学生の昼食は、おおよそにわけて三つの方法でとることができる。
まず弁当。親が用意もしくは自作した昼食を持参することで、メニューを自由に選択することができる方式だ。最も幅広いジャンルの料理を食べることのできる可能性で溢れており、魅力の詰まった選択である。友達と中身を交換し合える
“共有”のシステムや、人によって形も味も全く異なる『家ごとの特色』を味わうことができるのも、魅力の一つだ。
次に市販のパンや弁当といった、自宅からではなく店舗や施設を利用した方式。毎日続けてこの選択をすると場合によっては高コストになってしまうこともあるが、手軽という利点も含んでいる。昼食を買いに行くことが習慣化されれば、必然的に店を訪れる回数も増えていく。人次第でお菓子をチョイスすることも出来、予算次第で昼食のレベルが何段階も上昇することも忘れてはいけない。
そして最後に学食。学校によってはそもそも存在しないこともあるが、完成した料理をその場で食すことができるという、
“最も食事らしい食事”といえる形態である。メニューがかなり限定されてしまう代わりに、『出来立て』という最強の魅力を伴う。席の空き具合や人の多さに気を遣わねばならないが、やはり暖かいものを暖かいまま食べられることは、誰もが理想とすることだろう。
この三つ巴の関係を保つ学生の昼食。どれを選択するかは完全に自由(環境や天候に左右されることもある)。高校生活の三年間を一つの手段のみで乗り切ることもあれば、日替わり・気分次第という人もいるだろう。「今日はどうしよっか」などと現を抜かし、その場のノリで決定することだってできるのだ。
複数の属性を兼ね備えた
そして三つ巴の関係を利用した心理戦――主に「誰と」「何処で」「何を」「何時」食べるかを争う戦いが存在する。
それは意中の相手と一緒に学食でランチタイムのひと時を過ごしたいだとか、春の麗らかな日差しに照らされながらそよぐ風を肌で感じて憧れの先輩に手作り弁当を食べて欲しいだとか、変わり映えのない殺風景な教室でいつも通り騒がしいクラスメイトに囲まれながら仲の良い友達で机をくっ付け雑談を交えてパンを食べたいだとか、誰もいない屋上で一人黄昏ている最中に入口からひょっこりと顔を覗かせる幼馴染に「なんで来たんだ」とぶっきらぼうに問いかけ「ご飯、食べないつもりなんでしょ」と膨れ顔で二つの弁当箱を手に持つ姿を見て「お節介なやつ……」と億劫そうに溜息を吐きつつもしっかりと弁当箱は受け取るような甘酸っぱいような古臭いような青春を味わいたいだとか――とにかく色々な目的で発生するものだ。
なお、最近は屋上に入れないこともあるため、格好付けて屋上に行こうと考える生徒は少ない――まず屋上で人が少ないというケース自体が珍しい。
「というわけだ」
「日本語で頼む」
「今すげえ頑張って説明したよね!? ちゃんと聞いてたかガヴリール!」
「聞いた上で言ってるんだよ! 何言ってるか分かんないし長い! あと聞いてて背筋が寒くなった」
熱心に学生の昼食について説明したが、ガヴリールには全く伝わらなかったようだ。
簡潔に言ってしまうと「里九はヴィネットと学食に行きたい」という、ただそれだけの話である。
「だからって私に説明してどうするのさ。私はヴィーネじゃないんだぞ」
「これを聞いてもらった上で、どうすれば誘えるかを一緒に考えて欲しいと思ってだな」
「ったく、変なところで弱気なんだからなぁ、自分でやれっての。……そもそもヴィーネと二人で食べたいわけ?」
「当たり前だろ。そうじゃなかったらお前も誘って解決じゃないか」
猛烈な言葉攻めもといアタックを仕掛けるようにはなったものの、里九は未だに消極的な面が多い。理由の半分近くは、駄目人間化しすぎてそもそも男としてすら見られていないのでは、という疑問なのだが。
「まあ、じゃあ……普通に学食誘ってきなよ。そろそろ戻ってくるから」
いつもに増して回りくどく面倒な男にガヴリールは珍しく手を貸している。というのも数時間前、学校までの道のりで彼女が執拗に纏わりついて懇願してきたため、承諾する代わりに一日知恵を貸す、という契約を結んでいるのだ。
ちなみにガヴリールが半泣きになってまで頼み込んできたのはゲームイベントの協力である。
「それができれば苦労しないんだが、できないから苦労してるんだぞ」
「知るか! 私にどうしろって言うんだ!」
ヴィネットを学食に誘う上で最も問題なのは、直前に誘う以外の手段を里九が実行しなかったことだ。出会ってから一年の四分の一が経過しようとしているこの期に及んで、彼はまだ連絡先を交換できていない。他にも前日に予め誘っておいたり、朝の内に声を掛けておいたりすることも出来たのだが、如何せん四限目の授業の最中にふと思い浮かんだものだから、計画性も何もあったものではなかった。
日を改めることもできる。しかし実行しようとしている意欲があるうちに行った方が良いことだってあるのだ。
「だいたい急過ぎるんだよ、それに私は一人で食べろってことか? 別に良いけど」
「サターニャがいるからあいつと食べればいいかなと」
「あいつと私の二人でまともに飯食えると思ってんの!? 絶対めんどくさいじゃん!」
「別に二人で食えとは言ってないだろ。多分誰か来るって」
言いながら教室を見渡すがサターニャの姿はない。昼食の時間になるといつも一人で何処かへ行ってしまうのだが、彼女も学食に行っているのだろうか。
鉢合わせしたら面倒だな、と思いつつ入口の方を一瞥。ヴィネットがプリントを提出しに出てから既に五分が経過している。制限時間は刻一刻と迫っているのだ。
「あのさぁ、男なんだから潔くいきなよ」
「むぅ……シンプルイズベストというやつだな。でも断られた時の精神的ダメージが」
「女々しいわ! 全然潔くない! そういうこと気にするから進展がないんだって!」
若干むきになってツッコみを入れるガヴリール。見守り続けている彼女としても、見ていてもどかしい気分ではあったのだろう。むしろよく途中で放棄せずに協力してくれているものだ。なんだかんだ言っておいて他人のことが放っておけない性格は、やはり堕落しても彼女の中で生きている。
天使らしくない人に天使らしさを感じ取り、里九は両手を上げて降参した。
「分かった、お前がそこまで言うなら単刀直入に言ってやろう」
「なんで上から目線?」
ガヴリールの鋭い視線を涼しい顔で受け流していると、丁度良いタイミングでヴィネットが教室に入ってくる。苛立ちを露わにする天使の様子に首を傾げる彼女に、里九が足早に接近。険しい顔付きで近付く様子にヴィネットは眉を顰めるが、そんなことは意に介さず彼女の両手を握りしめた。
「え、えっと……どうしたの? 顔が怖いけど」
唐突な行動に困惑を隠せないヴィネット。しかし里九は問いかけを一切無視して口を開く。
「一緒に学食に行かないか」
「学食って、いいけど急ね。あ、分かった。ガヴが行きたいって駄々こねたんでしょ」
「いや、俺とお前の二人で行こうと思ってる」
「え……」
――そこまでできるなら最初からやれよ!
自席で頬杖をつくガヴリールが心の中でつっこむ。先程まで難癖つけて他人に意見を求めていた男と同一人物とは思えないほどだ。なぜその積極性を日常で発揮できないのだろうか。やはり根がヘタレな部分は堕落してもそのままということか。
里九の発言にヴィネットの表情は困惑していたが、ストレートな言葉は効果抜群だ。短く言葉を漏らした後に分かりやすく赤面し、握られる手を意識し始めたのかちらちらと見ていた。
「駄目か?」
「いや、駄目……ってわけじゃないけど。ほんとに急だなって」
ついにはヴィネットが視線を逸らし始める。対面する里九はこれでもかというくらい馬鹿正直に彼女を凝視しており、一瞬の隙も逃さないといった心構えをしているようだ。
(見てるこっちが恥ずかしくなるなぁ)
教室の入り口でそんなやり取りをしているせいで、彼らには複数の生徒からの視線が集まっている。
早々に決着をつけなければ、変な噂が流されることは火の目を見るより明らか。残念なことに現段階でヴィネット側にその気がないと思われるため、周りに囃し立てられるような事態は避けるべきだ。
そのことは里九も理解しているため、更に畳み掛けるべくアクションを起こす。
「良いかどうか答えてくれ」
「ええっと、その……」
ガヴリールの位置からではないが間違いなく手を握る力を強めている。心なしか顔の距離も近くなったように見え、ヴィネットの顔だけは確実に赤みを増していた。
いつもは冗談として受け流す彼女も、流石に強引に話を進める里九には慣れていないらしい。「お前本当にそれシンプルか?」と疑いたくなるくらいの豹変っぷりだが、ヘタレるよりは何倍もマシなので不問とすることにした。
そして、なんだかんだで押しに弱いヴィネットは。
「――い、良い……わよ」
顔から火が出らんとするほど赤面して俯きながら、誘いを承諾した。
「本当か! じゃあ早速行こう!」
「う、うん」
とても可愛らしく照れているヴィネットを、里九は表情を一切変えることなく引っ張っていく。普段の彼からは考えられないほど相手の変化に無頓着。全く動じずクールにやりきった――なぜ常にああならないものなのか、とガヴリールは軽く手を振って二人を見送った。
天使も舌を巻くほどの豹変ぶり。やや強引に相手の同意を得たその姿は惚れ惚れするほどだ。
「このままずっと積極的になってくれたらなぁ」
「ガーヴちゃん、こんにちは」
「ん、あぁラフィ」
自分も買ってきたパンを食べようと正面に向き直ると、ラフィエルがいつも通りな笑顔を浮かべて佇んでいた。ただ立っているだけでも見せびらかしているようにすら幻視できてしまうスタイルを誇る彼女は、天使学校からの付き合いである。
クラスが違うためヴィネットやサターニャに比べて会う機会は少なく、一時期――特にガヴリールが駄天使にドロップアウトする真っ最中にはほとんど顔を合わせていない。彼女は昔から成績優秀で文武両道な完璧超人なのだが、本性はあまりよろしいとは言えないのが玉に瑕である。
生粋のドS、天性の快楽主義者。どちらも他人を弄ることで悦楽に浸る類のものであるため、彼女の
とはいえ基本根は良い人であり、血も涙もないような性格ではないのだが。
「珍しいね、なんか用?」
「ある人を探しに来たのがメインなんですけど、それ以上に気になるものが見えまして」
「気になるもの……って、あぁ」
入口の方を眺めながら話すラフィエル。気になるもの、というのはおそらく先程までの里九とヴィネットのやり取りのことだ。人気のある場所でラブコメの波動全開なやり取りをすれば、誰だって気になるに決まっている。
しかし妙にラフィエルの表情が暗いように見えるのは気のせいだろうか。
「そりゃ気になるよねー。あの二人見ててハラハラするし……あとちょっとイライラするし」
「……イライラ、するんですか?」
「なんかこう、はっきりしろよって感じ? こっちの身にもなってほしいっていうか」
「ガヴちゃんの身……ガヴちゃんの……」
ひどく落ち着いた、しかしどこか一抹の不安を拭いきれないような表情。認めたくない事実を無理やり飲み込んでいるような、何かを覚悟した表情。平和な昼下がりにはあまりにも似合わない神妙な面持ちをしたラフィエルは、ぶつぶつと呟きながらガヴリールの言葉を待っている。
謎の精神的疲労を抱えるガヴリールは、そんな彼女の様子には気付かない。
「もうちょっとちゃんとしてくれれば、私ももう見なくて済むんだけどねー。案外このまま上手くいってくれたりして」
「ガヴちゃんは、それでいいんですか?」
「そりゃあ良いに――」
決まってる、と言いかけたところでガヴリールは、意外にも自分の中に今の日常を楽しんでいる感情があることに気付いた。二人が上手くくっ付いてくれればその時はさりげなく祝福するだろう。しかし仲良く過ごしてきた関係が変化する可能性も否めない。二人揃ってヴィネットに叱られる風景が日常という完成された絵画から欠けていく――零れ落ちて、後戻りすることができないかもしれないのだ。
「……それは、やだな」
「――!!」
ラフィエルが両手で口を覆って驚愕を露わにする。何故隠したのかは分からないが、微妙に口元がにやけていたように見えたのは気のせいだろうか。まるで新しい楽しみを発見した時のようだ。
凄まじい勘違いが繰り広げられる中、桜も散って緑の初々しい葉が生い茂る木だけが、なびくように風に揺れていた。
個々の抱く思いなど何処吹く風で、迫り来る季節の変わり目を祝福するように。