魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
いろは達が去って10分が経過したころ――――
「春さん、隠れてないで出てこいよ」
カタカタカタカタ……とタブレットPCからキーボード音をけたたましく響かせながら、慎は声を大きめにして虚空に発した。
先程から、鼻にツンとくる臭いに間違いないと思ったのだ。
「へっ、バレちまったか……」
その人物は、慎の背後からのっそりと姿を現した。
背中に圧迫感を感じて慎が振り向く。自分以上に髪と髭をボサボサに伸ばした、浮浪者染みたコート姿の老人が背後に立っていた。
「いつから居た?」
慎は疑念を込めた目で見上げると、春と呼ばれた男は、ニカッと歯を見せて笑った。
どこか一物孕んだ笑みだな、と慎は目を細めて見つめる。
その薄汚れた60~70代ぐらいの男は、環いろはが、見たら「アッ!」と思うだろう。
昨日、八雲みたまの店で年不相応に彼女をナンパしていた老人――――『
「最初からだ」
「環さんの後を付けてたんだな……?」
「ご名答」
それは一歩間違えばストーカーだぞ、と慎は怒りそうになったが、それを訴えた所で、この男はガハハと笑うだけだろう。
はあ、と溜息。
「何でそんな真似をする?」
「七海やちよを下した魔法少女が、あんたみたいな変人とどんな会話をするか気になったんでな」
「なるほど。で、面白かったか?」
慎が皮肉気に感想を尋ねると、春径は「ああ!」と大口を開けて答えた。ニヤニヤと笑いながら、仙人の様に伸びた真っ白い髭を上から下へと撫でた。
彼が心の底から愉快なときによくやる癖だ。
「あんたが無意識の内にあいつを追い詰めたのは見ごたえがあったぜ!」
できれば吐くまで見たかった――――などと、冗談じゃない事をさも平然と口にする春径を、忌々しく思った慎はフン!と鼻を鳴らして一蹴。
顔をタブレットPCに戻すと、執筆を再開した。
「おいおい冗談だって。そう拗ねんなよまこっちゃん」
春径はそう言いながら、慎の向かい側の席にどかりと座った。
「僕はさっさとこれを書き上げて食事をしなくちゃいけないんだ。本題があるなら単刀直入に済ませてくれ」
慎はキーボードの音をカタカタと立てながら、憮然とした様子で素っ気なく告げる。
「そうかい、じゃあ」
春径はそこで笑みを消した。
「アレ、持ってんのか?」
『アレ』――――そう小さく呟く春径の瞳が冷たく光った様に、慎には見えた。
やれやれと思いながら、慎は足元に置いた黒いスポーツバッグを弄ると、中から乾燥された茶葉のようなモノが入った手のひらサイズのストックバッグを取り出し、春径に差し出す。
「どのくらい入ってる?」
「10gだ」
消え入りそうな程、小さく呟かれたその一言に、春径はニッと笑った。
コートの内ポケットから、見た目とは不釣り合いな鰐革の財布を取り出すと、中から万札を5枚取り出して、慎の差し出した物体と交換した。
「分かっているだろうが、それは……」
その言葉を発した瞬間だけ、慎の眼力が異様に強まった。
黒光が瞬いた両目で春径をギッと睨みつけるが、彼にはせせら笑いで返される。
「ああ、悪いことにゃあ使わねえよ。あんたみたいにコイツを必要としてる奴ぁごまんといるから、そういう奴にだけ渡すさ」
「なら、いい」
慎は素っ気なく言うと、タブレットPCの画面に顔を戻して執筆を再開。
「おいおい、若造は人生の先輩の相手をするもんだぜ??」
もう少し面白い話ができると思ってたが、不機嫌にさせたのは不味ったか――――春径は胸中でそうボヤくと、慎に呆れ顔を向けて言い放つ。
「…………」
だが、ガン無視。もう話すことは何も無いと言わんばかりに、慎は執筆に没頭し始めていた。
これ以上何を言っても、カタカタとキーボードの煩わしいタイピング音だけを返されるだろう。
そう思った春径は――――
「二葉さなの家族についてだが…………」
話題を変えることにした。すると、慎の指がピタリと止まる。
「父親の二葉
それも開発部の“最高顧問”待遇でな――――そう告げると、慎は顔を上げてこちらを睨みつけてきた。
「兄貴の二葉
「…………っ!!」
無のままだった慎の形相に、怒りの感情が全面に貼り付けられた。
白い肌が額から赤く染まりかけている。
「大企業様々! これで二葉家は万々歳! 安泰だなあ!」
誰にでもなくパチパチと拍手喝采を送る春径に、慎は我慢の限界の様子だった。
すっと立ち上がると、春径の目先まで歩み寄る。
「春さん、あんた何が言いたいんだ……!?」
激情が滲み出すように、声が震えていた。黒ずんだ瞳で春径をじっと見下ろす。
「なんだ、わかんねぇのか?」
今にも殴りかかってきそうな慎を間近に据えても、春径は怯まない。
寧ろ、カッカッカっと笑って見せた。慎が拳を握り締めて震わせた――――次の瞬間、
「さなちゃんの家族は今も幸せにやってるって言いたかったんだよ!」
その一言で、爆発した。
「このクソ野郎ッ!!」
慎の形相が一瞬で鬼と化した。自然と声が叫ぶ様に張り上がった。
春径の胸ぐらを両手で掴んて、引っ張り上げて強引に椅子から立たせた!
「そんなことを僕に伝えて何になるッ!!? 奴らはさなくんを……家族を無視して、ゴミ同然に捨てたクズ共だッ!! そんな連中の今を聞いた所でッ!!」
さなくんに辛い思いを与えるだけだ!!――――と訴える前に、春径がニヤリと笑って、
「やっぱり、まだまだ青二才だな……」
「っ!?」
そう告げてきた。
彼を殴るよりも前に、その不敵さが籠もる笑みが気になった慎は、思わず胸ぐらを掴んでいた両手を離してしまう。
「いいか、よく考えろ。親父と息子が同じ企業グループに入ったんだ。何か臭うとは思わねえか」
春径の表情は、先程自分に向けたものとは比較にならないほど、真剣なものだった。
だが、意図は読めない。慎はクッと歯噛みする。
「偶然が重なっただけだろう! サンシャイングループ程の大企業なら誰もが入社したいに決まってる!」
サンシャイングループは、日本有数の大企業の一つだ。
現・代表取締役会長――――日秀源道によって一代で築かれた企業は、食品開発に始まり……生活雑貨、建築、不動産、医療機器、薬品開発、機械製作、電気通信、物流……最近では飲食業界と福祉業界に参入と、幅広く規模を展開し、日本中の人々の生活の大黒柱となっている。
特に此処、神浜市に置いても、サンシャイングループの存在感は絶大であった。
10年前――――『魔法少女保護特区』として指定された際、神浜市は大規模な都市化開発が行われた。その際、多大な資金援助を行ったのが他でもないサンシャイングループだったのだ。
現在、生まれ変わった神浜市ではその功績を讃えるかの様に、到る地域でサンシャイングループ系列の店舗や事業所が立地されている。
……話は逸れたが、大企業であるだけにサンシャイングループ系列の企業は何れも雇用条件は良い。
よって、一度入社できれば将来は安泰。神浜市に住む就活生の間では『一番入りたい企業』と専らの評判であり、働き易さについてはTVで特集を組まれた程だ。
「親父はまあいいが、息子を調べたら色々と不可解な点があってな」
「それは?」
「二葉漱也は、3月上旬の時点で、内定を四つも貰っていた。だが、その中に
春径の言葉に、慎は目を見開いた。
「何だと……?」
二葉家については、さな以外知ったことではない――――そう思っていたが、春径から聞く話は実に奇妙で、作家としての勘が疼いてしまった。
耳を研ぎ澄まして、その先を黙って聞くことにする。
「他の4つを捨ててサンシャイン重工の内定を取りに行きましたってかあ……? 無理な話だな」
春径はそんな荒唐無稽な話を呟くと、あっさりと吐き捨てた。
彼の友人もサンシャイン重工に努めているそうだが、営業課の就職となると試験が厳しいらしい。
筆記→面接→二次筆記→二次面接→三次筆記→役員面接→社長面接と――――実に6段階もステップを踏んで行われるそうだ。
一ヶ月以上も掛かりそうなそれらを、僅か半月という短期間でできるとは到底思えない。
「だが、漱也は下旬には、サンシャイン重工に勤め先を決めていた」
「誰かの意志が働いた……とでも?」
「落ち着いてきたじゃねえか。まあ、そんなところだ」
冷静さを取り戻して熟考を始める慎に、春径はふふ、と軽く笑う。
「だが、誰が一体、何のために……?」
「この場合は口封じだな」
頭を捻って考え込む慎に、春径が既に悟った様子でそう答えた。
「サンシャイングループは義和と漱也をなんらかの形で自分達の元に縛り付けとく必要があった、と俺は見ている」
「それこそ荒唐無稽だな」
まるで妄想だ――――思わず口からポロリと出てきそうになった言葉を喉元で止めた。代わりに慎はフン、と鼻で笑ってやる。
だが、春径の形相は真剣に固く締めていて、一片も嘘を言ってる雰囲気では無かった。
「なあ、まこっちゃん」
春径は先程座っていた席に再び腰掛けると、コートの胸ポケットからタバコを一本取り出して吸い始めた。
基本的に女性をナンパする事が多い彼は、口臭を気にしてか滅多に吸わない――代わりに香水を、満遍なく全身に吹き付けているので、近寄ると鼻が曲がりそうになるのだが――。
そんな彼が珍しく吸う時は――――無理難題という“壁”にぶつかっている事の証明でもあった。
「なんだい?」
慎も元の席に戻ると、タブレットPCをパタンと閉じて、春径と向き合う。
彼は口からタバコを外し、プゥ~、と煙を吐いた。
「さなちゃんが家族総出のネグレクトを受け始めたのは……?」
その質問に、慎は若干顔を複雑そうに歪めた。
「……今年の2月10日からだった」
「じゃ、さなちゃんが魔法少女になったのは……いつぐらいだったっけか?」
「……今年の3月3日だな」
「
春径は勝手に納得すると上を仰いだ。
雲ひとつない、澄み切った青空を黙って見詰めている。
何か有るのか?――――と思った慎も彼に合わせるように空を見上げた。真っ青な空の中で白鳥に似た鳥のツガイが優雅に飛んでいる。
「何も無いな」
「いいや」
そう呟くと、彼は顔を戻してフッと笑う。
「まこっちゃん、魔法少女の素質を持った女の子ってのは……『みにくいアヒルの子』によく似てるな」
「ふざけてるのか?」
今日の彼は何かおかしい。先程から突拍子も無い話ばかりしている。
疑わしい目を向けると、春径は小さく口を開いた。
「その3月3日だ……」
「!?」
二葉さなが魔法少女になった日――――慎が思わず聞き耳を研ぎ澄ませる。
「義和と漱也にサンシャイングループからお声が掛かったのは……二葉さなが魔法少女になったのと同時期だ」
☆
慎は、呆然のあまり、しばらく椅子の上で硬直した。
「つまりはどういうことだ……?」
「どういうこともなにもそういうことだ……」
二人の浮浪者染みた男が、相変わらず空を見上げていた。雲一つ無い青空。本日は晴天なり。
「全部仕組まれてたって言いたいのか……?」
「まあ俺の見立てではそうなるな」
しかし、心はどんより曇り空。今にも雨か雷が振ってきそうなぐらい、暗い。
二人は空を見上げながらタバコを吸っていた。吐き出した煙がモクモクと浮かび、蒼穹に吸い込まれて消えていく。
「そして、神浜市の魔法少女を一人増やした恩赦が父親と兄貴に渡されたって訳か……」
「そうだ。
「馬鹿げている。そんなことをして、大企業がなんで得をする?」
「何でかは知らんが……巷で噂になっている『黒い虫』が関与しているからだろうな……」
「何?」
慎は顔を下げて、春径をじっと見た。彼は相変わらず空を見上げている。
「大東区で、一月前に『矢宵板金工場』がサンシャイン重工の傘下に入った。それ以来、区内の魔法少女から夜な夜な黒装束の不審人物を見たって情報が入ってくるんだよ」
「黒い虫が人間の手を借りて巣穴を作っているのか……」
「サンシャイングループとそいつらが手を組んでいるのは間違いねえ。さなちゃんの件に関しても、そいつらが何かを仕掛けた筈だ」
春径はいつに無く真剣だった。
慎はくつくつと笑みを零す。
ここまで荒唐無稽な話が続くと、呆れを通り越して笑いたくなる。
「なんだよその態度は……」
春径も笑い声を聞いて怪訝に思ったらしい。顔を下げて、慎を睨みつけてきた。
「いや、傑作だよ春さん。僕も想像力は豊かな方だが、あんたには負けるね。今度新作を手がける時に原作をお願いしたいぐらいだ」
嘲笑いながら皮肉交じりにそう言ってのける。春径は不快に感じたのか、若干ムスッと顔を顰めた。
「……俺が嘘を付いたことは?」
「無いが……そもそもあんた暇人だろ。考える余裕はいくらでもある」
「まあ、信じる信じないはおまえさんの自由だ……」
春径はハア、と溜息を付くと、椅子を引いて、どっこいしょっと立ち上がる。
背中を向けたので、帰るつもりかと思って眺めていると、
「ただ……」
ポツリと、消え入りそうな声で呟いた。
「大東区じゃ既に、中学生が二人、行方不明になってる……」
「……!」
驚きに目を見開いた。
「いずれも魔法少女じゃない子だが……連中の狙いはそれぐらいの年の
彼はそう零すと、歩き始めた。
「まこっちゃん。さなちゃんのこと、よく見ておいた方がいいぜ」
そして、その言葉を最後に、早足で去っていってしまう。
「…………」
彼の姿が見えなくなってから、慎は少し考え込む。
――――行方不明ねえ。変質者の仕業じゃないのか?
明京町にある大東区は神浜市の中で最も治安が悪いと有名だ。
沿岸部に位置する土地である為、海外からアジア・中国系移民が流れ付き、強盗や麻薬密売といった犯罪を繰り返していた。
無論、常磐ななかが主導する地元の魔法少女達と警察、そして蒼海弊の尽力によって大分抑え込まれてはいるが……それでも流れ着いてくる不法移民を完全に封じることは未だできていない。彼ら不法滞在者による未成年少女の誘拐や人身売買、強姦事件は今もなお、町の片隅で続いているのだ。
春径は随分巧妙な言い回しをしたな、と慎は思う。
あれだと、『黒い虫』が少女を誘拐したように思ってしまう。
『黒い虫』は確かに噂を聞く限り怪しい集団にしか思えないが、大企業と手を組んでるとか、未成年少女を狙っているとかは、流石に春径の考え過ぎ――というか妄想――では無いのか?
彼は暫く、執筆も忘れて思考に耽っていた。