(――ばれ! ――るな)
何処からか聞こえて来る声。だがそれは電波の悪い環境で使用する携帯電話の様に、肝心な所でプツリ、プツリと途絶え、酷く聞き取り辛かった。
(鬼――に負けるな!)
意識を集中させれば徐々に姿を現していくその言葉は、自分へ向けられた応援だったと気付かされる。「誰からの声援だろう」と考え始めた時、それははっきりと鮮明に伝わって来た。
(私の血なんかに負けるな!)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
勇儀「よっ、具合はどうだい?」
顔色は……うん、悪くない。
勇儀「顔色は良し、と」
大鬼「ここは……診療所?」
勇儀「正解、よく分かったな。まあ今朝まで世話になっていたんだから当たり前か」
大鬼「なんでここに?」
勇儀「お前さんいきなり高熱を出したんだよ。覚えてないのかい?」
私の問いに首を振って答えてくれたが、やはりあの時は意識がなかったらしい。
勇儀「受け答えは良し、記憶は無し、と」
大鬼「さっきから何やってるの?」
勇儀「ああ、爺さんに頼まれてな。お前さんが目を覚ましたら具合を書くように言われてんだ」
大鬼「ふーん、爺さんは?」
勇儀「今さとり嬢のところに戻ってるよ。あと右腕は明日手術するってさ」
大鬼「薬でも治らないの?」
勇儀「残りが少ないみたいでな、緊急の時以外は使うのを控えるってさ」
大鬼「自力で治せってこと?」
勇儀「そういうこと。他にどこか痛いとか、気分が悪いとかあるか?」
大鬼「気分は悪くないけど」
勇儀「けど?」
大鬼「口の中が気持ち悪い」
勇儀「それはさっき薬を放り込んだからな」
爺さんが言うには大鬼の高熱は「鬼の血の暴走」らしい。だから昔みたいな症状が起きたのだろうと。でも長い月日が経って今じゃ大鬼の中ですっかり馴染んでいるだけに、そこまで重症化しなくて済んだらしい。「成長熱と似たようなもんじゃ、カッカッカッ」なんて言いながら、「念のために」と便利なあの薬を眠っている大鬼の口に押し込んで治療終了。
これにはさすがの私でも思った。「荒い」と。こんな爺さんに大鬼の手術を任せて大丈夫だろうか? とはいえ、他に医者がいないから頼るしかないんだよな……。
勇儀「あとは無いか?」
大鬼「全身が痛い」
勇儀「え……」
大鬼「筋肉痛で」
勇儀「……冗談を言う元気もあり。と、あとは体温測るぞ」
実はコレがずっと楽しみだった。ここに来る前までは意識していなかったけど、改めて思い起こしてみれば…………いい体していやがった。風呂に一緒に入る事も無くなったし、着替えも交代で部屋を使っている。それだけに、大鬼の成長した体をみたのは実に久々だった。
今大鬼はさっきのまま。つまり布団の中は……ムフフ♡ 保護者の特権を利用してじっくりと堪能してやる。それくらいバチは当たらないだろう。
近くに準備しておいた水銀式の体温計を手に取り、いざ大鬼へと……
大鬼「いいよ、自分でやるから」
断られた。その上体温計を奪われた。今の私は
勇儀「……」
10分間待つだけ。暇だ。
『そういえば』
被った、見事にハモった。視線で先手を
勇儀「そういえばお前さん試合の終盤で大江山颪を……」
それなら先手はもらおう。
大鬼「うん、なんかできちゃった」
勇儀「前からできたのか?」
大鬼「そんなわけないじゃん」
勇儀「だよなー」
大鬼「なんか急に力が『ワッ』て出てきて、なんとなく出来そうな気がしてそれで……」
それは要約するとつまり、
勇儀「『よくわからないけど、なんとなくやったら成功した』と?」
こういうことだろう。
大鬼「うーん……」
眉を八の字にして唸り声をあげるあたり、当らずと
私が眠りから覚めた時の事だ。萃香達が言うには、私は意識が完全に戻っていなかったらしい。それにも関わらず、能力を発動していたと。その話を聞かされて最初は「なんでそのタイミングで急に?」と疑問に思ったが、胸の奥に直接流れ込んできた声を思い出してハッとした。そういうことかと、それが能力の発動条件かと。
勇儀「大鬼」
伝えておこう。
勇儀「お前さんの言うその力は……」
お前さんに眠る力の正体を。
大鬼「姐さんの能力でしょ?」
そう告げると大鬼は顔真っ赤になった顔を布団で隠してしまった。予想していなかった反応に思わず、
キョトーン……
だ。
勇儀「ちょちょちょ待て待て待て。お前さん気付いていたのか!?」
私の質問に布団からはみ出ている頭がコクリと縦に小さく揺れた。
勇儀「いつから……いつから気付いた? それにどうして?」
大鬼「ひーはんほははっへふほひひ」
勇儀「は?」
布団に顔を押し付けている所為で何を話しているのかサッパリだ。
大鬼「
にも関わらず、依然としてそのまま喋り続ける。まどろっこしい。
勇儀「布団なんかに隠れてないで、出てきてちゃんと話せよ!」
大鬼「あっ、ちょっと!」
強引に布団を
大鬼「布団返せよ!」
勇儀「え〜、寒くないんだからもういらないだろ?」
引いてたまるか!
改めてマジマジとみてみれば……ふむ、ホントしっかりとした体になって♡ 女みたいに細くて白いのに、大胸筋、三角筋、上腕二頭筋がハッキリと現れている。腹直筋なんて6つに割れて。
でも、あの時の傷痕は残ったままだな。もうとっくに
勇儀「ごめんな。あの時ずっとそばにいてあげられなくて」
そうすれば怪我なんて……。
大鬼「は? なんの話?」
だよなー、覚えてるわけないよなー。
勇儀「気にしないでおくれ。それで? 能力の事はいつ?」
大鬼「じいちゃんと戦ってる時に。どうしてって聞かれると答えにくいんだけど……」
そこまで話すと大鬼はボンヤリと天井を眺め始め、しばらくしたら「あっ」と声を漏らした。どうやらいい表現が見つかったみたいだ。
大鬼「じんわり伝わって来た」
その結果がコレ。
勇儀「なんじゃそりゃ?」
思わず本音が。
大鬼「これが精一杯。じゃあ次はこっちの番ね、さっき自分が起きる前に大声出してなかった?」
勇儀「いいや、ずっとここでお前さんの様子を静かに見てたよ」
大鬼「そっか」
またボンヤリと瞳に天井を映す大鬼に違和感を覚え、
勇儀「なんか気になるのか?」
尋ねてみると
大鬼「ここの爺さんから聞いたんだけど、自分昔この部屋を使ったことがあるの?」
あの日のことを聞いて来た。でも言っていることから察するに、当時の事を全然覚えていないのだろう。あの時、大鬼は意識が
勇儀「ああそうだよ。事故で全身にガラスが刺さって……」
大鬼「姐さんが輸血してくれたんでしょ?」
勇儀「お、お前さんどうしてそれを……」
大鬼「ばあちゃんとヤマメとミツメ、それに萃香さんが教えてくれた」
私が大鬼に血を分けた事を知っているのは極めて限られた者達だけ。だから大鬼の口からその事が告げられた時は心底驚いたが、どうやら話を聞いていたらしい。それに思い返してみれば試合後、そのような事を
勇儀「そうだよ。でもこの事は誰にも言うなよ?」
大鬼「わかってる。注意するように言われてるから」
勇儀「よしよし。で、話の続きだけど輸血したはいいんだけど、そしたら今度はさっきみたいに高熱を出してな。その時は意識もなくて……」
生々しく、まるで目の前の現実のように映し出される当時の記憶に、
勇儀「すまない、ちょっと待っていておくれ……」
話すのが辛くなる。
大鬼「その時にさ」
だが待った無し。待てと言うのに……。
大鬼「応援してくれてた?」
勇儀「ああ、声はずっと掛けていたよ」
当時の大鬼は5つ、もう幼い頃の出来事なんてもう覚えていないだろうに「なんで今さらそんなことを?」と疑問に思っていたら、
大鬼「『私の血なんかに負けるな』って?」
と。言った、確かに私はそう言っていた。他は「負けるな」とか「気をしっかりもて」だの言っていた気がするが、
勇儀「覚えてたのか!?」
正直驚いた。大鬼が覚えていたこともそうだけど、ちゃんと届いていたということが。
大鬼「正確には思い出したになるのかな? さっきもその声が聞こえて来て、それで目が覚めた」
勇儀「そっか」
素直に嬉しい。あの頃の出来事一つ一つが私にとって大切なものだから。だってさ、
大鬼「そっかって……それだけ?」
こんな風に話にオチを求めたり、イラッとくること無かったもんなー……。可愛いかったんだから。
勇儀「じゃ、じゃあ他にないか? 昔の事で覚えていること」
この際だからとことん昔話に付き合ってもらうか。
大鬼「祭りの時にキスメが降って来た」
勇儀「それよりも前で」
大鬼「地霊殿に初めて行った事とか」
勇儀「もっと前」
大鬼「蕎麦屋の記録にあとちょっとで……」
勇儀「それはいつもの事だろ? もっともっと前だ」
まあ薄々察してはいたけど、
大鬼「って言われてもねー」
ホンッッットに何にも覚えてないんだな。
勇儀「じゃあ焼肉会の事とかも覚えてるはずないよなー」
ため息を吐きながら視線を下へ向けて独り言。そう、これは個人的なボヤキだ。別に大鬼に向けて言ったわけではない。
ボンッ
突然聞こえて来た爆発音に驚いて出所へ目をやると、見事に真っ赤に染まった大鬼が。もしかしてコイツ……。
勇儀「覚えてるのかい?」
大鬼「う、ううううるさいっ! だったら何!?」
勇儀「じゃあ萃香と初めて……」
ボボボボンッ!
連続爆破して頭上から湯気をもくもくと立ち上らせ、
大鬼「な゛ぁぁぁぁぁッ!!」
布団の上で頭を
間違いない。大鬼はそのことを薄らぼんやりとかもしれないが、覚えてる。全く覚えてないと諦めていただけに、望みが出てきた。いや、覚えてるはずだ。
勇儀「じゃあ私と初めて会った時の事も覚えてるだろ?」
大鬼「あー、自分町中でギャン泣きしてたんでしょ? 話には聞いてるけど、覚えてない」
勇儀「いやいや覚えてないわけないだろ」
大鬼「残念ながら全く」
勇儀「これっぽっちも?」
大鬼「ごめんなさーい」
惨敗。萃香に完全黒星。なんで……なんでなんだよ。萃香と会うたった半日前だぞ? ずっと一緒にいたのになんで覚えててくれてないんだよッ!! 悲しい、悔しい、ね、ね、ね……
勇儀「妬ま……」
ぐ〜ぎゅるるるる〜〜〜……
ここぞというタイミングで鳴る腹時計。大きな音で思わず目が点に。まったく、あんな目に合わされながらもしっかりと腹は減るんだな。
大鬼「え、今の姐さん?」
勇儀「わ、悪いか?」
私。思い出してみれば朝起きてから祭りの支度やらで何も食べてない。いや、純狐とアメリカンドックを食べた。でも、いくら意識を無くしたまま寝ていただけとは言え、流石にそれだけだと
勇儀「ひ、ひもじい……」
腹減るだろ?
大鬼「いちちちちっ」
奇声に目を向けて見れば、大鬼か歯を食いしばって起き上がろうとしていた。疲労に怪我、おまけに筋肉痛の三拍子。
勇儀「なんだなんだ? 欲しい物があるなら取ってくるから寝てろよ」
横になっていた方がいいに決まってる。
大鬼「大丈夫。お腹空いてるならちょっと待ってて。今朝の残りがあるはずだから」
勇儀「いやいや、爺さんの飯だろ? そんなことしたらダメだろ?」
いくら慣れ親しんだ仲とは言え、勝手に飯を頂戴するなんて言語道断。以ての外だ。
大鬼「自分祭りがあるから朝はあまり食べるつもり無かったんだ。でも爺さんいつも通りに作ってくれて」
痛みに堪えながらシリアスな顔して言ってはいるが、他人の家であの食欲を披露するなよ。少しは遠慮しろよな……でもそういう礼儀やらは教えてないから私の責任でもあるのか。少しコイツには教育が必要かもな。とは言えだ。
大鬼「帰ったら食べるつもりだったんだ。それに残りを爺さん1人では食べれないと思う」
そういう事なら是非協力させて頂きたい。もう……無理。
勇儀「じゃあもらっちゃおうかな? 台所にあるのか?」
大鬼「いいから座ってて」
腰を上げて動こうとしたところを止められ、大鬼はそのまま台所へふらふらと行ってしまった。「片手しか使えなのに大丈夫か?」と心配していると、台所からガシャーンやらガチャーンやら不安を割り増しする音が。
勇儀「おい、本当に大丈夫か?」
大鬼「だ、大丈夫。あっれ〜? オカズは食べちゃったのかな? あまりいいのが残ってないや」
勇儀「無理しなくていいからなー」
ガラガラガシャーン、パリーンッ!
本当に大丈夫か?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
けたたましく上がり続けていた破壊音はその後ピタリと止んだ。待てと命じられた彼女もようやくホッと一安心して……
勇儀「不安だ……」
いなかった。静かになればなったで、過ぎるものにハラハラドキドキしていた。と、そこへ
大鬼「お、お待たせ」
ようやく運ばれて来る彼女のメインディッシュ。
『料理:材料に手を加えて、食物をととのえ作ること』である。そういう意味であれば少年が持って来たコレは一応その部類に……
ぐしゃ〜……
入るのか怪しいところ。
大鬼「か、片手だから上手にはできなかったけど……」
一応言いわけ。首から三角巾に包まれた腕の所為だと告げるが、両手が使えたところであまり変わらないだろう。だがそれでも、
勇儀「ぐすん」
彼女の涙腺にとっては破壊力抜群。
勇儀「いや、初めてにしては上出来だよ。いただきまーす」
大鬼「美味しくなかったら残していいから」
少年が固唾を飲んで見守る中、彼女はそれを手に取り最初の一口を
バクッ!
食べた。
勇儀「!?」
大鬼「ど、どう?」
恐る恐る尋ねる。返事に期待と不安を入り交じらせて感想を求める。だがその相手は事もあろうに鬼。鬼はウソは言わない。高鳴る心臓に堪え、じっと返事を待つシェフ。その返事は……
ガツガツガツガツッ!
あれよあれよと原型を失っていくシェフの処女作。シェフの目は点になり、口はポカーン。あっという間に残りは数口分までに。だがそんなに勢いよく食べ進めていては……
勇儀「ゴフッ! ンーッンーッ!」
大鬼「あーもう! 慌てて食べるから。はいはい水ね、ちょっと待ってて」
胸を叩いて慌て出し「飲み物をよこせ」とジェスチャーを繰り返す彼女に呆れながらも、注文された品を用意しに行くシェフ。だがその移動速度は全身負傷中のため、
大鬼「いちちち……」
鈍い。
ーー水分準備中ーー
大鬼「いたたた、動くとやっぱり響くな」
ロボットの様にカクカクした動きで、ブツブツ言いながら注文の品を運ぶシェフ。それとは別に遅ればせながらもおしぼりを用意するという気の効きよう。
大鬼「姐さん水……」
少年が次に目にしたのは、
大鬼「姐さんどうしたの!?」
座ったまま俯いて動かない彼女の姿だった。「間に合わなかったか」と慌てて駆け寄り、顔を除いて呼吸を確認する。耳を澄まして静かに。
勇儀「zzz……」
大鬼「えー、さっきまで苦しそうにしてたのに……しかもずっと寝てたのにまた寝る?」
「どういう神経をしているんだ?」と疑いながら「心配して損した」とため息。ふと視線を彼女の手元に向ければ、まだ食べ掛けの作品が申し訳程度に残っていた。少年はそれを彼女の手から離すと、自分の口へと放り込んだ。
大鬼「!?」
少年が生まれて初めて作った手料理、それは料理と呼ぶにはお手軽過ぎで、形も何を作ったのか分からぬ程
大鬼「辛ッ!」
やはり残念な物。
大鬼「塩入れ過ぎた。無理して食べなくても良かったのに……」
だがそれでも
大鬼「笑いながら寝てるし、子供かっていうの。げどまあ……」
少年が作ったおにぎりは、
大鬼「いつもありがとう」
彼女にとっては
大鬼「母さん」
どんな高級料理よりも美味だったとさ。
大鬼「あ、体温測りなおさなきゃ……」
【次回:十年後:鬼の祭_後夜祭】