◇ ◇ ◇ ◇ ◆ ◇
??「しくしく…」
ガックリと肩を落とし、メソメソと泣きながら歩く長髪且つ高身長の女。彼女の前を行く2人はその事を気にも止めていないのか、ただひたすら前だけを向いて歩みを進めていた。
??「お祭りに卵はないのかなぁ?」
彼女のこのぼやきに痺れを切らせた2人は、その足をピタリと止めて振り返った。
??「もー…、諦めなさいよ。
茹でただけの卵なんて何処も売らないわよ」
??「それよりもコレどうするニャ?」
そう尋ねた彼女の手には、使い捨ての皿にこんもりと盛られた茶色い球体が、醤油と出汁の香りを周囲に漂わせ、すれ違う者達の食欲を誘っていた。
お空「お燐が食べていいよ…」
お燐「アタイ好みの味だからいいけど、
コレ熱過ぎニャ。ふーっ、ふーっ」
何とか冷まして食べようと試みるも、
お燐「熱っ!」
熱い物が苦手な彼女にとっては到底歯が立たない相手だった。
さと「だから少しにしなさいって言ったじゃない」
お空「うにゅー…、ごめんなさい」
お燐「捨てちゃいますかニャ?」
さと「ダメよ勿体ない。食べ物は粗末にしちゃいけ
ないって、いつも言っているでしょ?」
主人の真っ当な意見に、ペット達は言葉を返す事が出来なかった。とは言え「この大量の玉こんにゃくをどうしたものか?」と悩んでいると、
??「あっ、さとりちゃん!と、お燐!」
黄金色の髪の少女が慌てた様子でやって来た。
さと「あら、ヤマメさん」
お燐「こんばんはニャ」
既にお互いに面識ある者達は彼女の様子に違和感を覚えるも、いつも通りに挨拶を交わし、
お空「うにゅ?誰だっけ?」
記憶に無い者は伸ばした人差し指を顎に当てて目を点にし、
お空「さとり様、あの人の名前忘れちゃいました」
さと「黒谷ヤマメさんよ。安心なさい、あなたは会
うのが初めてよ」
目の前の本人に失礼の無いように、聞かれないように己の主人と小声で言葉を交わした。
ヤマ「ん?そちらの方もさとりちゃんの家族?」
そんな彼女に視線を向けて尋ねて来る蜘蛛姫に、
さと「はい、地獄鴉の
お空「お空って呼んでねー」
地獄鴉は主人からの紹介に合わせて、両手を大きく振って存在をアピールした。彼女もまた、お燐と同様に古明地さとりの家族でありペットだった。
ヤマ「うん、初めまして。私は黒谷ヤマメだよ。
好きなように呼んでくれていいよ」
お空「じゃあ、ヤマメーちゃんでいい?」
初対面の彼女の口から出た聞き覚えのある呼び名に、
ヤマ「あははは、まさかもう1人現れるとは…」
苦笑いを浮かべる蜘蛛姫。と、そこへ。
お燐「先日は威嚇したりしてごめん
彼女に頭を下げて謝罪を始めるさとりの愛猫。
ヤマ「ん?なんだっけ?」
お燐「みんなで夕ご飯を食べた時に…」
お燐が言っているのは祭りが始まるよりも前の日の事。勇儀の実家に彼女の知人達が大勢集まって、ただの夕飯がちょっとした宴会になり、ある者にとっては大きなアクシデントが起きたあの日の事だった。
ヤマ「あー…、あったねそう言えば」
おぼろげにその日の記憶を呼び起こす蜘蛛姫。
お燐「アタイはてっきり大鬼君が
かと…」
ヤマ「あはは、そうだったんだ。
もう気にして無いから頭上げてよ」
さと「ヤマメさん、ところでそのボケ…」
気の緩みだった。つい本音が先走ってしまっていた。だがこれまでその事に触れる者は誰もいなかったので、今回も言い直せば問題ないだろうと彼女は踏んでいた。しかし、
ヤマ「ボケ?」
蜘蛛姫は広げた網で獲物を捕まえる様に、見事にそれを捉えていた。
さと「え、えっと。いやー…」
誤魔化しようが無いタイミングに、地霊殿の主人は大量の嫌な汗を流していた。「なんとかしてお茶を濁そう」そう決意した矢先、
お燐「『ボケっ子』ニャ。大鬼君の事ニャ」
彼女のペットにしてライバルからのカミングアウト。ついに知られてしまったのだ。しかも彼と関わりの深い者に。
さと「お燐あなたねー…」
自身の愛猫を鋭い目つきで睨みつける覚り妖怪。しかし彼女の愛猫は「してやったり」と舌を出して、イタズラな笑顔で微笑んでいた。
ヤマ「ボケっ子って…。さとりちゃん大鬼君の事が
好きなんじゃなかったの?」
さと「そそそそんな事ないです!誰があんなデリカ
シーのないボケっ子のことなんか!
私は紳士的な方がいいんです!」
赤い顔で蜘蛛姫の言葉を全力で否定する素振りを見せる覚り妖怪だったが、
お燐「じゃあ、アタイが〜」
それを良しとして、彼女の愛猫が名乗りを上げた。
さと「ん?」
それに対して「調子にのるなよ?」と笑顔に覇気を込める覚り妖怪。祭りで賑わう町中で、ただその場だけがピリピリとした緊迫した雰囲気に包まれていた。
お空「なんの事か分からないけど、
さとり様もお燐も怖いよぅ…」
ヤマ「な、仲良くね。それで、その大鬼君の事なん
だけど…」
蜘蛛姫が場の空気を察し、言いづらそうに小さな声でその固有名詞を発した途端、
『大鬼君!?』
2人仲良く声を揃えてヤマメに注目した。
ヤマ「見なかった?」
さと「いえ、今日はまだ」
お燐「どうかしたのかニャ?」
ヤマ「一緒にお祭りを見て回っていたんだけど、
急にいなくなっちゃって…」
突然姿を消した少年の事を心配し、暗い表情で事情を話す蜘蛛姫。
少年とは言え、彼はもう1人で難なく買い物ができる年頃。「迷子になる事は無いだろう」と彼女は思っていたが…。
ヤマ「何か仕出かすんじゃないか心配で…
って聞いてる?」
俯いてぶつぶつと呟いている2人を不思議に思い、声を掛けてみると、
さと「大鬼君と2人でお祭り…」
お燐「
酷い勘違いである。
ヤマ「わわわ私は違うよ!大鬼君の監視役だよ。
それにもう1人子供の鬼も一緒だよ」
お燐「え、そう
さと「ですよねー。まあだからって、私には関係あ
りませんけど」
誤解だったと分かり、ほっと一安心をする2人。お燐はため息を吐きながら胸を撫で下ろし、彼女の主人は腕を組んで「どうでもいい」と余裕な姿を作った。そして完全に蚊帳の外にされた地獄鴉が、
お空「タマゴンニャクいる?」
何故かこのタイミングで話題をチェンジ。
ヤマ「え…?なにそれ?」
お燐「玉こんにゃくニャ」
さと「お空がゆで卵と間違えて大量に買ってしまっ
たんです。でも一口食べて卵じゃないって分
かったらいらないって…」
ヤマ「何個買ったの?」
お燐「15個ニャ。アタイもアツアツで食べられ
くて困ってたところだったニャ」
さと「ここは一つでいいので、
消費するのを手伝って頂けませんか?」
ヤマ「いいよ、じゃあ一個もらうね」
そう言って蜘蛛姫は、まだ湯気が立っている玉こんにゃくを頬張った。
ヤマ「ん〜、おいひぃ」
悩みの種を笑顔で食べる蜘蛛姫は、彼女達にとって「近所の優しいお姉さん」の様に映っていた。
ヤマ「ご馳走さま。それで、お空ちゃんは卵が
欲しかったの?」
お空「うん…。ゆで卵が欲しかったの」
さと「ありませんよね?」
ヤマ「ん〜…」
ヤマ「あ、そう言えばおでん屋さんがある。
そこなら卵あるかも。茹でたやつね」
その瞬間、地獄鴉の心に、光が射した。それは卵の様に小さく、殻を剥いた白身のように白い光。だがそれは彼女にとっては待望の光だった。
お空「にゅはっ♡さとり様行きましょ、
行きましょ!おでん屋さん!」
さと「はいはい…」
お燐「またアツアツニャ…」
すっかり上機嫌になり、先陣を切って前へと歩き出した地獄鴉の後ろを渋々ついて行く2人だったが、
ヤマ「おでん屋さんあっちなんだけど…」
近所の優しいお姉さんが指した方角は真逆だった。
次回【鬼の祭_肆】