら、未来予測を破る手段はゼロではなくなる。今みたく、あなたが私の行動を認識した後、未来の断片を見ようとギア特性を使うまでに0.5秒の隙があるわ。そこを狙えばいい」
「なるほど……確かに、あらゆるものを凍らせるあなたに対して、0.5秒もの隙は致命的ですわね……。それに、未来が見えなければフレキシブルトリガーの偏向射撃も大した強みにはならない……!」
偏向射撃自体は、時間を凍結させることで回避は可能だ。問題だったのは、逢依から覚悟に対する攻撃手段が見つけられなかったこと。
だが、未来予測を封じ、ギア特性を未然で防ぐことに成功した今、覚悟が持つ防御用の手札は全て無力化された。
「それともうひとつ。あなたの持つフレキシブルトリガーの偏向射撃だけれど、最大で5回か6回しか偏向できないのでしょう? もっと言えば、一度の偏向で曲げられる角度は左右90度まで、といったところかしら」
「どうしてそれを……!」
「どうして、って……そんなの数えてたからに決まっているじゃない。それに、180度曲がることができるのなら、わざわざ2段階偏向や3段階偏向する必要なんてないわ。だったら、どうしてもそうしなきゃいけない理由があったと考える方が自然じゃないかしら?」
逢依は今の攻防で、フレキシブルトリガーが追えないほどの連続時間凍結を行ってはいない。
時間の凍結による回避という以上、逢依の姿が消える瞬間と現れる瞬間はまったく同時だ。だからこそ、視界から消えた直後に射線を偏向すれば、逢依を追うことは不可能ではない。
まして、未来予測が可能な覚悟であるならば、なおさら確実で迅速な対応ができたはずなのだ。
しかし、彼女は2段階偏向と3段階偏向を1回ずつ行うだけで、次弾による攻撃へと切り替えた。これは、1発の弾丸に対する偏向回数が5回しか行えないことの証左。
あるいは、もう1段階だけ偏向を行うことができたかもしれないが、左右90度にしか変更できない以上、180度偏向のためには2段階偏向が必要だったためしなかった、と考えるべきだろう。
よって、フレキシブルトリガーの偏向回数は5~6回が限界だと、逢依は判断し……そして覚悟の反応からして、その予測がおおよそ間違ったものでないことが明らかとなった。
「……香坂逢依さん」
「何かしら、水面覚悟」
覚悟が武器を仕舞い、微笑みながら逢依の名前を呼ぶと、逢依もまた彼女に応えるように武器を仕舞い、返事を返した。
「わたくしは仲間のために戦い、あなたは家族のために戦った。背負うものの重さは互いに同じだったはず。なのに、なぜわたくしはあなたに敵わなかったのでしょうか……」
「……純粋な実力なら、むしろあなたの方が上だったわ。だからきっと互角ではなく、あなたに利があったはず。それでも、この結果に繋がった以上、その理由はきっと明確だわ」
「……それは、いったい?」
澄んだ薄緑色の瞳に逢依の姿を映しながら、次ぐ言葉を待つ。
断片的とはいえ、運命すら味方につけて戦っていた自分を討ち破った逢依の力。それを知れば、もしかすると自分の知る最悪の未来――あの悲劇の日を変えられるかもしれない。
だから、既に重く怠くなり始めた身体に鞭を打ってでも、それだけは聞かなければならなかった。
「あなたはきっと、背負いすぎていたのよ。仲間の助けになろうと、希繋を救おうと、きっと優芽以上に何もかもを背負おうとしていた。それは決して悪いことではないけれど……でも、重くなった心に、ユナイトギアは……ヴォイドは応えてくれた?」
「――――」
今頃になって、逢依の口から聞かされて、ようやく気付く。
ユナイトギアと、その装着者は「心」によって繋がっている。どんなに強いギアであっても、どんなに凄い装着者であっても、心を通じ合わせないままの力では、ただの「力」でしかない。
その「力」を「強さ」に換えて、初めてユナイトギアと装着者の価値が決まるのだ。なのに――。
「私は家族を信じたわ。希繋なら負けない。悠生なら勝てる。そう信じて、二人とは違うこの戦場で戦った。けれど、あなたはどう? きっと、仲間が無事かどうか不安で仕方なかったんじゃないかしら」
なのに、覚悟を信じようと、共に戦おうとしてくれるヴォイドの想いをよそに、覚悟の心には「仲間」のことしかなかった。
仲間を信じていなかったわけじゃない。けれど……信じていても不安や心配を振り払うことができなかった。全てを仲間に託して、目の前の戦いに集中できていなかった。
だから、その重さに心が潰されそうになって、その重さを支えることに必死で、今この瞬間を共に戦うために一番信じるべき「ヴォイド」を信じることができなかった。
「その想い……不安が悪いことだなんて言わない。仲間への気持ちが本物だっていう何よりの証拠だと私も思う。でも……あなたの仲間は優芽と総交だけなの?」
「違う……。ヴォイドだって、わたくしにとって掛け替えのない大切な仲間……。なのに、わたくしは……わたくしは、共に戦う仲間としてではなく、戦いを制す道具のように、この子を……!」
『悲しまないでください、マスター。私はヴォイド。あなたのユナイトギアです。マスターに「使われて」初めて、私たちユナイトギアは本当の力を発揮できる。私たちは、まぎれもなく道具なのです』
道具。そう、ユナイトギアは道具だ。人々を守り、レイダーを斃す。そのために生まれた道具だ。
だが……彼らを纏う装着者たちにとって、ユナイトギアが「ただの道具」だと思える時など、ほとんどないだろう。心で繋がり、心が彼らを強くし、心と共に成長する。
そんな彼らが――「心」を持つユナイトギアたちが、自分たちに対して本当の意味で「無償の信頼」を預けてくれるのに、それを「道具」として吐き捨てることができるものか。
「違うっ! あなたが……いえ、たとえ誰がなんと言っても、私はもう二度と……あなたを「道具」として扱ったりしません! あなたは……ヴォイドはわたくしの、大切な仲間です!」
右目から零れ落ちる一滴の雫。それを見た逢依は、彼女に背を向けてビルの階段へと歩き始めた。
もしも、次に彼女と戦うことがあれば、たぶんその時は今回よりもずっと恐ろしい強敵になっていることだろう。
だが――それでいいのだ。元より覚悟とヴォイドは、逢依とクリュスタルスよりもずっと強くてずっと凄い存在だったはずなのだ。
今回こうして勝ちをもぎ取ることができたのは、覚悟の仲間への想いが強すぎたからだ。仲間を信じる心と、仲間を想う心。そのバランスが偏っていただけ。
でも、だからこそわかる。彼女はもう気付いているはずだ。
「……クリュスタルス」
『なんでしょう、マスター』
展開状態から待機状態のペンダントへと戻ったクリュスタルスに、逢依が声をかける。
「希繋なら、きっと変えられるわよね。覚悟たちが見た、悲劇的な未来を……」
『……返答しかねます』
クリュスタルスの返事に、それもそうね、と苦笑する逢依。しかし、クリュスタルスの言葉はそこで終わらなかった。
『ですが、そうであってほしいと、願っています』
「……そう」
やっぱり道具らしくはないわね、と言葉に出さないまま、逢依は階段を下りていった。