魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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 しばらくはこちらをメインに投稿させていただきます。

 ※オリキャラ登場します。



FILE #14 斯くて、進み行く者達

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、日曜日、午前10時頃――――

 

 

 

 

 

 

 

 場所は神浜市神浜町中央区、市役所の隣にある巨大な建造物『神浜中央図書館』へといろはは足を運んでいた。

 目的は昨日、ういが書いたと思われし置き手紙――――『I have a rendezvous with Death(私には死神と会う約束がある)』で始まる詩についてだ。

 あの文章を読んだ時、自分は既視感を覚えた。いつ、どこで読んだのかについてはさっぱりだが、何かの本で読んだ――――と、記憶が強く訴えている。

 

(そう思ってきてみたのに……)

 

 個人勉強用のテーブルで本を読みながら、いろはは胸中でボヤいた。

 『海外の詩集』という題名の分厚い本をようやく読み切ったところだ。小さな文章を読み込んだせいで目が疲れてきた。擦りながらハア~、と溜息を付く。

 結局、お目当ての詩は、その本には記されていなかった。スマホで時刻を確認すると、既に10時に回ろうとしていた。

 

(もう一時間か~……)

 

 図書館に来たのは9時。開館と同時に足を踏み入れた。

 今日の予定は、この時間までには詩を探し終えて、市役所で自分をお世話してくれるという『夕霧青佐』って人のことを聞いて、ういと、ねむちゃんと灯花ちゃんが入院しているかもしれない『神浜総合病院』に行く――――そう立てていたのに。

 

(なんで私の探しものって見つからないの~……)

 

 ヘナヘナと机に突っ伏すいろは。前回の小さなキュゥべえにしたって、結局自分じゃ探し当てることができず、七海やちよが拾ってくれたのだ。

 今回の詩も全く同じ。一週間……一ヶ月……一年……もしかしたら永遠に見つからないかもしれない不安が、重たく伸し掛かってくる。

 いっそ図書館の職員に聞いてみようとも思ったが、「死神と会う」なんて物騒な言葉から始まる詩を尋ねようものなら、ドン引きされるかもしれない。

 

(もうちょっと探してみよう……)

 

 本を小脇に抱えて立ち上がるいろは。

 『海外の詩集』と題名に書かれた本はこれ一冊しか見つから無かった。 

 しかし、入り口で神浜中央図書館の見取り図を確認したところ、此処は3階立ての広大な建造物である事がわかった。なので、探せばもっとあるかもしれない。

 詩集を戻すべく、元の本棚の前へと移動するいろは。

 

「あっ!」

 

 詩集を隙間に入れようとした所、手が滑って絨毯の上に落っこちてしまった。

 身体を屈めて拾おうとするが、

 

「どうぞ」

 

 耳朶を打つ女の子のか細い声。

 いろはよりも早く、目の前の人物が本を拾ってくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 お礼を言いながら、差し出された本を受け取ると、本棚にしまういろは。

 顔を戻すと、一人の小さな少女が胸の前に手を組んで、佇んでいた。

 人形の様にふわふわしたライトグリーンの髪の毛をツインテールに縛り、子犬の様な愛らしさを感じさせるクリクリと丸い瞳で自身をじぃっと見上げている。

 

(可愛い……)

 

 少女の可憐な相貌にいろはは思わず見とれてしまった。

 

「…………」

 

 少女も微笑みを浮かべて相変わらずいろはをじぃっと見つめている。

 

「………………………」

 

「………………………」

 

 しばらく無言で見つめ合う二人。

 

「…………」

 

「…………あの、ずっと見つめてますけど、何か私、変でしょうか……?」

 

 とは言え、いつまでも無言で見つめられて気持ちの良いものなどいない。いろはは少女の様子を不審に感じて、問いかける。

 

「あ、ご、ごめんなさいっ! ち、違うんですっ」

 

 少女は叱られる子犬の様に、ビクリと肩を震わせて一歩後ずさる。

 

「あ、あのっ、環、いろはさん、ですよね……!」

 

「!!」

 

 名前を呼ばれた事にいろははギョッと目を丸くする。

 

「七海やちよさんに挑戦して、勝ったっていう魔法少女……っ!!」

 

 少女が両目を輝かせて羨望の眼差しを送るが、いろははウッと息を飲んだ。

 確かに挑戦はしたが、自分の中でアレは勝ったといえるのか、微妙だったからだ。(やちよは勝利者と言ってくれたが)

 っていうか、それよりも――――

 

「もう、知れ渡ってるんですね……」

 

「はい♪」

 

 呆然と苦笑いするしかないいろはに、少女は、それはもう嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 そういえば図書館に来るまで、人々が自分の事を注目したり、スマホのカメラでパシャパシャ取られていた気がする。――考え事をしていたので、あまり気にはならなかったが。

 

「そ、そんなに話題になってるんですか……?」

 

「はい。これを見てください」

 

 少女はスマホを取り出すと、神浜市公式HPにアクセスする。そこでニュースページを開くと、画面をいろはに見せつけた。

 

「っ!!!」

 

 それを見たいろはは、ビックリ仰天ッ!!

 

 

 

最強の挑戦者現る!! 女神を地に叩き伏せた女、その名は、【環 いろは】!!』

 

『七海やちよ撃沈!! 突然訪れた闖入者は【魔物】!?』

 

『まさかの敗北!? 【英雄】を超えた環いろはの実力は【神域】か!?』

 

 

 

「~~~~~!?!?!?」

 

 ――――最強の挑戦者!? 魔物!? 神域!? そんなんじゃないっ!! 只の普通の女子中学生です!!

 

 心の中でそう叫ぶものの、こんな形で自分の存在が市内に広まってしまったという事実にいろはの顔は恥辱で真っ赤になる。

 その場で屈んで、頭を抱えると、震えだした。

 

「あの~~……環、さん……」

 

「何も聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえないっ!!」

 

 心配になった少女が声を掛けるも、いろはは振り向く事なく、身体をガタガタと小刻みに震わせながら、懸命に否定するばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二葉さんも魔法少女だったんだね」

 

「はい♪」

 

 あれから10分ぐらい掛けて、いろははどうにか気を取り戻した。

 窓際の談話スペースに移動して、談笑するいろはと少女。

 少女の名は「二葉 さな」といって、いろはがこの街で出会う四人目の魔法少女となった。

 彼女はSNSサイトで偶然知り合った小説家の男性の住まいでルームシェアをしているのだという。

 

「でも、小説家の助手かあ、凄いなあ。どんなことをしてるの?」

 

 いろはが褒めると、さなは若干恥ずかしげに頬を紅潮させて、目を逸した。

 小説家の男性――――さな曰く『先生』は彼女にとって憧れの人らしく、執筆活動を補助したいと自分から『助手』を願い出たのだという。

 

「そんな……凄くなんてないですよ。やってることって言ったら、食事とか掃除とか身の回りの世話ぐらいで……あとは、知識を付ければいつか助けになるかも、って思って本を読んでるぐらいですし……」

 

「へえ! 先生はどんな方? 良い人なの?」

 

「はい♪」

 

 さなの姿勢に感心したいろはが尋ねると、さなは輝かしいぐらいの笑顔で即答。

 

「もやしみたいに根暗な人なんです」

 

「えっ?」

 

 そして、笑顔のまま放たれた一言に、いろはの目が点になる。

 

「私が用意しないと食事なんて取ろうとしないですし、ゴミなんて周りにポイポイ捨てますし、お風呂も禄に入らないし、明け方まで寝ないし、四六時中ぶつぶつブツブツ独り言を呟いてるし、かと思ったら『さなくんやったぞ!! 誰も思いつきそうにない展開が頭に閃いた!! これで締め切り守れるっ♪』なんて服脱いで踊り出すし……」

 

「全然、良い人には思えないんだけど……」

 

「はい。もう変人というか……変態さんです」

 

 捲し立てるように次々と口から放たれるのは、先生に対する罵詈雑言である。

 どうやらこのさなという少女――――小動物的な見た目に反して、気の置けない人物に対しては中々容赦が無いらしい。

 若干寒気が走り、いろはは苦笑いを浮かべていると、さなが急に顔を下に俯かせた。

 

「でも……」

 

 身体をもじもじとよじらすさな。いろはが顔を覗き込むと、色がピンクに染まっていた。

 

 

「……すっごく、優しい人なんです」

 

 

 一泊置かれてから、顔を上げた。迷いの無い瞳でいろはを見据えながら、はっきりとそう伝える。

 

「私、育った環境が凄い複雑なんですけど……先生は気にしないで、全部受け止めてくれたんです」

 

「そっか」

 

 微笑んだ口元から小さく呟かれる声を聞いて、さなは先生に対して特別な感情を抱いているのかもしれない、といろはは思ったが、今は聞かないことにした。

 人の色恋沙汰に首を突っ込んでる余裕が無い、というのもあったが、

 

(この子と先生の優しい関係は、このまま穏やかに続いていってほしいなあ……)

 

 故に、だ。

 彼女と先生の関係に水を刺してはならないと決めた。

 笑顔でさなを見つめて、そう願ういろはであった――――

 

 

 

「っ!!!」

 

 が、刹那、頭にバチリと電流が走った!

 

 

 

 

(そうだ!)

 

「っ!?」

 

 突然、頭の中でそう叫ぶと、顔から笑みを消した。そして、さなを真剣な眼差しで強く見つめるいろは。

 根拠も無くいきなり凝視されてしまったさなは、さながら狼に捉えられた兎の様な反応を示した。心臓がドキリと飛び跳ね、ギョッとたじろいで、困惑。

 

「二葉さん」

 

「は……はい!?」

 

 温和な少女から、戦士の様なしかめっ面に豹変したいろはに、さなは脅えるしかない。

 細められた目は、睨みつけてくるように強くて、何か失礼な事を言ったかな、とさなは身が竦ませる。

 

「先生に、会わせてもらえないかな?」

 

「えっ?」

 

 かと思いきや、いろはの口から飛び出したのは、思ってもない申し出――――さなは目を丸くしたが、自分に怒ってる訳でないと知って、心の底からホッとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろははさなに引き連れられて、図書館の屋上へと向かっていた。

 出入口に有る見取り図にも記されてあったが、この図書館は屋上にもテーブル席や木製のベンチ、個人勉強用スペース等が設けられ、読書に勤しめる仕組みになっている。

 さなの話では、先生は開館時間の9時からそこで執筆に集中していると聞いた。

 

 ――――小説家なら、あの“詩”のことを知っているかもしれない。

 

 いろはが、先生に会いたいのは、そう思い至ったからだ。

 引き締めた険しい顔つきのまま、屋上への階段を一歩一歩踏み進んでいく。

 

「環さん」

 

 そこで、いろはより前を歩いていたさなが突然足を止めた。名前を呼んで振り向く。

 

「……!!」

 

「??」

 

 さなの顔と、いろはの顔が向かい合ったのと同時だった。さなが突然驚いた様にビクッと肩を震わすと、怯えた表情で俯きだす。

 その仕草を怪訝に思ういろはだったが、答えはすぐに彼女の口から吐き出された。

 

「顔、怖い、ですよ……」

 

「っ!!!」

 

 消え入りそうな程小声でポツリと呟かれた言葉は、いろはの意表を鋭く貫いた。ハッと口を開けて、目を見開く。

 愕然とした。

 大慌てで両手で顔を拭う仕草を取る。

 

「……ごめんね、そんな顔してた?」

 

 拭いさった後には、困った様に眉を八の字にした、いつもの温和な笑みを浮かべたいろはの顔があった。

 彼女に言われるまで全く自覚が無かった事に、後悔する。

 

「はい……。あの、やっぱり、気になるんですか……? その“詩”のことが……」

 

 しかし、表情を元に戻しただけで、さなが簡単に警戒を解いてくれる訳が無かった。

 彼女の顔には若干の怯えと困惑が張り付いたまま、じぃっと見つめてくる。

 疑うような問いかけにいろははこくりと頷いて、答える。

 

「うん……。私にとって、大切なことかもしれないから……」

 

「そうですか……」

 

 さなはそう言って顔を戻すと、再び階段を昇り始める。いろはも合わせてさなの後ろを付いていく。

 しばらく無言のまま、二人は進んでいた。

 やがて、階段を上り切ると、一つのガラス扉が前方に見えてきた。

 

「この先に先生が?」

 

「はい」

 

 二人並んでガラス扉の前に立つ。自動開閉式だが、開く位置まで進む前に、いろはは立ち止まった。

 

「どうしました?」

 

 さなも立ち止まって、いろはの方を向いた。表情を悩ましそうに歪めている。

 

「あの……やっぱり執筆の邪魔しちゃ悪いかな……」

 

「あ、大丈夫だと思います。先生、たぶん、気にしませんし……ただ」

 

「ただ?」

 

「集中し過ぎてると、気を逸らすのが大変なんです。もし、そうだったら、手伝いますね……!」

 

 そういえば――――といろはは不意に、自分の父親の事を思い出した。

 彼は大手製薬会社の開発部で働いていた。

 会社の研究資料を家に持ち帰って調べている間は、かなり熱中している様子で、何度声を掛けても、どんな言葉を投げても、上の空だった記憶がある。

 一つの仕事に人生を捧げた男の人というのは、皆あんな風なんだろうか――――

 

「環さん?」

 

 思っていると、さなに声を掛けられた。ハッと我に返るいろは。

 

「あっ! ごめんごめん。ちょっと考え事してて……じゃあ、行こうか」

 

「はい」

 

 笑顔で声を掛けるとさなも笑顔で返してくれた。二人は同じタイミングで前に進みだす。

 扉が機械音を立てて開き、屋上の外へと足を踏み入れる。

 見取り図通りの光景が広がっていた。真っ青な空の下で、パラソルが中央に取り付けられたテーブルが散らばっている。端の方を見遣ると、木製のベンチもあった。角に当たる場所には、個人勉強用スペースが設けられている。

 

「うわあ……!」

 

 屋上まで行ける図書館は普通無い。いろはも初めて見る光景に新鮮味を覚えて思わず感嘆の声を漏らした。柔らかく当たる風も涼しくて心地いい。

 それにしても――――こんなに素晴らしい場所があるにも関わらず、人は斑らである。内部は老若男女でガヤガヤしていたのに、意外だ。

 さなの話では態々ここまで足を運んで、本を読む人はいないという。いるとしたら先生の様な変わり者か、独りが好きな人ぐらいだそうだ。

 

「先生は?」

 

「すぐ目の前ですよ」

 

 さなにそう言われて、前方に目を向けるいろは。

 刹那――――目に映った一人の人物の姿に、釘付けにされた。

 

 

 

「……………………」

 

 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ…………

 

 

 

 視界には、みずぼらしい男性。耳を叩くのは、何かを打ち込む様な機械音。 

 澄みきった世界の中でその一部分だけが、異様だった。

 凄まじい熱気が感じられて、いろはの額に、じとりと脂汗が浮かんでくる。緊張感で体を強張らせた。。

 ジャージ姿の男性は座椅子に腰を掛けて、テーブルの上に置かれたタブレットPCの画面を、何かに取りつかれたかの様に淀んだ黒ずんだ瞳で凝視しながら、凄まじい速度でタイピングを打っている。勢いよく叩いているせいで、2m程離れた自分の耳にもカタカタカタ……と煩わしい音が飛んできた。

 更に、PCの隣置きにされている物体にも、目を奪われた。

 下部をよく見ると銀色の灰皿だ。それだけなら何の変哲もない。問題は中身だ。

 図書館が開いて既に一時間半ばで4箱は開けたのか――――そう思ってしまう程の先端を黒くした残骸が、小山の様にこんもりと盛られている。

 彼の口にも一本の煙草が咥えられていた。タイピングを打ち終えた彼は、左手の二本指でそれを摘まんで口から離すと、腕を真上に振りかぶる。

 

「ふんっ!!」

 

 そして、苛立ちを発散するように力強く意気込みながら、勢いよく灰皿の中へと先端を叩きつける!

 朱色に燃えていた先端は、強力な圧力によってすぐに鎮火された。即座に黒墨となった先端から弱弱しくなった煙が漂い、晴天へと舞い昇っていく。

 

(……っ!)

 

 いろはの足が竦みだす。

 最初は、幻だと思った。色んな魔女や魔法少女を目にした自分でも、ここまで凄まじい気迫の持ち主は、知らない。

 みずぼらしい男性はやせ細ってて、肌も雪のように色くて……黒い髪もボサボサに生えてて、無精ひげも口の周りを覆いつくしてて、まるで死を間近にしながらも、満足な手当てや世話を受けていない重病人の様だ。

 だが、自分の体が受け止めているのは、間違いなく彼が放つ熱気。

 全身を鋭く刺すようなそれは正しく彼が、そこで強く生きていることの証だった。

 

(あ、声を掛けなきゃ。でも……)

 

 彼が、さなのいう『先生』なら、聞きたい事を問わなければならない。

 だが、声を掛けるのが、怖い。

 先生と思われし男性は、いろはとさなに全く気づくことなく、再び画面を凝視しながらキーボードを騒がしく叩きつけている。

 

「執筆に熱中してるみたいだし……やっぱり、悪い、よね……?」

 

 いろはが、さなに横目を向けて、問いかける。

 内心では、先生らしき男の今の様子からして、声を掛けたときに、怒鳴られるかもしれないという不安の方が強かった。

 すっかりオドオドしている。

 

「大丈夫ですよ」

 

 だが、さなは自信を込めた笑みをいろはに向けて、はっきりとそう返した。

 

「……えっ?」

 

「先生?」

 

 いろはが目を丸くしている内に、既にさなは先生の傍へと歩み寄っていた。

 

「…………」

 

 だが、先生にはどこ吹く風。カタカタカタカタ……とキーボードの音だけがやかましく返ってくる。

 

「先生」

 

「………………」

 

 二度目の呼びかけ。しかしこれにも無反応。先生の意識は『執筆』から逸れない。

 

「先生!」

 

「……………………」

 

 三度目。耳元に口を近づけて、頑張って大声。

 しかし、これも彼には届かない。左耳から入った言葉は、頭に向かわずに、右耳から抜けてしまったらしい。

 

(こうなったら……最後の手段!)

 

 先生は、こうなってしまった場合、耳を(つね)ろうが、引っ張ろうが、頭をポカポカ叩こうが、全く通用しないのだ。

 執筆を完全に終えるまでは、普通に戻らない。

 故に、奥の手を使うしかない。

 

(でも……)

 

 チラリと、いろはの方を見る。人前ではコレ(・・)をするのは恥ずかしいけど……彼女の為だ。仕方がない。

 さなは、唇を先生の耳元に近づけて――――

 

 

「フッ」

 

 と、息を吹きかけた。

 

 

「~~~~~~っっっ!?!?」

 

 その直後であった。

 先生の全身から放たれる熱の奔流が、瞬時に収まった。ゾクゾクと凍える様に身を震わすと、顔面が蒼褪めていく。

 そして――――

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?」

 

 腹の底から絶叫して、椅子ごと、後ろから転げ落ちた。

 四肢でバタバタと床を叩きながら、悶え苦しむ。

 

「耳~~~~っ!! 耳はやめてくれぇ~~~~!! それだけはダメなんだぁ~~~~!!!」

 

(ええ~……)

 

 情けない悲鳴を挙げながら、頭を抱えてダンゴムシの様に縮こまる先生。

 先ほどの熱気を纏う人物と同一とは思えず、いろはは愕然と見つめるしかない。

 

「先生」

 

「うわあっ!?」

 

 そこで、さなが先生の前で屈んで声を掛ける。先生は頭をがばっと上げた。

 

「……ってなんださなくんか。驚かさないでくれ。頼むから……」

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

 ホッと一息付くと全身の硬直が解けたのか、体がへなへなと床に這いつくばった。

 先生のそんな姿が滑稽に感じたのか、さなは笑いを漏らしつつも謝る。

 

「それよりも先生……。先生にお客様です」

 

「あっ、え? もしかして、あの子かい?」

 

「はい」

 

 ようやく我に返った先生がきょとんと目を丸くすると、いろはの方を向いた。

 さなも合わせるように、いろはの方へ顔を向ける。

 

「は、はじめまして!」

 

 未だ緊張が抜けきっていないいろは、ビシッと背筋を伸ばして挨拶。先生は立ち上がると、

 

「いや、失敬。見苦しい所を見せてしまったね」

 

 僅かに微笑を浮かべて歩み寄ってきた。

 

「はじめまして。作家の阿峡(あかい) (まこと)だ」

 

 名乗った先生は右手を差し伸べて握手を求めてくる。いろはも右手で握り返した。

 

「あかい まこと……」

 

 なんだろう、聞き覚えがある名前だ。確か、それっぽい名前の小説家の本を、読んだことがある。

 

「ペンネームで名乗った方が分かり易かったかな?」

 

 顔を俯かせて考え込んでいると、先生の穏やかな声が降ってきた。

 

「え?」

 

慎允(まこと) (かい)。改めて、よろしく」

 

「!!」

 

 いろはは目を大きく見開いて、先生を見た。

 『慎允 峡』――――その名を聞いた途端、頭の中で回答が光の様に広がり始める。

 確か、その作家は近年、幅広い世代で人気だった。

 去年発表した作品、「欺瞞」に至っては個々の登場人物たる老若男女が抱えるドロドロとした感情を克明に表現する手法が素晴らしいと評価され、芥川賞候補にまで残った程だ。

 父が彼の小説を夢中になって読んでいたのを、はっきりと思い出せる。

 いろはも試しに読んでみたが、登場人物達の心象描写の余りものエグさに気分を悪くしたので、読むのを断念してしまった。

 

「は、はじめまして、環、いろはです……」

 

 とはいえ、まさか今を煌く人気作家と此処で巡り合えるとは思っていなかっただけに驚きを隠せなかった。

 目を大きく見開いたまま、カチンコチンに体を固めてお辞儀する。

 慎は笑みを浮かべて頷くと、倒れていた座椅子を起こして座った。そして、「立ち話もなんだから」と、いろはとさなに同じテーブル席に座る様に促す。

 いろはは慎の対面側に、さなは直角側に座った。

 

「さて、環さん、僕に何の様かな?」

 

「実は、先生にお尋ねしたいことがありまして……少しお時間を頂いても、大丈夫でしょうか?」

 

「かまわないよ」

 

 丁度休憩を取ろうと思っていたところだしね、と言うと、テーブルに身を乗り出して、興味津々の目を向けてくる慎。

 いろはは「ありがとうございます」というと、一泊置いてから、

 

 

「“I have a rendezvous with Death”……」

 

 

 口を大きく開いてはっきりと、流れるような口調でその英文を囁いた。

 

「……!」

 

 慎の目の色が変わった。鋭く細められた瞳から鈍い眼光が瞬く。

 

「『私には死神と会う約束がある』……。この一節から始まる“詩”を、知ってますか……?」

 

 対するいろはも真剣な表情で眞を見つめ返していた。

 慎はいろはを凝視したまま、しばし沈黙していたが――――二分ぐらい立ってから、唐突に胸ポケットに指を突っ込むと、煙草を一本取り出した。先端に火を点けて口に咥える。

 

「環さん……」

 

「なんでしょう?」

 

 いろはが尋ねると慎は煙草を口から離して、ふう~、と煙を吐いた。

 そして再び、いろはの顔を真っ直ぐに見据える。

 

「君の事を……少し、詳しく、教えてくれないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 まず、アイちゃんファンの皆様、並びにさな×アイちゃんの絡みを期待してくださっていた皆様、本当に申し訳ありません。

 本編から登場順を入れ替えて、二葉さなのお披露目となりました。

 今回はかなり中途半端なところでブッた斬ってしまいましたが、近い内に次話投稿させていただく予定です。

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