魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
「失礼ですが……」
「ああ、“これ”ですか」
やちよの視線の方向を察して、咲蘭が目頭を抑える。
当然だ。
咲蘭はずっと目を閉じたままだ。普通に見れば全盲を疑われてもおかしくない筈。
しかし、緩やかに微笑みながら、咲蘭は答える。
「目が
「……!」
「こうして閉じていないと、余計な情報ばかりが入って困るのですよ」
「……成程」
含みのある答えだ。
しかし、納得がいったようにやちよは頷くと、間合いを取って、槍の先端を相手に向けて、構える。
対する咲蘭も、変わらず仏の顔のまま身構える――だが、その型はなんと“拱手”。
「あれは……」
「“神樹の構え”だ!」
「初めてみた……!」
その姿を見た門下生達がざわめく。
一見、先ほど見せた中国式の挨拶と変わらない。しかし、彼女たちの驚きようから、このポーズこそが咲蘭の戦闘態勢だと分かった。
――先に仕掛けたのはやちよだった。
咲蘭は拱手したまま固まっている。仏像の如きその型から何を仕掛けてくるか想像もつかない。ならばこちらから攻撃を仕掛けて見極めるが武術の合理。
槍を先端を向けたまま突貫。そのまま咲蘭に肉薄する――瞬間! 突き刺す寸前でやちよは槍を大きく旋回、続けて旋回! 二回戦で
――――蒼光の一閃。
真剣の居合抜きの如き、一条の光が咲蘭の首を狙う。
が、咲蘭は動じず、拱手したまま。
次の瞬間――
「えっ」
直撃の寸前で、やちよの手から、槍がすっぽ抜けた。
一寸でも、力を抜いたつもりは無かった。
咲蘭の手が動いた様子も無い。彼女は微動だにしていない。
呆然。
未知の事態が突然発生したことで、思考が消去される。
攻撃の最中にも関わらず
勢い余って両足が宙に浮いた。このままでは前のめりに転倒するのみ。
やちよの利き手が反射的に―謂わば無意識に―何かの支えを欲して伸びる。差し出されたのは、咲蘭の左手。
「っ!」
我に返る。
僥倖だった。咄嗟にやちよは右手を引っ込めて、身体を丸めた。肩から床に落ちるとそのまま弾んだボールのように、勢いよく転がり回っていく。
「おや?」
咲蘭が訝しそうにその様子を眺める。
やちよの身体は落ちる寸前で止まった。右肩を庇いながら
「せっかく手を差し伸べましたのに……」
眉を八の字に下げ、残念そうに呟く咲蘭に、やちよはフッと笑う。
「左手は“不浄の手”といいますから……掴む訳にはいきませんでした」
「あら? 中国人は清潔好きなのですよ。日本に住んでいれば尚更」
お互いに皮肉を言い合いながらも、咲蘭は中央に戻り、再び“神樹の構え”に入る。
一方、やちよも中央に戻って咲蘭の型について考察。
(恐らくあれは……白鶴拳の
琉球空手のとは違い、白鶴拳のものは開掌することで、圧倒的な重心を保つ守りの型としてではなく、攻守一体の套路(型)として利用する。
咲蘭の構えは、拱手―つまり、両手を組み合わせているように見えるが、実は僅かに隙間を開けていた。
(危なかった。さっき、彼女の左手をうっかり掴んで居たら……)
『姉者……鄭 咲蘭のは、もっと痛かったぞ』
『肘から膝にかけて、骨が粉砕した』
――――先の試合での劉 蓮穏の言葉が脳裏を過り、肝が冷えた。
「“神樹”とは、自然と一体と成り、自らを大樹と化します」
刹那、風切り音。
高速で“何か”が接近してくるが、咲蘭は構えたまま動かない。
「すると、『木火土金水』―つまり、
ばきり、と折れるような音。
同時に見えたのは、粉砕されパラパラと宙を舞い散るやちよの槍。後頭部直前に迫った槍を、刹那の如き“捌き”で払い、叩き折ったのだ。
「さっすが鄭老師!! 伝説の武術家!」
「伝説……ねえ、確か鄭老師って昔霊山に籠って、とんでもなく強い魔女の結界で一か月間生活したんだっけ、ねえ……? あの“神樹の構え”で……」
「いーや違うよ! 半年間だよ!」
「一年だ」
「……」
周囲から次々と聞こえてくるのは
何れも噂話に留まっている様子だが、その技を実感したやちよとしては確信せざるを得ない。相手は“本物”である、と。
冷静を保ったままに見えるが、その額にはじわりと汗が浮かんでいた。
それを見て、咲蘭は仏の笑みを深める。
「さあ、貴方の“修羅”を解放しなさい。七海やちよ」
「……!」
「そうでなければ、私に指一本触れることすら敵いませんよ」
“修羅”――か。
嫌な響きだ。その言葉には覚えがあるから。
そうしなければ、自分が殺されていた。
大切な人達をもっと犠牲にするかもしれなかった。
――――だけど。
やちよは、震え荒れそうになる心を治める為に、深呼吸。
これは試合だ。
誰かの命を奪われる心配も無い。
咲蘭の言葉は、あくまで挑発。
最初から、相手のペースに飲まれて、自分を乱してはいけない。
だから。
「…………」
やちよに余裕が戻る。
相貌筋から力が抜けていた。
「…………」
すう、とやちよの両手が発光すると、携えていた槍が消失。
「おや」
訝しげにその様子を見つめる咲蘭。
槍が通用しないなら、徒手空拳で挑む――と見るのは早計、やちよの戦意が消えていたから。かといって降参を決めた訳でも無い表情だ。
「……」
すっ、とやちよは腰を落とし、床に正座した。
そして――
「どうぞ。打ってみてください」
微笑みを浮かべて、そういった。
周囲が一斉に騒めく。門下生の年少組は、負けを認めたな、試合放棄するのか、臆病者、日本武道なんて所詮その程度だ、などと罵詈雑言を喚き散らす。年配組は、声を挙げずに、やちよの仕草に不審と不安が入り混じった眼で見つめていた。
(何のつもりだ、やちよ……!?)
そして、試合開始からずっと蒼褪めた顔のひなのも、同じ気持ちだった。
咲蘭は魔法少女も武道家も大ベテラン。やちよの方が弱いとは決して思いたくないが、いくらなんでも相手が悪すぎると思っていた。
にも関わらず、無防備で正座するやちよである。
彼女の性格上、何か狙いがある筈だが、普通に見れば自殺行為に等しかった。
「なるほど」
咲蘭はフッと微笑みを深め、“神樹の構え”を解く。
「私の型は、こちらから手を出さない。そして、貴女も手を出さないと来ましたか」
腰に手を回し、ゆったりと歩みよる咲蘭。
「これで争いは終結。実に平和的で、理想的です」
ですが、と咲蘭は笑みを深める。
「これは、“試合”なのです」
その一言の後。数拍置かれて――――
――衝撃が震撼する。
門下生全員が、驚嘆。
ひなのの顔に、絶望。
海龍の顔に、愉悦。
正に閃光の如し。
一瞬――コンマ1秒にも満たない超高速で、その“一撃”は放たれた。
目の当たりにした全ての者の顔面に轟と突風が吹き当たるのと、落雷の如き爆裂音が耳を劈くのは同時だった。
自分の身に何が起きたのか、やちよは分からなかった。
気が付いた時には、虚空に向かって拳を打ち抜いた咲蘭が見えた。ただ、それだけ。距離は2mは離れていた筈。
炸裂音が耳を貫き、身体の内側からめちゃり、ぐちゃりと不快な音が聞こえてきて――弾かれたように、身体が後方へ吹っ飛んだ。
急な圧力に胃を押しつぶされて、胃酸を宙に撒き散らしながら擂台の端まで――――と、奇跡的に絶望は免れた。
落下寸前でやちよは槍を床に突き刺す!
「!……がはっ!」
衝撃で傷ついた胃から急上昇した鮮血を吐きだしながらも、突き刺した槍を支えにどうにか態勢を立て直すやちよ。
だが、身体のダメージはかなり大きい。同時に心理的ダメージも。
咲蘭の構えをじっと見る。
たった今、彼女が自分に打ち込んだのは寸勁――虚空に突き出された拳は縦、つまりその形は『
咲蘭が呟いた一言に、朦朧としていた筈のやちよの意識が覚醒した。
伝説の中国武術家―
老師・李 洛能の下で形意拳を学んだ彼は、修行時代の三年間を、『崩拳』の練習のみに費やしたとされる。その後、様々な相手と戦ったが、雲深は敵がどんな攻撃をしてこようと、崩拳だけで打ち勝ったというのだ。その時の異名こそが――!
「……ぐっ!」
視界が激しく揺れる。
口から血を垂らしつつ、床に膝を付くやちよ。
伝説は、所詮伝説だ。
誰かが、誰かから聞いた話を勝手に誇張して世間に広めただけに過ぎない――そう思っていたが、郭雲深の逸話は紛れも無い“真実”だと信じざるを得ない。
鄭 咲蘭の崩拳を真正面から受けて、そう確信した。
つまり、“ただの中段突き”でも年月を掛けて磨き上げれば、どんな武器にも勝る“殺人兵器”と化ける――――!
「…………っ」
だが、何よりも恐るべきは“ただの中段突き”をここまで進化させた咲蘭の執念! 正に伝説の郭雲深の如し!
直撃では無く“空圧”を受けただけでこの破壊力だ。
ぞっと、やちよは身体が芯から震え上がっていくのを感じた。悪寒が爪先から這うように背中を駆け上がっていく。
――――これが、“武神”か。
今まで戦った相手との比較なんて全く当てにならない、想像以上の強さだ。
その表情は完全にリラックスしており、余裕綽々といった様子。恐らく、実力の3割も出していないのだろう。
無論、彼女が“本物の”武術家なら、“遊び”の内に終わらせた方がベストだと考えているに違いない。
もし、その気持ちでいるなら、やちよも同意だ。武術家が本気になれば、最悪な事が――――
「やちよっ!!」
ハッとなるやちよ。
唐突に耳に突き刺さったのは、ひなのの、祈るような叫び声。
そうだ。
例え、“最悪”が起きたとしても。
自分は、決して負ける訳にはいかない――
「ふっ」
やちよは槍を引き抜くと、咲蘭に向かって力任せに放り投げた。
既に咲蘭は神樹の構えを取っている。よって無駄な足掻きだ。槍は直撃寸前で真っ二つに叩き折られて床に落下した。
「……?」
と、そこで七海やちよの気配が消えていることに気付く咲蘭。
次の瞬間、周囲から複数の風切音!
「そこです」
咲蘭、虚空に向けて掌底!
ドッと鈍い音が響く。
「ぐっ!」
四方八方から咲蘭に迫り来る槍の雨。
その内の一本を明確に捉えて叩き込んだ瞬間、槍は七海やちよに変化した。
鳩尾への一撃を諸に受けたやちよは呻き声を挙げて、後方へ吹き飛んだ。
「成程。属性が水の貴女は、自分の姿を自由に変容させることができる……しかし」
咲蘭の周りで力を失った槍がバラバラと落下し、蒼の光となって消滅する。
やちよの作戦とは、自らを槍に変え、仕込み槍に紛れさせることで、咲蘭の虚を突く――が、仕込み槍が通用しないことは、試合前に証明済みの筈だ。
非常に稚拙と言わざるを得ない。
焦っているのだろう、と咲蘭は考えた。
それは若さ故だ。実力差は明白、しかし負けを認めたくないから、せめて一撃さえ当たれば逆転のチャンスが生まれる筈だと思って、焦る。
そうして放たれた攻撃は隙が大きいものだ。相手にカウンターのチャンスを与える。ましてや中国武術家にとってカウンターの一発は一撃必殺に等しい。
つまり――
「貴女は、斃される為に向かってくるようなものです」
「…………っ」
口の中に溜まった鮮血をブッと吐いた。
ぜいぜいと息を切らしながらも、やちよは闘志が滲んだ瞳で、咲蘭を睨んでいる。
「遠慮なさらず、全てを開放しなさい。……貴女の内にある“修羅”を」
「いいえ」
やちよは首を振って即答。
穏やかな仏の顔に初めて変化。眉が吊り上がり、眉間に皺が寄る。
「なるほど、つまり負けを認めると」
「いいえ」
「では、何故?」
咲蘭の声色が低くなる。
やちよは微笑みを浮かべて答えた。
「……鄭老師。貴女の神樹の構えは、“究極のリラックス”によって成り立っている」
「……?」
「今から、それを崩します」
やちよは槍の切っ先を咲蘭に向けて、宣言。
怪訝な表情を浮かべている咲蘭だったが――
「なるほど。やれるものなら、やってみなさい」
やがて、フッと面白そうに笑みを浮かべると、再び中央に立ち、神樹の構えに入る。
「いざ」
果たして、圧倒的格上の相手に、勝機はあるのか!?