判官贔屓である。
山鹿 涼『日本の学園都市』より
「アヒルさんチーム、走行不能」
澤の背中に戦慄が走る。しかし他のものは深く考えていない。というのも、澤は仲間が平穏の中で試合が出来るように、微かな気遣いを以って事実を隠匿していたからだ。そしてその効果は明確に現れていた。
「とりあえずアヒルさんチームの無事を確認するね」
そう言って宇津木はアヒルさんチームの周波数に無線を合わせる。
「こちらウサギチーム、アヒルさんチーム無事ですか?」
無言が数秒続き、宇津木がヘッドホンを外す。
「どうだった?」
「いや、返事が無いよー」
「撃破されたなら一言くれるのがルールなはずなのにね」
その意味を分かってしまった澤は胃が丸ごと口に登りそうになるのを感じた。しかしそれはすぐに引いた、喜ぶべきことが理由ではなかったが。澤は素早く双眼鏡を構える。かなり遠いが戦車がいるようだ。4〜5輌といったところか。
「あや、11時方向の敵の距離わかる?」
「えっ、どれ? ああ、あの小さいの? うーん、シャーマンが6メートル弱だから……多分1000は離れているんじゃないかな?」
「ありがとう」
咽頭マイクのスイッチを親指で入れる。
「西住副隊長。敵発見しました。現在えー、776地点、敵は4〜5輌です。距離は1000。どうしますか?」
「作戦通り北の盆地に誘い出してください。鼻の長い車輌いますか?」
「んー、すみません。遠くて分かりません」
「それがいたら気をつけてください。有効射程は3000あります」
「分かりました。現在結構離れてますが誘い出します」
砲撃音、そして間も無くいきなり近くの土と木数本が辺りに拡散しつつ吹っ飛んだ。
「えっ、な、何があったの?」
混乱に襲われるウサギさんチーム。遠くに見える戦車のうち1輌がこちらに砲塔を向けているのが何とか分かる。しかもそれは西住副隊長に言われた鼻の長い車輌だった。あの距離からこんなに正確に撃ってくる。まともには戦えない。
「主砲、副砲それぞれ1発撃ってすぐ後退!次が来る前にいくよ!」
「は、はい!」
2つの砲が放った砲弾は敵には届かなかった。ならばただ後退するのみ。この木立のせいでこちらも当てづらいが、それは向こうも同様のはず。誘い出すことが本来の役割である。
「……チッ!」
ナオミがファイアフライの車内で舌を鳴らす。
「ナオミドンマイ!逃げてるから追うよ!大洗の目を奪いなさい」
「イェス、マム」
「Go ahead!」
前進を始めさせた。他の4輌も砲撃を開始し、M3を襲う。木を根っこから撃ち抜く砲弾。ウサギさんチームの副砲も負けじと打ち返すが、木に当たり邪魔される。
厄介だ。このままだと彼らの術中にはまりに行くようなもの。木が邪魔で、ナオミが十分実力を発揮出来ていない。
「中々すばしっこいわね。このままだと盆地まで行っちゃう。仕方ないわ、M3に砲撃を続けつつ、盆地を囲む敵を右側面から叩くわよ!」
「イエス、マム」
ナオミは実に物静かなスナイパーだ。たとえ自分と相手が共に動いていても、難なく当てる実力を持つ。そして硬式にて大洗と戦うことを最後まで避けようとしていた一人。
だが今は飛び回るM3に無情な砲弾を浴びせかけている。相手の車長が頭出してるけど、御構い無し。こんな直ぐに人は変われるものだろうか。自分の性に合わない疑いが、ふと浮かんでしまった。
無線を繋げさせた。
「ナオミ」
「手短に頼む」
「わざと外してないわよね?」
「……」
しばらく何も帰ってこなかった。息する音さえも。
「あ……」
「私の戦車道に於ける仕事は変わらない。仕事の邪魔なら断る。通信終了」
89式を撃破したサンダースの別動隊は、盆地にいると想定している敵の左側面を攻撃するべく、履帯の音を響かせる。その為側面に注意を払うことなく、林道を縦一列に並んで進んでいる。
この時を待っていた、この1列に並ぶ時を。勝つ気でノコノコやって来た雷神の横っ腹を突くは今。
「見えました!先頭M4が5輌。レオポンさんチーム先頭を砲撃!88ミリです。1発で確実に仕留めてくださいッ!」
指示が飛ぶ。この指示を出す者は躊躇ってはならない。八九式とは比べ物にならない轟音がし、ポルシェティーガーは反動で少し後退する。
その砲身から飛び出した88ミリ砲弾は狂いなく先頭車輌の車体側面を撃ち抜く。砲塔は宙を舞い、車体のありとあらゆる金属板の隙間から爆煙が吹き出す。
お見事。
それを確認し、次の行動に出る。
「カメさん、カバさん、あんこうは最後尾5輌目を砲撃‼華さん、足回り狙ってください」
先の2人の砲撃には期待してない。ただ華さんなら確実に履帯を壊してくれる。
あんこうから撃たれた砲弾は転輪に命中、履帯の破壊に成功した。カバさんから撃たれた砲弾は車体側面に命中するも貫通はせず、カメさんから撃たれた砲弾は命中しなかった。
カバさんチームの命中は今後の戦術に於ける大きな利だ。カメさんの河嶋さんの砲撃は当然の結果だろう。
「2発命中!擱座しました」
先頭と後尾を撃破された敵別動隊は一本道で立ち往生していた。前進も後退も出来ない。車輌同士がぶつかり合う。
さぁ、時は来た。敵の増援が来る前に。
「全車中の3輌を砲撃!撃ちまくってくださいッ!」
大洗現存車輌の殆どの砲門が残りの車輌に狙いを定める。
「えっとそど子、47ミリ砲と75ミリ砲どっちを?」
「どっちでもいいから片っ端から撃ちなさい!」
「河嶋ァ、うるさい!もっと静かに撃て!」
「会長、こんな時に無茶言わないでください。あと干し芋食ってないで手伝ってください!」
「さっきはしくじったが、そうはいかせない!フォイアー!」
「さぁ、海賊に次の機会はない!波濤を超えるぞ!」
「ヨーソロ!」
その報告に驚きを隠せなかった。
「アリサ隊は交戦1分で全車被弾、全滅だそうです。」
「なに!敵主力⁉︎馬鹿な、盆地にはまだ……」
「敵部隊の場所は643地点だそうです!別動隊の生存者が突入は中断して負傷者を収容するよう許可を求めています。」
「向こうの損害は?」
「……残念ながら最初の八九式のみのようです。あと、アリサ副隊長の車輌は全損、生存者のいる見込みは……」
「……」
右手の親指の爪を噛み切り、破片を吐き捨てた。森の中からは黒い煙がもうもうと立ち昇っていた。ウソではないだろう。
乗せようと思ったら乗せられたか!
こちらも向こうの場所が把握できたのは良いが、向こうは第1波を撃退して士気が上がっている。対してこっちは撃破の情報による不安があるだろう。
……西住みほのレベルが把握出来た以上、このまま数的劣勢が向こうに与えられたまま戦う必要はない。車輌を整備して戻れば良い。長期戦なら物資、環境面から考えてこっちに分がある。
こちらの場所はばれた。戦闘が始まってから誰も口を効かない。お喋り好きな沙織さんでさえらしくもなく神妙な顔して、恐怖と戦っているだろう。そう、これが実戦、硬式戦。5輌足止めはした。うち2輌は撃破した。双眼鏡で向こうを眺める限り、動き出す気配はない。
この後ウサギさんチーム率いる本隊と正面から戦っては、損失が大きくなり過ぎる。試合の形態上、そして目標の達成の為にそれをこっちから完全に避ける手段はない。
しかしそれは向こうが犠牲に構わず突っ込んで来る隊長だったらの話だ。ウサギさんチームから連絡がないところを見ると、どうやらそうでもないようなのが幸いか。
股下の布が蒸れる。こんな密室に5人で屯しているのでいつものことだが、今日は冬のくせに一段と蒸れて妙に温かい。
いや、違う。蒸れているだけではない。よくよく神経を研ぎ澄ませてみると、冷えた太腿にぬくもりがある液体が伝って垂れている。左右のどっちかは知らんが。
不意に笑いが漏れる。私はこんな一時的な安心の中で緩んでしまうような人間だったか。はたまたこの状況に恐怖を覚えているのか。
ここは敵がファイアフライだけでもこっちに差しむける可能性なども考慮して警戒を怠らないべきじゃないか。
ま、他の人が気づいてないのは幸いだ。ウサギさんチームに確認を取らせよう。
「こ、こちらアンコウチーム。ウサギさん、無事ですか!」
「こちらはなんとか大丈夫でーす。梓に変わりますね」
呑気な宇津木さんの声から変わったのは、いつもより低めの澤さんの声だった。沙織さんも私に無線を繋げる。
「西住副隊長!敵の追撃がやんだのですが」
「撤退ですか?静止ですか?」
「撤退です。こちらの移動以上に距離が離れています。ファイアフライも引き上げているようです!」
その直後、サンダースの陣地の方角から白い煙が登る。それが何を示しているかは断定出来ないが、他の情報から推測は出来る。
「……サンダースは突入を中止したようです。元の陣地に戻ってきてください」
「了解しました」
深く息を吐き出した。
「サンダースは一旦突入を中止したようですね。やはりプラウダとは違います。それではこちらも移動しましょう。反転してください」
「ぷはあー。緊張で息が詰まる」
ヘッドホンを外した沙織さんが開け、ハッチから湯気が登る。他の車輌の様子を見るに、みんなも既に気づいているんだろうな。これは死ぬのが少し伸びただけにすぎない、と。緊張が解けて気絶する者が居なくてよかった。
雲と煙が混じる空の下、最初の陣地に残る車輌が帰ってきていた。カップと温かい飲み物が用意され、各人に配られる。私も一杯頂き、それを両手で包みながら配られる場所から少し離れた場所で、試合会場の地図と向かい合う。
誰も会話しない。話してもこの状況に見合う話題が無いのだろう。私もそうだ。
沙織さんがすぐさま審判の元に向かい交渉する。しばらく話をした後こちらに戻ってきて、数少ない会話を始めた。
「沙織さん、どうでした?」
「ダメ、棄権は戦車道連盟理事校以外は一切認められていないって」
だろうな。奴らに私らの話を聞く利点はない。寧ろサンダースの話を呑むだろう。沙織さんが言い終わる頃には審判は逆方向に遠く離れていた。
「冷泉殿、あの、ココアを……」
「……ありがとう」
ココアから立ち昇る湯気は風になびかれ消えていく。
「冷泉殿……あの、バレー部チームがやられたのにみんな意外と淡々としてるといいますか……こういうものなのでありますか?」
カップを手に持ち、指を暖めている。
「衣食足りて礼節を知る……他人に同情して悲しむには……まず自分の安全と余裕が必要なんだと思う。私達だってまだ助かったわけじゃないしな。今は誰もが心の底じゃこう思ってるんじゃないか?
自分じゃなくてよかった、って」
さすがは麻子さんその通り。結局そこだ。
他人の死は突き詰めれば第三者の死。自分と直接的な関係はない。極論を言ってしまえば完全な共感は不可能という点で、持ち物を無くしてしまったのと同じだ。
そうなればまず思うのは自身の生存だろう。
さて、先程と同じでは通じるまい。向こうの行動も予想出来なくなった。まだデータ取ってるなら寧ろ裏をかいて作戦を伝えた通り実行するなどやりようはあるのだが。
「降伏、出来ないの?」
飲み終わって一息ついた後に、あんこうチームとカメさんチームが集まっていた所で沙織さんの口が開く。
遂に出てきたか、その言葉が。小山副会長がルールブックの最初の方を確認する。
「降伏の規定自体はあります。ただし戦車道に関連する犠牲者は全て事故扱いです。処遇は捕らえた側の一存で何の保障もありません」
「でも死ぬよりマシでしょ。みんな降伏しようよ!」
「オイ待て!戦闘自体は今こっちが勝っているんだぞ!確かに相手はサンダースだが、戦闘を始めた以上その命の保障だって無いんだ!なぜ相手が優しい前提で考える?」
降伏
コウフク
音だけは幸福に等しい。確かにある経路を辿れば幸福かも知れない。しかしその経路になる可能性は、決して高くない。
降伏
そして生憎私は、そのうち半ば逆の経路を辿ってきてしまっている。
足から力が抜ける。両膝が勝手にストンと落ちる。さらに運動もまともにしていないのに、息が荒くなってくる。
音が、臭いが、感触が、脳味噌の中で渦巻いている。
「だ……だめ……で……」
「みほさん、どうしました?」
絶え絶えにしか言葉を発せなかった。華さんが体を支えてくれる。胃の中に薄荷をぶちまけたような感覚だが、吐きそうではないのは幸いか。吐くと体力を使う。
「みぽりん、大丈夫?急にどうしたの?」
「このじょ……ハァ……で、こう……ヒュ……くだけ……は、だめです……」
「降伏がダメ?なんでよ!みぽりんだって死にたくないでしょ?」
「た、武部ちゃん。一回西住ちゃんをこっちで横にさせてあげて」
「あ……ありがと……フゥー……います」
「みほさん、今はいいですから。無理しないでください!」
「え、えっと……過呼吸の対処法って……」
「紙袋か?とりあえず袋持って来て」」
私は近場の丸太に頭を寄りかからせていた。気道はしっかり確保されている。
白んだ空をキャンバスにして、記憶の中の光景が投影されてくる。瞼を閉じて、時が流れるのを待つ。袋のお世話になる前に、肋骨が意識的に呼吸を抑えられるようになってきた。
「大丈夫?」
「大丈夫……です。少し……落ち着いて……きました」
「ほんと?無理しないでいいんだよ?」
「何れにせよ……暫くサンダースは……試合を再開出来ない……でしょうし」
「それで、みぽりんも降伏ダメなんて、どうしてよ?」
支えてくれながらも、沙織さんの顔には薄っすらと怒りさえ見える。
「……最早向こうに……犠牲を与えて……しまっています……。こちらを明確に敵だと……考えているでしょう。向こうが……無条件で降伏を……受け入れて……くれるとは……思えません」
「そうだ。西住の言う通りだ。向こうの好き放題なんだぞ!仲間を殺した奴らを許すはずがない!少なくともそのことを信用して動くべきじゃない!」
「で、でも好き勝手っていっても、相手も人間よ?流石に降伏して殺されはされないんじゃないの?」
分かっていない、人というものを。彼女は元から男を理解してないけれども。
「人をなめて……はいけません。これまで……多くの人を……殺してきたのは、紛れもなく……人なのですから」
納得はしないだろう。彼女は本気だ。サンダースへの降伏というものに、生存への微かな望みを見出し、しがみ付いている。
それから引き剝がすためには、私も本気で説得をかけねばならない。戦いの最中で降伏すること、人に命を握られること、そしてその状況下で人は何をするのか、それを伝え切らなければならない。
もしあの時依頼されたことを為さねばならないなら、これは重要な仕事だ。命を賭けた後である今なら出来るだろうか。思い出したくもない記憶だが、引っ張り出すしかない。
「実は……わたし……プラウダの捕虜になったことが……あるんです……」
優花里さんは驚きの視線を向ける。彼女にとって噂であり、話半分に聞いていたものだったのだろう。それが真実だというのだからそんな顔になるのも仕方ない。
その丸太に腰掛けていた会長が頭を抱えた。この人は元からこのことを知っていただろう、立場的に。私のことをある程度把握しているとも言ってたしな。だからこそタチが悪い。
息が荒れるのは治ったが、言葉は上手く口から湧いてこない。だが出来る限りの力を以って語り始めた、あの悪夢の日々を。
「Fuck you, Sanders! 」
佐々戦争前、平戸学園で流行した言葉。両手を胸の前に出し、中指を立てながら叫ぶのが正式とされる。