TS転生少女はくそびっちじゃないです+こぼれ話   作:薄いの

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TS転生少女はいつだってくそびっちじゃないです

――少し前まで、彼女は隣の家に住む彼女のことを血の繋がった本当の姉だと思っていた。

 

小学校の書道で見た、(すずり)に溜まっていく(すみ)のような静謐(せいひつ)な瞳。困ったように小さく微笑む姿がやたらと似合うのがどうしようもなく好きで、わざとわがままを言って困らせたりもした。

 

彼女は知らない。

 

小競り合いの絶えない、半ば喧嘩仲間に片足を突っ込んでいるような実の兄も。

若干不思議系が入ってはいるものの優しく、穏やかで面倒見の良い未来の義姉も。

 

兄の元は女で、義姉の元が男の生まれ変わりであると。

 

だけれど、彼女にとっては生まれてから十数年ともに過ごした時間だけが間違いなく正しいもので、結局のところ、彼女は兄と将来の義姉をもつ、ただの妹だった。

 

「いいか。妹よ。これはおまえの兄としての助言。恋人は早いうちに見つけるんだ。学生服っていうのはな。――卒業しちゃったらただのコスプレ。コスプレになる前にいちゃついて、コスプレになってからいちゃつく。二度美味しい。むしろ二度目が美味しい。やっぱり幼馴染はいいぞ。おれは何回死んでもこの持論を変えるつもりはない。滑り台行きでも、負け属性でもないんだよ。おまえのお義姉ちゃんは正直、ずぅっと昔からぼんやりおっとりしててそこはかとなくエロかった」

 

「ああ゛ぁ゛ぁ゛!聞きたくないったら聞きたくなぁい!おねーちゃんを汚すなぁっ!お兄ちゃんの変態!死ね!うっさぁいっ!」

 

「おまえが『おねーちゃん、おねーちゃん』ってやつの腰に抱き着いてた頃にはおれはもうおまえのお義姉ちゃんのスカートの中に顔を突っ込んであの柔らかそうな太腿を脳みそに焼き付けてた」

 

「へんなこと想像させんなァッ!私の綺麗な想い出をお兄ちゃんの欲望で汚さないでっ!ああああ゛ぁ゛ぁぁァァァ゛!!!」

 

「叫び方までそっくり。……兄妹だからか?昔のおれ(あたし)にそっくりなのは因果なものまで感じるわ。ふふっ」

 

「“ふふっ”ってその全然可愛くない顔でむっっだに可愛らしく照れるとこじゃないしっ!おねーちゃんの顔真っすぐ見れなくなるじゃんかっ!それに私、お兄ちゃんに似てないしっ、似てたら似てる部分死んでも変えるっ!あああ゛ぁっ!もうぅっ!さいあくっ!」

 

TS転生者の兄とTS転生者の将来の義姉の板挟みにあってしまったどちらかというと平凡な側に立つ妹ちゃんは、血なのか宿命なのか、言動と中身がなんとなく兄に似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん。うーん……」

 

こたつの上に広げられた『冬休みの宿題』と銘打たれたそれと向き合いながら小さな女の子が唸っている。だが、無情なことにそんなことをしたところで、彼女の前で広げられた『冬休みの算数ドリル』とやらのページは埋まらないのだが。

 

「うぼぁー」

 

彼女は突っ伏すようにして上半身をこたつの天板の上に横たえる。

その様子に反応したのは、女の子の真横でこたつに同じように足を入れた、彼女の未来の義姉であった。少しだけ目を細めて、女の子の髪を壊れ物でも扱うように漉くように撫でる。まるで、長年そうしてきたかのような、……まぁ、実際そうなのだが。経験に基づいた手つきは非情に心地よいものであり、彼女が物心つく前から慣れ親しんだものであった。

 

「にゅへぇ♪」

 

突然愛を叫びだしたりはしないものの、残酷なことに、実の兄に似てしまったのか感情を発露する機能のエラー発生頻度の高い彼女は怪しい笑い声を漏らしている。

 

「……もうちょっと、頑張ろう?」

 

「はぁい」

 

突っ伏していた顔を挙げると、女の子の顔が露わになる。

彼女は、背中まで伸ばした少し固めの髪質の髪と家系の特徴なのか、ややキツい印象を受ける吊り気味の目元。

 

そして、来年に高校受験を控えた兄と未来の義姉を持つ普通の女の子である。

 

かつ、かつ、と。

鉛筆が紙面の上に轍を刻んでいく音。

時刻はまだ午前八時。窓ガラスの向こうを覗き込めば、肌に突き刺さるような冬の乾いた風が吹いている。

時折、静かな空間に満ちている鉛筆の走る音が止まれば、女の子が宿題を潰していくのに付き合ってくれている義姉がぽつり、とヒントを呟く。

 

ほぅ、と小さく息を吐き出し、その言葉に理解を得た彼女は再び鉛筆を走らせた。

 

この義姉は言葉数こそ多い方ではないが、言葉に無駄が少ない分だけ必要なところを引っこ抜いて教えるのが上手い。その点、素のスペックが肉体面含めて頭一つ抜けているせいで、教えを乞うのにいまいち気が引ける兄と違うところであったが、その印象付けは、兄が『活発で陽気で頭が良く、運動も出来る女の子』であったような前世(むかし)から延々と続くたった一人の相手に向けられた『完璧超人なあの子の恋人』という名の壮大な虫除け(マーキング)なのだが、ここにその人生掛けたある種、狂的ともいえる愛情表現を知るものはいないし、それが知られることを本人も望みはしないだろう。

 

「おねーちゃん、あきたー」

 

ぽい、と鉛筆と一緒に体を投げ出して、再びこたつの上に上半身を転がす。

女の子の努力の結晶である宿題を巻き込んでくしゃくしゃにしてしまわないためか、鉛筆の先で怪我することを憂慮したのか、倒れこむ前にはそれらが普段からおっとりとした印象のある義姉にさらっと回収されていた事実に女の子の頬が思わずにやついた。

 

「うぇへぇ。これが分かりあっているということなんだよね、おねーちゃん」

 

「飽きっぽいところも、それはそれで、かわいい」

 

女の子の両肩に義姉の掌が添えられて、揉み解すようにして動く。

 

「あーうー。よいぞ、よいぞぉー。ねぇちゃんやぁ、もっと強くやってくれたまえよぉ」

 

「……なんだか一気におじさん臭くなったよう、な?」

 

当然の話だが、普通の女子小学生に凝るような肩があるわけもなく、ただくすぐったいだけなのだが、兄との言葉の剣を突き刺し合うようなコミュニケーションとは真逆の義姉と過ごす時間は地味に貴重なものであった。大抵が(よけいなの)がくっついてくるだけに。

 

「おねーちゃんが一番かわいいよ」

 

「わたしは学校でも地味な方」

 

微かに笑って見せる義姉の姿に女の子もまた、苦笑いで返す。どうせ兄のガードが堅いだけなのだろうということは間違いなかった。というよりも、兄妹は二人とも、というか家族含めて基本的にこの義姉あっての生活であり、兄妹に関しては人格の構成要素の中々の部分を義姉が占めているので万が一、億が一にでも兄が義姉を捨てて他の女に乗り換えて、義姉を世間に放流でもしようものなら彼女の両親はマメで世話焼きな“上の方の娘”を失い、妹は義姉を失い、とりあえず腹いせに兄には石を抱いてから沈んで詫びてもらう必要性が出てくるので長男まで失ってしまう。

 

家庭崩壊のホームドラマと魔女裁判の中世ファンタジーが同時発生してしまうのだ。

 

義姉を失う可能性が減る分には大歓迎なので、本人が“地味な方”だと思っている分にはそれはそれでいいのかもしれなかった。少しだけ可哀そうな気もするが、ちっちゃくておっぱい大きいゆるくて優しい義姉にふやけきるほどにダダ甘に甘やかされる妹というポジションは万が一にでも失う訳にはいかなかった。ついでに兄の10年後生存率も若干上がる。

 

 

 

 

 

「……ふぁ、来てたなら起こしてくれたらいいのに」

 

執着心の強い兄妹の妹の方がそんな腹黒いことを考えていると、つい先ほどまで妹の脳内パラレルワールドで市の防火水槽に沈んで鯉の餌になったばかりの兄が二階の自分の部屋から彼女が宿題を広げていたリビングへとあくびを漏らしながら降りてくる。

 

「チッ、起きてきやがった」

 

――おねーちゃんが起こさなければ休日はいつも昼前まで寝てやがる癖に。くそが。

心で恐ろしい悪態をつきながら妹は兄へと完璧な妹スマイルを向ける。

 

「今、おまえ、愛するお兄ちゃんに舌打ちしなかった?あと、なんか一瞬すげぇ悪意を向けられた気がしたんだけど」

 

「おはようっ!お兄ちゃん!」

 

「……おはよう。なんかお兄ちゃんは朝から妹の笑顔がいまいち信じられないんだよなぁ」

 

水面下で静かな戦いが起きているのだが、気づかぬはロリ巨乳ばかりである。

 

何事もメリハリが大事。

そう言わんばかりに、義姉はテレビのリモコンを弄り始める。

基本的に、彼女は甘やかしてなんぼの性格であった。

 

「おはよう。こんなにかわいい妹がいるのにそんなこと言ったら、バチが当たる」

 

心底羨ましいとばかりに、眉を顰める義姉の姿を見て、心底嬉しそうににやけている実の妹の姿を目撃し、兄は育て方を間違ったかと若干の後悔する。

いや、そもそも義姉と呼ばせてしまったことから既に失敗だったのか。自分と性格が似たからって好みまで似なくてもいいだろうに、と。

 

妹のことは可愛がってはいるものの、似ているだけどこか、かつての自分を彷彿とさせるその姿が、やけに心に刺さるのだ。そうやって女の子として、子犬同士がじゃれあうような日々をずっと、ずっと過ごしていたのはおれ(あたし)であったはずなのに。と、そんな気持ちがどこかから湧いてくるのだ。

 

妹と並んでこたつに足を入れている彼女だけが変わらない。どうして変わらないでいられるのか不思議で溜まらない。目を細めて、少しだけ視界を塞げば“あたし”が愛した穏やかで、優しく、顔はそこまで良くなかったけど、ほどほどに背が高い“彼”が“彼女”と重なる。

 

虫が明かりに自然に惹かれてしまうように彼の足は引き寄せられる。

彼はテレビに視線を向けている愛する彼女に近づいて、こう声を掛けた。

 

「おら、足開けやっ!」

 

「ぶふぅっ!っどぉっ!ああ゛っっぶなぁっ!?」

 

妹は兄が義姉に唐突に掛けた下種っぽい言葉に、思わず口に含んでいた緑茶を噴出した。

そして、『冬休みの算数ドリル』やらには噴出したそれが被害を及ぼさなかったことに安堵している。

 

「ん…………こう?」

 

その点、言われた当人の方は特に動じることなく、こたつに入れていた体を少し引いて、足を広げてこたつとの間にスペースを作る。身に着けていた長めの青空の色をしたフレアスカートで誂えられたスペース、股の間に、あろうことか彼はどっかと座り込んだ。

 

「なんにも見えない」

 

「な、なにやってんの?お兄ちゃん……?とうとう頭が……」

 

ただでさえ小柄な少女の股の間に座り込めば、当然少女の視界が彼の背中に完全に塞がれることは想像に難くない。そして、兄の頭の中身を割りと真剣に心配する妹。

真面目に失礼であった。当の本人の兄も、独占欲から来る、言いようのない衝動に身を任せてしまっただけであった。しかも、妹に見られていることもあってか、羞恥を募らせ始めて耳まで赤くなっている。

 

 

 

少しして、耳障りのいいくすくすと囁くような笑い声が彼の背中から聞こえてくる。

 

「……えいっ」

 

次に彼が感じたのは、両の肩に添えられた小さな掌の熱、そして背中の側に導くように引き込む力だった。

彼は思わず、といった様子で、まるでリクライニングシートにするように背後の少女の体にもたれかかる。

 

背中に感じるのは、小柄でありながら女性的な柔らかさを秘めた既知であり、ある意味未知のもの。

そのはずなのに、どうしてだか酷く懐かしく、安心するものに触れているような不思議な感覚に涙が出そうになる。

 

「もっと寄りかかっていい。……座高が高いのも、厄介。もっと体をこたつに沈めなくてはわたしはテレビが見えない」

 

彼の両の脇のあたりからほっそりとした手が差し込まれ、あばら骨のあたりで組むように彼は抱きしめられた。小柄な彼女に肩から腰のあたりまでを預けるような、どう見ても不格好な姿。辛うじて彼の首元から顔を出せるようになった、彼女の吐息が彼の耳元をくすぐる。

 

「……覚えてる?」

 

耳元から聞こえる小さな問いかけ。

彼は声を出したらなにか大切なものが溢れ出してしまいそうで、ただ、小さく頷いた。

 

「あなたの、特等席。……けど、ごめんね。わたし、ちっちゃくなっちゃったね。かっこわるいね」

 

「……元々、カッコよくは、なかったよ」

 

辛うじて、絞り出すように出した言葉はやけに皮肉じみていた。

 

ずっと、ずぅっと長いこと、長いこと。何年も、何年もこうやって過ごしてきた。

 

少しだけ体の大きな“彼”の腕の中で、“彼女”がソファーに、座椅子に、カーペットに腰掛けながらテレビを見て、漫画を読んで、特に意味なんてなく、携帯電話を弄っていたような記憶ばかりが、なぜだか色鮮やかに頭の中に蘇る。

 

「……そんなことないはず」

 

「どーだろね?」

 

傷ついたとばかりに、少しだけ眉を顰める彼女が面白くて、彼は意味ありげな意地の悪い笑みを見せた。

 

「なぁんか、実の兄が顔真っ赤にして照れてるの気持ち悪いんですけどー。ここに小学生の妹が居るんでやめてくれませんかー?」

 

もはや大好きな義姉を奪われた妹のジトッとした視線すら心地よい。

兄はもはやそんな心境であった。

 

「妹よ」

 

「なに、変態のお兄ちゃん。おねーちゃんのおっぱいを背中一杯に感じられて幸せなの?」

 

なるほど。と、兄はまた一つ納得した。

世間一般の常識に照らし合わせるとそういうことになるらしい。

 

「お小遣いあげるから今日はお外で遊んでおいで」

 

「ちょっと、おねーちゃんになにする気だ。なにしちゃう気なんだ、ねぇ」

 

これまで一度も見たことのないような、晴れやかな笑顔で財布ごと差し出す兄の姿に妹は心底恐怖した。なにが起きるのかは分からないが、なぜか、義姉が壊されてしまうような嫌な予感が止まらなかった。

 

「わたしは今日はこのまま、映画でも借りてこのまま見たい」

 

どんな時でもマイペースを崩さない彼女の言葉に兄と妹が「ふっ」と息を吐いて、空気が弛緩する。彼としても、彼女が自分の胸元でしっかりと結んだ手で、過去を現在に刻み直すのは望むところであったというのもある。

 

「おねーちゃん。じゃあ映画一本見たら、次は私がお兄ちゃんの場所と交換する」

 

「残念ながらここは恋人の特等席だっておまえのお義姉ちゃんが言ってたんだよ」

 

「わたしも抱き心地の良さそうな妹ちゃんの方がいい」

 

「わぁい!」

 

「こらこらこら!特等席言ったじゃん!こう見えて今日は何十年に一度レベルで珍しくカッコいいこと言ってたから泣きそうになったんだけど!」

 

余りにも堂々たる恋人の裏切り行為。

なまじ抱き心地に関しては改善の余地がなかった。

 

「特等席は収益が安定しなくて今年から家族席になった」

 

「世知辛い」

 

「利益にならないものは淘汰されていく世の中。駄菓子屋とか、残るのは竿竹屋だけ」

 

「その話題はよくない」

 

くすくす。とさきほどと同じ、彼にとっては愛しくてたまらない鈴を転がすような声が聞こえるのと一緒に、抱きしめられていた腕の熱が離れていく。

 

気づけば既に立ち上がった彼女が彼へと手を差し出していた。

 

「早く借りに行かなくては見に行く時間がなくなる」

 

なんとなく面白くなくて、差し出された手を無視して彼は立ち上がろうとする。

 

「……わたしは妹ちゃんと結婚することにした」

 

「わかった!くっだらない意地張りました!ごめん!」

 

「やっぱお兄ちゃんって弱いよね……」

 

ややブスッとした彼女の手を握って立ち上がる。

そして、彼女は空いた方の手で未来の義妹の手を握って、家を出て歩き出した。

 

「……今日のわたしは両手に華。くそびっち言われてもほどほどに許してしまう」

 

少なくとも兄は華ではないのではないか、妹はツッコミを入れようとしたが、本人が楽しそうだったので野暮なことを言わないあたりは歳不相応に大人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛してるよ」

 

唐突に、右手と左手を両の手とも繋いでいた少女に言葉が掛けられた。

 

「わたしも――」

 

少しだけ目を丸くした彼女は、喜色を露わにしながら答えようとして、少しだけ口を止め、言葉を変えた。

 

「わたしは両方愛してる」

 

そう言うと彼女は、年齢にこそ差はあるが、片手は女の子と結ばれた手と、片手は男の子と結ばれた手。

左右に繋がれたそれを両方とも、少しだけ持ち上げる。

 

その言葉の、本当の意味が分かるのは二人だけ。

 

少女はずっとずっと昔から“あたし”が、“おれ”が恋し続けた、穏やかで、静かなものを宿した瞳で微笑んだ。そして、少しだけ彼を見つめてから、妹へと視線を向ける。

 

「……ね?」

「ねー」

 

彼の愛する彼女と彼の愛する妹が楽しそうに視線と、確認の合図を交わしている。

思わず、といった感じで、彼の口元からは苦笑いが漏れていた。

 

「くそびっち」

 

「くそびっちではない。わたしは、割りと一途」

 

もはや疑う余地などあろうはずもなく。

 

彼の中の“おれ”も”あたし”も本人曰く『割りと一途』な、収まるべきところに収まったようだった。






本編終了です。
ここまでお付き合い頂き感謝致します。

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