あの時の事は今でも鮮明に思い出せる。
死の足音が耳元まで迫る感覚。
しかし気が付けば自分は生きていた。
あの日崩れかけた教会で見上げた、様々な色に彩られた偶像。
死神を払い除けたのがそれであるかどうかは、正直なところよくわからない。
明かりの無いはずの空間で、柔らかな眼差しで自分を見下ろしていた聖母。
胸を熱く満たすように感じたそれは、なにか光のようなものだったと記憶している。
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崩れた教会にて命を
その時から自分に明確な変化が起こった。
戦闘においては劣勢になれば何者かに与えられるように力が満ち、こうありたいと思い戦い続ければそうであるように身体が進化していった。
やがて全身が網目になるまで傷跡が刻み込まれ、焼き払われた顔の半分が初めての異名として通り始めた頃、彼は戦士として完全に開花した。
それは自分の力によるものではない事はずっと昔から気付いている。
戦いに生きる力を常に後押ししていた何か。
それは銃弾に倒れたあの日に神から与えられたのだ、と彼はぼんやりと認識していた。
しかし。
───なぜ自分なのか?
こんなゴミ溜めに住まう蛆虫の一匹ではなく、もっと相応しい人間がいたはずではないか。
その答えは出てこないまま。
彼は少年期の終わりを迎えた。
そしてそれは某国のとある部隊に雇われ、敵勢力の排除の後に近場の集落を制圧した後の事。
争いの原因となった事情は知らない。ただ何かをこちらにとって都合のいいようにしておけといういつものろくでもない私欲が絡んでいた事は明らかだったように思う。
抱いていた疑問も時の流れに押し流され、思い出すことも少なくなってきた時だった。
とっくに逃げるか殺されるかしてほとんど無人になった集落で、兵隊たちは思い思いに略奪を繰り返していた。
何一つおかしい事はない。
倫理など糞の役にも立たない。戦場で生き残るのはこの手の人間だ。
複数の下卑た笑い声にそちらを振り向けば、泣きながら震える一人の女を家の中から引きずり出していた。
これもいつものこと。
敗戦を喫した地に残された女に待ち受ける展開など、法の無いこの世界では一つに決まっている。
見慣れた光景。聞こえるであろう聞き慣れた悲鳴。寝転がっていた彼は興味なさげに目線を切ろうとした。
しかし聞こえてきたのは、震えながらも張り上げられる男の声。
聞いた覚えのないそれに思わず振り向いて耳を傾けたのが、彼の決定的な転機だった。
───安物のチキンスープだって一番旨いのは一口目だ。まずはお前に食わせてやるよ。
そう言って荷物を投げるように渡されたのは他でもない人間だった。
『……どうしろと?』
いや、聞かずともわかる。
新兵上がりの自分に対する可愛がりではない。
ただ彼らが見たいだけなのだ。
断れば助け合わねばならない戦場で味方がいなくなる。
肯定すれば語るに及ばず。
葛藤に負け涙ながらに善徳を捨てる様を、だ。
予想通りの返答が返ってくる。
一瞬どうしようかを考えて、覚悟を決める。
静かに息を吸い込んだ。
『……自分は、祖国を愛しています。勉強もスポーツも人並み以下だけど、それでも祖国の為に働きたくて軍隊に志願しました。
だけどここには忠勇も正義も何もない。あなた方は争いを言い訳に暴力を楽しみたいだけの───祖国を汚すクソ野郎共だ』
──お笑いだぜガチョウ野郎!まるで国を背負ってるみてえな口振りだ!
──大統領に言ってやれよ、ケツを差し出すに違いねえ!
そんな爆笑の渦すら耳に遠く感じた。
声が震える。
自分がこれからする事の結末に膝が笑い、本能は今すぐ口を閉ざせと警鐘を鳴らす。
だけど。
『ああ。結局は自分もあなた方と同類です。あなた方と同じ方向に銃口を向け、あなた方と同じ相手を撃ち殺してきた。
結末は信念のある無しに関わらない。正義なんてものは、きっと存在しないんでしょう』
だけど───!
『それでも俺は、誇りを持ってここに来た!!』
女性を背に庇いアサルトライフルを目の前の隊長に乱射する。
しかし練度の差は歴然だった。
虚を突かれたにも関わらず隊長は既にそこから離脱しており、銃口をこちらに照準していた。
それを見て回りの兵隊たちも自分に向けて引き金に指をかける。
数秒のちに自分は死ぬ。
でも退かない。退いてたまるか。
才の無い自分にはこの信念と誇りしかないのだから!!!
『さあ来い、来てみろクソ野郎共!!ヒーローを信じたガキはここにいるぞ!!!』
『面倒くせえ
向けられる殺意。
もはや決められた数瞬先の未来。
それでもその男の目は死んでいない。
敵わぬと、叶わぬと知ってなお立ち向かう新兵のその姿に。
彼は、あの日と同じ光を見た。
気付けば身体が動いていた。
確定的な死を放とうとした隊長の男を、彼は引き金を落とす前に拳で叩き潰した。
感じたことの無い力が身体に満ちている。
撒き散らされる血と臓物。突然のイレギュラーに停止する時間の中で呆然とするその新兵に、彼はただ一言、こう語りかけた。
『───俺を、雇うか?』