水族館へ出かける際のメンバーにカウントされてから数日。翌日に海の生き物の不思議を探求する予定が待ち構えている状態の俺とガヴリールは、相変わらず散らかり放題な部屋の中で正座で向き合っていた。
「行きとうございません」
「おい」
「俺には無理だ!」
ヴィネットから誘われた水族館――だったが、俺は前日になってガヴリール相手に全力で拒絶している。
というのも、「口ぶりからして複数人で行くんだろうな、なーんだ二人っきりじゃねえのかよ畜生め」と毒づいていたにもかかわらず、実際どんなメンバーなのかを知ったのが数時間前だったからだ。ゲーム内で何気なくガヴリールとチャットで話している最中にメンバーを知った俺は、すぐさま彼女の自宅へ駆け付けた。
「お前、ヴィネット、サターニャ、白羽さん、んでもって俺。……おかしくね?」
「別におかしくないよ。いつもそんな感じじゃん」
男女比を考えるとなんと1:4。どこのハーレムだ。
うら若き乙女たちの楽しげな空間が男一人によっていかがわしい雰囲気へと大変身。凄まじい異物混入感と壮絶な疎外感。しかも女性陣は全員もれなく可愛い。
豹変しすぎたせいで過去を都市伝説扱いされているガヴリールは、素行と生活習慣こそ悪いものの容姿に恵まれている。際限なく自堕落な生活を送っていても、好意を寄せられることは少なくない。
品行方正、世話焼きでみんなのお母さん的存在のヴィネット。彼女は言わずもがな可愛い。生徒の中でも実は人気な方であり、好かれているという噂をよく耳にする。
大悪魔様のサターニャ。勝手に俺を僕扱いしていたり一方的にガヴリールに対抗心を燃やしていたりする『アホの子』だが、スタイルも良く素行のせいでかなり目立っているので、良くも悪くも注目されている。尊大で傲慢な態度をとりながら寂しがり屋、といった点が一部の生徒のハートを射抜いているのだろう。
そして白羽=ラフィエル=エインズワース。最近になってようやく言葉を交わすようになったためあまり仲が良いとは言えないが、前々から彼女の人となりは多くの生徒から聞いていた。文武両道で容姿端麗、加えて誰に対しても分け隔てなく接し、慈愛に満ちた女神のような人だという。告白も何度かされている――が、交際にまで至った人物はいないらしい。
サターニャと関わっている時の彼女を見ていると、あまり噂通りの人とは思えないが。
「そんな中、普段よく喋るって理由だけで男子生徒が一人追加。違和感しかないだろ……アウェー感強すぎて一晩で法隆寺建てられちゃうよ……」
「何がそこまで嫌なのか分からないね、まぁ私は行くのもめんどくさいけどさ」
「じゃあお前逆の立場で考えてみろ! 男四人の中にお前が混ざって外出だぞ!」
「寿司が待ってるのに行かないわけないじゃないか!」
「こいつ既に買収されてやがる」
つまり水族館の後は誰かが彼女に寿司を奢るのだろう、気前の良いやつだ。しかし魚を見た後に魚を食べに行くというのはどうなんだろうか。
疎外感を怖れる俺の肩にガヴリールはポン、と手を置き、渋い顔で口を開く。
「あのさー……なんで誘われたと思ってるんだよ」
「さぁ、なんででしょう……?」
「ヴィーネがお前も連れていきたいって言ったからに決まってんじゃん! 折角進歩してきてるのにそれでいいのか!」
「なッ、なんだって――!?」
今明かされる衝撃の真実。誘ってきたヴィネット本人の要望だった。
「な、なんでだ?」
「普段一緒にいるのに仲間はずれは可哀想だって」
「そんなことだろうと思ったわ! 期待させやがって!」
人をからかうことを生き甲斐とする天使がもう一人存在したとは。今後は天使に対する認識を改めなければならないようだ。
ガヴリールは苛立ったように眉を顰めながらバァン! と床を叩いた。下で生活する人に近所迷惑だと注意してやりたいところだが、話の腰を折ると面倒臭いことになりかねないので自重する。
「もう一つあるから黙って聞け! ……里九がいた方が楽しいと思うらしい」
「なッなんだって――!?」
「良かったじゃないか、距離が縮まったみたいで」
「急になぜ……何かがおかしい……」
「うんお前もう帰っていいよ?」
どこまでも疑り深い俺をガヴリールがドロップキックで蹴り飛ばそうとするが、散らかったベッドによじ登ったところで彼女の動きが止まった。その視線は無造作に放り投げられたゴミの真ん中に置かれたパソコンに向いている。
目を伏せて顎に手を当て、何かを考えるポーズ。しばらく沈黙が続き、悪い笑みを浮かべてこちらに振り返った。
「実は私今回のイベント終わってなくってさぁ」
「それマジ? 俺は昨日終わったわ」
「やっぱ帰れお前!」
蹴られた。痛かった。
◇ ◇ ◇
「わぁ、綺麗……! 水族館って初めてきたけど、不思議な雰囲気があるわね!」
「食えそうなやついないかな」
「こいつ……この間ゲームで落ちてったやつじゃない……」
「サターニャさん、ペンギンのショーというものがあるみたいですよ」
薄暗い空間が、ぼんやりとした明かりと水槽を照らす光で演出されている。どこまでも青い眺めが続く中、頭上や正面、足元を魚たちが漂っていた。人間が歩く地面以外の百八十度がガラスで覆われた『立体体験ゾーン』という場所は、長く続く一本道をまるで海の中にいるかのように進むことができる、というコンセプトで造られたらしい。
四人の少女たちは、海底を歩く気分で楽しげに会話していた。
「魚とか興味ないんだって。どうせ食べるんじゃん」
「夢がなさすぎ。ガヴはもうちょっと楽しみなさいよ」
「金払って魚が泳ぐのを見て何が楽しいのか理解に苦しむね。せっかく課金出来ると思ったのに!」
「ちょっ、おもむろにその物騒なモノを取り出すのはやめろ!」
やや男勝りな口調でヴィネットがガヴリールの動きを制止する。彼女が恨めしげな目つきで取り出したのは『世界の終わりを告げるラッパ』。吹くと文字通り世界が滅びる禁断のアイテムで、首席で卒業したとはいえなぞそのような物騒なモノを彼女が所持しているのかは謎である。もしかすると修行と称した人間観察で、人類に絶望した際には存分に吹き鳴らしていいのかもしれない。
今の彼女に持たせるには些か危険すぎるが。
「ふむふむ、ペンギンのショーね。べ、別に興味はないけど、人間どもがどんな宴で喜ぶのか知っておくことも大事よね」
「はい、私もそう思います。別にサターニャさんが先程から看板をちらちらと横目で窺っていたことを黙認……いえ、面白そうですもんね」
もう一方で全く異なる会話をする二人は水族館を満喫している――ように見えるが、『水族館を満喫しているけれどはしゃぐと馬鹿にされかねないと感じ胸の高鳴りを必死に抑えているサターニャの姿をラフィエルが水槽そっちのけで楽しんでいる』が正しかった。弄り弄られる関係を築き上げた二人はどこでも平常運転だ。
身を寄せて移動する少女たちのやや後ろでのんびりと周囲を眺める里九だけは、会話に一切混ざらず無言で水族館を満喫している。
(やはり俺が外出に参加するのは間違っていたかもしれない……)
結論からいうと、想定していた通り疎外感、どう取り繕っても拭いきれないアウェー感は凄まじいものだった。
四人。個性的ながら可憐な少女たちが丁度二対二で分裂して話し合っても、わけやすい偶数ならば何の問題もない。四という数字は古来より多人数で遊ぶ場合などに最適なものだ。
しかしそこに一人、特に唯一性別が異なる者が混じった場合の違和感は常識の範疇を超えている。ただでさえ分割が難儀になるというのに、男女の割合が紅一点ならぬ黒一点。せめて隣にもう一人男がいてくれればよかったものを、と里九は吐息する。
残念なことに里九は現状に文句をつけることもできない。理由は至って単純、それなりに水族館を楽しんでいるからだ。
童心にかえって「あ、オジサン! セニョリータもいる!」と心躍らせているのは、この中で彼くらいなものだろう。ちなみにオジサンもセニョリータもスズキ目の魚だ。
「――あの、来栖さん」
見てくれはつまらなさそうに首を回している里九に、ラフィエルが気後れ気味に話しかけてくる。
「ん? どうした白羽さん」
「あ、私のことはラフィエル、もしくはラフィで結構ですよ」
「そうかぁ、ラフィはなんか……最近ラフィーの改二が出たしラフィエルって呼ぶわ」
意味不明なことを口走る里九にラフィエルは首を傾げた。
余談だが里九は引退して情報だけ仕入れるタイプである。彼は既に指揮官ではない。
「皆さんで話し合ったところ、ショーに行く組と先に昼食に向かう組で分かれることにしたんです。ガヴちゃんがお腹が空いて力がでないと言ってまして」
「ほんとあいつは何しにきたんだ……で、俺も決めろと」
「はい、私とサターニャさんがショーに行って、ヴィーネさんとガヴちゃんがフードコートです」
道の真ん中で駄々をこねる子供のように体育座りするガヴリールを見て里九は苦笑。彼女をどうにかして立ち上がらせようとヴィネットが熱血テニスプレイヤーばりの叱咤激励を送っているが、こうかはいまひとつのようだ。サターニャは姿が見えないため、逸る気持ちを抑えきれず会場へ向かってしまったのだろう。
ショーに行きたい気持ちは強い――が、サターニャといる時のラフィエルは、率直に言ってただのサディストだ。大悪魔とセットにしていると周りすら巻き込んで余興にする。同行すればその毒牙にかかり、エンターテイメントの一部として友情出演させられてしまうのは明白だった。
即ち、答えは一つ。
「俺も腹が減ってきたし、ガヴリールたちと一緒に行くよ」
「分かりました、では私はこれで。――頑張ってくださいね……里九さん?」
手を振ってラフィエルと別れると、里九は周囲の視線を集める天使と悪魔へと赴く。別れ際の妙に上機嫌な笑顔と含みのある言葉が気になったが、よく分からないので深くは考えないことにした。
「おら、立てガヴリール」
「って! なんだよ里九、蹴るなよ。私はもう疲れたんだ」
「飯だ。今日は奢ってやろう」
「なんで二人ともそんなところで突っ立ってんの? まったく子供だなー。ほら早く行くよ」
「なんだその手の平返し! さっきまで座ってたやつがどの口で」
「考えてもみなよ、私はここ数日まともなご飯食べてなかったんだよ!? そしたら夜はヴィーネ、昼は里九が奢ってくれるときた。これはもう行くしかない! 止まった時が今からもう一度動き始める!」
調子の良い言葉を並べて捲くし立てるガヴリール。
しかし、なんともいえない微妙な表情でヴィネットが見つめているのは彼女ではなく水槽の方。悠々と泳ぐ未知なる生物を前に感情という感情を殺し、現実から必死に逃げようとしている。
「あ、見て里九君。ウケグチノホソミオナガノオキナハギ。あっちにはスベスベカスベもいるみたい」
「なんで変わった名前の魚ばっかりいるんだここは……って、おーい。ヴィネット? ヴィネットー?」
「私も…………お寿司は食べたかったけどね……でも……でも……!」
「駄目だ聞いてない」
どうやら彼女も、今回の外出にガヴリールを引っ張りだすために相当の苦労をしたようだ。
◇ ◇ ◇
「……どこにいったんだあいつ」
駆け足でフードコートに向かったガヴリールを追いかけること数分。直進だった一本道を終えて深海魚が飼育される場所へ足を踏み入れ、二人は完全に彼女を見失ってしまった。
フードコートは既に通り過ぎている。そこに居なかったため、ガヴリールが道を間違えたのだろう。
「パンフレットも持ってないし、大丈夫かな……」
「最悪“神足通”で外には出られるだろうけどな、その場合昼飯は抜きだが」
「そ、それは可哀想じゃない? もっと探してあげなきゃ」
「はいはい、お母さんがそう言うなら従いますよっと」
「うん、じゃあ……え? 待って、何? なんて言った?」
他愛もない会話を混ぜながら進んでいくが、ボサボサでロングな金髪少女の姿は一向に見つからない。ガヴリールには“神足通”という瞬間移動のような力が使えるため(以前は通学に使用してパンツだけ登校する異常事態を起こしたが)どこに行ったか見当がつきにくい。面倒になったらすぐ自宅に帰るなりしてしまう、それが駄天使だ。
無数のチンアナゴが地面から伸びる雄姿を見届けながら、里九はふと思ったことを口にする。
「そういやなんで寿司奢るんだ? 脅された?」
「違うわよ。……ガヴって私生活があんなんだから、食も偏ってるじゃない? 栄養バランス偏ってるのはよくないから魚も食べなさいって言ったら、お寿司を食べてみたいって言って聞かなくって」
「完全に親子だろそれ……。なんでそこまでしてあいつの世話焼くんだよ」
過保護にも限度があるだろ、と呆れる里九。ガヴリールの自由奔放・自己中心的な性格に常に振り回されているヴィネットが未だに理解出来ない。勉強を教えたり自室に入り浸られたりご飯をたかられたり約束をすっぽかされたり(これに関しては里九も人の事は言えないが)、とにかく彼女は散々な目に遭っている。見限ってもおかしくはない――なぜここまで付き合っていられるのだろう、と考えるのは当然だ。
「なんでって……前にも言ったとおり、あの子が堕落していくのをどんな手を尽くしたって止められなかったからに決まってるじゃない」
しかしヴィネットはあっけらかんとして答える。彼女のいう罪悪感は正当な理由として捉えるには無理があり、言葉の節々から良い人感と優しさが滲み出ていた。
常識的に考えて、そんな理由で面倒を見る者などほとんどいないのだから。
「……やっぱりお前は悪魔には向いてないな」
「それ前も言ってたしこの間ラフィにも同じこと言われたんだけど。私のどこがそんなに駄目――」
ガヴリールを探して歩いていると、道端にうずくまってすすり泣く小さな子どもを見つけた。小学生にも満たない程度の背丈の童女で、周囲を行き交う人々は泣く声に耳を傾けることなく通り過ぎていく。時折立ち止まってちらと様子をうかがう者もいるが、やはり声をかけようとする者はいなかった。
二人が童女を見つけ、ヴィネットが動き出すまでは。
「どうしたの? 迷子にでもなった?」
さも当然の如く、流れるような動作で彼女はうずくまる存在に声をかけた。瞳に一杯の涙を溜めて悲哀に顔を歪める童女は、軽く肩を小突かれて反応する。
「あ……う……おとーさん」
「お父さんとはぐれちゃったの? 大丈夫よ、お姉ちゃんが一緒に探してあげるから」
微笑みかけられて童女の緊張が解れ、頬を伝う涙も次第に引いていった。優しい悪魔に安らぎを感じたのか、差し出された手を握っておぼつかない足取りで歩み始める。その表情からは不安は殆ど消えていた。
一連の流れを黙って見届けていた里九は携帯端末を取り出す。探していたはずのガヴリールにメールで「入り口まで戻って案内図見ろ」と送信し、肩を竦める。
「――そういうところだよ」
優しい少女にはやはり悪魔など向いていない。いっそのこと天使にでも昇格すれば良いのに、と独りごちる。
それでも自分は、そんな彼女の優しさに惚れたのだと再確認させられた。見境のないお人好し、天使をも超える人の良さ。悪魔らしくなどと考えずに、長所を大切にしてほしいと切実に願う。
この日、空腹に耐えられなくなったガヴリールは神足通で自宅へと帰還した。
水族館には不自然に、可愛らしい下着だけが残されていたという。