初めて書いた恋愛物ですので非常に違和感があると思われます。
楽しんでいただけたら幸いです。
私はこれまでに失恋を経験したことがなかった。
正確には、失恋と感じるほどの別れを経験したことがなかった。
自分で言うのはいささか抵抗があるが私の顔はなかなか整っている方であり、これまで出会った女性は私のことを「イケメンだ、ハンサムだ」と囃し立てていた。そのおかげで女性との付き合いにこまることはなかった。黙っていれば私の魅力につられた女性が自ら寄ってくるのである。特定の女性とお付き合いし、その娘に飽きれば別の娘に乗り換える。私はそれを楽しみ、順風満帆な自分の生活に大満足していた。
今だからこそいえることだが、その時の私はまぎれもないくず野郎だった。
そんな私は生まれて初めて一人の女性に恋をしたのである。一目惚れではない。くず野郎だった頃から気にはなっていたのだ。クラスメイトの女性の大半は私の周りをきゃっきゃと黄色い声を上げながら、何かの怪しい儀式のように私を中心に回り続ける。鬱陶しいと感じたことはある。しかし他の男の嫉妬に満ちた視線を背中に受けるたびに、なんともいえない優越感をあじわってしまう。それが快感と思ってしまったら、もう抜け出せなくなってしまった。まことに救い様のないくずである。しかし、彼女だけは違った。私に付きまとっていた女性達は、濃くも薄くも化粧をしている。彼女も薄く化粧をしている。しかし彼女の化粧は男に美しい自分を見せつけようといったいやらしい想いを持ったものではなく、必要最低限の女性としての嗜み程度なのだ。それでも彼女は美しかった。多くの女性に付きまとわれながらも、遠巻きに彼女を見ていたのである。いつしか私は、彼女に天よりも高く海よりも深い大きな恋情を抱いていたのである。
なにを隠そう、私は恋をしたことがない。そしてこれこそが私の初恋だった。
○
私は失恋した。
いつまでももどかしい気持ちを抱えることにうんざりした私は思い切って彼女に愛の告白をした。しかし、彼女にとって私は有象無象の一つでしかないらしい。1日の猶予もなく私の初恋は終わった。
何がいけなかったのだろうか、と何回思っただろうか。これまでの驕り高ぶった傲慢な自分自身がいけなかったのだろう。彼女とまともに会話もせず、生まれながら持ち合わせた美顔のみを武器に、「自分ならばいける」などと甘い考えを持って一世一代の大勝負に挑んだのだ。かつて戦の時代を生きた策士達が聞けば抱腹絶倒間違いなしである。
この世に生を受けてから17年、生まれて初めて味わった失恋に、涙を流すこともなく、ただぼーっと教室の窓から空を見ていた。空は茜色に染まり、流れる雲を見ているだけで心が安らぐようだった。視線を落とし、グラウンドに目を向けると、部活動に勤しむ生徒達が見えた。野球部やサッカー部は息を切らしながらも大きな声を出し合うのをやめない。部員達の顔はとても辛そうだが、とても活き活きしていた。私とはまるで逆だった。
何時間、景色を眺めていたかは分からない。ただ気がつけば茜色の空は身をひそめ、暗い夜空に変わっていた。そうして初めて、時計が7時半をまわっていた事に気付いた。校門が8時に封鎖されることを思い出し、慌てて鞄を持って教室を出た。
学校を出ると、先程の鬱屈した気持ちがまた出てきて、動くのが嫌になった。それでも、引きずるように足を動かして家に向って歩き出した。
私の家がある街は街灯が少なく、とても暗い。家から漏れる明かりの方が街灯よりも道を照らしてくれていた。暗い道を、哀愁を漂わせながらとぼとぼと歩いていると、前方の街灯の下に何かがいることに気がついた。
目を凝らして見ると、そこには一匹の鹿がいた。頭を垂れて地面を見ている。
思わず「は?」と声に出して言ってしまった。
どうして私の住む街に鹿がいるのかわからない。
疑問で頭がいっぱいだった私は、身動きができなかった。
鹿は私に気付くと、頭を上げ、私をじっと見つめた。鹿せんべいでもねだっているのだろうか、と思ったが生憎私は鹿せんべいなど持ち合わせていない。というかここは奈良ではないので鹿せんべいなど売ってない。そもそも鹿が生息しているような場所ではない。というか山からとても離れたこの街に鹿がいるわけがない。では私の目の前にいる生き物はなんだろうか。馬のようにとがった顔、ふさふさと毛の生えた体、そしてなにより頭から生える鹿のシンボルともいえる大きな角(つの)、あれが鹿でなかったら詐欺だと訴えてやりたい。
「貴君、私立鹿鴨(しかがも)高校の生徒だな?」
驚くことに鹿は日本語を喋った。男の声だった。
私の周りに人影はなく、鹿は私に向って尋ねたのだと思う。私は非常に動揺しながら「いかにも」と言った。「私は鹿高の生徒ですが・・・」
「うむ、その制服はやっぱりそうだったな。懐かしい制服だ」
まるで鹿鴨高校に通っていたかのようなせりふだが、鹿鴨高校に人間以外の生徒が通うことができるような校則はない。入学するときの入試案内にもそんなことは書いてなかった。生徒手帳の隅から隅まで満遍なく調べてもそんなことは書いていない。鹿の与太話かと思ったが、鹿が与太話を話すなど聞いたことがない。そもそも鹿は話さない。というかこの目の前の生物は本当に鹿なのだろうか。前言を撤回するが、あれが鹿であったならそれこそ詐欺だと言いたい。
「失礼ですが、あなたは何者だろうか? 私にはあなたが鹿に見える」
思い切って私は正体を尋ねた。
先日見た映画の「もののけ姫」には鹿のような形をした神が登場している。「もののけ姫」が好きな私としてはそちらのほうがロマンチックで素敵だ。もしくはそれに順ずる存在であることが望ましい。正直者な私にだけ見える神よりの使者だろうか、少なくとも鹿ではないだろう。そうなるとあの生き物を鹿と呼ぶのは失礼だと思える。鹿のような何かだ、鹿の形をした何かなのだ、などと私は考えていた。
鹿のような何かはこちらを見据え、言った。
「いかにも、鹿である」
鹿だったようだ。
夢もロマンもあっけなく夜空に散っていった。
「では鹿、どうしてあなたはこんなところにいるのでしょう。この近辺には山もなければ動物園もない。奈良からも遠い」
ただの鹿とわかって拍子抜けした私は、もうどうにでもなれという思いで正直な感想を口にした。
鹿は辺りを見回すと、また私の方を見た。
「見てみなさい」
鹿はそのとがった顎で私の後ろの方を指し、そのまま顎をくいっと動かした。どうやら私にその顎の指す方を見るよう促しているらしい。私は鹿の言葉に従い、鹿の目線と顎の指す位置を追うように振り返った。
そこには小さな歯科医院があった。
くだらねぇ・・・超くだらねぇ・・・。
鹿の意図を理解した私は鹿に向きなおり、無言で睨みつけてやった。
「駄洒落(だじゃれ)である」
鹿は得意げな顔をして言った。
「鹿と歯科をかけるとはたいへんユニークな鹿ですね、あなたは」
「そうだろう、そうだろう。体を張った渾身の駄洒落(だじゃれ)だ」
「素晴らしい出来です。それでは私はこの辺でお暇(いとま)します。今はあまり人と関わりたくないので・・・」
「人ではない、鹿である。しかし、随分と暗い顔をしている。なにかあったのかな?」
やたらと人の領域にずけずけと踏み込んでくる鹿である。たいへん図々しい。
これ以上反論すればあの鹿のペースに呑まれてしまう。私は下手に相手をせずにそのまま立ち去ることが最善の選択肢だろう。
鹿は「ふふん」と鼻を鳴らすと「私は知っているぞ」と得意げな顔を崩さないまま言った。
「貴君の意中の相手である坂上さんにフラれたのだろう」
「な、なぜそれをっ!? というか、なぜ彼女の名前を知っている!?」
まさか自分の悩みの根源たる部分を見事に言い当てられると思ってなかった私は不覚にも動揺してしまった。
鹿はいやらしい笑みを浮かべて私の顔をじろじろと見てくる。自分では分からないが、今の私の顔は動揺でとてもおもしろいことなっているのだろう。まずは落ち着く必要がある。
数回の深呼吸でよって、なんとか心を落ち着かせることができた。顔をさわり、もとの仏頂面に戻ったことを確認すると、私は鹿を睨みつけた。
「おお、そんなこわい顔をするな。悪気があったわけではないのだ」
鹿は飄々とした顔で言った。
「ではなんのつもりだ。そしてなぜ彼女の名前を知っている? なぜ彼女にフラれたことを知っている?」
「うむ、それは私が鹿だからだ」
「わけがわからない! 答えになっていない! そもそもあなたが鹿であることと私の疑問に関連性がまったくない!」
「そう怒るな。貴君の疑問に答えてやることはできるが、答えるわけにはいかんのだ」
ますますわけがわからない。この鹿は頭がおかしいのだろうか。それでも私の悩みを知っていることに関しての説明はつかない。
そもそもこの鹿はいったいなにがしたいのだろう。いきなり私の前に現れたと思えば、人間の言葉を話し、くだらない駄洒落を言い、彼女の名前を言い、彼女にフラれたことを言う。なぜ知っているかと尋ねれば、鹿だからと言い、煙をまく。
どう頭を働かせても、まったく理解できない。これ以上考えると頭が阿呆になりそうだ。
「鹿よ・・・あなたはなにがしたいのだ?」
私は考えることをやめた。なにをしたいのかを考えることが嫌になった。率直に、単純に、目の前の鹿に尋ねることにした。
鹿は私の言葉を聞くと、「よくぞ聞いてくれた!」と高らかに言った。
「私の目的はただ一つ。貴君の恋愛成就の手助けをしにきたのだ!」
私は鹿の言葉に唖然とした。
すでに私の恋は負けたというのに恋愛成就もクソもないだろう、やはりこの鹿は阿呆だ、などと言いたい事はたくさんあった。だが、言えなかった。
「思い出すのだ。貴君は坂上さんに告白するとき、碌に準備もせずに挑んだ。それでフラれてどう感じた? 未練に思っていないか? そんなことはないだろう。貴君はなにがいけなかったのだろうか、と何度も思ったはずだ。目を閉じてみろ。貴君の胸中に秘める彼女への想いが溢れてくるはずだ」
この鹿の根拠のない異様な自身はどこから湧いてくるのかはわからなかったが、私はその言葉を聞いて心が動かされたのは確かだった。
鹿に言われたとおりに目を閉じれば、まぶたの裏には私の想う愛しの女性、坂上さんの顔が浮かんでくる。そして私の胸の内からめらめらと湧いてくる恋情の炎。フラれたことなどすでに気にしていない。
「あきらめるな。貴君の恋は、まだ終わっていない」
まさにその通りだ。
私の恋は、まだ終わってはいない。
これが私にとって忘れられない、私と鹿の出会いだった。
楽しんで頂けたでしょうか。
本作品は私の文章力の向上を目的として執筆したという意図もありますので、ご意見、ご指摘等がございましたら感想やメッセージで言っていただけると助かります。
よろしくお願いします。