谷崎潤一郎
なんだか、あたたかい。
まわりが、しろい。
そしてうえは、あおい。
ここは、どこ。
ここは、くものうえ。
まえを、みる。
なにかが、くる。
くもの、なみ。
わたしは、なにもできない。
ただ、それにのまれた。
つよい、かぜ。
さびたからだを、はんみにする。
めをひらいても、ただまっしろ。
わたしは、すこしめをとじた。
まわりが、はれる。
けしきは、かわらない。
だけど、なにかがちがう。
なんだ、それは。
うえは、あおいまま。
いたみが、ない。
からだが、かるい。
そのまま、したをむく。
てのしわが、ない。
そのてで、あちこちふれる。
ほおも、すべすべだ。
わかく、なってしまったのか。
だとしたら、ここは。
ふくが、しろい。
えりが、ひろい。
むなもとの、すかーふ。
これは、おおあらいのせいふく。
なぜ、わたしがこれをきているの。
なぞは、おおい。
だけど、ひとはいない。
こたえも、ない。
どこへ、いけばいい。
なにを、すればいい。
あてもなく、さまようだけ。
もし、もしだが。
わたしが、しんでいないなら。
はやく、いかなければ。
はやく、もどならければ。
おや。
むこうに、だれかいる。
ひとりか、ふたりじゃない。
もっと、おおい。
まるで、かべのよう。
あれは、みんなだ。
かおはみえないけど、わかる。
ということは、そう。
とうとう、きてしまった。
ここに、きてしまった。
きてしまった。
駄目だ。
まだ、みんなに会ってはいけない。
決して、会うことは許されない。
私の罪は、あの人生で償えたはずがないから。
走り始めた。みんなに背を向けて。
ここにいてはいけない。
決して逃げ切れるものではないとはわかっている。私は死んだのだ。そして死者は生き返ることはできない。それは私が誰よりも知っている。そうなれば……いつかは会わねばならない。
だが私は心が指し示すまま、逃げ出した。
「あ、逃げた!」
向こうも気づいている。指揮をとるのはやはり会長さんか。
「バレー部!躊躇いなくやっちゃって!」
「はいッ!近藤、いくぞ!」
「はい!」
会長さんの指示を受けた磯辺さんから打たれたスパイクを、近藤さんは見事にAカットする。動くのはわずかに一歩。
「河西、スコーピオンいくぞっ!よっ」
「せいっ!」
ジャストミートで放たれたボールは背中に命中する。しかも背骨のど真ん中。歳をとっていたせいもあったか、勢いのまま前に倒れこんだ。
「1年生、ひっ捕らえろ!」
大野さんを先頭に阪口さん、澤さん、宇津木さん、山郷さん、そして最後に丸山さんが連なって私の元へと迫ってくる。長い老人生活は私から身体の動きのカンを失わせていたらしく、立ち上がって走り出す前に囚われの身となってしまった。
6人のうち、大野さん、澤さん、阪口さんを中心に肘を引いて、背中を押してみんなのところに連れていった。皆の顔が見えてくる、霧の向こうからはっきりと、大きく、大きく……一人一人くっきりと……
顔は……手で塞いだ。
「すみません……皆さんに合わせる顔がなくて。ごめんなさいどうか私を許してください……」
こうなって溢れ出すのは、謝罪の言葉の山。私はなにもできなかった。あの戦車道の試合で勝って学園を残す。それだけだった。いやそれすらまともな結果とは思えない。
その後学園はどうなった!私がサンダースに行ってからの教え子も!みんなの血から新たな血を流れることを止められず、おまけに私が育てた生徒は挨拶に来てから戦地へと送られていったではないか!彼らを止めることすらもできなかったのだ!
結局私にできたのはサンダースの新たな手駒を言われるままに増やすことと、単に足りない頭をこねくり回すこと。そして足りない頭からは決して有益なものは生まれない。
そんなちっぽけな、何の意味もない人生のために、皆の人生は何十年と短くなった。そんなことが許されるはずがない。
「何を言ってんだい?西住ちゃんはよくやってくれたじゃないか」
その会長さんからの声に目元の手をどかす。
「だって……だって!みんなせっかく生まれたのにたった十数年しか生きられなくて……私の、私のせいで……私が馬鹿だから、私が勝ってみんなを生き残らせることができないって知ってたのに指揮をとっちゃったからこんなことに……」
「でも、大洗の勝利が硬式が終わる一因になったのは間違いないのでしょう?」
真っ先に答えたのは柔かな顔の華さんだ。
「西住さんがその後、戦車道の安全性向上とその普及に努力してくれたことで、私達の死が少しは意味のあるものになったことを、むしろ感謝してますよ」
「そうだ、危険だという覚悟くらい私らだって出来てたぞ。何でも自分が分かってて背負ってるなんて思うなよ!
というか私が一番分かってて然るべきだろ、隊長は私だったんだから!」
「はいはい桃ちゃん、せっかく西住さん来たからって無理しなくていいからね〜」
「む、無理なんてしてないっ!つーか桃ちゃんゆーな!」
生徒会の会長さん以外のおふたりが続く。そう、現実に揉まれて薄れていた夢。それが少しずつ形を取り戻す。
「そうそう。別にみぽりんだけが戦ってたわけじゃないんだから。
ただね、みぽりんにひとつ言っておきたいのは、せっかく生きてたんなら、遊びも恋愛も私達の分まで思いっきり楽しんで欲しかったわ。誰もみぽりんがこんなに苦労することなんて望んでなかったんだからね」
沙織さんが眼鏡の縁をくいっと押し上げた。
「自分は…….西住殿がやることは何でも賛成ですので、今はお疲れ様と言いたいだけであります」
「優花里さん……」
「しっかし残してもらった学園もあんな風になっちまうとは……本当に厄介ごとばっか残しちゃったもんだね、私も。んで、西住ちゃんも付け狙われるような立場にさせちまったし、逆に謝りたいのは私の方さ。全くなんであの学園からナショナリズムなんて起こるんだか……」
「だ、だから……あの後も生き残れる人がいたら……」
「あーもうやめやめ!湿っぽいのは周りの雲の海だけで十分!ま、短い人生だったけど、クソッタレな殺し合いを一つ終わらせたんならこんなもんじゃん?」
「そうですね」
「やっと来たか……」
会長さんに応じる形で小山さんが言い終わる頃、その奥から麻子さんが少し人を掻き分けて出てきた。
「どうやら、顔向け出来なかったようだな」
返す言葉もない。
「人間、何かをやり遂げないと死なない。だから私たちは決して死んでなかった。そんな悲しげな顔はやめてくれ。
私らは西住さんの心の中で生き続け、西住さんは『安全な戦車道を創り上げる』という願いを叶えてくれたんだ。感謝しない奴はおろか、恨む奴なんてここにはいない」
「……麻子さん……」
「だから、私からも礼を言おう。本当にありがとう」
「み……みんな……」
再び顔を覆う。しかしその手あった後ろめたい気持ちは、完全ではないが溶け始めている。膝をついて溢れ出る涙を拭う。
別に嫌いというわけではないが、きっと麻子さんの言葉を使って自分を締め上げてきたのだろう。その麻子さんからの許し。膝の力が抜ける。
「会長。そういえば大洗が優勝したのに、まだアレ、やってませんよね」
「そうね、こういうのは全員じゃないと意味ないんだから。60年経ってやっと揃ったわ、もうちょっと時間経ってからでも良かったけど」
「その時間のコントロールの仕方なんて知らないんだけどね」
エルヴィンさんの呼びかけにそど子さんも続き、お銀さんがパイプを加えてそれを皮肉る。それを聞いて会長が音頭をとる。
「そうだね。よーし、それじゃあいくぞー。戦車道大会はウチらの優勝ーッ!せーの」
「えい!」
「えい!」
「おーっ‼︎」
もう、前進は必要ない。その場に37人の突き上げられた右手と共に、満足の歓喜が響き渡った。
死ななくても良かった少女達は、もう悲哀の涙を流さない。霞と共に消えてゆく。
あとがきは後日投稿します。
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