「さて、それではこの戦いを語るに欠かせない人を紹介しつつ、『雫』の核に迫りましょう。これまで色々と学園都市間や内部での戦争の名称を取り上げてまいりましたが、この『黒森峰の戦い』という名に違和感を持たれた方もいらっしゃるかと思います。これに戦争、の言葉が並ばないのには大きな理由があります。
この戦いの大部分は、硬式戦車道の試合の名目のもとで遂行されたのです。戦車道の名の下それまでの戦争ではあった宣戦の通告なしに行われた。その事実を勘案して、この黒森峰学園都市をめぐる一連の戦いはそう呼ばれます。
2012年、戦車道の歴史に大きく刻まれた大会がありました。第74回全国高校生軟式戦車道大会。元々この大会は軟式戦車道にて実施される予定でした。しかし大会運営委員会側の決定で硬式大会、しかも殲滅戦ルールを適用することとなったのです。そのルールの結果この大会は、死者が総計2200人を超える残酷なものになりました」
下手な戦争での死者数を超える。いやそれどころかこれのほとんどが未来を支えるはずだった若者、というのが悲惨さを加速させている。
「誰もがこの大会は硬式出場経験のある黒森峰女学園かプラウダ学園が優勝すると考えていました。しかしこの大会は、誰もが予想しない結末を迎えます」
画面は昔の映像から、今度は見慣れた映像へと切り替わった。どこかの住宅地らしい。
「私は今、熊本県熊本市に来ております。こちらは現在は住宅地となっていますが、こちらは昔田園地域であり、その中に広がる演習場の外れに西住流の一門宅が置かれていました。今は小さな石碑だけがそれを示しています。
西住流の当時の師範にして次期家元、西住しほには二人の娘がいました。姉のまほ、そして妹のみほです。彼女らは西住流の後継者として教育を受け、黒森峰女学園中等部に入学。共に戦車道のエースとしてその名を馳せるようになります。
高校進学後もその名声は変わらず、共に入学早々エリート育成コースである武装SS装甲師団に入隊。2年にして隊長を任せられた西住まほと共に、1年の夏の硬式戦車道大会を勝ち抜くと西住みほは副隊長へと抜擢されます。
しかし2011年冬、黒森峰女学園は軟式戦車道大会で敗北。その原因とされたのは、フラッグ車を任されていた妹の西住みほが、川に落ちた味方車輌の救出に向かい、指揮を放棄した結果撃破されたことでした。
この結果彼女はなんとか副隊長の地位こそ保ったものの、軟式大会10連覇を逃す原因となり、勝利を重んじる西住流にとって許せるものではないとされ、西住流から段位剥奪の処罰を受けます。
翌年7月の硬式戦車道大会で黒森峰女学園はシードを挟んだ2回戦でプラウダ学園に敗北。彼女と西住まほを含む多くの者がプラウダの捕虜となり、その殆どが虐殺されました。
彼女は何とか生き延びたものの、姉の西住まほは植物状態で発見され、捕らえられた者24人中生存者は彼女らを含む5人だけでした。生存者の中でその翌年の3月までに精神的ショックで自殺した者が2人おり、姉のまほともう一人の生存者である直下理沙は翌年の第74回硬式戦車道大会の決勝戦の中で死亡。高校時代を生き延びた者は彼女ただ一人という有様でした。
生還後に家元の西住しほに硬式戦車道の存在に関して反論したことが原因で、彼女は西住流を破門されます。ですがこれは実質的な勘当であり、姉の西住まほの復帰までの特別措置とも言われています。同時に黒森峰女学園からも強制退学を命じられ、熊本を去ることになります。彼女が新天地として選んだのは茨城県の大洗女子学園でした」
画面は住宅街から学校の建物が見える場所へと変わる。こっちの校舎よりは小さそうだ。
「こちらが現在の茨城県の大洗学園です。西住みほさんが転校なさった当時は女子校で、その時代まで残された数少ない学園艦の一つでした。
しかしその大洗女子学園学園艦に危機が訪れます。立憲国民党の学園艦全廃計画の一環で学園艦廃止が決定され、さらに実績がなかったため、大洗女子学園は学園都市ごと廃止。生徒は周辺諸校に割り当てる、と決められました。
それに当時の生徒会長の角谷杏氏は抵抗。交渉の末、戦車道大会を優勝すれば廃校と学園都市の廃止を取りやめることを条件に引き出しました。西住みほさんはその実現のための駒として、復活された戦車道の隊員に組み込まれます。しかしそれを実現するために参加した大会が、不幸にも第74回戦車道大会でした。
大洗女子学園はたった8輌、32名で大会に参加し、サンダース大学付属高校やプラウダ学園といった強豪に対し、被害を出しながらも西住みほの卓越した采配で勝ち上がります。
激しい戦いの末決勝戦で起こったのが、この黒森峰の戦いでした。これにより黒森峰女学園は敗北し、生存者は西住さんただ一人、戦車は大破したIV号戦車のみという悲惨な状況で大会を終わります。これは勝利とは呼べない本当に紙一重での優勝でした。ですがそれでも勝利は勝利、生徒会が望んだことは達成されたのです。
しかし彼女の悲しみという言葉では表せないような感情は想像できるでしょう。なにせ何年も通った学校が目の前で崩壊し、自分の大洗での仲間が2週間弱で皆いなくなってしまったのですから」
彼女は人の死に数の差はないと言っていた。だが自分以外いないこととそうでないことの間には、広く深い溝が横たわっていた。
「そしてこの決勝戦の勝利には、黒森峰の戦いの経緯が関わっています。
この黒森峰の戦いはサンダース大学、プラウダ学園、ポンプル学院が戦車道連盟の協力を利用して、第74回大会の決勝戦で黒森峰女学園の中心部、学園校舎まで地上部隊を侵攻させたことを指します。この結果等良学園長は学園長官邸で自殺。のちに手続き上宣戦を受けたのち、宇土講和協定が締結され、黒森峰女学園は解体されるのです。
先程お話しした通り、この戦いは硬式戦車道の試合の一部として起こされました。それが西住みほが率いる大洗女子学園対黒森峰女学園の決勝戦だったのです」
竹山は路地の裏へと進み、大きな建物の一つ奥にある小さな白い施設の前で立ち止まった。綺麗とは言い難い。
「この試合を見る中で、私たちはある施設に協力を依頼しました。それがこちら、大洗学園の大戦勝館の一本裏手にあります、74祈念館です。こちらでは第74回戦車道大会の犠牲者の遺品を展示したり、各試合の状況を模型を用いて説明したりと、当時の記憶を残そうとする試みが行われています」
建物の前では一人の女性が立ち、彼を出迎える。
「こちらはこの祈念館の館長を務めていらっしゃいます、武部香織さんです。武部さん、本日はよろしくお願いします」
「お願いします」
年は50手前か。そこそこ伸びた茶髪がスーツの肩部分を覆っている。
「では、こちらへ」
自動ドアと受付の前を通り抜け、奥へと進む廊下が、陽の光に照らされつつ広がっていた。その窓と反対側にある壁に、写真が上下にずらされつつも横一列に並んでいる。
「こちらは?」
「はい、こちらでは第74回大会で亡くなった方を一人ずつ写真付きで並べています。総計36名、間違いなく我が校からの犠牲者です」
「これだけの数の……」
男は驚きの表情で奥まで見渡している。我が校にもこういうのはあるが、名前が彫られた石碑があるのがせいぜい。
「手前から89式中戦車、M3Lee、マークIV、ヘッツァー、三式中戦車、ポルシェティーガー、III号突撃砲、B1bis、そしてIV号中戦車の各乗員の写真になります」
手前から写真を写したまま竹山が奥へと進む。そしてある写真の前で立ち止まった。
「こちらが角谷元生徒会長、でいらっしゃいますか?」
「はい。彼女が戦車道をこの学園に復活させ、大会以前も大会中も戦車道チームをまとめる上で大きな役割を担ったと言われています」
「それにしても……このように写真の位置が大きく上下しているように見えますが、これにはどのような意味が?」
確かに竹山が示した写真は男の腹ぐらいの位置にある。隣と見てここだけ谷ができている。
「はい、こちらは彼女らの身長データをもとに、それに合う位置に写真を並べています」
「身長、の位置ですか。89式中戦車の方々の写真の位置がやけに高かったのも頷けます」
「彼女らはバレーボール部ですからね。このようにすることで、彼女らが決して勇敢な戦士だった訳ではなく、どこにでもいる高校生であったことを感じて頂ければ、と」
「確かに……こんなに小さな少女たちだった、と言われれば……また捉え方も変わりそうですね」
奥に進むと、少ししたところでまた足を止めた。
「武部……こちらは確か、武部さんのおばにあたる方だと伺っていますが?」
「はい。武部沙織は私の母の姉にあたる方です。母から聞く話だと本当に人付き合いの良い快活な方だということだったので、学園の語る英雄像との間に違和感を覚え、大洗のその後の歴史を考えてやはり自分も興味をもちまして、結果こうしてこの職を預かっている次第です」
「そういうことだったのですか。そしてここにいらっしゃるのが最後まで戦ったIV号中戦車の乗員の方々ですね」
「はい。あんこうチームと呼ばれていたそうで、車輌にもマークが入っています」
「やはり大洗のあんこうが有名だったからですかね。こちらの一番端、ここにスペースを空けてあるのはやはり……」
廊下が左に曲がる中、その手前には一人分写真を置けるほどのスペースがあった。
「はい。唯一生き残った方、西住みほさんのためのスペースです。もっとも許可もなにもとっておらずただ場所があるだけですので、実際にここに飾られる可能性は低いと思いますけどね」
「確かに、西住さんは大会の後一度も大洗に足を運ばれたことはないそうですし」
「彼女が我が校に帰って来れば、現在でも間違いなく救校の英雄として扱われます。それを嫌っているのかと」
「なるほど」
細かな話を交えながら、黒森峰女学園跡から発見されたり遺族から提供されたりして集まった遺品の前を通り過ぎ、模型が並ぶ部屋に立ち入った。
「こちらが第74回戦車道大会における大洗女子学園の戦いを紹介するコーナーです。この一番奥が黒森峰の戦いのものですね。黒森峰女学園学園都市を再現しています」
「結構規模が大きいですね」
竹山の体格と比べて見るに、横3m、奥行き2mはあるだろう。それが透明な板に囲まれてそこに置かれていた。
「はい。当時の写真や地形に関する資料を用いて制作しました。それでは順に説明をして参ります」
近くにあるボタンが押されるのに合わせて、模型の上に設置された電球が光る。
「まずはこちらの南東部ブレスラウ地区。黒森峰女学園の演習場があり、ここが当初は試合会場とされました。
しかし西住さんは会場西部に展開していた自衛隊を突破して市街地へと脱出。この状況を受けて、戦車道連盟が市街地を試合会場と認定しました。しかしこの脱出の最中、残っていた4輌のうち1輌、ポルシェティーガーが脱落してしまいます。
残り3輌はそのままブレスラウ地区の市街地に潜伏します。一方でそれを追撃する黒森峰戦車隊はここの台地に陣をとります。試合は膠着したのです。
その中でサンダース大学、プラウダ学園、ポンプル学院の同盟参戦を連盟が受託し、まずサンダース大学付属高校の航空隊が市街地を爆撃。黒森峰女学園の航空隊をスクランブル発進で有明海に引き付けた上で、航空基地、市街地内の武器庫や補給設備、果てには黒森峰戦車隊を攻撃します。それが終わってから南のコットブス地区に進撃してきたプラウダの砲兵隊が市街地を攻撃します」
元から録音されていたのであろう爆撃音、そして砲撃音がそこそこの音量で模型から鳴り響く。
「最後にあらかじめ周囲を包囲していたプラウダ学園とポンプル学院の戦車部隊が即座に中心部に向けて侵攻。南のコットブス、西のポツダム、北西のノイルピーン、北のノイプランデンブルク、北東のエーバースヴァルデの5地区からそれぞれ攻撃を開始します」
プラウダの進軍ルートと思われる5本の線が光の筋として模型の上に現れる。全てが黒森峰の中心部の建物へと伸びている。
「黒森峰女学園も学生大隊の者を繰り出して抵抗するも、戦車隊の精鋭はその場にいなかった上に爆撃で装備を失い、さらに隊員の数が揃いきりませんでした。プラウダ学園らはこれを制圧し、実質的な降伏へと追い込むこととなります。
しかし実際は爆撃により市街地へと降りてきた黒森峰戦車隊をB1bis、III号突撃砲を失いながらも撃制した西住みほさんが、走行不能となったIV号中戦車を放棄して市街地へと急行。黒森峰女学園の校舎に単身突入し、これを制圧します」
中心部の校舎らしき模型の一角からするすると水色の旗が開く。
「この結果戦車道連盟はこれを黒森峰女学園の戦闘体制の崩壊と判断。大洗女子学園の勝利へと至ったのです」
被害も少なくなかった。航空機を投入して爆撃、そしてそもそもスクランブルを誘ってさらに足止めさせるのだ。死者も出たし機体も多く失った。
「大洗女子学園の優勝が決まる前にサンダース大学の地上部隊も上陸。プラウダ学園らの地上部隊と共にこの地に残り続け、宣戦を通達。無論黒森峰に抵抗する力はなく、宣戦を通達された12時間後には宇土講和協定の締結が進められました。
これによりサンダース大学とプラウダ学園の2校により黒森峰学園都市を分割し、それぞれの主義に近い学校としてテンペルホーフ大学とヴァント学院を設立することになったのです」
「相当早く事態が動いたのですね」
「等良学園長もおらず中心部にプラウダの兵がいた状況ですからね。抵抗をしようと言う動きはなかったようです」
「しかし……これだけのプラウダ学園の部隊が展開していたのに、なぜ黒森峰女学園は対応できなかったのでしょう?かなり軍事力はあったと伺ってますが」
「それにもこの戦いが戦車道大会の一部であったことが関係しています。高校生の戦車道大会ですので、戦闘員として認められるのも高校生に限られます。しかし黒森峰も部隊の配置そのものは把握していましたし、それに対して簡易的な塹壕線を構築するなど対策は進めましたが、プラウダ学園は宣戦をしてくるであろうと判断し、卒業生らを含む青年大隊も含めた配置を進めていました。
そしてサンダースと爆撃とプラウダの砲撃といった混乱の上、戦闘に入るには青年大隊に配備していた武装を学生大隊にも配り直さざるを得ず、しかも学生大隊だけでは人員が足りませんでした。
結果としてまともな防衛体制を構築できぬまま、黒森峰は蹂躙されたのです」
「上手く隙をついた、というわけですか」
「隙そのものを作り出した、とも言えますが。西住さんの活躍あっての勝利であり、大洗女子学園が黒森峰からの勝利を収める立役者だったのです」
「武部さん、本日はご説明ありがとうございました」
「こちらこそ、ご来場感謝します」
互いに一礼して竹山はその場を離れ、広い通りへと足を踏み出していく。
「このように黒森峰の戦いではたった1日、12月11日のただその日のみで勝者である大洗女子学園、サンダース大学、プラウダ学園と敗者の黒森峰女学園とに学園都市の明暗が分かれることになったのです。その明暗は学園都市を、そして日本をどのように導いていったのでしょうか。『波紋の章』で見てまいります」