魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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※注意!

 この番外編は、二葉さなの魔法少女ストーリーとなりますが、本作の世界観と設定を考慮した結果、かなりの独自解釈が加えられています!


☆ 魔法少女ストーリー ☆
FILE #15.5 二葉さな 第1話 『新しい家』


 

 

 

 

 

 

『親の喜びは秘密なものである。その悲しみや心配も同じである。前者を口にすることができないし、後者を口にもしないだろう』

 

 

 

         ――フランシス・ベーコン『随筆集』第七節、「親と子について」より、一部抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろはとさなは、図書館一階のカフェに訪れていた。

 此処の壁は一面が窓ガラスになっており、春の暖かな陽が差し込んで、二人を優しく包み込んでいた。

 

「いいところだね」

 

「はい」

 

 窓の外に目を遣る二人。

 内庭であるそこには、人工の池が造られており、水のせせらぎと、赤、白、黒、金と色鮮やかな鯉の姿が心を癒やしていく。

 

(本当に、いろんなものがあるなあ、神浜って……)

 

 図書館一つでもここまで充実しているとは予想だにしなかった。

 彼女自身が生まれた家から見ても神浜市は近い距離に有ったのだが、これまで訪れたことは全くと言っていい程無かった。

 自宅の有る聖火市は、神浜市程では無いにしても、そこそこ大きな市街ではあったので、あまり不便はしなかったのだ。

 それに――――

 

(魔法少女が集まってる神浜って、危険が多いって聞いてたからなぁ……)

 

 これである。

 神浜市が『魔法少女保護特区』という別名を持ち、更に『調整』が受けられる以上、訪れてそのまま居住する魔法少女は決して少なくない。

 だが、魔法少女の世界では「魔法少女いれば、魔女有り」という諺がある――――つまり、その土地に現存する魔法少女の数が多いほど、どういう訳か、比例するかの様に魔女も個数を増やしていくのだ。

 神浜市が「危険」と謳われたのは、そのせいであった。

 故にいろはも、都会化が進む神浜市に興味を湧いてはいたものの、我が身を第一に考えると、足を運ぶことは躊躇った。

 

(でも、こうしてみると、さなちゃんみたいに普通に暮らせてる魔法少女もいるし、一般の人々も凄くいっぱいいるから……治安維持部の人たちが、それだけ頑張ってるのかもね……)

 

 一度さなを見てから、周りを見渡す。

 他のテーブル席は、カップルや家族連れ、或いは勉強に訪れた学生の集団で賑わっている。

 外まで流れた悪い噂までは流石の彼女達とて防ぎきれようがない。しかし、街の治安はバッチリ守られているのが、この店の空間だけでも証明されている。

 改めて、やちよ達の働きの凄さに胸中で感嘆するいろはであった。

 

(それにしても……)

 

 自分たちと同じく、テーブルで食事を取っている学生と思しき若者達に目を向ける。

 雑談で賑わっている集団もいたが……問題は独りで訪れている者だ。カフェの至るところでちらほら見受けられるそれはあろうことか、読書をしながらサラダやサンドイッチ、更にはスパゲッティを啜ってたりしていた。

 

「いいの、あれ……?」

 

 彼らが所持している本は、恐らく図書館の本だ。恐る恐るさなに尋ねるいろは。

 

「あ……ここはOKなんです。私も、よくやりますし……」

 

 笑顔で答えるさな。

 

「でも、汚したら弁償だよね……」

 

「まぁ……そうですね」

 

「私にはとても真似できないな~……」

 

 呆れる様に息を吐くいろはの言葉に、さなは返す言葉が思いつかず苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

「! そういえば、環さん……!」

 

「っ!? はいっ!?」

 

 と、思いきや――――急に顔を険しくしたさなが、意を決したかの様に声色を強めて訴えてくる。何事かと、意表を突かれてギョッと肩を震わすいろは。

 

「あ、ごめんなさい。ビックリさせちゃいました」

 

「う、うん……どうしたの、急に?」

 

「私のこと、話してもいいですか……?」

 

「さなちゃんの、こと……?」

 

「はい。環さんだけ話して、私が話さないのは不公平ですし……それに、同じ境遇の環さんなら、多分……私の気持ち、分かってくれるかもって思いまして……」

 

 同じ境遇、と言われてハッと目を見開くいろは。

 先程、先生との会話の途中で割り込んできたときも、彼女は言っていた。自分と同じ思いをしてると。

 家族から置いてきぼりにされ、独りぼっちになった――――その悔しさと辛さは、身を持って経験したもので無いと分からない。

 

「いいよ、二葉さん。遠慮なく話してみて」

 

 だから、いろはは笑顔でそう返してあげた。

 同じ経験をした者同士が、最大の理解者を得られるチャンスだった。

 さなは、自分の気持ちを理解してくれていた。だったら、自分もまた、さなにそうしてあげたいし、できるようになりたい――――言葉にはその思いが乗せられていた。

 さなの顔がパァッと明るくなる。

 

「じゃ、じゃあ……話しますね……!」

 

 さなは少し照れと緊張で指をモジモジと動かしつつも、口ははっきりと動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二葉大五郎――――環さんは、この人物の名前、聞いたことが有りませんか?

 

 え? 分からないって……? う~~ん、歴史の教科書とかで、聞いたことないですか……?

 

 あっ! 思い出したみたいですね……………………そうですっ! 二葉大五郎は、明治時代に医学を躍進させた名医でした。

 当時、日本ではまだ一般的じゃなかった消化器外科学を普及させて多くの人々を救い、没落気味だった二葉家を一代で名家と呼ばれるまでに立て直した、凄い方なんです。

 …………そのまさかなんです。二葉大五郎はご先祖様です。私の名字の『二葉』はその直系の家なんです。

 

 ……ビックリしちゃいました? ごめんなさい……。私なんかが教科書に乗ってる人の子孫だなんて聞いたら、驚くのも無理ないですよね……。

 

 でも、厳密には子孫ではない(・・)んです。

 ……え? それはどういうことかって? ごめんなさい、説明が下手で……。

 今から、そのことについて、詳しく説明しますね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれは、10年ぐらい前のことでした。

 

 

 

 

 

 当時、私の性は元々『二葉』ではありませんでした。全く関係の無いごくごく普通の一般家庭で小さい頃を過ごしてました。

 でも、ある日を堺にお母さんとお父さんの仲が悪くなり――――喧嘩ばっかりするようになったんです。

 原因はお父さんの「浮気」でした。

 お父さんはお母さんにバレた途端にDVをするようになって……身の危険を感じたお母さんは、逃げる為に……まだ小さかった私と、弟の篤志――私は「あっくん」って読んでるんですが――を連れて、家から出ていったんです。

 

 通帳とカード――これはかなり後で知ったのですが、家から出ていく時に、お父さんの部屋の隠れた場所から盗んだそうです――に残っていたお金で、お母さんはアパートを借りると3人で暮らし始めました。

 

 生活は大丈夫だったのって?

 はい……かなり困窮してました……。一日の食事がパン一切れだったことがどれだけあったか……。

 お母さんは、生活能力の有る人じゃなかったんです……。

 元々そこそこ優れたご家庭の令嬢さんで……結婚もお見合いで決めたそうなんです……。お父さんと結婚してる間は、ずっと専業主婦をしていましたから、働いた事も無くって……だから、就職先を探すのがかなり苦労したんです。

 ようやく、見つけたスーパーのパートの仕事で、子供二人を食べさせていかなければならなかったので……凄く大変だったんだと思います。

 

 お母さんの実家には、帰らなかったのかって?

 はい。そうした方がいいのに、って当時はよく思いました。今でも、そう思います。

 でも……私とお母さんが、やっぱり母娘だからなのかな……? だから、なんとなく分かるんです。お母さんも……窮屈な家庭に嫌気が差してたんじゃないかって……。

 口ではそう言わなかったけど、多分……あんな家、もう絶対戻ってやるもんかって、思ってたんだと思います……。

 

 お母さんは、それで良かったのかもしれません。でも、当時の小さかった私とあっくんには、とても耐えられる状況ではありませんでした。

 アパートに暮らし始めてから3ヶ月ぐらい経った時に、私はつい聞いてしまったんです。

 

 

 「おかあさんは、どうしておとうさんとわかれたの」って――――

 

 

 直後、お母さんは私に対して、俯く様に頭を下げました。……申し訳無いって気持ちの現れだったのかもしれませんが……今となっては定かではありません……。

 ただ、凄く寂しそうな目をしていたのは、はっきりと思い出せるんです。

 後にも、先にも、あんな目をしたお母さんは見たのは、これが初めてでした。

 

「あの人がね、お母さんにとって嫌な人だったから……」

 

 実のところ、お父さんのDVは、私とあっくんがいない間に行われていました。

 だから、当時の私は、そんなお母さんの辛さを全く分かってあげられなかったんです。

 

「さなは、今でも、お父さんのこと、好き?」

 

 だから、こう答えてしまったんです。

 

「うん。すき。だいすき。もどってきてほしいって、おもってる」

 

「そう……」

 

 お母さんはポツリと零すと、フッと不思議な笑みを見せました。

 当時は、それが何の意味を持つ笑みなのかは分かりませんでしたけど、印象には残りました。

 今も……はっきりとは分かりません。確認もしていません。だけど、なんとなく分かるんです。

 『自嘲』――――自分に対する「親」としての不甲斐なさ、情けなさを客観的に見て、呪うように(・・・・・)笑っていたんじゃないかって思います。

 

「ごめんね、お父さんの話は、もう絶対にしちゃダメよ」

 

 お母さんは、笑みを消すと、目元をきつく細めて、静かに言いつけてきました。

 

「……なんで?」

 

「お母さん、思い出すと、辛くなるから……それに」

 

 お母さんはそこで言葉を止めると、私に小さく微笑みました。そして、こう言ったんです。

 

 

「新しいお父さん、すぐに見つけてくるから」

 

 

 当時の私はその意味が分からず、首を傾げていました。

 

 お母さんは、生活能力が全く無い人でした。

 でも、あの頃は――――私達の事を真剣に考えていたんだと思います。私とあっくんが一番何を欲しがっていたのか、悟ったんだと思います。

 そしてこれも、かなり後で知ったのですが、私とあっくんが寝ている間に、水商売の仕事もしていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お母さんが言っていた通り、新しいお父さんは、すぐに出来ました。

 

 『二葉義和』――――名門、二葉家の御曹司であり、二葉大五郎の子孫。

 

 風俗店で偶然出会い、話を重ねている内に、お母さんとは意気投合したそうです。

 というのも、義和さんもまた、離婚経験者であり、一人息子を引き取って育てているのだそうで……お母さんとは共感できるところがあったのかもしれません。二人が恋に落ちるのはそう遅くありませんでした。

 

 え? 二葉さんは気づいてたのかって?

 ええ、なんとなく、ですけど……お母さんは仕事が休みになると、ウキウキしてどこかへとお出かけするようになったので、もしかしたら、って思たのですが……。

 ええ……はい。複雑でした。だって、私とあっくんを差し置いて一人だけ何かに楽しんでるんですから……でも、人形みたいにずっと暗かったお母さんが、ようやく笑うようになってくれたので……嬉しかったんです。

 

 あれよあれよよいう間にお母さんは婚約まで漕ぎ着けて、義和さんと、一人息子の漱也さんを私達に紹介してくれました。

 

「はじめまして、今日から私が君たちのお父さんだ、よろしく」

 

 それが、義和さんから最初に掛けられた言葉でした。

 優しい声色でしたし、笑顔で手を差し伸べていましたが、目が……私とあっくんを伺う様にじっと細めて見つめていました。それが、ちょっぴり、怖くて……この人、何を考えてるんだろう、なんて、思ってしまいました。

 義和さんは気が早い人で、お母さんと結婚した時の為に5人で住む為の新居を購入していました。

 そこはもう、今まで住んでいたアパートとは比較にならないほどの『豪邸』でした。私とお母さんは呆然となりましたし、あっくんは「すっげー!」を繰り返し叫びながら飛び跳ねてハシャイでいたのは、今でも忘れません。 

 

 

「はじめまして、漱也です。二人のお兄さんになるから、わからないことがあったら何でもきいてくれよ」

 

 漱也さんはというと、義和さんに似て、真面目な雰囲気でしたが、私達に向ける笑みは屈託ないものでした。

 年が離れていたこともあってか、落ち着いていて、この人がお兄さんなら、頼もしいな――――なんて、思ってました。

 

 

 かくして、お母さんと私とあっくん、新しいお父さんの義和さんと、漱也お兄さん――――凸凹な5人の共同生活が始まりました。

 私は……いえ、お母さんとあっくんも、この頃はちっとも疑ってはいなかったんだと思います。

 これからは幸せな毎日が遅れるって。何も不自由しない生活が待ってるんだって……信じてました!

 

 

 

 

 

 

 あれを見るまでは…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私達の名字が「二葉」になってから一ヶ月後のことです。

 その日は、昼間、曇っていたせいか、夜になると、月も星も見えないほど真っ暗で、闇に飲まれたみたいな空でした。

 時間は大体夜の10時ぐらいだったと思います。

 ガタンッ! と何処かで大きな音がして、お母さんとあっくんと川の字で寝てた私だけが、パッと目を覚ましたんです。

 この時の私は、自分でも呪いたいくらい無邪気な子供でした。面白半分で確認しに向かってしまったのです。

 一階に降りると、お父さん(義和)の書斎だけがまだ明かりがついていました。

 もしかしたら……物音がそこからしたのかもしれない。

 私は、ちょっとドキドキしながら、扉を開けてしまったんです。

 

 そこで見えたのは…………

 

 

「漱也!! こんな遅くまで何をしていたぁッ!! 遊び呆けていたなぁッ!?」

 

 

 顔を真赤にして怒鳴り散らすお父さんと、その前で、土下座するお兄さんでした。

 

「お、お父様、ぼ、僕は学校の友人達と遅くまで勉強していたのです! 断じて、遊び呆けていたつもりは……!」

 

「嘘を付くなバカ者がッ!!」

 

 そう言って、お父さんは、椅子の手すりをガンッと思いっきり叩きます。お兄さんは、音の大きさに「ひっ!」とうめき声を挙げていました。

 私も、初めてみるお父さんの怒りが激しくて……ドキドキしていた気持ちが一瞬で凍りつきました。身体が固まってしまってそこから動けなくなってしまったんです。

 お父さんはポケットから携帯を取り出すと、「これを見ろっ!」と、お兄さんに向かって何かを見せつけました。

 お兄さんは恐る恐る顔を上げて、画像を見ると――――見たくないものがあったに違いありません。

 全身を震わせていました。

 

実苗(みなえ)が買い物途中に撮って送ってくれた! お前が学校をサボって仲間を引き連れてゲームセンターで遊んでいる画像をな!!」

 

「!?」

 

 実苗とは――――お母さんの名前です。

 私は、ぎょっと目が震えました。

 お母さんが……三人で暮らしていた頃、昼と夜も働いて、私とあっくんを食べさせてくれていたお母さんが……血が繋がってないとはいえ、自分の子供を陥れるような真似をするなんて、到底信じられませんでした。

 足の感覚が弱くなって、ガクガクと震えて、立っているのに精一杯でした。

 

 ええ、環さん。

 お父さんの言ってることは嘘っぱちかもしれないから、確かめたかった……お母さんじゃないって叫びたかったんですよ……!!

 でも、顔を真っ赤にして怒るお父さんは、まるでお伽噺の「鬼」みたいで……だから、怖くて、何もできずに見てることしかできなかったんです。

 

「それに……何なんだ!! このテストの点数は!?」

 

 お父さんは、書斎にある机から、数枚の紙を取り出すと、漱也お兄さんに思いっきり投げつけたんです。

 

「100点が一つも無いじゃないか!」

 

「……っ!」

 

 その一言をお父さんが叩き付けた瞬間でした。漱也お兄さんの横目がキッと鋭く光ったのです。

 

「しかし、お父様!!」

 

 顔をバッと上げて、大声で訴えます。

 

「学年では総合4位です! 各教科の先生方も僕みたいな子がいてくれて鼻が高いとまで仰ってくれました。それに……」

 

 お兄さんはそこで、自分の胸元をチラリ見たんです。

 そして、また顔を上げて、訴えました。

 

「さなと篤志はまだ幼い! あの二人の面倒を見ながら、勉強に集中しろというのは、至難というもので……」

 

「黙れぇッ!!」

 

 お父さんの激しい怒号がお兄さんの言葉を遮りました。

 私は、怖くて怖くて……涙が目にいっぱいに溜まって、膝も崩れ落ちました。

 でも……なんだか、逃げるってことだけはしたくなくって、一部始終をしかと見つめていたんです。

 

「与えられた義務を完璧にこなし、さらに自分を律してこそ二葉家の人間足りうる!!」

 

「……っ!」

 

 漱也兄さんが一瞬だけ、クッと、忌々しく顔を歪ませました。

 普段穏やかな人だったので、あの顔は、とても印象に残りました。

 

「良いか漱也っ!! 学校にしろ、社会にしろ日本は全てが競争だっ!! 常に高みを目指し一番にしがみつかなければ直ぐに置いてきぼりにされてしまうっ!! 私は父親としてお前にだけは惨めな思いをさせたくないと思っているのに……どうしてそれが分からないんだ!!」

 

 捲し立てるお父さんの言葉はただ怒っているだけというよりは、必死そうに聞こえて……今にして思えば、何らかの強迫観念を抱いていたんじゃないかって思います。

 一頻りの怒鳴り声を黙って聞いていたお兄さんでしたが……

 

 

「………………お父様は、『父親』としての義務を、完璧にこなせてるんですか……?」

 

 

 そこで……ポツリと、冷えきった言葉を、突き刺す様に放ったんです。

 

「なにぃっ!?」

 

 まさか反論されるなんて思ってもみなかったんでしょうか。

 お父さんは椅子から立ち上がり、這いつくばるお兄さんをギッと見下ろします。

 

「テスト期間中、ずっとずっとずっとずーっと……寝る間も無く勉強してきたんだ。少しぐらいハメを外したっていいじゃないか……!」

 

「だから学生としての義務を放棄したのか!」

 

「この日だけですよ。次からはしませんって……!」

 

 お兄さんの声色は静かなままですが、段々鋭さを増していきました。

 

「一日だけでも放棄は放棄だ!! お前には二葉家の長男としての自覚が……」

 

 お兄さんがそこで、ゆっくりと、立ち上がります。

 『鬼』と見紛う程のお父さんの顔に決して劣らない……凄まじい気迫を携えた表情で。

 

 

「あんたが、いつまで経ってもそんなんだから……母さんは出ていったんだよ……!」

 

 

 そう、訴えました。

 

「っ!!」

 

 お父さんの手が上がります。一触即発の事態になると思って、私は身構えました。

 ですが……お父さんの拳がお兄さんの顔に振るわれることは決してありませんでした。

 ワナワナと悔しそうに拳を震わせながら、消え入りそうな声で呟いたのです。

 

「次からは、もっと頑張れ」

 

 そう言うと、お兄さんに退室許可を出しました。

 私はそこでハッと我に返ると慌てて、逃げる様にその場から立ち去ります。

 ですが……

 

「……さな?」

 

「!!」

 

 退室して、お父さんの部屋の扉を閉めたばかりのお兄さんに見つかってしまいました。

 

「見てたのか?」

 

「~~~~っ!!」

 

 私は慌てて首を横に何度も振ります。

 しかし、お兄さんには隠し通せません。ハア、とため息を付くと、屈んで私と視線を合わせてくれました。

 

「あ~、情けない所をみせちゃったなぁ……」

 

「お兄様、あの……」

 

「兄妹なんだ、気を使うなよ」

 

 そう言ってくれるお兄さんですが、見てしまったのは事実です。罪悪感でいっぱいでした。

 

「お兄ちゃん、あの、ごめんなさい」

 

 だから、泣いて謝ります。お兄ちゃんはふぅ~っと二度目のため息を吐くと、頭をポンっと手を置きます。

 

「謝るなって、別に悪いことしたわけじゃないし。悪いのは親父さ。昔っからああ世間体だの家柄だのにうるさくってね……前の奥さん……僕の本当のお母さんが出ていってから、ちっとも上手くやれてないんだ」

 

 罰が悪そうに頭を掻くお兄さん。

 

「でも、さっき……お兄ちゃんも、怖かった……」

 

「あぁ~~……」

 

 誤魔化す様に顔に苦笑いを浮かべるお兄さん。

 先程お父さんに向けた、あの鬼をも震え上がらせる表情が、くっついて離なかったのです。

 私は、泣きじゃくりながら震えています。

 でも、お兄さんは私の両肩に手を置くと、顔をしかと見つめて、こう言いました。

 

「大丈夫! さなと篤志の前じゃ、怒らないよ」

 

「ほん……とう……」

 

「ああ本当さ。僕はあいつの様にはならない。約束するよ」

 

 お兄さんの顔には、いつもの穏やかさが戻っていました。

 私はほっと安心して、部屋に戻ります。

 

 

 再び横になると、心の中で、ぼうっと不安の影が差し込みました。

 お父さんとお兄さん――――二人の関係は、貧しかったけど比較的穏やかだった、アパート暮らしの頃の私達とはまるで違っていたからです。

 誰よりも裕福で才能に溢れている二人。それなのに、関係は常に冷え切って、ピリピリとした空気を纏っている……。

 

 

 あの剣幕が、これからも見ることになると思うと、不安で――――その日は眠れませんでした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日以来――――お母さんとは話をしていません。

 お母さんが本当に、漱也お兄さんを陥れる様な真似をしたのか、確認するのが怖かったから……。

 

 お母さんも、私と積極的に話そうとはしませんでした。

 多分、お母さんも怖かったんだと思います。

 前のお父さんの事をいつか、私が思い出して喋りだすかもしれないって。それが怖かったんだと思います。

 あの頃の自分の辛さ惨めさを思い出すのが嫌だったんだと思います。

 そんなつもり、無いのに……。

 

 ……あ、話が逸れちゃいましたね。

 

 

 私とあっくんが小学生に上がると、漱也お兄さんによく勉強を教えてもらいました。

 最初はお兄さんが凄く忙しそうに見えたので、お父さんに聞いてみたりしたのですが……

 

「二葉家の人間たるもの、問題は自分の力で解き明かせ」

 

 素っ気なく返されて突き放されてしまいます。

 なので、頑張って問いて、また、確認してみたのですが……

 

「これでは埒が開かんな。漱也に聞け」

 

 なんて言われて、解き方も、回答も結局教えてはくれずに、突き放されてしまいます。

 ……あとで、お兄さんに聞いたのですが……お父さんは「子供に付き合うのは時間の無駄」という考えがある人で、私達の面倒をお兄さん一人に押し付けていました。

 なので、私とあっくんは、勉強の事はお兄さんによく頼りました。

 

 

 お兄さん、あんなこと言ってた割には、一言目には二葉家、二言目には世間体と、結構うるさい人でした。

 

 うん、そうですね、環さん……やっぱり親子なんですよね。

 でも、お父さんと比べると、面倒見は凄く良い人だったんですよ?

 

 勉強中にあっくんが、部屋に転がり込んで遊んでも、怒らずに一緒に遊んでくれるし、私にも、本の事をいろいろ教えてくれたんです。

 

「お兄ちゃん、この本はなあに?」

 

 その本の背表紙には『楽劇』と書かれていました。といっても、当時の私にはさっぱり読めませんでしたが。

 でも、その本がお兄さんが持っている参考書とは全く異なって見えて……自然と手が伸びたんです。

 

「ああ、それは小説だ」

 

「にーちゃん、ショーセツってなんだ?」

 

 一緒に上がり込んできたあっくんが尋ねます。

 

「文章だけで書かれた物語だ。興味があるなら読んで見てもいいよ」

 

「うへえ~、眠たくなりそうだなぁ~」

 

 あっくんはうんざりとそう言いましたが、私は手に取った本を興味津々に見つめてました。

 

「じゃあ、篤志は違うのを読ませてやる。さなは?」

 

「これ、なんて読むの?」

 

 私が指さして尋ねたのは『楽劇』と書かれたタイトルではなく、隅っこに小さく書かれた作家の名前でした。

 

 え? 何か急に嬉しそうだねって? ……ふふ、環さん、よく聞いてくださいね。

 

「どれどれ? ああ、慎允 峡か」

 

「マコト……?」

 

「まこと かい」

 

 

 それが、先生との出会いだったんです。

 

 

 あの……環さん、すっごいニマァ~って笑ってますけど……。

 え? 私もそんな顔してるって……やだ、そんな……!

 

「まだ駆け出しの作家だよ。書いてる本の内容は暗いけど、登場人物の動きがエネルギッシュでね。読んでて力が湧いてくるんだ」

 

 お兄さんは笑ってそう説明してくれました。わたしは、へえ~、と感嘆したんです。

 

「読んでみるか?」

 

 お兄さんに勧められて私は頷いて、本を受け取ります。難しい漢字や単語は辞書を引いて調べて、読み耽りました。

 

 ――――内容は、確かに衝撃的でした。自分の人生のこれまでの苦労がミジンコみたいに小さく感じるぐらいに。

 

 だって、異世界で冒険してるかの様に書かれていた世界観が、まさか――――麻薬中毒者の主人公が見ていた幻覚だったなんて。

 頑張って魔物を退治してダンジョンを攻略したと思ったら――――一家惨殺事件を起こして、更に強盗していたなんて。

 悪魔の城に乗り込んで、魔王と戦ったと思ったら――――ヤクザの事務所に突撃して、組長と刺し違えたなんて。

 

 

 あ、ネタバレしちゃいました。ごめんなさい……。

 え? 環さんのお父さんも先生の本を集めてたんですか? それで読んだこともあるって……はあ、それなら良かった……。

 

 でも、その頃から先生のことを、私は知っていたんです。

 だから、なんでしょうね……一緒に暮らす時、あの人のことをすんなり受け入れられたのは。

 

 え? 先生と仲が良くって羨ましいねって?

 

 はい! 先生のこと……大好きですから!!

 

 

 

 

 …………………………………………アレ?

 

 

 

 

 …………あぁああぁぁああぁぁああああ……!!! えっとえっとええっと……!!

 そ、そういう意味じゃなくって……わ、笑わないで、か、からかわないで……っ!! 環さ~ん……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 大分暴走してますね……ごめんなさい……

 さな → 14歳
 篤志 → 13歳
 漱也 → 22歳

 二葉家の子供となってしまった彼らの運命や、如何に……


 って3話で終わりませんね、これ……。多分6話ぐらい掛かると思います。
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