自分も死ぬことがあるのだろうとは決して信じないのが、若者というものだ。
ハズリット「若者に見られる不死の感情について」より
第1章 ① 真の最強の終焉
平原で炎をあげるII号戦車。上部のみを的確に燃やし、煙を上空へ太く立ち昇させる。緑爽やかな初夏の風に長音のホイッスルの音が混じる。
「故宮高校フラッグ車、走行不能。よってプラウダ高校の勝利」
淡々とした審判の声が響く。何処かのテレビ局のヘリがある場所の上で、周りの空気を引き裂きながらホバリングする。
「見えました! あちらです! ……出てきました! JS2! JS2です‼ 今年の優勝はプラウダ! 本年度戦車道硬式大会優勝はプラウダ高校です! ついに最強の黒森峰、その呼び名に終焉が来てしまうのでしょうか!」
ヘリに乗ったアナウンサーは興奮した調子で言う。JS2とともにいた部隊のうちのT34/85のキューポラから、ヘッドギアを付けた少女が顔を覗かせた。
「笑っています。いま少女がはっきりと笑っています‼ これが、新たな伝説なのでしょう!」
会場は先程の所ではない。鉄道でここからしばらく行けば、先ほどの場所にたどり着くだろう。先程の所へ行けるのはどっちか一方だが。
空の雲は空全体の50%ほど。快晴ではないが、気象庁の判断では晴れだと言える。風の調子も悪くない。双眼鏡で遠くを眺めていた。目の前に映されるのは森の木々の幹、木の皮が所々外側へ捲れている。そしてその先の隙間に広がる草原。断片情報を統合すれば、それはそれは広いものだと理解できるはずである。
「みほ、見えるか?」
隣のティーガーIIのキューポラから上半身を出して姉が尋てきた。だが先程から2つの穴が脳内で合成されて映る映像には、遠くで風で揺れる葉のついた枝以外動くものはない。
「いえ、異常ありません」
足元の戦車の安定を確認しつつ双眼鏡を下ろし、ほっと一息ついた。一時的な安全は何事にも変え難い。
しかしすぐに風が湿気っぽくなってきた。また見ると今度は枝以外にも動くものがいた。草原の奥の小さい林の陰から戦車群が顔を覗かせた。その見分け方は、戦車の正面が丸っこかったら敵、という単純なものである。
「来ました! 敵戦車発見。2時の方向。距離約一二〇〇、T34です。1輌……2輌……3輌です!」
「3輌なら問題ない。ここで撃破する。各車前進ののち、1号車は先頭、2号車は中、3号車は後尾をそれぞれ撃破せよ」
姉の素早い指示が飛ぶ。この判断の速さは私には十分には出来ない。私も後ろのキューポラに身をねじり込み、すぐさま砲手に指示を出す。
「真ん中です。停止後、一撃でお願いします」
ティーガーIの88ミリ砲が轟音と共に火を噴く。しかしその弾は少し手前の小さい丘の上で土煙を生んだ。
「外した。着弾30メートル手前です! 次弾早く!」
くそが。一撃だと言っただろう。
「1号車命中!」
「3号車命中! 1輌こちらに向かって来ます!」
立て続けに情報が舞い込む。さすがは黒森峰の最精鋭、試射無しで命中させる。完全に遅れを取ってしまった。生き残るには当てるしかないだろうが。
「距離一一七〇! 風は4時方向に3m! 撃て!」
すぐに再びティーガーIの車内に砲尾から薬莢が排出させる。しかしそれは当たることなく、敵の右斜め上を飛んで行くのが眼に映る。
「この距離で、しかも静止射撃で2発も外すなんて! 訓練で何をやってたんです!」
前の人選をミスった奴を蹴飛ばして敵車両を確認すると、側面に砲弾が命中し、文字通り爆発していた。横を確認するとティーガーIIの砲身から煙が登っていた。姉のだ。
「……全車後退。森の奥へ進め」
身を乗り出す。風はとても冷たく無情で、そして強張っていた。
姉の車輌の者が簡易机と茶を用意し、姉はその上で地図に印を付けつつ、茶をすすっていた。
「他部隊の状況は?」
「確認済みの範囲内では、接敵なしとのことです」
「他の確認も早めに済ませろ」
空の雲は少し増えていた。60%といったところか。風は止みつつあった。
「お姉ちゃん……」
姉は振り返らない。
「砲手を呼んでこい。それと隊長と呼ばんか。いつも言ってるだろう」
「はい……」
私は歯をガタガタ震わせている砲手の手を掴んで引きずり下ろし、両手首を抑え肩甲骨の間を押しながら前へと連れて行く。連れて行くとまずはポケットに手を突っ込み、彼女の拳銃を放り捨てる。ナイフはお持ちでないようだ。
「……」
姉が席を立った。次の瞬間、張り手が音を立てて彼女を地面へと叩きつけた。頭に付けていた帽子が放物線から外れて彼方へと吹き飛ぶ。
「……何をしている。仲間を危機に直面させるのが楽しいか?」
「……」
頰に手を当てたまま動かない。かなり腰と手首のスナップを効かせて打ち込んでいた。私でも喰らいたくはない。
「張り手は五月蝿いからやめてください、隊長」
「拳の方が良かったかな」
手を何度か顔の前で開閉させ、踵を返して姉が再び席に着いた。
「いずれにせよみほ、こいつは次はチームから外せ。お前はいつも人選が甘すぎる。下手したら次がなかったかも知れないんだぞ? 我々SS12小隊は栄光ある黒森峰一のエリートだ。その名に恥じぬよう、相手に恐怖を与える存在でなくてはならない」
そう言うと机の上の茶をもう一口すすり、淡々と続けた。
「お前も西住の血を引く戦車乗りの一人だ。黒森峰を、西住流の名を汚すような戦いをするな。戦場で必要なのは友情じゃない。敵だ。分かっているな?」
「はい……申し訳ありません」
「取り敢えずここでは助かったから、任命責任は保留にしておく。
しかし敵は何を考えている。我々に釣り野伏せが通じるとでも思っているのか? おい、周りはどうだ?」
「現状ソ連戦車のエンジン音は有りません。射線の通りにくいここに潜んでいるとは思えませんが……」
風の向きが先ほどと逆になりつつあった。私はその間に張り倒されたやつの腕を無理やり引き上げる。
「そうか。だが偵察などは送られているだろう。風向きも変わってきたし、狙撃などにも警戒せねばならん。些細なことでも何かあったらすぐに」
「隊長!」
監視に向かっていた姉の車輌の者がこちらに駆け寄り、姉の足元で息を切らして膝をつく。
「どうした!」
「西住隊長! 南方に大量の発射煙が‼」
姉はすぐに首から下げていた双眼鏡を目元に寄せる。
「……シュターリンオルゲル!」
苦虫の汁が飛びそうな声が小隊に緊張が走らせる。
「クソッ、こっちが本命だったか!総員緊急乗車!至急このエリアから退避せよ!我々から損害を出すわけにはいかんぞ!」
姉は机を蹴飛ばして頭からキューポラの中に入っていく。私も考えずにそれに倣う。
「全速後退! 急いで!」
ティーガーIも私の声とともに後退を始めた。空からはロケット弾が風をきる轟音のみ。全力で動くエンジンの音は掻き消される。数がおかしい。どう考えても一斉に全ミサイルを発射したようにしか聞こえない。この先運用する必要なぞないのだ、と言わんばかりに。
顔からは粘度の高い嫌な汗が顎の下に溜まって落ちる。そしてそれらは森を焼き払わんとばかりに躊躇なくSS12小隊を襲った。葉と煙の境界が無くなり、先程を超える音と振動が伝わる。
「きゃあああ」
震度6弱を思わせる振動が発生した。災害訓練の時に訓練専用の車に乗った体験と比較すれば、恐らくそのくらいはあっただろう。
「落ち着いて、落ちついて後退を続けて」
ミサイルが落ちてこないことを祈り続けた。しかし手綱はその祈りの相手ではなく、プラウダが握っている。けたたましい音とともに正面が黒く染まった。
炎のはじける音で次に目を開くと、黒い煙で占められた車内の中で、砲手が先程の痛みを間違いなく知覚出来なくなっているのを目で見た。視覚よし。手足の指先を曲げる。触覚、神経よし。足も動く。重度の火傷も負ってないようだ。死んでない、と結論付ける頭も働いている。状況を確認。煙の匂い。脱出だな。
キューポラを触ると火傷するレベルで熱い。熱いと漏らしつつ咳き込みながらなんとか押し開け、上半身を外に出した。煙も私の体の側面を通って抜けて行く。車輌の前方に命中したようで、他の乗員への希望は抱きようがないだろう。
「みほ!」
煙で痛くなり涙が出てくる目をなんとかそちらに向ける。そこには姉の車輌の者2人と左ひじを抑えた当人がいた。一帯は焦土と化し、さっきまでの森の様子は半径数十メートルに渡り焦げた切り株に置き換えられていた。煙にさらなる焦げ臭さが鼻をつく。
「生存者はお前だけか。無線も……無理そうだな。3号車は直撃で全滅。1号車もこれだけだ……無線も全車輌やられ、救援も呼べん。やむを得ん。車輌を放棄して後退し、味方との合流を模索する。全くイワンの奴め、たった3輌に無茶しやがる」
姉の車輌の者が手を差し伸べ、靴越しに熱を感じながらなんとか車輌から出た頃には、草原の向こうから幾重のエンジン音とともに戦車が向かってきていた。それも我々のものとは異なるもの。
「敵戦車突っ込んで来ます!T34/85が5輌……いや10輌です。デザント兵を載せています」
デザント付きか。
「隊長……」
「歩兵随伴か…………逃げられない、か。残念だが打つ手がない……投降しよう」
姉は私が考えた通りの判断を下す。姉は頭を下げ、1号車の後ろを指しながら全員に隠れるように言った。
ティーガーの排気口が4人を見下ろす中、多くのデザント兵の声が響く。言語は実に多様で、何を言っているかは分からない。だがそれがうぉーでもウラーでもアッラーアクバルでも万歳でも結末は大差ない。
履帯の回る音が時々刻々と激しくなる。足音が微かにエンジン音に混じり出す。その時共にいた者の1人が、恐怖からか戦車の背後から飛び出した。
「と……投降します。撃たないで」
「バカ! 体を出すな!」
姉の叫びも虚しく機銃の音とともにティーガーIIの脇に血まみれの屍体が完成した。胴体に数発、頭にも何発か食らったのだろう。左目の左側の骨も削れたらしく、赤く染まった目玉がゴロリと転がり、視神経のみで引っかかっている。まぁ、死に急いだのはある意味で正解なのかもしれない。
「来るぞ!」
ティーガーIIの両脇からT34が2輌現れ、完成した屍体を捻り潰し、1両が前方に回って自分らを囲むように止まった。
「撃つな!」
「投降する。撃つな!」
「降伏です。降伏します!」
それらに呼応して姉から順に立ち上がり、両手を高く上げる。そして叫ぶ。力の限り。デザント兵の持つ銃の口がこちらを向く。彼らの指が一人でも動けば、私もさっきの者の仲間入りだ。私はお断りしたいが。敵のデザント兵の指揮官らしき者が銃を構える兵を静止させ、兵を1人呼んで銃を向けたまま姉の肩を掴ませようとしていた。
「我々は黒森峰SS12部隊!戦車道規定に則り投降する!全員の同捕虜条項に従った処遇を要求する!」
3人は1人ずつ銃を向けられている。黒い銃口の先がぎらりと光る。
私は、生きたい。
理由なんてない。
ただ、死にたくない。
「撃たないで! 撃たないでください! 私たちは投降します‼」