「はぁっ……はぁっ……! くそっ! どうしてこうなっちゃうんだよッ! 僕が何をしたっていうんだッ!!」
「
「は、
国内某所の古びた日本家屋。俗に「マヨイガ」と呼ばれるその場所で、一組の男女が膝を折り蹲っていた。男の名を月村義陰、女の名は日向陽乃。二人は数日前に職場で起きた事件をきっかけに所属していた組織を飛び出し、このマヨイガへと辿り着いた。
組織を飛び出す直前、自分を虐げた上司と同僚を反射的に叩き伏せてしまったのはやはり悪手であったか、と悔いる義陰だったが、それでもそうしなければ今頃は自分の内に溜まったフラストレーションが一番傷つけたくないはずの陽乃を傷付けていたかと思うと、仕方ないと納得もできた。
「陽乃はいつだって僕を助けてくれてる。陽乃がいてくれるから、僕は何から逃げたとしても生きることからは逃げないでいられる……目を背けないでいられるんだ」
「……そっか。ありがとう、義陰。でも、だったらもっと甘えてよ。義陰はいろんなものを溜め込み過ぎだ。もっとちゃんと吐き出してよ。アタシはもう……苦しむ義陰を見たくなんかないよ」
義陰の苦しみ。二人の脳裏に甦るのは15年前の悲劇。義陰の兄――
義正の逝去から半年と経たず家庭は崩壊。母親に引き取られた義陰は、それまでずっと一緒だった陽乃とも別れを告げることになり、孤独な日々へと身を投じていった。
義正を喪って失意の中にいたのは母も同じだった。すべてに無気力になった彼女は、義陰に当たることはなかったものの、彼への興味さえ失っていた。食事も、掃除も、洗濯も、インターネットと数多くの失敗を繰り返しながら、母と同居していながらも義陰は「孤独」な生活を続けていた。
だが彼の心を蝕んだのは孤独だけではない。片親のいない子供は、子供のネットワークの中では異質なものだった。元々の大人しい性格も災いし、彼は新しい環境の中で孤立し――そして虐げられた。言葉や態度だけでなく、時には暴力にも発展したが、唯一の味方となるべき母はそれでも彼に興味を示さなかった。
やがて他人を信じられなくなった彼は、小学校・中学校といじめの対象になり続けながら、誰にもその苦痛を吐き出さなくなった。いや、吐き出せなくなった、というべきか。吐き出せば新しい暴力の種にしかならないということを、彼は経験から学んでいた。本来なら学ばなくていいはずのことを、学んでしまっていた。
中学から高校に上がる頃には、母親は家から姿を消していた。幸いなのは、もはや彼が母を必要としていなかったことと、高校に入るだけの金が残っており、親戚から支援を受けながら高校に通えたこと。そして、新しい高校は地元から遠く離れていたことだった。
高校に入ってから数か月は平和だった。気の知れる仲間もでき、ようやく心が少しずつ彼本来の朗らかさを取り戻しかけていた時のことだった。彼の友人が万引きをし、その罪を義陰になすりつけた。後にわかったことだが、その友人は中学時代に彼を虐げていた先輩の弟だった。
兄から義陰のことを知った友人は、出会って早々に彼がその対象だったことに気付いており、兄以上に彼を貶め、心をへし折ることで、兄に勝り、その優越感に浸ろうとしていたのだ。
万引き犯に仕立て上げられ、親戚からの援助もなくなり、高校を中退した彼は人を信じることができなくなっていた。そして自暴自棄になっていたところを、なんの偶然か陽乃に見つかり「人と接することが嫌なら自然と接していけばいい」とORBに誘われた。
そして
きっかけらしいきっかけなどなかった。仕事でよく同行するチームとの共同作業中、義陰は基本的に陽乃と常に共に行動していた。それは仕事を効率化するためでもあり、彼の精神状態を一定に保つための誠実の気遣いでもあった。
しかし、二人が幼馴染であることを知らない同行チームからは、気立ても器量もいい陽乃を義陰が独占しているように見えたのだろう。たった一度の共同任務ならよかったが、ORBの任務は基本的に自然災害や環境汚染との戦いであるため、どうしても長期間かつ断続的に行われる。
そうして溜まっていったフラストレーションが、とうとう同行チームの導火線に火をつけてしまった。誠実と陽乃の目を盗んで、義陰に対する暴行と恐喝が行われてしまったのである。
「……ごめん。それと、ありがとう。陽乃がそう言うのなら……陽乃にだけはちゃんと甘えることにする。いつも心配させちゃう僕だけど、そんな僕でもいい?」
「当たり前でしょ。心配したくなるくらい優しくて頑張り屋な義陰だから、アタシは甘えてほしいんだよ……!」
二人は抱き合いながら、互いの苦しみと寂しさを別け合う。義陰は太陽に縋る月のように。陽乃は月を導く太陽のように。二人は照らし照らされる互いの立場を自覚しながら、その関係を良しとする。
彼と彼女に共通する感情――それは「憐み」あるいは「慰め」だろう。義陰の苦しみを憐み慰めようとする陽乃と、陽乃の優しさを憐み慰められようとする義陰。典型的な共依存の形を持つその関係は、自愛心が低いほど強くなっていく。
それは歪な親愛の形だ。しかし、それが親愛であれ友愛であれ情愛であれ、二人の間に芽生えた繋がりがほどけないのなら、義陰も陽乃もそれを歪だとは受け止めない。他人とは形の違う絆なのだと信じ続けていく。
「――さぁ、ずっとこうしていたい気持ちはあるけどさ、まずはご飯にしよう。この屋敷がどんなところか未だにわからないけど、いつでも逃げられるようにお腹だけは膨らましておかないと」
「うん……。あっ、僕も手伝うよ。陽乃だけにしてもらってばかりじゃ悪いし」
◆
『捜索対象の名前は月村義陰と日向陽乃。どちらもORB所属のユナイトギア装着者です。ユナイトギアの詳細については機密のため公開できません』
「って言ってるけど、どうする
「知らん。どうせどんなギアを持っていようがオレは正面からぶっ壊すだけだから関係ねーしな。とっとと見つけて拳骨ぶちかまして連れてけばいいだけだろ」
あっそう、と軽く流して、
おそらくは、形に残るものにORB所有のユナイトギアのデータを残さないためだろう。実際に対峙してみればわかるデータだとはいえ、本来の詳細データと感覚で得るデータには「誤差」の範囲に留まらない明確な違いがある。
人類を守るレイドリベンジャーズと地球を守るORBの間には、とても近いようで限りなく遠い意識の差が存在する。何かを守りたいという気持ちは一緒だとしても、最終目的が違えば自然と手段も変わる。そのために、これまで幾度となく衝突を繰り返してきた。
だからこそ、希繋もORBの渡してきた資料に苦言を呈すことはしなかった。確かに情報に不足があることは間違いないが、実際に対峙すれば補える範囲であるのなら、無暗に事態を大きくする必要はない。
しかし問題なのは、対象二名がどちらも光速移動のできる装着者であることだ。地球を半周……つまり地球の反対側まで0.06秒で到達できる速度があるということは、実質この地球上のどこにでも一秒未満で逃げられるということでもある。
目の前で逃げ出したのなら希繋のスピードで十分追えるが、最初から居場所がわかってない現時点では、地球上のありとあらゆる場所を虱潰しに探すことになる。しかし、逃げ隠れするのに対して探して追うという立場で言えば、速いことが必ずしも利点とはなりえない。
なぜなら、どんなところにも一秒未満で行けるということは、言い換えればあらゆる景色が一秒未満で過ぎ去ってしまうということでもある。いくら光速で過ぎ去る情報を知覚できるとしても、それは反射神経的な知覚能力であって、たった二人の人間を見つけ出す判別能力とは意味が異なる。
「光速移動ができる奴は海とか普通に越えていくから国内にいる保証もないし、どうしたもんかな。せめて国内か海外かわかるだけでもいいんだけど」
「ORBはレイドリベンジャーズと違って一か国につき支部が一つだから統率がとりやすい反面、こういう時に広範囲の情報を得られないのが痛いな。全国のレイドリベンジャーズに登録外のユナイトギアが見つかってないか聞いてみるか?」
『今回の任務はORBとあなたがた個人との共同任務です。ここで見聞きした情報を他の組織に通達することは認められません』
「どんどん自分の首を絞めていくなORB……」
呆れとも諦めともとれる溜息をこぼすと、希繋は悠生に視線をやった。普段は荒っぽい彼だが、仮にも永岑支部第一部隊の隊長を務める一級のレイドリベンジャーズだ。何かアイデアがないかと尋ねようとするも、それは思い直した。
悠生は確かに聡明かつ賢明な部隊長であり、その立場から口を噤まなければならないことも多いが、今回の任務はORBと個人の協力任務。彼が口を閉ざす理由がないのに何も案を出さないということは、彼にこの情報を打破する手段はない、あるいは既にその手段を講じた後だということになる。
そして、今回この任務に協力するにあたり、希繋と個人的に協力しているのは何も悠生だけではない。
『すまない希繋。今しがたようやくレイドリベンジャーズとの正式要請が通った。ここからは我々「ORB日本支部・第二九番実働部隊」がオペレーションを引き継ごう』
「やっと来たか誠実。もう待ち草臥れてたとこだ。で、レイドリベンジャーズとの正式な協力要請が通ったってことは、捜索対象の広域調査をしてもいいのか?」
『それは既にこちらから要請済だ。現時点で姿を確認できたのは10カ所。都道府県はバラバラだが何れも日本国内のスーパーマーケットや日用雑貨店だ。このことからおそらく現在も海外には出ていないものと思われる』
「さすが誠実、仕事が早いッ!」
国内に絞るだけでも、その範囲は格段に狭まる。特にこの日本においては、その面積は世界全体から見ても大きい方ではない。
特に装着者ならば、待機状態のギアを必ず持ち歩いているはずだし、それが二人組となればさらに目に留まる。ギアを特定することはできずとも、レイドリベンジャーズは大型作戦がなければ基本的に地域に密着しているため、地域で見慣れない装着者など目立つに違いない。
しかし、そうなると問題は「時間」だろう。今は食糧や日用品が足りず渋々表に出ているため姿が確認できているが、ある程度余裕ができてしまうと拠点となる場所に籠城することになるだろう。
実際、ORB脱走からまだ数日と経っていないのに10回もその姿を確認されているということは、かなりの量の物資を確保しているということになる。となれば、潜伏先の特定を急がなければならない。
「ひとまず狭いところからいってみよう。ちょっと沖縄まで行ってくるから、悠生は誠実と一緒に理詰めで範囲を狭めてくれ」
「……いーけどお前それ「ちょっと行ってくる」の範囲おかしいって自覚しとけよ?」
「……? おう?」