エイプリルフール!続かない!
◇
―――囁くような唄声が聞こえる。
真っ黒な煙と、ちろちろと燃え盛る炎が舌を見せたことを覚えている。
てのひらから零れ落ちたことだけは、とうの昔から知っていた。
煙と炎にまかれて、静かに"あたしたち”は終わりを迎えたはずだった。
てのひらへと視線をやる。
そこには、もう、
「……はぁ」
思わず溜息が零れ落ちる。
溜息の主は若干不機嫌そうな表情でブレザーの裾を摘まみ、胡乱げな目でそれを見た。
身に纏うのはとうに通り過ぎたはずの青春の証であるブレザーにチェックのスカート、胸元に真っ赤なネクタイ。肉体年齢的に全く問題はないのだが、精神的にはコスプレ感が拭えない、『二回目』の女子高校生生活。
――そう、あたしは、もう一度生まれなおしてしまった。
大事なものを取りこぼしたまま、喪ったものの大きさを、胸の奥にぽっかりと空いたその虚空を確かに実感しながら、生まれ落ちてしまった。
両親には申し訳ないけれど、そんな益体もない話を伝えられるわけもなく、だけれど理解だけは本人が誰よりもしている。そんなアンバランスな心を抱えて。
どこか空虚な心持ちのまま、少しだけ怠惰な、無気力気味な少女として二度目の人生を過ごしてきた。
―――ハズだった。
なんてこともなく、繰り返される日々。
それが底のほうからひっくり返される日が来ることを、予想なんてできなかったけれども、いつかそんな日が来ることをずっと、ずっと望んでいたのかもしれない。
ゆっくりと自宅へと歩みを進める。
そして、スクールバッグから自宅の鍵を取り出し、鍵穴に差し込むタイミングで、ちいさな、耳元で囁くような唄が聞こえてきた。
どこかで聞いたような、脳裏に掠るようなそんな歌詞だ。
少しだけぼんやりと、思考を巡らせる。答えは案外すぐに見つかった。
「あぁ。
同じようで、この世界は少しだけ違う。
この世界には煙にまかれていった彼女も、相方も居ないし、元居た我が家もない。
そして、この歌はこの世界のものではない。
だからこそ、この先には居るのだろう。
差し込んだ鍵を回し、玄関の扉を開けるのと同時に唄声が鮮明になる。
鍵をスクールバッグに再びしまい込む彼女の口元はわずかに緩んでおり、先ほどまでのどこか不機嫌そうな雰囲気はなりを潜めていた。
自然とはやまる足、リビングの扉を急くようにして開く。
その音に、ぴくりと反応を示すのがひとり。同時に、唄が止んだ。
思わず勿体ないことをしたかな、という気持ちが彼女の胸によぎった。
どうやら洗い物をしていたらしく、キッチンに立ってかちゃかちゃと食器を触れ合わせる音を立てており、なぜかその頬には食器洗い洗剤の泡がついていた。
「ほっぺ、ついてるよ」
その姿に苦笑いすると、その姿に歩み寄り、再びスクールバッグから取り出したハンカチで頬を拭ってやると、頬に泡を付けていた"女の子”は目元を細めくすぐったそうに笑った。
「おかえり」
女の子は少しだけ困ったように微笑み口を開いた。
そう、女の子であった。
……どうしようもなく。
穏やかそうな柔らかい目元とややくせっけのある髪の毛。
彼女としては
「ただいま」
考えれば考えるほどどこか釈然としないものがある。
――しかし、なぜにこんなことになってしまったのか。
「……なんか」
それは誰にも分らないが、目の前に居るのは紛れもなく女の子であった。年頃で言えば小学校低学年といったところだろうか。
女の子の頬を拭っていたハンカチをしまいこんでいた彼女はなにかを言いかけて、詰まる。
視線は洗い物を終えてタオルで手を拭っている女の子の足元へと向かう。
そこには風呂場用のプラスチックの椅子があった。
シンクまで届くには身長が足りなかったのだろう。
「なんか虚しいものがあるよね」
女の子は、少しだけきょとん、とした目をした後に口元を笑みの形にする。
胸元に片方のてのひらをやり、胸を張って小さく自慢げな吐息すら吐いてみせる。
「……わかっていない。幼いおんなのこが、生活能力のひくいひとり身にあれこれせわをやく。身体的なよわさをかかえながら。これがさっこんのとれんど。どうしようもないおれがとつぜんやってきたおんなのこに尽くされるというしちゅえーしょん」
前世で恋した彼が今世で幼女ですが、わりかし堪能していた。
そんな、ラノベのタイトルでも滅多にないような出来事が目の前で起こっているし、ゆるふわアホ毛ロリは平常運転であった。
一体誰がこんなことを予想するだろうか。彼女が家庭での会話でなんとなくで聞き流したお隣さんの家に女の子が生まれたという話。
そこからしれっと五年以上後から生まれてきてくださりやがって、なにも知らない彼女に生前の彼女を見て、懐いてくる幼女に彼が元々持っていたトンチンカンな言動を見た彼女が正解を探り当ててしまったときの虚しさといったらない。実際ちょっと泣いた。
また会えたことは嬉しくとも、なぜ女の子なのか。
今後を考えれば考えるほど頭が痛くなった。
「そのシチュエーションって普通尽くされる側に感情移入するのでは」
「わたし、わりと妥協できた」
「できちゃいましたか」
「できちゃった」
相も変わらずトンチンカンである。
しかしながら、この独特の空気になによりも落ち着いてしまうのは彼女のどうしようもない
「というか、独り身って、普通にあたし家族居るし」
女の子は、一瞬だけ真剣な光を瞳に宿し、すぐにそれを隠してみせた。
もっとも、隠して見せたつもりでも隠しきれたかどうかまでは分からないが。
「じゃあ」と、言葉を繋ぎながら、女の子は再び視線を投げかけてくる。
「……ついでに、わたしと結婚しよう?」
目の前の幼い女の子が首をこてん、と傾げて少しだけコミカルに笑って見せる。
冗談か本気か。
きっとここで『いいよ』と答えたら穏やかに笑ってみせて、『いやだ』といったらまた、同じように笑ってみせるのだろう。
不思議な確信があった。
そして、『いやだ』と本気で言えばきっとゆっくりと、ゆっくりと離れていく。
彼女の新たな人生から。
変わらぬ穏やかな瞳で見守ってくれるだろう、彼女の行く先を。
内心なんて微塵も感じさせないで。
彼女にそっちのケはない。
だけれど、目の前の女の子をどうしようもなく欲してしまう。
握りしめて、零れ落ちて。
何年も何年も、無気力な日々の中で、ずっと欲してきたものだから。
「……あたし、女子高生。あなた、小学生女児。傍から見たらあたしどう見える?」
女の子は眉尻を顰めて沈黙。
少しの時間の後、再び口を開いた。
「ロリコンのレズ」
「ごめん、自分で聞いといてなんだけど直球で返されてちょっと傷ついたわ……」
二週目系女子高生の心に突き刺さるロリコンのレズという残酷な十字架。
その十字架は易々と彼女を社会的死へと導いてくれるだろう。
だからこそ。
「また今度ね、また今度」
「……なんだか、ハーレム系主人公みたいなこといってる。ひゅうひゅう」
「モテる女子高生はつらいんだよ」
「……いい、ね。もてもて?」
「幼女に死ぬほど愛されて眠れない」
「きっと前世の徳が足りてない」
「今日で一番のブーメラン」
「わたしのは足りすぎてて、おんなのこになってる」
「まさかのボーナス枠にあたしは驚愕を隠せない」
二人の視線が少しの間交わって、お互いに小さく笑って見せる。
不思議で珍妙な日々になるだろう。
そう思わずにはいられない。
だけれど、これから先に続く日々はきっと明るく、楽しいものになるだろう。
そんな、どこか確信に満ちた予感があった。