トーマス・マン
建物の瓦礫の中に踏み込んで行く。ここで偵察に見つかった時など脳みそから抜け落ちていた。きっと私は生き続けるという悪運を背負ってるな。
「優花里さん、沙織さん!」
建物の中ほどに撃ち込まれた砲弾は建物を足元から完全に崩壊させていた。未だバランスを崩し、崩れる瓦礫の音が聞こえる。埃が舞い、熱気は私の息から白を奪う。
すぐに一人を見つけた。完全にコンクリートの大きな、厚さ20センチはあるであろう塊の下敷きとなり、辺りに血飛沫をばら撒いて、手足の先だけを覗かせている。最早生死を問うまでもない。その下を想像すると、今まで幾つも死体を見てきた私も思わず顔をしかめ目をそらす。
そして、もう一人も土煙の向こうにいた。幸いコンクリートの下敷きとはなってないが、埃が体に敷き積もり、腹の辺りからの出血が凄まじい。
「優花里さん!」
優花里さんに瓦礫に気をつけながら近づく。声をかけるが、返事はない。この出血、そして内臓が見え隠れするほどの腹部の大きな傷。こう判断するに時間は必要ない。もう、助からない。
「しっかりしてください。大丈夫ですか!モルヒネは‼︎渡したモルヒネはどこですか‼︎」
だがそれでも処置は行う。偵察に見つかってもそれはその時。今は、少しでも長くこの人を生かす道を……
裂けた腹に見えかけた臓物を戻し、服の上から素早く持っていた白い布を巻き付け縛る。服の左上のポケットに入っていたモルヒネ注射のケースを見つけ、右の二の腕上方に袖をまくり上げてから打つ。
優花里さんは先ほどから返事がわりの呻き声をあげるようになったが、とにかく体外への出血はそれなりに抑えられたはずだ。ただ体内に溜まっていくだけだが。こればっかりは血管を結んで止めるなりしなければ、止めようがない。つまり、いろいろやったが外見がまともになっただけだ。
一通りの処置が終わると、優花里さんを仰向けにして外に目と耳を転じる。試合が行われているにしては多すぎる砲声、銃撃音。北西の学園都市中心部から爆撃後より多く登る煙。この空の灰色が天気か煙か、もはや分からない。そして双眼鏡で道の隙間を見た時に遠くに見えたT34/85。
それらで現状をとりあえず決定する情報は揃った。
「……プラウダの本格参戦……いつの間にか、試合の目的が黒森峰を倒すことに変わっているようです」
双眼鏡を下ろして優花里さんの足元に膝をつく。
「優花里さん……私は行かなくてはなりません。このままプラウダが黒森峰を攻め落としたら、決勝の最大の勲章者は彼らだ、という印象を与えてしまいます。皆が命を懸けた成果をプラウダが持っていくのは、何としても避けなくてはなりません。我々の勝利のために」
優花里さんは最期まで生き続けようと、肺だけで懸命に深呼吸を続けている。意識ははっきりしているようだ。
「……フフ……凄いですな……」
しかし、大丈夫な訳では全くもってない。声も力無い。
「ここまで絶望的な状況でも……勝利のみを見据えておられる……い……今も……実に頼もしい西住殿ですね……」
やっと、優花里さんが声を絞り出す。弱い。血が、傷が、そして辛うじて作り出した微笑みがジリジリと最後の力を削ぎ落としていっている。
「頼もしいだなんて……臆病なだけです。臆病だからバカにならないと動けないんです」
なぜ私は今こうして『西住』であろうとしているのか。あの憎むほど嫌っていた西住の道に沿うように。
簡単だ。
「バカだから、こうして目の前で、私を支えてくれた友達が次々死んでいるのに、まだ試合のことを考えているんです。どうすれば勝てるのか、ただそれだけを考えてしまうんです」
吐く息が白く変わる。優花里さんの先程の笑いも消える。
「小さい頃からお母さんに戦車道をやらされている内に自分が極力傷つかないコツを覚えました。意味を考えない、何も想像しない、バカになってやるべきことをただやる、やり続ける……
とにかく楽になりたかったんです。ですがやはり、マシになるのが精一杯」
空には何本も煙が消えてゆく。上着の上の幾つかのボタンを外し、左胸の方をシャツにする。そこにそっと指を触れる。
「私のここには爆弾が埋まっているんですよ。バカになった報いです。割りに合わないちんまりとした利益の代わりの。
嫌な事はすぐに押し込んで蓋をして、もう見るのも怖くて開けられない爆弾です。もし破裂してしまったら……私にもわかりません」
全く恐ろしい想定だ。胸元から指を外し、二本の腕を力無く降ろし、首を振る。
「想像もしたくない……頼もしいどころか自分の記憶から逃げ続けている、臆病なだけの人間ですよ……」
シャツの上に上着を戻すと、片手の指でさっさとボタンをはめる。
「さあ、私の最後のつまらない話はおしまいです。何ができるか分かりませんが、私も出発します」
ここまで来たら、この偽りを貫き通すしかない。彼女に対応する時間がない。
優花里さんの手元に金属の塊と布を置く。
「信号弾と白旗です。近くに人が来たらこれで助けを呼んでください」
これで助ける奴がいるかは知らない。だがこれを見てトドメを刺す奴がいたら、そいつは心の底からのクズだろう。
荷物を纏めようとすると、目の先にあるものが目に入った。鼻のフレームが思い切りひしゃげた眼鏡だ。レンズも辛うじてフレームにくっついているという感じだ。
死体をどうにもできない以上、数少ない遺品になる。それを手に取り、ポケットにしまおうとすると、連鎖的に重い金属音が耳に入る。見ると優花里さんの手元に置いていた信号弾用の銃が、少し離れた場所に移動している。
「こんなものに……用はないであります……自分も……自分も一緒に行きます」
深呼吸の合間に口を開いてきた。
「行くって……無理です!動けるわけないじゃないですか!」
しかしその通りなのだ。腹筋繊維を一本残らず引き千切られた彼女は、上半身を起こす事も出来ない。動く、ましてやここから移動するなんて出来るはずがない。ここから彼女を移動させるとなると……手段はただ一つ。
「大丈夫であります……お腹の痛みは感じなくなりました。連れて行ってください……お願いです……優勝のために……と死んだみんなのためにも……西住殿と一緒に……大洗の優勝を見届けるのであります……」
腕を伸ばし、涙を流して優花里さんは懇願してくる。どうする。そもそも彼女は置いて行くつもりだったし、彼女を運ぶ時間は今後のプランにとっては支障だ。だが……私にとって彼女は何であったか……
こう言えるほど効いてしまうモルヒネを少し厄介に思ったが、少し迷ったのち友としてその懇願に応える事にした。こうすれば賢くなれるのか、バカだから分からない。
優花里さんを腕を引っ張り上げて背負うと、若干でも瓦礫で塞がった道を選んで進む。まだ偵察はいる可能性が高い。そしてその時、今の私は戦えない。
時折更に建物が崩れる音と、遠くから銃撃音、砲撃音を耳にしつつ、ある場所を目指す。
「西住殿……やっと、遺書に書くような事以外にお話ししたい事が浮かんだので……今度は自分の話をしてもいいですか?」
「どうぞ」
この段階になって呼吸もある程度落ち着いてきたようだ。ある程度、でありまだ荒いが。死に目まで気を紛らわせるのに付き合おう。
「酷い大会になってしまったけど、一つだけ良かった事があります……」
耳元に息がかかる。
「ずっと……お母さんの言葉が、怖かったんです。
『あなたが戦争で遊ぶのは、何も知らないからよ!本物の戦争を経験したお年寄りや、戦争で亡くなった方と遺族に、失礼だと思わないんですか!あなただって、実際に自分が撃たれたら、そんなの大嫌いになるに決まっています!』
って」
だろうな。私だって初めて会ったあの場で殴りかかろうかと思ったのだ。日常的に出会っていたらキレていてもおかしくない。まぁ幸いそうはならなかったわけだが。
「悔しかったけど、もしかしたら、そうなのかなと思って……言い返せませんでした……でも……こうなった今でも……ティーガーとパンター……7TPは……カッコよくて……好きであります」
だが、これが彼女なのだ。戦争を嫌っているかとその道具が好きか。それを別個に捉えている。そしてどれだけそれを取り巻く環境が悪化しても、芯は揺らがない。率直に言って羨ましい。いや、それができても楽しくない私にしたら、単なる僻みか。
「やっと、自信を持って、言えたのであります……」
荒れる呼吸の中、その合間を縫うように一言ずつ伝えてくる。
「家に帰ったら……作りかけだったティーガーI……黒森峰西住みほ仕様を完成させなきゃ……」
何か息を吐き切るようにゆっくりだが一気に言う。家に帰ったら、か……自分のことはよく分かっているはず。だからこそ、私はその話に乗り続ける。
「あはは……そんなのがあるんですか。どのくらいの大きさなんですか?」
二歩進む。返事はない。背中が少し軽くなった気がする。少し歩調を落として二歩さらに進む。それでも返事はない。先ほどまでは少し待てば呼吸の中から返事があったというのに。背中から振動と温かみが薄くなる。更に歩調を落としてゆっくりとレンガの上を二歩進み終わった時、ただ流れ出る涙を堪えようと歯を食いしばっていた。しかしそれでも止める事は叶わず、目は水源となり続けた。
人が死んでいて、そのために私が泣いている。あの時以来、か。だがあの時のように残忍さが極限を突破しているわけじゃない。だけど涙は止まらない。
「トモダチ……」
きっと答えはそこだろう。
どこだろう、ここは。
なんだか、あたたかい。
まわりが、しろい。
かべが、みえない。
おかしいな、わたしはさむいふゆのまちにいたはずなんだけど。
「麻子……麻子や……」
だれかの、よぶこえ。
いつも、きいていたこえ。
「おばぁ……」
なぜ、おばぁがここにいるの。
すがたを、みまちがえるはずがない。
かくじつに、おばぁだ。
ここは、どこ。
どこだ。
「病気……病院はいいの?」
「いいもんかね。だからここにいるんだろう。」
よくないから、ここにいる?
「全くおまえの親もそうだが、おまえもそんな若くしてこんなとこに来て。親不孝者が」
ああそうか。
ここは……
『麻子さん、麻子さん!』
そとから、こえがする。
これも、いつもきいていたこえ。
なんども、なんどもよんでる。
「ホラ、お友達が呼んでなさる。川を渡るまでにまだ時間があるから最後の奉公をしてきな」
優花里さんの遺体を背負ったまま、道中たまたまIV号を発見した。そのことは非常に幸運だったが、IV号はいつも見慣れた姿とはかけ離れたものだった。
辛うじて黒森峰の追撃を逃れたのであろう。砲塔には大きな穴が開き、車輌は傷だらけだ。シンボルのアンコウのマークもかなり傷が入っている。しかもそれが路上のど真ん中で停車している。
中にはまだ生きている人が、仲間がいるのか。背負ったまま駆け足で近づく。車体の上に登り、エンジンの上に一旦優花里さんを腰掛けさせ、その穴から車内を覗く。その中も、これまでの練習で見慣れた姿ではなかった。
車内には血痕が一面に散らばり、砲手席にいなければ華さんとは分からない遺体、その奥に操縦席の計器に身体を預けた麻子さんがいる。二人ともピクリとも動かない。
「麻子さん生きてますか!麻子さん!」
そのうち生きている可能性がある方に向け、声を張り上げる。何度かそれを繰り返し半ば諦めかけていたところで呼びかけが通じたのか、計器から頭を少し浮かせた麻子さんが、額から太い血の筋を作りながらこちらを振り向く。戦車服の背中の部分は大きく黒ずんでいる。私の袖とは色が完全に別物だ。
出血多量。背中と頭、足元を足せば、相当量になるだろう。
「ああ……お婆ぁ、なるほどね」
「凄い出血です。傷を見せてください!」
そう呼びかけながら、優花里さんの遺体を穴の周りの棘で傷つけないように注意して運び込むことに腐心している時点で、優先云々の問題でないことを私は示してしまっている。そしておそらく、その通りだ。
「いや……いい、モルヒネを打ってる。それより……行き先を言ってくれ」
予想通りの反応をして麻子さんは身を更に起こし、息を吸い込み椅子を調整して両手で操縦桿を強く、力強く握る。
「早く……命の保っている内に。その為に戻ってきたんだ……」
その言葉には有無を言わさない迫力と鋭さを持ち合わせていた。だがそれよりもある言葉が私をその場に留めさせる。
戻ってきた。一体どこから?この出血じゃこの車内からは動けないはずだ。ましてやさっきのさっきまで気絶していたのだぞ?
暫く答えられずにいたが、向かうべき、実行すべき事を思い出す。
「市街の中心……黒森峰女学園学園長官邸までお願いします。このままの向きでまっすぐお願いします」
「了解……」
IV号は土煙を上げ、未だに順調なエンジン音を立てながら走り始めた。車内の私たちは無言で各々の作業をこなしている。麻子さんは操縦桿を握り、物見窓から前を注視しながら車輌をまっすぐ前に進める。目も霞んでゆく中でよくできるものだ。
一方私は車内に置いてあった布で華さんを包んで、それを椅子の後ろで縛る。友人として死者にできる最低限のはなむけだ。そして一応無線を繋いで、各車と連絡を繋ごうとする。が、返事はなかった。
「西住さん……」
視線は前に残しながら、麻子さんが話しを振ってきた。
「どうしました?」
「撃たれたあと……黒森峰の追撃が、全く無かった……何が、起こってるんだ?あなたの予想でいい……教えて、くれないか……」
追撃がなかった、か。新たな情報にして、予想を補完するに十分なものだ。
「どうやらプラウダがこの試合に参戦しているようです。こちら側で」
「ようです……ってことは、こちらに連絡も無しにか……」
「プラウダ、そしておそらくサンダースも、真の目的は、おそらく黒森峰を崩壊させることでしょう。この規模までして予行演習などとは考えづらい。
黒森峰もこれだけ損傷させたIV号を追撃させず、試合に出場しているメンバーまで呼び戻しているとなると、相当まずい状況だと思います」
「では……何故あなたはこれからわざわざそこに行くんだ?」
「大洗を、真に優勝させる為です」
「……出来るのか?この状況で……無線も繋がらんし……カバさんもやられたと見るべきだろうし……」
「分かりません。確かに大洗にあるのはこの車輌と私たちだけですが、みんなの死を無駄にしないためにも、やれるだけのことはやります」
「……分かった。だが……済まない……そろそろ私の気力が、限界に近づいているようだ……」
限界か……仕方ない。これだけ出血していながらここまで意識を保ってこれただけでも十分だ。
「……分かりました。では、車庫みたいなところがあればそこに隠してください。これが撃破されたら負けです」
「了解……」
再び何も話さなくなり、近くの車庫にIV号を見事ワンテイクで入れた。やりきって安心したらしく、操縦桿から手を離し背もたれに身を委ね、息を吐く。
「麻子さん……すみません」
「……どうした?」
言葉が溢れた。あの時心から頼まれたこと、それを裏切る結果を残さねばならない。
「おばあちゃんのお見舞い、行けなくなっちゃって……」
「……いや、構わない……もう、会えたから……」
「えっ?」
理解が追いついていない。しかしその事を気にせず、麻子さんは話を続ける。
「……西住さん……あなたはあの世とか……神とか、を信じるか……」
急になんだろうか。あの世とか、神か……
顎にをかけて少し考えるが、麻子さんには時間がない事を思い出す。すぐに返すしかない。
「……私は、信じていません。というより、信じたくありません。だって神様がいるのなら、私にこんなに過酷な運命を着せるはずがないと思います。もしあの世があったら、私の立てた作戦のせいで死んだ皆さんに申し訳なくて、顔向けできません」
私は生き残ってしまう。この試合のみならず、これまでのみんなの命全てを踏み台にして。そんな人間が天国なんてものに行けるはずがない。なら、そんなもの無い。勝手な理由で唯物論者になってしまった方が楽だ。実に無責任なバカだな。
呼吸は落ち着いているが、背中の染みは大きくなり、額の赤い筋は変わらず流れる。麻子さんは自分の身を更に背もたれに委ねる。
「……残念だったな」
自嘲しようか、としたところで、麻子さんが力なく口角を上げた。
「へっ?」
「あの世は……あるぞ。私は……そこでお婆ぁに会ってきた……
みんなに、顔向け出来ないなら……出来るまで、こっちに……絶対……来るな……よ」
私の方に顔を向けた麻子さんは、さらに悪戯っぽく微笑んだ。それに返事をする間も無く、崩れるようにそのまま腕を垂らして、首が座らなくなった赤ん坊のような姿になってしまった。
「麻子さん!」
車長席から降りて彼女の元に向かう。しかし、その呼びかけにも、揺さぶりにも答えは、反応は無かった。もう一度彼女の名前を叫んで揺さぶるが、ただ首が振り子となっている、という結果しかやってこなかった。その揺れで近くの砲弾が彼女の右足の甲に思いっきり倒れてくる。車輌は正面の壁に砲身を突き立てた。
肩を掴んだ両手をそっと離して、まずは倒れ込んだ砲弾をどかしてから、彼女を姿勢よく座り直らせる。隣の通信手の席に無線の計器に近い場所に、優花里さんの近くで拾った壊れたメガネを置いた。そして自分の居るべき場所に戻り、トンプソンの紐を肩に掛ける。それが終わると、ぐるりと車内を見回した。
「麻子さん……華さん……優花里さん……沙織さん……」
一人一人の姿を見据えつつ、名前を呼んでいく。だがもちろん私の独り言になってしまう。一人、いや二人に関しては見える姿は想像でしかないのだ。
「みんな、つい最近までごく普通の女の子だったのに、ここまでよく頑張ってくれました……黒森峰のSSにも劣らない素晴らしいチームでした」
ある持ち物を追加したのちにキューポラから身を出して、車輌から飛び降りて走り出す。
ありがとう、あんこうチーム。私が戦車道をやってきた中で、いやそれだけじゃなくても、本当に……ただ、最高だった。
第74回戦車道大会公式記録
大洗女子学園犠牲者
武部 沙織
黒森峰 砲撃死 砲撃による建物崩壊による圧死 即死
五十鈴 華
黒森峰 砲撃死 頭部損傷による脳死 即死
秋山 優花里
黒森峰 砲撃死 腹部損失による失血死 負傷後10分ほど生存していたと思われる
冷泉 麻子
黒森峰 砲撃死 背部、損傷による失血死 負傷後30分ほど生存していたと思われる
広報部より報告
大洗女子学園の動向
同校からの連絡によりますと、
「実に最高のチームであった」
を
「あんこう『チーム』の解散」
において選択したとのことです。