天使と悪魔が二人きりという組み合わせにも珍妙さを感じなくなってきた夏の夕方。天使と悪魔でペアを組むならこの二人、と印象付けられていそうなペアではなく、ヴィネットとラフィエルは学校の帰り道に喫茶店に立ち寄っていた。比較的に常識と良識のある二人だけで行動することはあまりなく、いつもとは少し変わった感覚である。
もう一方の組み合わせのガヴリールとサターニャは如何せん反りが合わず、夕焼けに照らされる街並みを仲良く帰宅する彼女らの姿を想像するのは至難の業といえた。他人に興味のないガヴリールと一方的な対抗心を燃やすサターニャでは、温厚な会話が十秒続けば奇跡に近い。仲は悪くないと思うのだが、人には人の付き合い方がある、ということだろうか。
「こうしてヴィーネさんとお茶するのも二回目ですねー。誘っていただいて嬉しいです。ありがとうございます」
「ううん、いいの。私もラフィと話してる時が一番落ち着くし。うん……ほんと、落ち着く……」
「ヴィーネさーん? 戻ってきてくださーい?」
日頃の煩労が態度から滲み出る悪魔に手を振って呼びかける天使。他人に迷惑をかけることのできない性分である彼女にとって、ガヴリールやサターニャのようなトラブルメイカーは常に悩みの種なのだ。かといって縁を切ろうと思うわけでも嫌っているわけでもない、苦労と友情の板挟み。いっそのこと何も考えず自由にできればどれだけ楽か――と考えることもせず、ただただ他人の悪行に頭を悩ませるのがヴィネットであった。
「そういえば私、最近ゲームに少しハマってまして。ガヴちゃんが勧めてくれたんですけどね」
「へー、ラフィもゲームとかするんだ。どんなやつなの?」
「可愛い女の子の好感度を爆上げした後に絶望の淵に叩き落とすゲームです♪」
「へー、そうなん、え? なんて?」
「可愛い女の子をあの手この手で籠絡して告白されたら全力で振るゲームです♪」
「うんごめんねちょっと何言ってるかわかんないかな!」
ラフィエルは心底残念そうに肩を落とす。サディストな彼女にはピッタリなゲームだったということだろう。一言で紹介されるだけでもかなりの衝撃を与えられたヴィネットは気が進まないながらも続きを促すことにした。
「……ちなみに聞くけど本当にそういう趣旨のものなの?」
「うーん、答えにくいですね。たくさんの女の子と仲良くなったり誰かと付き合ったりするのが本筋だとは思うのですが、主人公が色んな行動を選択できるっていうのも一つの売りでして。先程言ったとおり告白を敢えて振ったり、二股かけて交際相手にバレるかバレないかのスリルを楽しむということも可能なので」
「そ、そうなんだ」
「最初はあまり面白くなかったんですけど、キャラクターにサターニャさんそっくりな人がいてですね! タイコンデロガっていうキャラクターなんですけど、主人公に突然見放されたと分かった時の顔がもうなんとも――」
いつになく饒舌に熱弁するラフィエル。人間界の娯楽に触れて人が変わるという、どこか既視感のある姿を見てヴィネットの背筋に嫌な寒気が走った。
しかし彼女の楽しみ方を否定することはできない。たとえゲーム内でどれだけ最低かつ下種な行動を取ろうと、それはあくまで『ゲームの中で出来ること』をやっているに過ぎないからだ。好感度の高い相手を絶望させる行為も、制作側が意図して組み込んだプログラムの内の一つ。楽しみ方は人それぞれであるが故に、一概に駄目とはいえないのである。
と、ヴィネットはいつかガヴリールに二時間に渡って解説されたことを思い出していた。
「――それで、ヴィーネさんは何か最近ハマっていることとかありますか?」
「え、ああ、えっと。んー、私は最近小動物の動画を結構見てる、かな」
「というと猫とか犬とかですか?」
「そうそう、特に子猫がすっごい可愛くて! 見てるだけで癒されるの!」
胸に手を当てて花が咲いたように笑うヴィネットに、ラフィエルは微笑んだ。
「そう言ってるヴィーネさんもとっても可愛らしいですよ」
「ッ!! や、やややめてよラフィったら、急にどうしたの!?」
「私としては凄まじい動揺っぷりを逆に問い質したいくらいなんですが……」
可愛いと本心から言っただけで、全身の血液が顔に集中しているのでは、と疑いたくなるほど顔を赤くされて困惑。まるで意中の相手から告白されたかのように動揺する姿にラフィエルが首を傾げる。
そしてその姿を見て、なんとなく見当がついた彼女はニヤリと悪い笑みをつくった。
「……もしかして好きな方が?」
「い、いや! そういうわけではないのよ? ない、ん……だけど……」
ヴィネットは恥ずかしさのあまり鞄で目元まで隠してしまう。女子力全開の照れ具合にラフィエルの悪戯心は更に刺激される。どうやら本日の楽しいことが決定したようだ。
「ヴィーネさんと同じクラスの男子で確かいましたよね、名前が」
「里九君は別に関係ないのよ!? いやほんとに!」
「誰も里九さんのこととは言ってませんよ?」
「あ……ちょ、ちょっとラフィ!」
「うふふ、ごめんなさい。からかいたくなってしまいました」
難易度の低い誘導尋問を終えてヴィネットの周辺の状況を整理する。
彼女は来栖里九に気がある、好意を寄せている――とまではいかないが、少し意識をしていることは明らかだった。逆に里九は彼女のことをこれでもかといえるほど好いている。彼があとひと押しするか、ヴィネットの意識が恋に昇格すれば二人の関係は進展するだろう。相思相愛に近づく恋愛とは見ていて微笑ましいものである。
(……でもそうなると、ガヴちゃんは)
白羽=ラフィエル=エインズワースだけが知る事実。それは『ガヴリールが里九のことを好き』で『何度も告白』しており『そのたびに振られ』て『なお諦めずに彼のことを想っている』という事実。見向きもされない過酷な現実を受け入れながらも必死に想いを伝える姿に彼女は心打たれ、友の恋を成就させるためならば協力を惜しまない所存であった。
しかし最近彼女がゲームと同時に興味を抱いたのは昼ドラ。三角関係、亀裂が入り秋風の吹き荒れる酒池肉林の地獄絵図。盛大に打ち鳴らされる効果音と共に浮気や不倫、恋敵が発覚する様はなんともいえない高揚感があった。
要するに彼女は友人たちの間で繰り広げられる三角関係を楽しんでいるのである。
勿論実際に三角関係があるわけではなく、ガヴリールは里九のことを「都合の良いメイン盾」程度にしか思っていない。勘違いがラフィエルの脳内で昼ドラの世界をつくり出しているのだ。
「それで、里九さんとなにかあったんですか?」
「何か……ね。自分でも分かってはいるのよね、あの時からなんか変だって」
「あの時っていうと、ああ、あれですよね。ガヴちゃんから聞きました。間接キスしちゃったんですよね」
何気ない一言がヴィネットの羞恥心に止めを刺した。
「しょ、しょうがないじゃない! 私だってあの時はどうかしてて――」
「まぁまぁ、落ち着いてくださいヴィーネさん。なにも間接キスしたからといって子どもができるわけじゃありませんし。間接キスといっても直接とはまた異なりますし、粘膜の細胞なんて二ヶ月もすればすっかり元通りって聞きます。間接キスしたくらいで――」
「さっきから連呼するのわざとよね!? 恥ずかしいからやめてよ! もー!」
ころころと顔を赤くしたり必死に冷静を装って口を引き結んだりする姿は見ていて飽きない。弄られることに関してサターニャの右に出る者はいないと思っていたラフィエルは、その認識を改めなければならないと反省した。
所謂『恋バナ』に花を咲かせる時のヴィネットは弄りがいのある、可愛らしい乙女だ。是非とも成長過程を見守りながら三角関係に更なる波乱を――友情に亀裂が入らない程度に巻き起こしてほしいと思った。
(でも三角関係って最後碌な終わり方しないですよね……ガヴちゃんとヴィーネさんの仲が悪くなったりしちゃうのでしょうか。それは私としてもあまり嬉しくないですね)
ここでラフィエルの思考がようやく常識的なものになり始める。
いくら面白がっているとはいえ、どちらも彼女にとって大切な友人。二人の間に確執が生まれることで日常が崩れることは、今を楽しむ彼女からすれば最大の苦痛に他ならない。片方もしくは両方を諦めさせるべきでは、と考える。
(あ、でもよく考えてみれば天界も魔界も一夫多妻制は禁じられていませんね。なら三人とも仲良くゴールインしてしまえばいいではありませんか!)
ラフィエルはよくない発想を思い付いた。
「ヴィーネさん、私応援していますから! 頑張ってください!」
「何を!? だから別にそういうのじゃないんだって!」
「私も微力ながら協力できればと思い、即席ではありますが天使流の占いでお二人の未来を視てさしあげましょう」
「いや本当に大丈夫だから――ってなんか後光差してるし!」
天使が持つ力の一つを行使して恋模様の行く先を調べる。天使の輪や翼を顕現させると周囲の人間たちに驚かれてしまうため、最小限の力でしか占えない。絶大な天使力さえあれば人間の視界に映ることはなくなるのだが、彼女は未だその領域に辿り着いてはいなかった。
力不足を若干悔みながら辺りを照らす光を収束、予測される未来を導き出す。一点に集中していく光が球状に変化する。
眩い光の中には公園のベンチに腰掛ける二人の男女が。戸惑って動くに動けない里九、彼の手を掴む少女。夕日を背景に頬を朱に染める可憐でどこか儚げ、そして妖艶な――天界で後輩だった天使がいた。
「………………………………………………………………あれー?」
「え、何その反応。何見たのラフィ。ねぇ、ちょっと?」
更なる波乱が巻き起こりそうな予感を前に、ラフィエルは眼前の光を手で薙ぎ払う。予想の斜め上どころでは済まない光景は虚空に呑まれて消えていき、幾つもの粒子が空に漂いながら消えていった。
外でサターニャが一人歩いている。学校の帰りだろうか、しかし今は彼女を弄ろうという気分にはなれない。からかう対象が更に増えるかもしれないからだ。
嬉しいような、周りが徐々に変化していくことが少し悔しいような感情になんとも言えない表情をする。半分くらい誤解なのだが、誤解しているという事実を誰も知らないので訂正のしようがない。
三角関係に一つ角が追加されそうな未来。日常が非日常へと豹変するのは時間の問題なのかもしれなかった。