「里九君は学食に来たことあるの?」
「一回だけ弁当忘れた日があったんだが、人空いてたからチャーハンを一つ」
「あぁー、箸だけはしっかり持って来てたわよね」
クスクスと笑うヴィネットを横目で一瞥する。場所は変わって校内の学食、偶然にも購買で昼食を済ませようとしていたらしいヴィネットを半ば強引に連行し、里九は券売機の前で唸っていた。
一度だけ体験した学食という制度。その際に食したチャーハンの感想は「出来立ての喜びを噛み締めた一品」であり、個人的にも満足度が高かった。いずれまた食べたいとは思っていたが、ヴィネットと二人で来ることができたのは僥倖といっていい。
「なんか永遠にこれしか食べなくなりそうだが、前と同じでいいか」
「この前食べたうどんが美味しかったけど……じゃあ、今日はチャーハンで」
すっかり顔の赤みもひいたらしく、ヴィネットが上機嫌に鼻唄をうたっている。やはり強引すぎたのか廊下では無言の時間が長かったが、人気の多い場所に来ることで気持ちもリセットされたのだろう。
二人は数分の待ち時間を経て提供された料理を受け取ると、近場の空いている席に向かい合う形で腰掛けた。
「どっちもチャーハンってなんか面白くないな」
「しょうがないでしょ、私も食べたかったんだから」
「まぁいいけどさ……いただきまーす」
律義に手を合わせて合掌。マナーに若干うるさいヴィネットと一緒に昼食を食べる機会が多かったため、いつの間にか身についた習慣だ。食生活にかなりの問題があるガヴリールに関しては、ほとんど影響を受けずに今まで通りを貫いているが。
「しかし前と同じ食い方ってのも味気ない」
「一回しか食べてないのに何言ってんのよ、普通に食べなさい」
「そう言われると塩胡椒とかで味付けしたくなっちゃうなーよいせっと」
掛け声と共に胡椒が入った容器に手を伸ばして掴み、流れるような動作で既に味のある料理に中身を投入する。ほんのスパイス程度のつもりでかけたはずの胡椒は、容器を傾けた際にフタが落下することで、胃を引っ掻き回されそうな量が乗った。黒々とした山がライスの上に誕生、灰を被った火山みたいなチャーハンを里九は無言で見つめる。
食べたら死ぬ、と脳内で警鐘が鳴り響く。かきまぜてもトッピングとしては常識の範疇を超えており、無意識のうちにスプーンで混ぜまくったチャーハンは黒い塊と化していた。
唖然としてヴィネットが里九を凝視する。
「え……それ食べるの?」
「俺は悪くねえ」
「いやそれは分かるけど、食べるの?」
「俺は悪くねえ――!」
同じ言葉を繰り返すことによる自己暗示。自分の身の潔白を誰に証明するわけでもなく、里九の絶叫は室内の喧騒に掻き消された。本来の味を堪能せず調味料に頼った姿はある意味自業自得であり、真っ黒に染まったチャーハンにヴィネットも苦笑い。よっぽどの味音痴でなければ食道を通すことすら至難の業――口にする前から圧倒的な無理ゲー臭を漂わせている。
「フタの緩みの確認を怠った俺の責任だ、食べよう」
「正気か!? や、やめた方がいいって――」
「アッシェンテッ!!」
確実に使い方を間違えた言葉を合図に、黒化した料理をスプーンで掬って口に運んだ。コンソメの風味がよく効いた味わいにさっぱりした感触の米が絶妙なハーモニーを奏で、更なる食欲をかきたてる――寸前に絶望的な辛さが口内と舌の上を走り回った。針のむしろを馬鹿正直に口に含んだかのような痛みが絶え間なく襲い掛かる。過剰な辛さは味というよりもはや攻撃で、たったの数秒で里九は完全に轟沈した。
なんとか無理やり飲み込んだものの、あと数瞬遅れていたら意識を根こそぎ持っていかれていただろう。
「ひねっふぉ、ふぁすへへ」
「たまにあんたのことをサターニャ以上のバ……アレなんじゃないかと思うわ」
声に出す言葉すらまともに発することは叶わない。聞けばサターニャは七味唐辛子をこれでもかというほど振りかけたうどんを平気で平らげたという。辛いもの好きというよりは彼女が本物の味音痴か。
ちなみにサターニャは風変わりしたキャラクター性ゆえにクラスで若干浮いていたため、階段に座って一人飯を決め込んでいたらしい。見かねたガヴリールたちが以降昼食を一緒に食べることを提案したようだが、教室にいなかったことを考えると「誘われるまでは行かない」という頑固なタイプなのだろう。
里九は受けたダメージを癒すために水を一気に飲み干す。多少は口内を駆けまわる痺れがひいてきたが、勢い良くもう一口に挑戦する勇気と体力は残されていなかった。
「せめて混ぜる前に胡椒を除けたらよかったのに」
「あまりに唐突な出来事に気が動転していたんだ、そんなつもりはなかった……申し訳ないが事情を説明して処分してもらうしか……」
たった二つの行動で食事を処分しなければならない――半分は自己責任であるため、心が痛む決断だ。食べ物を粗末にすることは食という文化そのものに対する冒涜的行為に他ならない。しかし責任をもって食べると死に至る可能性も否定できないので、今回ばかりは捨てるしかないだろう。
件のサターニャさえ居てくれれば、とも考えたがヴィネットだけを誘いここまで来たのは他でもない里九自身。人に押し付けることも最低な行為だ。
「……本当に、勿体なく申し訳ないが……!」
「分かった分かった、私も事情を説明してあげるから。――しょうがないわね、ほら」
肩を竦めながら差し出されるモノを見て思考が停止、とまではいかないものの、驚愕が声にならない短い響きとなって漏れる。数秒間目の前の光景に信じられないといったふうに目を見開いていた里九だが、首を振って思考をリセット。起こっている出来事を分析する。
ヴィネットが自分の、即ち普通のチャーハンをスプーンで一掬いし、若干呆れた表情で里九に差し出していた。食べろと促すようにスプーンを揺すっている。
食事が続行不可能になった里九を見兼ねての行動。相変わらず悪魔とは思えない慈愛に満ちた性格をしている。
しかし驚いたのはそんなことにではない。彼女は平然と、自分が食べるために使ったものと同じスプーンを向けているのだ。ただ料理を口にするだけではなく、世間一般的に『間接キス』と呼称される行為に及ぼうとしている。
「私の分をわけてあげるから」
「いやーそれはなんというか……」
「このまま食べないつもり? お腹空くわよ」
そうではない。断じてそういうわけではない。
恵んでくれるというのなら提案を甘んじて受け入れるべきだ。今から再び券売機に赴いて買い直すのも二度手間、場合によっては休み時間が終了する可能性だってある。彼女の優しさに感謝して従うべきだろう。
間接キスに関しても深く考えなければ良い話であり、澄まし顔で食べればいいのである。所謂「あーん」という行為にも及ぶことになってしまうが、あまり長いこと思案して魅力的な提案を取り下げられても虚しいだけだ。
要するに心頭滅却して頭の中身を空っぽにし、ただ目の前の餌を屠るだけの家畜になればいいだけである。邪念の一切を取り払って無心で食べればどうということはない。
彼女がそういった行為に無頓着なのは少々驚き――否、意識する相手ですらないという警告の可能性も孕んでいるため、心して掛からねばならなかった。
「じゃあお言葉に甘えて」
出来る限り思考を単純化して脳内を一面の無で埋め尽くす。余計な考えが顔にでないよう平静を装い、やや前屈みになってスプーンに食らいついた。乗せられた料理を一口で全て掻っ攫うと、味や感触についての食レポをする暇もなく飲み込んだ。
任務達成。意外過ぎる相手の行動に弄ばれかけたが、なんとか戦いに勝利することができた。
――と、勝利の余韻に浸っていると。
「……え、えと、美味しかった?」
やけに歯切れの悪い問いが投げられ、反射的にヴィネットの顔を見る。
先程まで完全に世話焼き好きな母親の表情をしていた彼女が、火が出そうなほど顔を紅潮させていた。半分驚愕し、半分恥辱に染まるような顔をしている。
「なんでそんなに赤くなってんだヴィネット」
「別にそんなこっ……だって本当に食べるなんて思わないじゃない! あんたにはこう、恥じらいとかないの!?」
「え?」
黒髪を揺らして必死に弁明する姿に里九は首を傾げた。間接キス程度何とも思っていないものだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。
まさか、と里九が口角を吊り上げて微笑する。
「さっきの仕返しのつもりだった、とか?」
「ち、ちが……!」
「やっぱそうだよなぁ、教室で超顔赤くしてたもんなぁ。ひと泡吹かせてやりたいとか考えたんだろ」
「それは、そうだけど……絶対恥ずかしがってやめると思ったから!」
謎は全て解けた。要するにヴィネットは「間接キスになるという状況」を恥ずかしがる里九をからかおうとしていたのである。悪戯に慣れていないせいか使ってきた手段がひどく大胆なもので、返り討ちに遭って自爆しているのだが。
里九としてはラッキーなイベントに巡り合えただけなので万々歳。しかし何とも思っていない相手と間接キスしてしまったという事実は、彼女にとってかなりのダメージになっているはずだ。
「……はぁ、なんでそんなことしようと思ったんだよ」
「――――……からじゃない」
俯いてぼそぼそと呟くヴィネット。最初の方がよく聞き取れずに眉を顰めると、潤んだ瞳の上目遣いで睨み返された。
「――里九君がいつも、その……好きとか……か、可愛い、とか言ってくるからじゃない」
ノックアウトとはボクシングで相手を打倒し、規定の時間以内に立ち上がれなくすることである。略称はKO。この意味合いから『相手を徹底的に負かすこと』という意味でも用いられ、争いの終止符を打つ際に単純且つ簡略に表現できる『勝利』または『敗北』だ。
顔を真っ赤にして涙で潤った瞳で上目遣い、加えて恥じらいを感じながら途切れ途切れに紡がれる言葉。来栖里九はこの瞬間、ヴィネットの一挙一動の全てに打ち負かされてしまった。かつてない衝撃が落雷の如く彼の身体を穿ち、心の底から「待って無理しんどいこれ、はぁ~好き」と言語化できない感動が込み上げてくる。
――ノックアウト、完敗だ。押し寄せる激情に耐えきれず、里九は叫ぶ。
「だからそういうところが可愛いって言ってるんだるるおおおおおおお!」
「ちょっ! 急に何言い出してるの!? あ、あぁもう皆こっち見てる……! 違う、違います! 何でもないです!」
魂の叫びに呼応して多くの生命が此方を見ている気がするが、今はそんなことはどうだってよかった。好きや可愛いと連呼してアプローチを続けてきた日常はもうお終いだ。こんなに可愛い存在をただ近くで眺めているだけなんて勿体ないにも程がある。天使な悪魔をオトしたい、自分のモノにしてやりたいという強い意志から里九は決心した。
この少女に対する並々ならぬ想いを、絶対に実らせてやる――と。
数十分後の話
ヴィ「なんでそこから普通に食べちゃうのよ……」
ガヴ「ヴィーネ、なんの入れ知恵か知らないけど生兵法は怪我の元だよ」
ヴィ「……うん、恥ずかしすぎて死にそう。もう絶対しない……」
ガヴ(実はもう両想いだったりするんじゃないかこいつら)