それは、レイダーの連続襲撃が始まった最初の日。一週間前のあの日まで遡る。
(今日はじめて見たあの異形……あれが、かつて世界中を恐怖へと陥れた侵略性生命体。現代のお父さまとお母さまが、倒すべき敵……)
レイダーの存在は、かつて通っていた学校で学んだことがある。国際脅威的侵略性生命体とされ、ヒトの負の感情から生まれ、強い感情を持つヒトを襲い、ヒトの感情を食らう。
人間の体と心を襲うレイダーは、この時代において真っ先に駆除すべき人類共通の仇敵であり、皮肉にもレイダーの存在が一時的とはいえ人間の絆を強くしたとも言われている。
(ですが、それは「痛み」によって繋がった絆。痛みが癒えた人類に待っていたのは、かつてと同じ『戦争』という名の同族争い……。お父さまの信じる、本当の『キズナ』とはかけ離れていた……)
キズナ――それは希望を繋ぐもの。
誰かが自分の信じた希望を託し、託された誰かがその希望を育み、そしてその希望をまた次代の誰かへと託し、繋がり続けること。
故に、
(でも、あの時……小転さんがレイダーからわたしを守ってくれなければ、わたしは何もできないまま、何も果たせないままこの身を散らせていたはず……)
レイダーが恐ろしい存在だということは知っていた。レイダーが許せない存在だということもわかっていた。
それでも、白露はまだ幼かった。レイダーの存在に逸早く気付いていながら、
(もっと……もっと強くならなくては。お父さまとお母さまを守るためにこの次代に来たのですから、お二人を守れるほど強くなくては……)
自らの弱さを殺すため、白露はその幼い決意を強く握りしめた。
◆
そして今、避難警報を聞いた小転に手を引かれながら避難していた白露の前に、その「
暗くくすんだ灰銀色の体色。鎧にも似た表皮に、悲鳴のような鳴き声。間違いなく、白露が「
「レイダー……。白露ちゃん、ここはわたしが対処するから、君は先に避難を――」
「いいえ、その必要はありません。戦う力なら……わたしにもあります!」
白露が懐から取り出したのは、彼女が未来の逢依からもらった健康祈願のお守り。
『白露、このお守りはかつての私の相棒が宿っているの。だから、あなたが本当にやりたいことを見つけた時、きっとこのお守りが力を貸してくれるはず。白露、あなたは自分のしたいことに素直な子になりなさい』
脳裏に浮かぶのは、このお守りを受け取った時の言葉。あの時の母の
そして――だからこそ、やりたいことを見つけた今、彼女はそのお守りの封を開け、その中身を取り出した。
「それは……!」
「これが、お母さまがわたしに託してくださった希望……『シンクロナイザー』ッ!」
お守りの中にあったのは、チョーカー型の待機形態を持つユナイトギア。白露のために、逢依が彼女に託した
その
『了解。ユナイトギア第四六六号・シンクロナイザー、桐梨白露に
放たれた白銀の輝きが白露を包むと、彼女の髪はエモーショナルエナジーによって白銀へと染まり、その首元には彼女の髪と同じ色のマフラーが現れた。
その姿を見た小転は、ゆっくりと彼女の隣へと近づき、そして優しく白露の頭を撫でた。
「……こうなったら仕方ないね。君がその道を選んだのなら、わたしがしてあげられることは……君の初陣を華々しく飾ってあげる手伝いをすることだけだね。止めてあげられないのは、悔しいけど」
「ありがとうございます。そして、ごめんなさい。でも……これがわたしのすべきこと、やりたいことなのです。だから……!」
「君のしたいように、やるといいよ」
無感動で無感情で無表情な小転の手が、ゆっくりと撫でていた頭を離れ、その背を押した。
「桐梨白露、推して参りますッ!」
『――――ッ!』
白露の覚悟の叫びと同時に、レイダーの剛腕が白露を圧し潰さんと振り下ろされた。
だが、いかにレイダーとの交戦経験がなくとも、白露もまた揺るがぬ信念を抱いてこの時代へと訪れた少女。故に、その信念を果たすためならば胸の想いが燃え盛る。
「シンクロナイザー!」
『了解。可能な限りこちらの判断でサポートします』
迫る剛腕を受け止めたのは、彼女の首元から伸びた柔軟にして堅牢なる伸縮自在のマフラー、シンクロナイザー。
戦闘経験がほとんど皆無に等しい白露を自らの判断でサポートする無双の一振り……いや、無二の相棒。
「とやぁッ!」
シンクロナイザーが剛腕を抑えている間に懐へと飛び込んだ白露の掌がレイダーの腹部を打ち抜くと、レイダーは僅かに後退しつつも即座に腹部から触手を伸ばし反撃へと転じる。
しかし、その程度の返しならば白露にとって想定の範囲内。
「シンクロナイザーッ! わたしにアームズをッ!」
『了解。アームズ・『
白露の呼びかけに応じて現れたのは、彼女の身の丈を超える鍔なしの大太刀、銘――御霊鎮之紅瑠璃。
エモーショナルエナジーによる身体能力の向上補正がなければ間違いなく扱いきれない巨大な刃を構えながら、レイダーの左腕を逆袈裟に斬り落とす。
『――――ッ!?』
「まだ、この程度では終わらないことなどお見通しですッ! シンクロナイザーッ!」
『了解。
片腕を失い、悶えるレイダーから僅かに間を開けると、シンクロナイザーが地面を強かに打ち付け、その反動で白露は大きく飛び上がった。
そして空中で御霊鎮之紅瑠璃を大きく振りかぶると、彼女はその刃を躊躇なく振り下ろす。
『
「とぉやああああぁぁぁッ!!」
振り下ろされた白銀の刃に曇りなく、決断の一閃はレイダーを容易く切り裂いた。
白露は灰となって散っていくレイダーに背を向けて、軽く呼吸を整えると、自分の周囲を見回して苦笑を漏らす。自分がこのレイダーに手間を取られている内に、その周りでは5頭のレイダーが小転によって抑えられていた。
「白露ちゃん、そっちが片付いたなら、残りのレイダーにもトドメを刺してくれないかな。わたしだと、抑えることはできても倒しきれないからね」
「かしこまりました」
既にグロッキー状態になっている残りのレイダーたちの首を刎ね、ひと段落つくと、小転は改めて白露に問う。
「さて……ひとまず片付いたけれど、希繋が来ないってことは、今のレイダーたちはおそらく別動隊。本来の勢力は永岑市内の別ポイントとみなすべきだね」
「そのようです。少し離れたところで、別のレイダーの気配を感じますので、間違いないでしょう」
「となると、とりあえず君の出番はここまで。本来の勢力には永岑のレイドリベンジャーズが当たっているはずだから、わたしたちは避難しておこう。言い訳も考えておかないといけないからね」
◆
避難した先のシェルター前にて、白露と小転を待ち構えていたのは、永岑のレイドリベンジャーズに所属するエージェントたちだった。
最初は身構えた白露だったが、エージェントの中には小転がレイドリベンジャーズであった頃の知人もいたため、彼女が白露の警戒を解き、レイドリベンジャーズが所属する護送車に乗って永岑支部へと招かれた。
そして、連行された先は言うまでもなく第二前線部隊オペレーションルーム。普段より随分と声の抑揚が少ない逢依が二人を迎えた。
「果たしてどこから問い詰めるべきかしら。でも、まずはこれよね。小転、わたしは白露ちゃんを出来る限り戦いに巻き込まないよう守ってもらうために、あなたと婚代さんに白露ちゃんを任せていたわ。なのに何故、こうなってしまったの?」
怒り、というよりも、苛立ち、というべきか。しかし逢依は努めて冷静さを保ちながら、小転に事態の説明を求めた。
小転も、彼女が冷静さを保っているためか、いつもの無表情のまま、促されるままに説明を説いた。この場に希繋がいないことは、逢依にとっても小転にとっても好都合であったといえよう。彼は激情家ではないが、彼女らほど理性的でもない。
そして全ての成り行きを聞いた逢依は、小転に対して「そう、ごめんなさい」とだけ告げると、今度は腰を落とし、白露の目線に合わせながら、彼女に言葉を向けた。
「白露ちゃん。あなたは今回、とてもいけないことをしたわ。それが何かわかる?」
「……身に余る危険に、自ら飛び込みました。しかし、わたしにはそれを可能にするだけの力がありました! 力があるのに、ただ足踏みすることなど……!」
「……『身に余る危険に飛び込む』ということは、決していけないことではないわ。時として、それをしなくてはならない時が、私たちにだってあるもの。だから、それ自体は決していけないことではないの。力のあるなしも、関係ないわ」
逢依はその強く鋭い眼差しを白露の視線から離すことなく、彼女に説き始めた。
怒りに任せて声を荒げることも、感情を高ぶらせて手をあげることもなく、ただ……白露の不安そうで、だけども真っ直ぐな視線から、一度も目を離さなかった。
「私たちレイドリベンジャーズは、レイダーという脅威から人々を守るために組織され、その力を発揮しているわ。だけれど、そんなレイドリベンジャーズでさえ、時にはレイダーとの戦いで命を落とすこともある。ユナイトギアがあってもよ」
白露には伝わらないだろうが、逢依の記憶を過ぎったのは、今まで死線を共にしながら、戦いの中で散っていったレイドリベンジャーズたち。
彼らは逢依と共に戦えるだけの力があり、そしてその力を振るうだけの正しい心を持った戦士だった。人々を守るため、国際脅威であるレイダーに怖じることなく立ち向かい、部隊の勝利に貢献してくれた。
だが――そんな彼らでさえ、レイダーという脅威性の前に敗れることがあり、そしてその「敗北」は、そのまま「死」という最悪の結末へと直結した。
「白露ちゃん、あなたが今回レイダーを斃せたのは、あなたに『力』があったからかしら。それは本当に、あなただけで掴んだ勝利だった? あなたはそれを可能にするだけの結果を示せた?」
逢依の問いに対する答えは、もちろん否だった。今回、白露がレイダーに対抗できたのは、シンクロナイザーによる自動サポートによるところが大きい。
そればかりか、彼女自身が戦って斃したレイダーは1頭だけ。その周囲では5頭ものレイダーが、小転によって抑えられていた。もしも小転がいなければ、もしもシンクロナイザーの自動サポートがなければ、結果は予測するまでもない。
それほどに、白露の戦い方は不安定で、アームズを呼び出せただけでも僥倖。ギア特性を使いこなすどころか、発動することさえできていない現状では、逢依の語気が強くなるのも致し方のないことだった。
「白露ちゃん。私の言葉に返すものがあるのなら言いなさい。その言葉に、あなたが通すべき筋が通っていれば、私は何も言わないわ。私はあなたの言葉を否定することはあれども、遮ったりは絶対にしない」
「……何も、ありません……。慢心が過ぎました。お母さまの言葉を素直に受け止め、猛省します……。ですが、これだけは……通したい信念だけは、言わせていただきます」
「聞きましょう」
逢依の瞳には、既にひとつの未来が見えていた。白露が自分と希繋の娘であるのなら、きっとその未来は変わらない。
しかし――だからこそ、彼女はその未来を、白露が言うであろう言葉を敢えて聞く覚悟を決めた。その言葉はきっと、逢依にとって逃げることも避けることもかわすこともできないものだから。
「わたしは――桐梨白露は、悲劇的な未来からお父さまとお母さまをお守りするためにこの時代へとやってきました。だから……今は身に余る戦いでも、このまま背を向け続けることはできません!」
「……でしょうね。あなたが私の娘なら、そうに違いないわ」