魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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 ……気持ちを立て直すのに時間が掛かり、かなり投稿が遅れてしまいまして、誠に申し訳ありませんでした。
 リハビリがてらの投稿になります。



FILE #13 始まりの詩が聞こえてくる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かにその扉を開けた。

 

 

 

 

 スイッチを押して、明かりを点ける。

 目に見えたのは、何の変哲も無い、いつもの自分の部屋だ。左側に壁に押し付けられた桃色の毛布が掛けられたベッド、その真上で教科書やインテリア、ぬいぐるみが入った3段の棚が横向きで壁に取り付けられている。窓際には、勉強机に衣類が入った4段のショーケース――――部屋の左半分を占めるそれらの家具が、此処を自分意外の誰のものでもないことを証明していた。

 でも今は、酷く違和感を覚える。

 

「……」

 

 違和の正体はすぐに気付けた。部屋の空間は横に長くて、自分みたいな子供が一人で過ごすには少し広すぎると思う。

 部屋の右半分に目を遣ると、“そこ”は『空っぽ』と例えても等しいぐらい、不自然に何も置かれて無かった。

 

 ――――以前、お父さんは言った。「ここに何か置かないか?」と。

 

 ――――私は言った。「何も置かないで!」と。

 

 お父さんは軽い気持ちで言っただろうに、過敏に反応してしまった。余りにも真剣で、怒鳴る様に返したものだから、目を大きく開けてびっくりしてたのは覚えてる。

 どうしてそう返したのか、当時は分からなかった。

 ただ、“そこ”に物を置いてしまったら、自分の大切にしてるものが押し潰されてしまうんじゃないか、という漠然とした恐怖が有った。

 でも今は――――

 

「貴女は、“そこ”にいたんだよね……」

 

 はっきりと分かる。

 妹は、『環 うい』は、確かに“そこ”にいたのだと記憶が告げている。

 広めに造られたこの部屋は、家を建てる時にお父さんが、私とういがいつも一緒に居られるようにって、建築家の人にお願いしたんだ。

 自分と全く同じ家具をういは持っていた。

 鏡写しの様に“そこ”に置いていたことを、はっきりと思い出した。だから、自分はあの時、お父さんに抵抗したんだ――――『環 うい』と自分との思い出が詰まった大切な場所を、何かで消して欲しくなかったから。物の下敷きにしたく無かったから。

 

「お姉ちゃん、思い出したんだよ、ういのこと」

 

 忘れててごめんね。

 心の中でそう謝ると、目を閉じる。瞼の裏側にあるスクリーンの幕が開かれ、ういの姿を鮮明に映し出す。

 

 

 ――――やった、お姉ちゃんと一緒の部屋だ!

 

 自分と一緒の部屋になると知って、無邪気にはしゃいで喜ぶうい。

 

 

 ――――なんだか不思議。これから毎日、お姉ちゃんと一緒に起きて学校に行けるなんて。

 

 部屋を初めて二人で見たとき、私に向かって不思議そうに尋ねるうい。

 あの頃、病状はかなり安定していた。

 同じ年の子供と比べても遜色ないぐらい、身体は元気そのもので、小学校にも通えていた。

 

 

「間違いない。ういはちゃんと、“そこ”に居た、筈なのに、なんで……?」

 

 そのういの痕跡が、この家から、そっくりそのまま無くなってしまっている。

 自分と両親の記憶からも無くなってしまっていた。

 何故、いつ、そうなってしまったのか分からない。

 

「もしかしたら、あの子達なら、知ってるのかも……?」

 

 里見灯花と柊ねむ。ういと同じ病室に居て、院内学級に通っていたあの二人なら、彼女の行方を知っているかもしれない。

 まだ、入院しているのか定かではないが、明日、病院に――――

 

 

 

「貴女はまた“闇”に向かうのか」

 

 

 

 

「!!」

 

 不意に、男の人に呼ばれた気がして、いろはは目を大きく見開いた。

 咄嗟に顔をキョロキョロ見回すが、自分以外に誰もいない。

 

(幻聴……?)

 

 聞き覚えのある声だった。前に夢で見たあの白衣の男性によく似ていた。

 それが、“そこ”から聞こえてきたように感じて、自然と、足が向かう。

 ういのベッドが有った場所まで歩くと、そこできぃ、と床板が鳴った。

 

「……!」

 

 母親の手紙を確認する。ここに、隠されていたものがあるのか。

 屈んで、音が鳴った床板をじぃっと見つめると、そこだけが不自然な正方形で浮き上がっていた。

 手で鷲掴みにして、引っ張ってみると、するりと抜けた。長方形の箱が姿を現した。

 

 ――――それにしても、どうしてお母さんは、態々"ここ”に隠したんだろう。お母さんも、ういのことを忘れていた筈なのに。

 

 母親の不可解な行動に疑問に思いつつも、箱を床に置いて、下部を開けてみる。

 中から一枚のカードと二枚の手紙が取り出せた。

 まず、カードを見る。手紙に書かれていた通り銀行のカードだ。裏側には暗証番号の書かれたメモが貼り付けられていた。預金はここから引き出せ、ということだろう。

 じゃあ、紙には何が書かれているのだろうか――――そう思うと、途端に不安の気持ちが波の様に押し寄せてきて、右手に掴んでいる母親からの書き置きをぎゅう、と握りしめた。せめて、自分にこれ以上の不安を与えさせないものであって欲しいと祈りつつ、一枚目を読み始める。

 

 

 

 

『いろは へ

 

 これを読んでいるということは、お母さんからの書き置きはもう読んでくれたものだと推測します。

 なので、僕からは何も言いません。

 ただ、3つほど約束してください。

 

 

 ・お前の今後は、『夕霧 青佐』という人に託しています。お父さんとお母さんの古くからの友人で、とても信頼できる人です。

  神浜市に住んでいるので、市役所で確認してください。すぐに分かると思います。

 

 ・親戚には一切頼らないでください。お前が叔父や叔母、従兄弟と思っていた人たちは今日から他人になります。

  電話も掛けないでください。

 

 ・これからの人生を平穏にくらしたいとお前が思っているのなら、これから身の回りで起きる事柄には一切関わらないでください。

  でも、もし、立ち向かいたいと思ったら、神浜市で大賢者様を探しなさい。きっと力になってくれる筈です。

 

 

 お前がこれからも健やかに生きていける事を心から祈っています。        父、輝一より』

 

 

 

 

「お父さん……っ!」

 

 父からの手紙を読み終えたいろはの頭に齎されたのは、驚愕と混乱。

 何故、親戚に頼ってはいけないのか。「これから私の身の回りで起きる事柄」とは一体何か?

 考えるだけでも、悍ましい気持ちがざわざわと背中を這い出してきて、震えそうだ。お父さんは何を知っているのか。今まで()を隠していたのか。

 

「でも……」

 

 

 【自分はまだ、一人ぼっちじゃない】

 

 

 『夕霧青佐』と『大賢者様』とは一体何者か――――その二人は、本当に信頼できる人物なのかは分からない。でも、その気持ちが芽生えただけで、心の中を覆っていた雲の群れから、一筋の光明が降り注いだ。

 

(希望は、まだ、ある……!)

 

 それが心を照らして暖める。

 明日は日曜日だ。普通の役場は休みになるが、神浜市役所の場合、治安維持部の受付だけは毎日24時間空いていると七海やちよが教えてくれた。

 早速、明日には向かって、聞いてみよう。いろははそう意気込むと、父の手紙をポケットにしまった。

 ――――そして、残されたもう二枚目の手紙に目を遣る。

 両親からのメッセージは確認した。ならば、残されたこれ(・・)は一体、誰からのものになるのか。

 恐怖に近い不安と、期待を込めて、それを開く。

 

「!!!」

 

 一文目を目にした瞬間、いろはは自分の目を疑った。

 

 

 

 

I have a rendezvous with Death
   

  

 

 

 

「“わたしには”」

 

 いろはの口が、自然と開いた。読んだことも無い英文なのに、何故か自分の頭は、その意味(・・・・)を明確に理解していた。

 

 

「“死神と会う約束がある”……」

 

 

 目線を下げると、英文は更に続いていた。

 

 

 

 

At some disputed barricade,When Spring comes back with rustling shade And apple-blossoms fill the air—

 

 

 

 

「“ある陣地の争奪で 春が物騒がしい明暗と共に還ってきて 林檎の花々の香りが宙を満たすころに――――”」

 

 だが、いろはの頭は、彼女自身驚く程に即座に理解していた。

 

「……っ!?」

 

 困惑が一気に頭の中を支配した。

 一体、これはどういうことか。どうして自分は見たことも無い英文の意味を知っているのか。

 ――――いや、それどころじゃない。これは、もしや――――!!

 

「!!」

 

 いろはは、手紙を顔から離して、書かれている全文を確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 いつもの病室。温かい日差しが窓から差し込んだ、林檎の臭いが優しく漂ういつもの場所で、自分は一つのベッドと向き合っていた。

 

「うい」

 

 声を掛ける。ベッドの上の人物は、身体を起こしていた。顔を背けて窓の方を向いている。

 

「おねえちゃん、思い出したよ、貴女のこと」

 

 それが少し気になりつつも、懸命に声を掛けた。思い出したことを喜んで欲しい一心だった。

 だが、彼女は、振り向かない。映る都会の街並みをじっと眺めている。まるで自分の言葉など最初から聞こえていないかのように。

 

「うい」

 

「…………」

 

 再び声を掛ける。しかし、ういは振り向かない。

 ――――からかってるのかな?

 多分そうだ。なんだか微笑ましくて、ふふ、と笑みが溢れる。

 

「ねえ、うい」

 

 こっちを向いて、顔を見せて。

 そう思い、彼女の肩に手を伸ばし、

 

 

 

「お姉ちゃんは、わたしの邪魔をするの?」

 

 

 

 掴もうとした寸前だった。冷え切った声が、矢の様に飛ばされた。

 

「えっ?」

 

 心臓を射抜かれた様な痛みが強烈に走った。驚きの余り目を見開いた。

 伸ばした手が、ピタリと止まる。ういが今、何を言ったのか、全く理解できなかった。

 

「何度もいったよね?」

 

「…………!!」

 

 ういは振り向かないまま、低い言葉が叩きつけてくる。

 ズキリズキリと、心臓が激しく痛んだ。覚えのない罪悪の感情が強引に引きずり出されて、叩き付けられた様な感覚だった。

 右手で胸を抑える。

 

「……っっ!!」

 

 刹那――――窓の景色が一変。

 光景を目の当たりにした瞬間、両膝ががくがくと震えた。同時に猛烈な胃酸が腹の奥からこみ上げてきて、口を抑える。

 それは、小さなキュゥべえをこの手に掴んだ時に見た夢の一片だった。

 行ったことも無い工場の管理室で、見たことも無い女性が張り付いて眺めていた悍ましい光景――――生肉の塊が、ぐちゃりぬちゃりと生々しい音を立てながら、何処かに運ばれていく。

 

「…………っ!」

 

 恐怖からか、それとも、知らない罪悪感からか。

 自然と、視界が歪んだ。両目には涙が溢れていた。ここから逃げ出したいのに、逃げ出してはならない(・・・・・・・・・・)という矛盾した二つの気持ちが鬩ぎ合い、身体を縛り付けていた。

 

「…………」

 

 ふと、ういを見る。

 ぞっと背筋が冷えた。彼女は、無言のまま、平静とした様子で、窓の光景を眺めている。

 

「わたしには」

 

 そこで、静かに呟きはじめる。

 ああ、次に言うのは、あの『言葉』だ――――でも、それが聞きたくない。ういの口から聞くのは嫌だ。

 

 

“死神”と会う約束があるんだって」

 

 

 耳を塞ぐよりも早く、ういの言葉は告げられてしまった。

 最後まで、振り向くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、知らない病室に自分は居た。

 窓から差し込む陽の明かりが、自分の身体に降り注いでいる。凍り付いた心を優しく撫でて溶かしているようで、安心感で満たされていく。

 あの悍ましい場所から抜け出せたと思うと、ほっと一息付けた。

 

(あれ?)

 

 不意に病室が気になった。全体を見回すと既視感を覚える。

 

(ここって……)

 

 ういが居た病室と酷似していた。

 しかし、平穏に満ちていた『あそこ』と比べると、此処は酷く無機質で殺風景に感じられた。

 それもその筈だ――――林檎の臭いが無い。周りのベッドを見ると、ういも、灯花も、ねむもいない。ああ、ここに誰か一人でも居てくれたらもっと気持ちが安らいだだろうに。

 

 

たまき(・・・)

 

 そこで突然、誰かから、名前を呼ばれた。

 

 

「っ!」

 

 身体がビクリと跳ねる。

 安らぎの時間は一瞬で終わった。目の前に彼女が(・・・)居る限り、それは敵わないのだ。

 緊張感が齎されて、全身を固めていく。

 じとりと、顔に脂汗が浮かんできた。

 

「何をそんなに悩んでいる」

 

 自分は丸椅子に座って顔を前に向ける。以前、夢の工場で見た知らない女性が立ち尽くしていた。彼女も自分と向き合っている。

 憔悴しきっていたあの姿と比べると、今は、両足でしゃんと立っており、背筋もピンと張っていて至って溌剌そうに見える。顔もよく見ると皺が少なくて、10歳は若返っている印象だ。

 

 ――――この人は、誰?

 

 考えてみる。記憶をあるがまま手探ってみる。誰かに(・・・)、彼女は似ている。でも、誰に似ているのかが、想像できない。

 

「感傷に浸るな。ヒューマニズムなど、我々には無用の長物だ」

 

「……っ!」

 

 女性の顔は、叩きつける様な低い声と反比例して、和やかな笑みを浮かべていた。

 それを捉えた瞬間――――一つ理解したことがある。

 彼女の事が、忌々しかった。

 腹の底から憎悪の限りをぶち撒けてやりたいと思っていた。

 

「捨てろ」

 

 素っ気なく吐き出されたその一言で、感情の煮え湯が一気に脳まで達した。

 

 

「捨てちゃ駄目なんだ!!」

 

 

 気がついた時には、自分は彼女の胸ぐらを掴み上げて、ありったけの怒りをぶつけていた。

 

「人は最期の時まで人で無くちゃいけないっ!! 救う使命を背負った私達が人で無くなってしまったら、誰があの子たち(・・・・・)を救えるというのっ!?」 

 

 口から烈火の如き激情が溢れてくる。

 だが、彼女は怯まない。寧ろ蔑む様な笑みと凍り付いた瞳で見下ろしてくる。

 それを見て、もう一つわかった事がある。

 

 

 自分が殺意を抱いたのは、これが初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

「わたしも同意見だ」

 

 

 

 

 

 

 不意に、また別の女性の声が頭に響いた。

 ハッと気がついた頃にはまた別の場所に自分は移動していた。『瞬間移動』をしたらこんな感じなんだろうか、と突拍子も無い考えが頭を過る。

 ――――そこは、またも病室だった。だが、これまで夢で見たものとは明らかに違う。野戦病院の様だ。

 横並びにされたベッドが、部屋の奥まで延々と続いている。何れの上にも人が寝ていた。いや、寝かされていた、といった方が正しいのかもしれない。

 

 ――――正しい? 何で正しいなんて思うの?

 

 自分でそう判断したにも関わらず、疑問が湧いた。問いかけようにも答えてくれそうな人が周りには居ない。

 目の前のベッドを覗き込む。そこに横たわっていたのは子供だった。10代半ばの小さな女の子だ。

 一切微動だにしないので、もしかしたら死んでいるのではないか、と思い咄嗟に口元に耳を当てると、スー……スー……静かな寝息が聞こえてきたので、安堵した。

 身体を戻して、他のベッドをまじまじと見つめる。寝かされているのは、同じぐらいの少女ばかりだ。

 

 

「彼女たちは生きているんじゃない。生かされている(・・・・・・・)

 

 

 不意にその言葉が背後から飛んできた。

 

「~~~~っっ!」

 

 腹立たしい感情が胸の内を覆い尽くす。胃の中で悪い虫が暴れまわり、内側から食い破られる様な痛みが全身に響いた。

 その場で膝が折れた。下腹部を押さえながら、声にならない声で呻く。

 

あいつ(・・・)を見ていると、思う事がある。人間の理性というものはどれほど勝手で漠然とした道具かということを」

 

「っ!!」

 

 苦痛に蹲る自分の背中に、再び同じ声が掛けられた。 咄嗟に振り向くと、今までの夢でも会ったことの無い女性が一人、歩み寄ってきていた。

 赤いフレームの丸メガネを掛けて、白衣を纏った、初老の女性だった。後ろで一本に縛った三つ編みのお下げがゆらゆらと揺れている。

 顔つきは、どこか疲れ切っている様で、頬は色白でこけていた。睡眠不足なのか、目の下には真っ黒なくまができている。

 

「だからこそ、君の言う通り、我々は自らの“良心”でそれを改善しなくてはならない。節制と貞潔を……我らに与え給うた神への敬意によって、それ自体を愛さなければならない」

 

 彼女は、光を失った瞳で見据えながら、まるで機械の様に感情が抜け落ちた声色で淡々と語りかけてくる。

 だが、紡がれた言葉は、意志を失ってはいなかった。

 

「だったら……もう止めるべきです!」

 

 そう確信した時、自分の心に再び火が点いた。立ち上がると、彼女に食って掛かるようにして訴える。

 

「だが、それは今の我々には不可能だ」 

 

 だが、彼女は小さく首を振って否定する。

 

「我々の世界が直面している問題を如何にかするには、彼女たち(・・・・・)の身が必要だった」

 

「そんな……っ!」

 

 諦念混じりの言葉を受けて、歯を食いしばった。そんなことはないと、貴女の意見が()には必要なんだと訴えてやりたかった。

 

「この問題は後世に残してはならない。我々が溌剌としている内に……解決しなければならないんだ」

 

 そこで彼女は、この部屋で横並びになっているベッドの上で、穏やかに眠っている少女たちを見回した後に、ゆっくり首を戻して自分を見つめた。

 

 ――――分かってくれるね。

 

 光を失った漆黒の瞳が、有無を言わせぬ圧力を携えて、そう訴えてきた。

 

「…………」

 

 口を閉ざす。彼女の意志は鋼の様に固い。これ以上は何も言っても通じない。

 

「だが……」

 

 そこで彼女は、顔を俯かせた。影が掛かり、表情が全く見えなくなる。

 

「……最近、夢を見る」

 

 ポツリと呟かれた言葉は、震えていた。 

 

「学校で、保険医をしている夢だ」

 

「…………」

 

 彼女が訥々と語りだしたので、耳を傾ける。

 

「悲鳴が聞こえてね、私は慌てて保健室を飛び出して近くのクラスに駆け込むんだ。女の子ばかりのクラスだった。テロリストが乱入してショットガンを撃ちまくっていた」

 

 語りながら、彼女は両手をゆっくりと上げた。

 

「女の子達は狂ったように悲鳴をあげて次々と血飛沫を撒き散らした。私は『早く逃げろ』と叫ぶんだ。助けようって一心で。でも……みんな、撃ち殺された」

 

 開いた手のひらを、じぃっと見つめている。

 

「気がついたら、ショットガンはわたしの手の中にあったんだ。どういうことかわからなかった(・・・・・・・・・・・・・・)。ただ、一つ分かったのは……」

 

 

 ――――わたしが、彼女たちを撃ち殺した。

 

 

 彼女の声色にようやく感情が乗せられた。声を絞り出すと、両手を強く握りしめて爪を食い込ませる。

 

「それでもわたしは懺悔のつもりで、一人の女の子を外に連れ出そうと背中に乗せた。死にかけている血塗れの少女が恐ろしく重たくのしかかってきた。口の中に血が入り込んで空気を求めて喘いでも、すぐに血は口の中に溜まる。その血の味、血のにおい、血の熱さ、血のぬめりが……こびりついて離れないんだ。こんな夢を毎日見る自分に怒りを覚える……。悪夢が止まらない事にどうしようもない不安を覚えるんだ。昔の楽しい夢が見たいのに……」

 

 彼女は言い切ると、顔を上げた。漆黒の瞳を震わせて、訴えてくる。

 

「ねえ、たまき、わたしの頭の中は、いつの間に、こうなったんだろうか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識は、そこでようやく現実へと戻された。

 いつの間にか、仰向けで眠っていた。夢の内容は、最後まで何が何だかわからなかった。

 何で、身に覚えのないことばかり、思い出すのだろう。

 普通に歩んでいた筈の自分の人生は、これからどうなってしまうのだろう。何処へ向かって行くというのか。

 ういと、お父さんとお母さんがいなくなったことも、全部夢であれば良かったのに――――そう思いながら、体をむくりと起こす。

 誰かが書いたのかわからない手紙を、寝ぼけ眼でもう一度眺めた。

 

「あれ……?」

 

 呆気に取られる。てっきり、視界が歪んでいるのは、寝起きとばかり思っていた。

 頬に、温かい何かが流れ落ちる感覚。

 

「泣いてる、の……わたし……?」

 

 そこで自分は、その手紙を読んで涙を流していたのだと気づかされた。

 直後、頭の中で、呼び覚まされたかのように、ある名前が浮上してきた。

 

「うい」

 

 呟かれたのは、二文字。妹の、名前。

 まさか、と思った。

 しかし、彼女しかいないのだと、自分の頭の中で叫ぶ様な声が響いていた。

 

「うい、なの……? これを、書いたのは……?」

 

 涙を拭い、手紙に書かれている全文を、今一度、確認する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『 I have a rendezvous with Death

  At some disputed barricade,When Spring comes back with rustling shade And apple-blossoms fill the air—

 

 

       あなたがこれを読んでくれた時、もう私はどこにもいないだろう。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 


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