◇ ◇ ◇ ◇ ◇
向けられた小さな左手は、さながら突きつけられた銃口。彼の目にはそう映っていた。
「偶然だ」「手元が狂ったんだ」「きっと何かの間違いだ」と己に言い聞かせるが、どれだけ否定的になろうとその可能性が頭から離れない、拭えない、抜ききれない。まさに皮肉、裏目。抜群の戦闘スキルを持つが故の苦悩としか言いようがない。
彼がそうこう考えている間にも、少年は次の一手に向けて行動を起こしていた。
向けていた左手を腰元へ引いて充填。
彼を力強い瞳に映して目標捕捉。
真っ直ぐ掌を前へ。
バチーーーン!
押し出された空気は弾丸となり、彼の巨体を吹き飛ばした。未熟や我流などの
親方「(大江山颪だとぉぉぉっ!?)」
宙を舞いながら
『えーーーッ!?』
会場中が一致団結して声を上げていた。
それは土俵下の目覚めたばかりの眠り姫に、寄って
ヤマ「い、今の親方様の技だよね?」
蒼鬼「いやいや、あれはとんでもない力がないと出来ないんだぞ?」
キス「フッフッフッ……理解不能」
お燐「だニャ」
気のせい、目の錯覚、幻。そう信じて結論付ける事が簡単で最もらしい答え。それ故に彼女達はそういう事にし、それ以上考える事をやめた。
勇儀「あいつ……」
目を見張りながらも嬉しそうに微笑む眠り姫と、その笑顔から薄っすらと察した小さな四天王、そして
和鬼「アイツ……」
少年を
親方「『大江山颪いいいッ!!』」
着地と同時に放つ衝撃波は、
親方「(さっきのは偶然だ)」
彼は願っていた。
親方「(もうこれで終わってくれ)」」
と。そこでふと気付く。
なぜ少年への攻撃が衝撃波なのか。
なぜそう願うのか。
そして、なぜ突き出した手が震えているのか。
その答えに。
バチーンッ!
破裂する大気の音が鼓膜を刺激し、我に返って焦点を指先から少年へと合わせていく彼。霧がかかった様にぼやけていた影は徐々に絞られ、虚像は実像へと徐々に姿を変え、彼の目に現実を映し出しす。
親方「チックショオオオッ!」
憎しみをこめた声で己を奮い立たせ、拒絶していた本心に速度を上げて立ち向かっていく。
やがて彼は少年を射程距離範囲内に入れ、その場で大きく、力強く左足を踏み込んだ。握り締めた右拳に加速度を上乗せし、サイドスローのモーションで直立不動の少年へと……
親方「!!」
否、少年は動き始めていた。それは彼の目に残像を残すスローモーションで投影させ、脳内にそのワンシーン、ワンシーンを深く刻ませていた。
左足を一歩分後ろへ。
上体をやや左へと
腰の位置で開いた左手を収める。
岩石の
大鬼「『大江山颪イイイッ!!』」
究極破壊兵器。
物理攻撃の掌底は最強の拳を跳ね返し、同時に押し出した空気は豪快に弾け、耳を貫く破裂音を生みながら衝撃波を生み出す。そして生まれて間もない衝撃波は、少年の掌を中心に半球状に広がり、突風となって土俵際で見守る彼女達の下へ。
ヤマ「きゃあーーー……」
キス「あれまーーー……」
お燐「ニャァーーー……」
医者「なんとーーー……」
風の威力に負けて飛ばされる蜘蛛姫、桶姫、猫娘、御老体。このままでは観客席へとまっしぐら。怪我は確実。が、
ヤマ「『キャプチャーウェブ』!」
巨匠の機転と広げた網により、全員それを回避。
パル「ルううううぅぅぅぅぁぁぁぁ。。。……☆」
一名様を除いて。
そして少年が起こした風は、彼女達を巻き込んだ後観客席にも到達し、若干の被害を出していた。
村紗「みんないる!?」
ぬえ「な、なんとか」
一輪「村紗の判断が遅れていたと思うと……」
周囲に目をやれば、座席に腰を落としていた者達は上段の席まで追いやられ、客と客が重なりあって団子状態となっていた。彼女達がそうならなかったのは、舟幽霊が即座に出した錨のおかげ。重りにしがみ付いて身を屈め、一同は難を逃れたのだった。
村紗「あれ、雲山は?」
こい「見越入道のおじさんなら飛んで行っちゃったよ♪」
ただし、こちらも一名様を除いて。
さらに風の被害はこちらの席も例外ではない。
ヘカ「純狐、棟梁さん大丈夫?」
棟梁「ええ、私は身を屈めておりましたので」
純狐「う、うん。私は落とされただけだから。腰をちょっと……うん? 下に何か柔らかい感触が……」
さと「……すみません。そこを退いていただけると幸いです」
そして、その風圧を自力で耐えた
蒼鬼「なんつー風だよ」
萃香「密度上げてなかったら飛ばされてたよ」
和鬼「あのヤロー……」
勇儀「大鬼……」
実力者達。土俵を見つめる彼女達の目には、
『え……?』
ドシーンッ!
耳へは、地面を強く打ちつねる音が後ろから刺激した。
慌てて背後へ視線を向ける彼女達。そこにあったのは紛れもなく現実。
さと「いたたた……」
重力に襲われた腰を
さと「勝者、大鬼!」
ショーの幕引きを告げた。
勝者へと送られる拍手喝采などない「しーん」と静まり返る会場。誰もが目を見開き、口をあんぐりと開けたまま放心状態。
負けるはずがない、勝利は確実、勝って当たり前。
誰もが勝つと信じて疑わなかった最強は、
親方「…………」
沈黙。
棟梁「古明地さん、コレを」
先代から覚り妖怪へと手渡された
『注いだ酒のランクを上げる盃』と『酒が無限に湧き出る瓢』。長い長い鬼の歴史において、鬼同士の奪い合いは珍しいものではない。だがたった一人の者がコレを所持する事はなかった。数年前までは。それがこの年、
さと「ボケッ子、これはあなたの物よ」
初めて鬼以外の、しかも鬼としては憎むべき種族へと手渡される。
大鬼「やっと……」
いつもすぐそばにあったが、触れる事を許されなかった物。近くにあるのに手が届かなかった物。道半ばで何度も挫折しそうになった物。それが今、少年の手へ。
大鬼「うおおおーッ!」
歓喜の雄叫びと共に高々と上げられた小さな左手。その手には紅く大きな盃が誇らしげに掲げられていた。となったのも束の間、
さと「あわわわ、いいいいきなりどどどどしたのよ!?」
突然身を預けてきた少年に赤面する覚り妖怪。受け止めたはいいが、少年の上半身は衣を剥がされ皮膚は露わ。その上お姉様方を魅了する魅惑のボディ。いきなり訪れたラッキー、美味しい展開、むふふな状況にテンパりながらも淡い期待を寄せるが、
大鬼「い、痛い……疲れた……」
さと「ハハ……、デスヨネー」
一気に落とされる。頬をひくつかせて「何を期待してるんだ」と自分の心に苦笑い。大きくため息を吐き、その場で少年を仰向けに置くと、大きめの声で指示を出した。
さと「長老様、手当を!」
医者「わ、分かった」
町長の指令で我に返り、救急箱を手に動き出す医者。そして彼女のこの一声が、止まっていた会場の時間を再び進めさせた。
『大鬼ッ!』
次々と少年の下へと駆け寄る
萃香「腕大丈夫!? 顔までこんなに……」
怪我を気遣う少年の『良き友』。そして……。
勇儀「大鬼ッ!」
着くなり抱き寄せる、『全身全霊で責任を持って育てる』と誓いを立てた少年の保護者。
「チラッ……、ガッツリ!」と綺麗な分かりやすい2度見。目を擦って3度見。この時、さとり妖怪はようやくその事に気がついた。
さと「勇儀さん心がムグッ!?」
驚きのあまりボリュームがMAX。だが背後からそれを妨害される。
お燐「しーですニャ。今は邪魔しちゃダメですニャ」
気が効くペットによって。
大鬼「姐さん? よかった意識が戻ったんだ。心が壊れたって……じゃなくて」
勇儀「ん?」
大鬼「えーっと……いや、何て言うかそのー……」
勇儀「……」
大鬼「…………い、色々ごめん」
勇儀「全くだ!! 電撃浴びせられて、死ぬかと思ったぞ!」
大鬼「ごめん……」
勇儀「家出しやがって」
大鬼「ごめん」
勇儀「おまけに何勝手に初めてんだよ!」
大鬼「ご、ごめん。でもこれには……」
怒りに満ちた声と表情にたじろぎながらも、「理由がある」と弁解しようとする少年。だがそこへ……
勇儀「無事で良かった」
少年を締め付ける力は強く、折れた右腕をも巻き込んでいたが、それでも少年は顔を歪めもせずそっと瞳を閉じ、
大鬼「本当にごめんなさい」
彼女の耳元でそっと囁いた。
大鬼「姐さん、やっぱ痛い……」
勇儀「あ、悪い悪い」
医者「ほれほれ、大鬼腕見せてみ。あー、これは大分酷いのぉ。他の傷は薬を染み込ませた包帯で何とかなるが」
大鬼「でしょ? それなのに姐さん思いっきり締めるんだよ?」
勇儀「いや、アレは悪気があったわけじゃ……。それにさっき謝ったよな?」
大鬼「聞こえてなーい」
勇儀「オ・マ・エ・ナー……」
いつもの調子の2人にくすりと微笑む一同。誰もが「全てが丸く収まった」と思っていた。だがそれは、
鬼 「ふざけんなッ!」
観客からのこの一声でやって来た。
飛び交う怒号の嵐、ブーイングの雨あられ。「全てが丸く収まった」と感じていたのは土俵上の面々のみ。その他の者達は納得などしていなかった。そして膨れ上がっていく負の感情は、彼等を行動へと移させる。
鬼 「お前に渡してたまるか。大鬼今すぐ俺と戦え!」
観客席を飛び降り、土俵を目指す一人の鬼。それを皮切りに「俺が先だ!」と続々と観客達が土俵へと走り出した。今や観客席は土俵を目指す者達で押し合い圧し合いの『おしくらまんじゅう』状態。参戦を希望しない者達を跳ね除け、大混乱と化していた。
一輪「酷い……このタイミングで寄って集って」
村紗「痛ッ! なにすんのよ!」
鬼 「うるせえ邪魔だ!」
村紗「あーん? 一輪コイツらやっていい? 許可を!」
一輪「よし、やっちまえ。私も加勢する」
怒りのボルテージが基準値を満たし、戦闘モードへと移る宝船組。風で飛ばされた見越入道がいなくとも、光弾で応戦できると意気込む入道使いだったが……
チョンチョン♪
ふいに肩を突かれ振り向くと、そこにはハレバレとした笑顔で、愉快そうにしている妹君が。
こい「それ、ちょっとだけ待っててくれる?」
【次回:十年後:観客】