ドストエフスキー
「華さん!直ぐにIV号に乗ってください!」
銃声は同じ。上からは倒れる音。しくじったか。
だがこの鉛玉を封じる手は尽きたわけではない。時を移さず命令を出す。華さんはIV号に飛び乗り、横のハッチから身を捻り込ませた。次に向こうが撃った弾は、短時間で狙いを定めることは出来なかったようで、ハッチから右にずれた所に当たった。流石にIV号なら銃弾で抜かれたりはしない。
「華さん!榴弾で!」
「はい!」
車中にはツチヤさんが隠れていたはず。装填を手伝えば、時間はそうかからないはずだ。
砲塔が右に回転を始めた。だが問題は目標を華さんに見せねばならない。2人の遺体の位置なども合わせれば、どの窓を経由して来たかは分かるだろうが、その何処からかは説明できない以上、光源を直接見なければわからない。近くの布を持って宙に投げる。布は弾に命中され地面に叩きつけられたあと、寂しく銃声が響く。
「みほさん、場所分かりました。ライフルの弾の速さは?」
「850!」
「距離は600……撃てます!」
「撃てッ!」
合図を向こうが確認していたかは分からない。ただ建物を揺らさんばかりの砲撃は、確実にその砲身によって行われた。そして放物線を描いた砲弾は、私が鏡ごしに指差していた建物を見事に捉えた。流石は華さん。腕前は超一流だ。この寒さで砲身が歪んでいたら、それを考慮する必要もあったというのに。
こちらが使ったのは榴弾。建物は階層ごと吹っ飛ばされている。仮に逃げようとしていても、巻き込まれていないはずがない。そしてこの寒空の下動けない人間を助ける暇人はそうはいまい。
キューポラから華さんが頭を出す。
「みほさん、もう1発撃ちますか?」
「いえ、十分です。榴弾であれだけ被害があれば大丈夫でしょう。直前にこちらに1発撃ってますし」
華さんは力が抜けたのかするすると自動的に車内に戻った。周りのものにも今ここを生き延びれた、そのことに安堵の表情が浮かんでいる。
「これで……大丈夫……なの?」
「……恐らく。仮に2人以上いたとしても、榴弾に巻き込まれているでしょう。プラウダがいかに人を抱えてようと、狙撃ができる人材はそんなに数はいないと思いますし。
一度警戒は解きますが、再び銃撃等があったら先ほど同様すぐに物陰に隠れてください。
では先ほどの作業を再開します」
ゆっくりと立ち上がった人々によって、暖炉の中で加熱に加熱を重ねられたレンガが再び戦車の上に乗せられ始める。予想通りさらなる狙撃要員は確保できていないようで、建物の中は暫くは安全そうだとの見解で一致していた。
建物にあった黒い布を持ってゴモヨさんとパゾ美さんは2階の、河嶋先輩と小山さんは1階の遺体を回収する。だが遺体は視界から隠せたとしても、血痕だけは冬の池のように氷を張りそうになったまま残されている。
ラムさんがムラカミさんとフリントさんの遺体を抱き寄せながら号泣していた。カトラスさんも彼女の方を握り無表情を貫こうとしつつも、涙と口元の震えまでも抑えられるわけではなさそうだ。だが遺体はそれに何か返事をするわけじゃない。
彼女らを作業に連れ戻すことを名目に近づいていった河嶋さんも、結局は涙を流す3人目となった。もともと彼女らは河嶋先輩に助けられたという話だったし、河嶋先輩にも彼女らに対して強い思いがあったのだろう。
私も彼女らの死によぎるものがないわけじゃない。あの『どん底』での一瞬の安らぎを忘れたわけじゃない。しかしそれが本当に一瞬であり、すぐに彼女らを作業に引き戻そうとした辺り、私の心はどんどん人から遠ざかっている。
包まれたものは入り口に並べられる。黒い、川だ。流れない、川だ。
「西住ちゃん」
皆の警戒がかなり緩んで来た頃、入り口の方を向いていた会長さんが声をかけてきた。暖炉の前で立ち上がり、服の埃を払う。
「秋山ちゃん達が帰ってきたよ」
「本当ですか」
優花里さんとエルヴィンさんは建物の前の雪の山から飛び降りて入ってくる。体調に大きな変化はなさそうだ。
「不肖秋山優花里、ただ今帰還致しました!」
優花里さんは力強く敬礼を決める。本当に問題なさそうだ。
「敵の様子は?」
「ここから北に1.5キロほどの所で歩兵と戦車を含む敵迂回部隊を発見しましたが、全員凍死しているのを確認致しました。他に動きはないであります」
「それは直接確認しましたか?」
「勿論だ。あの様子を見るに今日は攻めよせてこないかと」
「分かりました。ありがとうございます」
不気味だが、向こうから今日攻めよせてくる可能性が一つ潰れただけでも大きい。
「戦車は何輌ありましたか?」
「1輌だけでした」
1輌だけ……
「それにしても、こちらは……」
優花里さんの手は黒い袋の並びに向けられる。
「狙撃を喰らいました。やはりモシンナガンに変えたのは、こうして抵抗させずに叩くためだったようです。が、華さんが榴弾でなんとかしてくださいました」
「……変じゃないか?」
エルヴィンさんが話の中で首を傾げた。
「……と言いますと?」
「プラウダだって上限は15輌のはず。確かにこちらに対して数が多いのは事実だが、それでも車輌や人員を見捨てたりするものか?数があるなら、一斉に投入して完全な数的優位の下で倒すのが筋だろう」
「……確かに向こうの攻撃がちまちましたものばかりであります。それどころか我々が発見した部隊は攻撃さえ出来ていません。こちらの精神を削るのには効果があるかもしれませんが、それに見合う損失かというと微妙でしょうな」
「……プラウダならスパイの排除などを名目にやりそうなので何とも言えませんね……」
「そうですか……」
「ですが今後の判断材料にはなります。ありがとうございました」
表向きはそう言ってごまかしたが、それでも何か裏があるのか疑わざるにはいられない。杞憂だと願いつつ、恐怖を覚える予想もする必要があった。
「そど子殿とお銀殿はまだでありますか?」
「あっちはちょっと奥まで行っているのかもしれんな。そど子さん目が良いって話だったし」
その後、ただ時は進み続けた。話すこともなく皆車輌と暖炉の前を往復する。IV号以外の車輌の砲塔、エンジンも動き始める。優花里さん達が帰ってから暫くした後、入り口の方から何かが倒れる音がした。入り口には倒されているものはあるが、倒れるものは本来ない。
見ると、そこに居たのは白いコートを頭まで着てうつ伏せに倒れているものだった。ヘルメットがコートより上にある。
「お銀さん!」
「……西住……隊長、すまない。園さんが……」
「園さんがどうしたのですか!誰か、暖炉の前まで運ぶのを手伝ってください!」
仲間の危機の前に思わず叫ぶ。生きている限り価値はある。
「親分!大丈夫すか!」
「お銀!」
生き残った他の2人もすぐさま駆け寄ってくる。カトラスさんは柄になく表情に焦りをさらけ出している。暖炉の前に寝かせたが、唇は紫に変わり、それ以外は蒼白。
「乾いている服をたくさんお願いします!あとはすぐに焼きレンガを!それと桶か何かに雪をお願いします!」
「な、何する気だい?」
「一部は服の中に仕込んで、残りはぬるま湯を作ります!凍傷を引き起こしている可能性もありますから!少し熱めのお風呂くらいのものを!」
服は濡れているもののうち無理なく脱がせられる部分は取り、他は残す。こんなに寒い中とはいえ無理に剥がして怪我させては感染症になる可能性もある。だがすでに事態は相当悪いも思われる。特に足が。
「園さんは……死んだ」
「そう……ですか」
言葉は絶え絶えだ。まぁ、片方がこうなっていてまだ戻らないもう片方がこれより状態が良いとは考えづらかったし、重大な驚きではなかった。
「急に立ち止まって頭を抱えたから……何事か……って思って背負って連れてこうとしてたら……急に……背中の方から……パキッて……何かが割れる音がして……喉から漏れ出るような呻き声が……」
「……そしたら死んでいた、と」
頭蓋骨損傷あたりか……死体がないから断定はできないが。
「……そうらしい。人って……ああやって死ぬんだな……私は……ああはなりたくない」
何故か彼女の顔には笑みが見える。
「とりあえず乾いている服をかけとくぞ!」
「ジッパーで開けるものをどんどんお願いします!2枚か3枚入れたところで、焼く時間が短めのレンガを入れます!」
「服は溶けないかい?」
「それは大丈夫なようにします。あとは乾いた布で包んだものを4つほど、末端を温めます!」
「……に、西住隊長……」
背後にて彼女の靴を脱がせていたらしいラムさんが体の芯が震えるような声を届けてきた。彼女の手にある靴には側面に大きく傷が付いており、傷からラムさんの服を見せる。
「ケガ……」
「帰りにな……まだ園さんが死んでいると知らなくて……背負って歩いていた時に……な、雪の下に埋まっていたらしい木の枝を……思いっきり踏んでしまってな……底は抜けないと思っていたが……まさか側面がガリッと削れちまうとはね……」
「……」
まずい。彼女の足は靴下同様赤く染まって膨れ上がっていた。おまけに傷のある一部は少し黒ずんでもきている。明らかに凍傷だ。医学の知識は私にはないが、これくらいは予想がつく。
「……さっきまでは……疼くような感じがしていたんだが……もう……痛いだけ……だ……」
それもかなりの重症だと思われるが……果たしてぬるま湯につけて効くものか……
「に、西住さん!親分は大丈夫なんですか!」
「……麻子さん、会長さん、ちょっとよろしいですか?」
人の力を借りよう。
「どうした?こっちの作業中断していいのかい?」
「……お銀さんの症状、私だけは判断がつきません。手伝いをお願いします」
「……分かった」
「まぁ、私に分かるかは分からないけどな。医者じゃないし」
「……」
そうだ。これもある意味逃げだ。彼女らとの合同の判断、という名目で最悪のケースの責任を分け合おうとする手段に過ぎない。麻子さんと会長さんはラムさんが抱えていた左足の外側の傷をじっと眺めていた。時々小言で話しているのは、こちらには聞こえない。
「西住殿!ぬるま湯はこのくらいでいいでありますか?」
優花里さんが桶らしきものに湯気の立つお湯を張って持ってきた。さわるとまだ夏の水風呂もどきくらいでしかない。ここまで寒い環境に居続けると、温度感覚も狂うものなのかもしれない。
「まだです。もう一個焼きレンガを投入してください!あとはこちらにもってくるときも一つ持ってくるように!この天気じゃすぐに冷めます!」
「了解です!」
すぐに立ち去った優花里さんに気を払う余裕はない。お銀さんの顔を覗き込む。息も浅い。
「……西住さん……」
「はい」
「ムラカミと……フリントは……」
「……あちらに」
嘘をつく必要は感じられなかった。黒い袋が3つ。そのうち2つだと指でさっと示す。
「……そうか。だよなぁ、こんな寒空の下に偵察か出撃以外で外出する奴はいないよなぁ……」
「ライフルで狙撃されました。私の警戒と管理不足です。お仲間を……申し訳ありません」
「……管理してたら、止められたのかい?」
「……」
「私には……そうは見えないけどね……装備も変わってたし……こちらには……手も足も出ない話さ……こんなことは言いたくないし……実際に手足が伸びるわけじゃない……がね」
心なしか顔が赤くなっているように見える。
優花里さんやラムさん、カトラスさんらにより作業が進められる中、会長さんと麻子さんが私を指で外に出るように示した。ついでに河嶋隊長も呼んでいる。私の予想はほぼ当たっていたらしい。
外で麻子さんは深く一つ呼吸してから口を開いた。
「……あれは……どうにもならない可能性が高いだろう。少なくともここでは」
「……私もそう思う。傷が一部壊死しているよ、あれは」
「え、壊死……」
「……そうですか」
色がおかしいかったからそうもなるか。
「もし滅菌された場所や治療道具があれば、切除したりしてなんとかなるかも知れないが、ここにはどちらもないな。秋山さんのかばんの中身を使ってもいいが、包帯はほぼ使い切ってしまっているそうだ。傷を十分に塞げない。仮にあっても凍傷の傷相手に足りるかは分からんが。
傷のあたりは下手に温めて血流を良くしたりすれば、体力の消耗も考えれば破傷風クラスでも命に関わるぞ」
「外に出ている間はあの寒さだったからまだ大丈夫だったのかもしれないけど、ここは少しは暖かいからねぇ。あの進行度じゃあ細菌やウイルスに感染するのは時間の問題だ、と思うよ。温めたらなおさら」
「そして現状の彼女では感染したら最後、助かるとは思えないですね」
「に、西住。何とかならないのか……人数が少ない私たちからしたら、一人でも減るのは厳しいだろ?」
「……そうなると案は3つ。
一つは彼女だけプラウダに降伏させる。
もう一つはそれでも何とかアルコールで殺菌したりして時間を稼ぐ。
最後は……」
「ここで、楽にする、か」
「はい、そうなります。この戦いはこの天候だと長期化する可能性があります。このまま彼女を苦しませ続けるよりは……」
「……な、何を言ってる、西住」
「それにこのまま病気にかかられると、それがチーム内に広がる恐れもあります。一人でも厳しいのです。それ以上各車輌の人数が減る、少なくとも戦車に乗れなくなると……厳しくなります」
「まぁ、先日の西住ちゃんの話を聞く限り1番最初はナシ。生徒会長としては最後の手は取らせたくないけどね……教育的に」
「今更それを言いますか?」
「……まぁ、味方に直接手を下すならね」
「で、2番目が可能か……という話か……」
ここでどうこうなる話ではないと思うが、それでも4人で頭を付き合わせなくてはならない。だが全員が一斉に頭を振り上げる時が来た。天をも突かんとする断末魔が同時に彼らの耳を訪れたのである。
「ああああああああ!がああああああ!」
「お、親分……」
「い……いッ!」
「が、我慢して……お銀」
「そ……から……足を……足を抜い……れぇ……頼む……」
ケフッ
「し、しかし温めないことには……」
「がっ……」
壁の向こう、入り口を超えて響くお銀さんの絶叫であった。
「……2番目……」
「……厳しそうだな」
「うん……この様子だと……ね」
「……おい、西住」
3人が一定の方向性で一致を見出そうとしていた時、河嶋さんが3人の間に割り込むように入った。そして私と至近で目を合わせ、両肩を掴んだ。
「西住、頼む!殺すのは……殺すのだけはやめてくれ!あいつは……あいつがいないと……船の底は再び血と暴力の連鎖が続く場になってしまう!学園に……学園艦に、そんな場所を残したく……ない!
絶対に生かして帰せとは言わない!だが助かるかもしれないのに殺す、それだけはやめてくれぇ!」
「……どういうことです?」
会長さんの方へ視線を逸らすと、会長さんは頭を掻きながら気怠そうに話した。
「いやー実はね、数年前まであの船の中って今以上に治安悪かったのさ。西住ちゃんは『どん底』行ったんだろ?そんなことをするなんて考え付かない程度にはね。
外の人が下手に入ったら帰ってこれないのは当たり前。ひいては船の中でも担当部署や居住地域ごとに縄張りをはって、僅かな独自収入を巡って抗争続き。生徒会からの命令どころか、場合によっちゃ同じ船舶科の指示さえ聞きやしない。そんなとこだったのさ。
そこをせめて学園艦の中だけでも安定させたい。人の血を流させたくない、って調停に入ったのがかーしまだったのさ。お陰で生徒会での仕事は私や小山とかに回されてばっかりだったけどね。
結果的に彼女らを戦車道に取り込んだのはかーしまなのさ。だから特別な思い入れがあるんだよ」
「前の友は抗争の中で死んでいった……この大洗で、少なくとも内部で、二度とそんなこと……させたくないんだ!何とかならないのか!」
「……本人に事情を伝えましょう。それでも助かることを望むなら、最善を尽くします」
「……かーしま、気持ちは分かるがそれが筋だ」
「はい……」
会長さんに肩を掴まれた河嶋さんはやっと私の肩から手を外した。
一時的に人払いをして、小さな声で事情は伝えた。その返事はあまりに単純で、的確だった。
「……そうか……やってくれ、西住さん」
「……おい、お銀!お前、死ぬ気なのか!」
「桃さん……自分の身体って……本当に自分で分かるものなんですわ……恐らく……ここで生かしてもらっても……先は……」
僅かに動く右手を胸の上へ移した。これでも本当に一苦労なようだ。
「お銀!生きるって言ってくれ!ムラカミもフリントに加えて……お前も目の前で喪うなんて……」
土煙の残る建物の床の上に、河嶋隊長の額。
「……ははっ……やっぱ桃さんは……私らみたいな人間に……優しいや……優しすぎる……」
一度顔を背けて咳をした。それでさえ彼女の力を奪っているのが、苦悶の表情から察された。
「生きたいと……思っても……もう……寒気に当てられた体が……言うことを……きかないんだ……桃さん……今まで……沢山の……我儘を……聞いてくれて……ありがとう……貴女は……そのままで……いて欲しい……」
彼女の片手にしがみつく人から、声とも分からぬ咽び泣きが発せられる。
「……西住ちゃん……」
「……足の傷は既に感染症にかかりやすくなっています。少なくとも今夜外に出ることは出来ません。そしてその凍傷の治療はここでは不可能です。他の皆のためにも、その決定をしてくださったことを感謝します」
「身体って……あったまるの……早いんだな……あったまったら……きっと……痛みが……やって……くる……痛みが……想像もつかない痛みが……怖い……怖い……だから……その前に……」
「……分かりました。その意思を尊重しましょう。私が執行します。会長さん、河嶋隊長、よろしいですか?」
「……許可するよ。生徒を無為に苦しませるよりは……ね」
「……」
会長さんの吐き出し尽くすような返事の一方、河嶋隊長は未だ躊躇いを隠さない。麻子さんの方に向くと、面倒そうな顔をして一声付け加えた。
「……彼女を守る術は他にないぞ」
「……そうか。お銀……」
「……大丈夫……」
何とか首を回し地面に近い顔に寄せる様は、人から見たら痛々しいったらありゃしない。
「……西住……」
「はい」
「お銀を……頼む……」
「ありがとうございます。あ、皆さんに伝えます?」
「……いや、やる前に話が下手に広がっては面倒だ。ラムちゃんとカトラスちゃんだけ呼ぼう。流石に伝えないのは可愛そうだ」
「お任せします」
ここには麻子さん含めて3人だけが残った。
「……ははは……あいつらにまた会ったら……生きたくなっちまう……とは思わない……のかい?」
「痛みは人間の苦痛の根源。それから逃れようとすることは、何があっても揺らぎませんよ」
「……そうか……そうだ……ひとつ……いいかい?」
「はい?」
「私の服の……ポケットの……中に……パイプが……」
指先には脱がれた服の山。
「……失礼します」
脱ぎ捨てられたまま幾層にもなった服を掻き分け、お目当てと思わしき感触のある服に辿り着く。そこには透明な袋に入ったパイプが、少し歪んだ形で入っていた。
「……歪んでますね」
「……そうだろうなぁ……真ん中の辺りを……持って……口元へ……」
「はい」
袋の周りは溶けたパイプが張り付きかけていたが、それを注意深く外してゆっくり口元へ寄せると、口をかすかに開いてそれを受け止めた。
「ふぅ……」
「船舶科の帽子はいかがします?」
「……それはいいかな」
ゆっくり、小さく左右に首が振れた。
「親分!」
「ど、どういうことなの!」
生き残っている2人が必死の形相で詰め寄る。
「……そのままさ……このままじゃ……みんなに……迷惑かけるだけ……」
「じ、冗談……だよね?」
「冗談で……こんなこと……言えるか?」
私が無言で自身の拳銃に弾が込められているか確認している様をちらりと見て、2人とも口を閉じた。
「……なぁに……向こうには……そこの2人がいるんだ……怖くは……ない……」
そう言いつつも手先が震えるのはこの寒さのせい、ということにした。
「何か他に言い残しておきたいことは?」
「……勝て……プラウダにも……黒森峰にも……大洗女子学園は……残すんだ……絶対に……船底を……守るために……ラム……カトラス……お前らに……会えたことを……忘れはしない……私の元にくるの……暫くの……楽しみに……させてくれよ……
この身体じゃ……暫く……酒は……必要なさそうだ……ま……向こうで……楽しめるかは……分からないけどね……
西住さん……これでいい」
私は側にあった、冷たくなりつつある桶の水で手を濯ぎ、素早くハンカチで拭った。そのまま手に取った銃を両手で構え、彼女の頭へ向ける。肩から腕、そして照星から先は確実に照準を定めていた。
「……ははっ……こんなちっぽけな……もので……本当に……死んでしまうとはね……」
彼女と目が合った。いや、正面から私が構えているのだから、合うのは普通だ。だがその時、手から力を抜こうとする外圧が、背中全体を駆け巡った。思わず銃口を下げる。
違う。彼女は受け入れている。そして私に委ねている。あの時とは違う。違うんだ。
「……西住ちゃん?なんなら」
「いえ、私がやります」
この苦を生涯の中で味わうのは、私だけでいい。
「お銀さん、目を閉じて頂けますか?」
「……お安い……御用さ」
よし、黒い焦点は消えた。これで撃てる。
一呼吸置いてから両手で彼女の正面、脳味噌を確実に1発で貫けるように構えた。
「……結局……役立てなかったなぁ……」
最期の言葉は聞かなかったことにした。
この銃にはサイレンサーなんて高性能なものは付いてない。すぐに周りの者に結果は知れ渡った。
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
園 みどり子
プラウダ 凍死 頭蓋骨破損による脳損傷
栗下 良華
プラウダ 銃殺 頭部前方から後方への貫通による脳死 即死
こちらに来る者の大半は目の前の光景に気づくや否やすぐに目を逸らしてしまう。話し掛けてくるものはない。銃を足元にそっと置き、両手を合わせる。ただ感謝を込めて。第三者を介在させる必要もない。
「……彼女の意志は尊重されました。先程のお二方と同様、包んで並べてあげましょう。同時にラムさん、カトラスさんを他車輌へ振り分けます。人数的に運用不可能なマークIVは放棄します」
残ったのは操縦手と砲手か……専門職すぎて車輌を放棄させると使いづらいな……仕方ない。
「ラムさんはアリクイさんチームの通信手、装填手を。カトラスさんはカモさんチームの47ミリの砲手と通信手をお願いします。流石に弾は使えないので、明日以降実戦でのカンの把握をお願いします。メインは75ミリの方で」
おかっぱの2人を見やったが、どうやら2人をターゲットにした話だと気付いてないらしい。
「金春さん、後藤さん、よろしいですか?」
「……は、はいっ!」
よし、言質取った。船底の人たちと組みたくないなんて言わせる気は無い。誰も何も言わない。会長さんら決定を受け入れた人たちは事情を理解してくださっているからだが、他の人も同様なのだろうか。
お銀さんの遺体は私と会長さん、河嶋さんの3人で黒い布に包み、ムラカミさんの脇に加えられた。
夜を迎えた。夜襲への警戒も兼ねて、交代で休息をとることにした。建物の中には雪がしんしんと降る音と、暖炉の上のやかんが煙を蒸す音、そしてその暖炉の火が跳ねる音のみがこだます。やかんの注ぎ口から直に煙が登っているように見える。
起きているものは暖炉の周りに群がる。短期的なスパンで起床と就寝を、座りながらにして繰り返している。外はもう吹雪こうとはしていなかった。
明日、緩む。
広報部より報告
内容
大洗女子学園の動向
同校からの報告によると
「彼女の望むことを」
を
「勇敢な斥候の重傷」
に対し選択したとのことです。