天使な悪魔をオトしたい。   作:蘭花

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三話:かくして人間は恋に堕ちた。

 

 翌朝、俺の隣の席に座っていたのは胡桃沢だった。

 

「月乃瀬は胡桃沢だった……?」

「おはよう来栖。よくも昨日はこの私から逃げてくれたわね――と言いたいところだけど」

 

 果たして月乃瀬とはどんな人物なのか、夜もぐっすり眠れるくらい気になっていた俺は、二回目の登校にして予定より三十分早く学校に到着。快眠により起床時間が早まったこともあるが、やはり早起きは三文の得というべきか。規則正しい生活リズムによりコンディションは万全である。

 しかし今のところ一文しか得していないので、ことわざ通りにはなっていない。

 

「昨日アナタが言っていた腹の虫(ネ・ラルヴ)。あれは確かに恐ろしいわ……私も魔界で何度か苦しめられたことがある」

「知っているのか?」

「えぇ、勿論」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして誇らしげにする胡桃沢。彼女は今日も平常運転だ。

 全く関係の無い話だが、人は自身の性格や相手に対する印象で、他人への呼び方が変わるという。俺の場合、他人には基本「さん」付け、人によって呼び捨てになる。

 要するに、胡桃沢はキャラ的に呼び捨てにした方が違和感がないということだ。

 

「腹の虫は魔界に棲息する害虫。食べ物に潜むことで生き物の体内に侵入する性質をもっていて、腹の中で暴れ回っては胃の中の食べ物を喰らい尽くしてしまう……恐ろしい虫よ」

「大食いに利用されそうな性質してんな」

 

 得意げに語る胡桃沢の手元には、「魔界生き物図鑑」という謎の本が。適当に言ってみた名前の生き物が載っている図鑑――おそらく架空の生物図鑑か何かだろう。ちょっと欲しい。

 

「さて来栖。私はこの下界を支配するために、一刻も早く立派な――あ、今でも勿論立派よ。もっと逞しく凛々しい大悪魔にならなくちゃいけないの。そのためには……分かるわよね?」

「あぁ、分かってる。実はお前にピッタリの試練があるんだが……聞くか?」

「えっ、何それ早く教えて!」

 

 さも自分の席のようにして腰を落ち着かせていた胡桃沢が、凄まじい勢いで立ち上がった。びっくりして天地が三回ひっくり返りそうなほど良い食いつきっぷりだ。

 

「一階の自動販売機に、強い力をもった者にしか押すことのできないボタンがあるんだ。フォンタマスカットっていう飲み物のボタンで、大悪魔のお前なら押すことができるなんだが」

「今すぐ行ってくるわ」

「待て」

 

 今すぐにでも廊下へ飛んでいきそうな胡桃沢の腕を掴む。思い付きで適当に言ってみただけのことでも本気で信じ込んでくれているようで、少し罪悪感が芽生える。中二病に加えて純粋とは、随分濃厚なキャラをしているようだ。

 もしかして、自動販売機があまり普及していない国から来たとかだろうか。それにしては流暢に日本語を喋っている。

 

「お前は大切な事を忘れている」

「……邪魔しないで、来栖。私は試練を受けねばならないの」

「金は持ったか?」

「………………金?」

 

 見たところ手ぶらの胡桃沢。長い間を置いて訊き返してくるあたり、本気で自動販売機が何なのか分かっていないのではなかろうか。

 

「試練には百六十円が必要だ」

「あ、あぁそうね。勿論分かってるわ」

「それ和同開珎なんだが」

 

 懐から取り出したのは、今や使うことのできない通貨。制服からそれを取り出せることもだが、明らかに日本人ではない名前の彼女が持っていたことに驚愕せざるを得ない。

 流石にからかい過ぎたかと思い、俺は財布から二百円を取り出し、無言で胡桃沢の手の平に置いた。

 

「試練の対価は俺が払おう。さぁ行ってくるんだ」

「え、え? ありがとう?」

 

 困惑したまま教室を出ていくクラスメイトの背を見送る。きっと自動販売機を今まで利用したことがなかったため、仕組みを理解していなかったのだろう。(名前からして日本生まれではないと思うが)帰国子女などにはよくある話で――いや、聞いたことがない。外国にだって自動販売機くらいあるはずだ。

 

「やっぱりすごい秘境育ちとか大自然に囲まれて育ったとかなんだろうか……」

「あの、来栖君、よね」

「はいはい来栖です。何か御用でっ!?」

 

 次は誰が話しかけてきたかと億劫げに振り向き、俺の中の時が止まった。

 

 そこにいたのは、制服を身に着けた女の子。知らない人のはずが、その声も、容姿も、俺はよく知っていた。

 ショートポニーの黒髪、前髪をきっちり留めるヘアピン、アメジストのような紫紺の瞳。優しげな表情で、穏やかなオーラを放っている。天真さんや胡桃沢と比較すると平均的な体型で、あの二人より若干大人びた顔付きをしていた。

 間違いない。確実に、バスで少年を助けていた人だ。

 

「昨日はありがとう、ガヴリー……あ、天真さんから聞いたんだ。私の事探してくれてたって」

「あ、どういたしまして。え? どういたしまして?」

 

 普段では考えられないくらいに頭が混乱している。あらゆる思考が常に浮かんでは解けていき、まともに脳を働かせることができない。気のせいだと思いたいが顔もかなり熱く、傍から見れば俺の顔面は真っ赤に茹で上がっているのかもしれない。

 心臓の鼓動が速まっているのが分かる。妙に緊張してしまい、体が硬直して思うように動かない。自身の状態は完璧に把握できているにも拘らず、その原因は皆目見当がつかなかった。

 

 しかし目の前の少女は俺の様子に気付いてくれていないようで、朗らかな笑みを浮かべながら話を続ける。

 

「もう知ってると思うけど、ちゃんと自己紹介させてね。私は月乃瀬=ヴィネット=エイプリル。今日から……そっか、昨日から同じクラスだったわね」

「そ、そうだな、うん。ご存じの通り俺は来栖里九っていう可もなく不可もない人間っす。あとハンカチ見つけたのは俺じゃなくって委員……ま、また紹介するわ」

 

 ――駄目だ、全く顔を見れる気がしない。

 

 目線を合わせようとすると、勝手に別の方向へと視線が泳いでしまう。

 一体探していた月乃瀬はどんな人物なのか、と少しだけ楽しみにしていた癖に、いざ本人を目の前にするとまともに会話もできないとはどういうことか。

 

「そ、そうか。君が月乃瀬さんなんだ。いやー昨日は外ばっかり見てたせいで分かんなかったなぁほんと」

「そうよね、来栖君昨日はずーっと違うところ眺めてたから。何回か話しかけたんだけどね?」

「え、うっそまじか」

 

 ――全く記憶にございません。

 

 前に顔を見たことがあって、いざ面と向かって話すと俺に謎の動作不良をもたらす。ここまでインパクトのある相手に話し掛けられていたのに、それにすら気が付かなかったとは。

 

「桜が、嫌いになりそうだ……」

「え?」

「あぁいやすまん何でもない。えっと、月乃瀬さん」

 

 少しずつだが落ち着いてきた。直視することはできないが、ある程度目線を顔の方に向けることはできるようになっている。とはいえ、比較的誰とでも話せる自覚があった自分自身には失望している――まさか同級生と目を合わせることすらできないとは。

 

 上がった心拍数を整えるために大きく深呼吸。月乃瀬さんは首を傾げているが、今は正常な状態に戻ることが最優先だ。目一杯酸素を吸い込んで無理やり息を止め、すぐに吐き出した。呼吸困難にでも陥ったかのような挙動だったが、ある程度は落ち着きを取り戻したはずだ。

 変な動作のせいで不審に思われているかもしれないので、すぐに話を再開する。

 

「バスでゲームのカード落とした事、ない?」

 

 あるわけないだろ馬鹿か。

 全然落ち着いていなかった。最早自身の状態も把握できないほど混乱してしまっているのか。

 

「ゲームのカード……? あ、やっぱり来栖君って、あの時の人よね?」

「あの時?」

「うん、バスで物を失くして困ってた人がいたんだけど、その人の一挙一動に対して手を伸ばしたり引っ込めたり、立ち上がったり座ったりしてたでしょ」

「嘘だ、俺ではないと信じたい!」

 

 確かに声を掛けようかどうしようか迷ってはいたが、幾らなんでもそこまであからさまな態度はしていない。少年の悲鳴と月乃瀬さんの印象が強すぎて、あまり憶えていないけれど。

 そもそも何故月乃瀬さんは俺を憶えているんだ、記憶力抜群かよ。

 

「よくよく考えてみれば、そういえば俺も周りの人に見られてたような……」

「やっぱりそうよね! 私もあの子の身内の人かと思ったくらいだし」

「……その後、探し物は見つかったか?」

 

 話を逸らそうとして問いかける。すると月乃瀬さんが一瞬だけ驚いたような表情を見せ、直後に満面の笑みを浮かべた。百万ドルの夜景――否、千万ドルの夜景に匹敵する美しさをもった笑顔に、今度こそ俺は何も言えなくなる。

 天真さんに笑いかけられた時とはまるで違う感覚。人によって笑顔の効果が異なってくる可能性が浮上する。

 

「ちゃんと見つかったわ。優しいのね、来栖君って」

 

 委員長は他人の世話を積極的に焼きにいく親切心を。

 

 天真=ガヴリール=ホワイトはあらゆる人々を惹き込む魅力を。

 

 胡桃沢=サタニキア=マクドウェルは周囲に活気をもたらす(かもしれない)明るさを。

 

 それぞれの人物が、違った美点を持っていた。

 月乃瀬さんも優しいけれど、同じ美点を持つ人はたくさんいる。彼女だけが特別なわけではない。だというのに、彼女だけが特別に思えてしまうのは何故だろうか。

 

 

 ――いや、本当は始めから答えなんて出ていたのだ。

 

 

 妙に鮮明に思い出せた記憶も、話すだけで緊張する体も、平常運転できないテンションも、制御できない心拍数も。全て一つの理由で片付けることができた。特別に思える理由なんて、最初から決まっている。

 

「あ、まだ言ってなかった。――折角隣の席になったんだし、これからよろしく!」

 

 来栖里九は、この日初めて、自身が眼前の少女に一目惚れをしていた事実を理解した。

 天使のような女の子が、悪魔だとも知らずに。

 

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