天使な悪魔をオトしたい。   作:蘭花

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四話:ラヴエンジェル

 

 

 一目惚れした、という事実を数週間近く遅れて自覚した里九は、まず始めにペースを整えることに尽力した。ヴィネットを前にすると発生する、強張る肉体・上昇する体温・まともな会話すら許容しない喉の渇き。好意を抱く者と話す時に動揺してしまうような、恋愛に重点を置いた物語で頻繁に目にする現象を、克服せねばならなかった。

 

 里九は元来、「マイペースという単語が足を生やして勝手に歩いている」と揶揄される性格である。テンションこそあまり高くないものの、誰に対しても若干ふざけたような接し方をする男だ。

 そんな彼が他人に、特に誰か特定の人物に対してキャラ崩壊することなど滅多にない。

 

「おはよう来栖君」

「あぁ月乃瀬さんか、おはよう」

 

 恋慕の情により生じる混乱を克服するために掛かった日数はおよそ七日。丸一週間という長い時間を経て、里九はヴィネットとまともに会話ができるまで成長していた。

 

「今日は空の色が濁っている。何か不吉なことが起こる前兆だろうか」

 

 ――ついでに、少し間違った方向の話術を会得している。

 誰に似たか、後々振り返れば背筋に寒気が走りそうな言い回しをするようになった。入学当初に知り合ったある人物と親睦を深めていくうちに、自然と中二病(なにか)に感染したのだろう。

 しかし、日に日に成長していく止まらない里九相手に、ヴィネットは常に楽しげな微笑を浮かべていた。

 

「なにそれ、朝から不安になるようなこと言わないでよ?」

「うん、今のはなんかおかしいって俺も思った」

 

 一応、自分の発言を鑑みることができる程度には冷静である。

 入学から紆余曲折を経て一週間と少し。今まで恋愛の「れ」の字にすら接点がなかった里九だが、所謂初恋という存在を身を持って体感し、それが一時の気の迷いなどではないことを自覚。己の気持ちと真面目に向き合って一つの結論に至った。

 至極単純かつ明快な話――恋心を抱いた者の多くが願う、成就させたいという結論だ。

 

「俺が訊くのもなんか変だけど、学校にはもう慣れた?」

「まあまあ、かな。一人じゃ不安かもだけど、ガヴリールさんや来栖君がいるし」

 

 しかし幾ら気持ちの整理ができたとはいえ、十数日で造り上げた上辺の仮面(ポーカーフェイス)の強度などたかが知れている。ちょっとした発言で心踊らされたり、疑心暗鬼に陥ったりすることも珍しくはない。

 

 恋愛とは駆け引きである。

 どれほど平常心でいられるか。それが学校で過ごす間、里九に課せられた試練であった。

 

「おはようございます。ヴィネットさん、来栖さん」

 

 曇天の朝、席が隣同士である二人に声が掛かる。

 ガヴリールだ。入学以来天使として崇められるほどの善行を積み上げ続けている、人に尽くすために生まれたかのような少女である。彼女は穢れを浄化する効果を持っていそうなにこやかスマイルで、二人の席へと近寄った。

 

「昨日は快晴だったのに、今日はあまり良くない天気ですね。変な胸騒ぎがします」

「あなたたちは二人揃って未来を予知する力でもあるの? 来栖君も似たようなこと言ってたけど」

「まぁある程度であれば未来予知もできなくは――って、いえなんでもないです」

 

 彼女たち以外にも順調に交流の輪を広げていく里九の高校生活は、概ね充実したものといえる。

 唯一気掛かりなのは、友好的に接してくれるガヴリールとヴィネットに、稀に距離を感じることだ。普段は何も感じないが、「機密情報を漏えいしてしまった」と言わんばかりの表情をすることがたまにあるのだ。

 知り合って一週間の相手に対して、隠しごと云々と勘繰る理由もないのだが。

 

「……」

 

 どうしたものか、と頬杖をついて思考を張り巡らせる。自身に芽生えた感情を早期に発見できたのは良いが、そこからどうすればいいのかさっぱり分からない。隣の席同士ということで、会話する切っ掛けなどは、特に考える必要はない。一度話し始めれば自然と会話が弾むことが多いため、話のネタに困ったこともない――のだが。

 

 ――どうすれば関係が進展するのか。これが分からない。

 

「そういえば。宿題が出されるようになりましたが、お二人は大丈夫ですか?」

「授業も始まったばっかりだし、私は特に困るようなとこはないわね」

「俺も別に……そうか、閃いた!」

 

 音を立てて朝礼には早すぎる起立をする。離れた席で委員長が呆れたような表情を、サターニャ(サタニキア曰く愛称らしい)が過剰に反応していた。一瞬クラス中の視線を集めたような気もするが、今の里九にとってそんな些細なことはどうでもいいことだ。

 

「ど、どうしたんですか来栖さん。急に大声出して」

「名前だよ」

「へ?」

 

 名前、即ち呼び名。

 相手のことを何と呼ぶか、それは人と人との距離感を如実に表すものであり、親密になればなるほど呼び名は変化する。現在里九は女子二人のことを名字に「さん」付けで呼び、里九も同じような呼ばれ方だ。しかしガヴリールとヴィネットは互いに名前呼び――二人は入学以前に知り合っていたらしく、正直里九も名前で呼ばれるガヴリールを羨ましく思っている。

 

 知り合ってそこまで日数が経っていない相手に、特に異性に対して名前で呼んでもらおうなんて図々しいにも程がある。しかし行動しなければ恋は実らず、恋愛において沈黙は金にはならないのだ。少なくともヴィネットから好意を寄せられている可能性はゼロに等しいため、里九から動かなければ関係の進展はあり得ない。

 積極性、来栖里九の脳内でこの単語が一番輝いた瞬間。彼は新たなステップを目指そうと少女二人に視線を向け――

 

「あの教師は『グラサン』と呼ぶのが一番しっくりくる!」

 

 盛大に現実逃避し(チキっ)た。

 枕の上の先祖が溜息で子孫を呪い殺すレベルの逃げ。この場に彼の思考を読める者がいたならば、あまりにもひどすぎる話の逸らし方に呆れる他なかったに違いない。

 ガヴリールは話の腰を複雑骨折させた里九の発言に苦笑い、ヴィネットは「グラサン、グラサン……」と呟いている。

 

「駄目ですよ、先生をそんな風に言っては」

「あ、うんそうだよな。俺もそう思う」

 

 微塵も関係の無い話だが、最強の矛と最強の盾がぶつかり合ったらどうなるのか、という話を基に造られた故事成語がある。

 

 閑話休題。ガヴリールが胸の前でそっと手の平を合わせ、表情を少し明るくした。

 

「でも愛称っていうか、ニックネームっていうか。私、そういうのに憧れてたんですよ!」

 

 まさかの助け舟が出航。

 思わぬ援護射撃に「これが天使の祝福か……」と心の中で感謝しながら、里九は人差し指を立てて提案する。

 

「折角だからこの際、誰かに渾名付ければいいじゃないか」

「えっ、いいんですか? じゃ、じゃあヴィネットさんのことを……ヴィーネさん、って呼んでもいいですか?」

「ヴィーネ……! そ、それなら私も……えーと、ガヴリールさんだから」

 

 少しだけ恥ずかしそうに愛称を提案し、少女たちは新たな呼び名を許可し合う。今までとは違った呼び名は妙にくすぐったい感覚を生み出し、心を落ち着かせるような雰囲気を作り出す。

 他者とは違う呼び方。その特別感は嬉しくも気恥ずかしく、親密度が上がった証でもある。

 

 そして三人での会話が終了した。

 

(なんで二人で盛り上がるんだ! 俺も混ぜてくれ……ないよな、うん)

 

 良い提案ではあったものの、この場で里九も参加するのは気が咎めた。その気になれば無理やりにでも割り込めただろうが、男女間の壁というべきか、話を切り出すのにも堪え難い羞恥心が込み上げてくる。小心者、ここに極まれり。

 ちらと時計を見やると、時計の針は朝礼が始まる時間に差しかかっていた。いきなり愛称を望むのは少し急すぎたかな、と思いながらも机に突っ伏し、無意味に積極的になろうとしたことへの羞恥がふつふつと沸きはじめる。

 

(まぁ、別に急ぐことでもないか)

 

 失敗で折れない。生きていく上で重要なことだ。ハイペースは自分には合わない――それが分かっただけでも収穫である。

 誰も知ることのない言い訳を考えていると、肩を軽く二回小突かれたのが分かった。少し遠慮がちに柔らかく触れられ、ゆっくりと首を上げる。するとがやがやと賑わっている教室の風景の中、ガヴリールが視界に映った。

 

「ヴィネ、ヴィーネさんが私の事ガヴって呼んでくださるらしいです。来栖さんにもそう呼んでいただけたら嬉しいのですが……駄目ですかね?」

「え、いいけど……なして?」

「私も来栖さんではなく、里九君って呼びますから。――私がそう呼んでいたら、ヴィーネさんもその内同じようにしてくれると思いますよ」

 

 にこり、と天使のような笑顔で言うと、小さくお辞儀をして自席に戻るガヴリール。彼女の意図を汲むのには数秒とかからず、里九はただただ目を丸くして金髪の少女を凝視していた。

 

(バ、バレてる……だと……!?)

 

 応援してくれている、という解釈が正しいだろう。しかし完璧に隠し通せるほどのポーカーフェイスを習得した(と思い込んでいた)里九にとって、ガヴリールに勘付かれていたことは、今春最も大きな衝撃となった。

 その姿はさながら恋のキューピッドと言ったところか。委員長からも「放課後に教室の掃除を自発的に行っていた」と聞いたとおり、驚くほどの聖人っぷりである。

 

 そんな天真=ガヴリール=ホワイトは同日の夜、所謂『ネトゲ』というメディアの文化に触れるのだが、それはまた別の話である。

 

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