山鹿涼『日本の学園都市』より
その後の数回の教練で他のチームの履修者も私のことをある程度受け入れ始めてくれたようだ。砲撃、運転、構造上の注意などについて聞かれたら、出来るだけ分かりやすく、まあたまに沙織さんの言い換えを必要とする時はあったけど、アドバイスするようにした。
私の専門はドイツ戦車なわけだが、他の車輌は優花里さんの手助けも受けつつ説明していった。5ヶ月間の練習は決して無駄だったようではなく、チームの人々もそれらを受け入れる素地は出来ており、能力の伸びは見たことがないほどであった。恐らく石のような優秀な人材は揃っていた母校に比して、ここに揃っているのはスポンジのような素人ばかりだからだろう。
その日から暫くして、私は彼女らが必要とする水準に達したと判断して、彼女らが初日に見せた練習、流鏑馬の戦車版を練習させることにした。初めは装填手だった私だが、車長の優花里さんが私を下に抑えるのは申し訳ない、と役目の変更を申し出て、それを私は受けて車長の席に着いている。
無線を付けて速度を25km/hに上げさせ、装填を早めさせる。
「優花里さん、装填はなるべく早目を心がけてください」
「分かりました!」
次の的の時は5秒になっていた。外した。
「華さん、3度左!優花里さん、4秒以内に装填!」
「ハイ!ただ今」
優花里さんの顔に焦りが浮かぶ。そりゃそうだ。彼女の今の体力でこのスピードは困難なはず。優花里さんはその周でなんとか4秒で装填できるようになった。結局この周で当たったのは1枚、河嶋さんが他の車輌も速度を上げるよう指示したため当たる枚数は少なくなり、1枚も当たらない車輌も出た。3周目は当てることも重視しよう、と話し合った。まだ早かったかもしれない。
3周目は華さんが1枚目の板を命中させた。
「麻子さん、スピード落ちてる!もっと上げて!」
次の板は装填が間に合わず当てられない。
「優花里さん遅い!3秒!」
「ハ……ハイ!」
優花里さんの目に涙がうかぶ。疲れから装填に5秒以上かかってしまった。私からの蹴りが優花里さんの左側頭部に食らわされる。うん、これは信賞必罰だから。それにあの時軍事オタらしくベラベラ話されたこと、少しは返しても良かろう。正直あれはイラッときた。
「サー、イェッサー‼」
その時他の3人は冷や汗を流しつつ自分の分まで優花里さんが怒られているのだから、自分達はその分真面目に練習しなければと強く思ったようだ。飴と鞭は大事。
それに文句を言われなくなってきただけ、私もこの雰囲気の中に溶け込めてきているのだろうか。それとも雰囲気そのものが変わってきているのだろうか。
……他の人はその時の優花里さんの光悦した表情に気づくことはな……さそうだね……こいつマジモンのマゾなんじゃなかろうか。
決して私がサドなわけじゃないぞ!部屋のクマの人形も自作じゃないから!ちゃんと市販品だから!
逆に私もたまたま忘れ物を取りに行った際に、グラウンドで数チームが居残りで練習する様子を見た。必死に人工の丘陵を登り、稜線射撃になるよう角度を必死に整えている。彼らは目標を知らない。されどどんなチームが敵であろうと対等に試合をすることに向けて皆が本気であることを感じ、彼らの期待に応えなければいけない、と感じた。
大会以外では負けてしまってもいい。そこから何か学べるものがあるならば。紅白戦なども織り交ぜるなかで、その思いは私の傷を覆い始めていた。
だって素晴らしいじゃないか、負けても傷すら負わないのだから。
練習が終わったある日の夕方、そこそここの面子での車輌の運用にも慣れてきた頃の帰り道で、沙織さんが一緒に夕食を食べないか、と言ってきた。無論皆用事も特になかった為、優花里さんが一度家に確認を取って来ると話した以外、皆即決した。問題は場所である。
一つの案は外食。まぁ学園都市にも学生向けの店舗は多いので有りである。私もそうなる可能性が高いだろうと思ったし、博打になるなら賭けるのはこいつだ。練習で疲れてるから、というのが最大の理由だ。
他にも、とはいってもこれくらいしかないだろうが、小規模ホームパーティという案もある。だがまず誰の家か、準備してないのに食材はどうするのか、何も決まってない。
しかし提案した人間が沙織さんだった、というのが私の賭け金を吹き飛ばした。一銭も失ってはないけど。彼女が作るなら、ということで私以外話が決まってしまっていたのである。そしてその結果が、今私が部屋を必死に片付けている最大の理由だ。
「……うーん、まだ汚い気がするなぁ」
掃除機はかけた。ベッドの布団の端は整えた。台所の洗い物も全て片付けた。玄関も整理した。スリッパは人数分無かった。ボコの人形は全部定位置にいる。時間も近い。人を呼ぶなんて経験はほとんどない為、どこまでが許されるのかも分からないが、仕方ないけれどもここが妥協出来るラインかな。数人で階段を上る音が聞こえ始めてきたし。
料理を作ることになり、必要な材料は沙織さんが調達してきてくれた。ジャガイモやニンジン、レタス、ミニトマト、牛肉などである。これだけである程度候補は絞れた。
問題は誰が作るか、である。まず麻子さんは既に床の上で眠りかけているのでなし。続いて華さんは名家の娘さん故料理の経験が少なく、ジャガイモを切ろうとしたら包丁で指を切ってしまったのでなし。一応指は即座に消毒し、絆創膏を貼った。こういうのは場所によっては命取りだからな。
その対応をじっと輝かしい視線で見つめていた優花里さんは、実家住まいのため家庭料理を一人で作る技量はないとのこと、なお軍隊料理法なら使えるらしい。いや、飯盒とかあっても意味ないから……
残るは私と沙織さんだが、料理なら天才的技量を持つらしい沙織さんが主導することになった。メインは肉じゃがだ。
私はその間ご飯を炊き、優花里さんがレタスをちぎってボウルに入れて、その上にミニトマトを半分に切って載せる単純なサラダを拵える。ドレッシングは家にあった和風のものを使った。ボウルは手頃なものが見つからなかったので料理用の金属ボウルを使おうとしたところ、沙織さんに軽くキレられたため、皿2つ分に分けた。
華さんはその間に花瓶に花を生けていた。私には下手にそんな命を摘み取る趣味は無いのだが、彼女の手捌きと作り上げられた作品からは、使われた命の尊さをも包含する優美さが感じられた。
「じゃ、食べよっか!」
「はいっ!」
炊飯器が軽快な音を鳴らしてしばらく、私たちは麻子さんを何とか起こし、卓を囲んで手を合わせた。
「いただきまーす!」
美味い。私も最近自分で料理をするようになったが、焦がしたりするのが日常だ。そもそも肉じゃがに手を出したことはない。それに比べてなんだ!この肉じゃがは。料亭のつけ添えで出て来ても問題ないぞ。思わず一口入れて暫く固まってしまったじゃないか。気づいたら周りが全員見つめてて赤面したぞ、全く。だがその後に出て来た男にモテるためには肉じゃが、の超理論は分からん。いやそうとも限らんやろ。
私の知ってる男の中でマトモな人間は父親ぐらいだ。女子校にいたこともありよく知らないという部分はあるが、その僅かに知っている男は大概がマトモな人間ではない。私の記憶が薄れている人間は分からないが。
しかしまぁ食事となると、それを肴にするにせよしないにせよ、話に花が咲く。学校での先生についての話、授業の話、最近のテレビ番組の話、果ては戦車道の仲間についての話まで。例えばウサギさんチームは練習試合で車輌放棄して逃げ出して、河嶋先輩にキレられた話だ。まぁそれは私もキレる。というより軟式だからこそ出来ることだ。硬式なら機関銃の丁度いい的だな。
あとはカバさんチームは歴女の集まりで、それぞれ得意な時代があるとか。格好見ればある程度分かる。優花里さんとは特にエルヴィンさんと軍事史についてもある程度話しが合うそうだ。
そんな中で一つの話題が飛び出した。
『私の前の学校はどんな所なのか』
である。
答えなくてはならないのは勿論として、これにはどのように答えるか、が重大な問題になる。言えないことさえザラにあるのだ。何を言おうか、少し迷いかけた。優花里さんはじっと顔を見てくる。彼女にとって私の母校には夢でも詰まっているのだろうか。
「……私の前の学校は黒森峰、ってところでして……」
「黒森峰ですか。名前は聞いたことありますね。確か熊本の学園都市だったかと」
関東の人間にとってはその程度、か。
「はい。黒森峰女学園は熊本県中部にある学園都市であります。その名の通り女子校でありますね」
ま、優花里さんが話すみたいだし、下手なことを言ったら封じる程度で良いだろう。
「みぽりんがいたってことは、戦車道が強い所なの?」
「その通りです。高校戦車道全国大会で9連覇を達成したこともある強豪中の強豪です!使用している車輌もティーガーII、ヤークトティーガー、エレファントなどといった重戦車揃いで侮れません」
「強いな。何だ、財政的なバックアップでも有るのか?」
「まず戦車道の流派として最大規模を誇る西住流が単独で提携を結んでいるのが大きいですね。あとは黒森峰女学園が西日本でも1位2位を争う有力校であるのもあります。勉強のレベルも非常に高いと聞いてます。その分学費も高めに設定出来ますから、戦車道を支える一つの要因かと思われますな」
「西住、ってことは、みぽりんが破門された、というのはその西住流ってこと?」
「まぁ、そうなりますね」
「でもさ、そんな所と試合するかもしれないんでしょ?勝てるの?」
「……現状だと、非常に厳しいでありましょうね」
「ですが試合になったら、やれる事をやりましょう。そもそもその黒森峰と試合をするかも分かりませんし、まずは目の前の練習に注力しましょう!」
「そうだね、そういえばさ……」
そこで話題が変わった。そしてその先黒森峰の6文字が会話に現れることはなかった。
そう、これでいいのだ。この場は肉じゃがが美味ければそれで構わないのだ。彼女らが西住流なんて、黒森峰なんて知る必要はない。コンビニが提携している1種類しかない寂しい所のことなんて。
結構長引いた。話すことが山ほどあった。そして洗い物をするところまで皆が手伝ってくれた。寮の出口まで送った後、彼女らが全て角を曲がって姿を失うと、私は顎を持ち上げて、月とシリウス以外も燦々と輝く夜空を見上げた。見る先には一点の曇りもない。
私が戦車道に加わって一月後、その日の教練が終わると全員整列し、正面に立った河嶋さんが口を開く。
「皆今日の教練もご苦労だった。早速だが今週末練習試合を行うことになった。場所は大洗、相手は聖グロリアーナ女学院だ」
「‼」
驚きを隠せない。それは隣の優花里さんも同様なようだ。
「聖グロリアーナってそんな戦車道強いの?」
沙織さんが私に小声で聞いてくる。
「聖グロリアーナは戦車道では過去に優勝経験があり、一昨年の全国大会で準優勝してます。毎大会ベスト4には入る強豪校です」
優花里さんが私が答える前に答えてしまった。内容は一切間違ってないからいいか。
「いやーダメ元でやったら受け入れてくれたんだよね。ということでみんな用意しっかりねー」
会長さんが干し芋を食べながら言う。ほんとこの人干し芋好きだな。確かに美味しいとは思うけど、すっごく喉乾くんだよな。
それにダメ元じゃないだろ、多分。そんな強豪校にして有力校が何の目的もなくこの、言ってしまったら悪いが弱小の学園都市との練習試合なんて受けるはずがない。
「明後日の放課後に各車長と我々で作戦会議を行う。遅れず来るように。今日はこれにて解散!」
「お疲れ様でした。!」
総員の礼は試合への気合いを入れるものだった。
まぁそのことは置いておこう。彼らの今までの努力と手に入れた知識、経験は決して無駄にはしない。
私の大洗での初陣が今始まろうとしていた。