魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
一ヶ月は短い。
理恵に聞いた所では、閉店したら、彼女の両親は中央区で新しい職を見つけてから、そちらに引っ越す予定だそうだ。
その間、鶴乃ができることといいえば、彼女の精肉店に足
行く度に、理恵は、お礼とばかりにラードで揚げた牛肉コロッケか、カツサンドを
夕食で味わう度に、鶴乃は思う。
理恵の店で作られたコロッケとカツサンドは、最高だ。
例え、テレビで紹介されている名店で同じものを食べたとしても、自分の舌は上書きされることは無いだろう。
「ねえ、理恵ちゃん」
だからこそ、鶴乃はやっておかなければならない事があった。
ある日曜の午後、万々歳の休憩中に、理恵の店に飛び込んだ鶴乃は、意を決した表情であることを切り出す。
「なあに? 鶴ピー」
「コロッケとカツサンドの作り方、わたしに教えてもらえないかな?」
鶴乃は思っていた。それらの味をいつまでも残しておきたいと。
彼女の店が無くなってしまうのなら、万々歳で提供できるようにしたいと。
かつて、祖父の鶏太郎は小さかった自分にこんなことを話していた。万々歳の祖・由比雀七曰く、店のメニューに記されている料理は人の思いで作られたものだと。
戦争時代にまで話は遡るが、当時、雀七は日本軍人の一人として中国に赴いていた。
1937年――――日本軍は、日中戦争開始より中国中心部への進軍を急速にすすめ、1938年6月までに中国北部全域を制圧するに至り、交通の動脈である平漢線と隴海線の両鉄道路線の合流点である鄭州市を攻略できる状況となった。
だが、その頃――――鄭州市の攻略に成功されると、国民党政府にとって主要都市の危機に直結することを危惧した中国軍は、日本軍の進撃をはばもうと、黄河の堤防を爆破する。
このとき、大雨が降ったこともあって11の都市と、4000の村が水没し、水死者100万人、その他の被害者600万人という大惨事となった。
有名な『黄河決壊事件』である。
この時、日本軍兵士は一人も犠牲にならなかった。
人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が広がった。そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は、民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化した。
そんな状況に立ち向かったのが、日本軍であった。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけでなく、被災した民衆を筏船百数十艘を出して救助し、防疫作業を行なった。
1938年には、農業復興の計画を発表し、日本人技術者が中国農民に、技術を提供していった事で、占領地域での農業は飛躍的に増大した。
敵対国の民衆を、必死になって救済したのである。
この活動に奇しくも雀七は参加していた。
行く先々の被災地で、料理店を経営していたという人達と出会った。
彼らは皆、地元で働く人々に安らぎの場を提供したいと願い、店を開いた者ばかりであった。
自国軍の人為的水害によって、店を失い、夢も希望も絶たれてしまった――――と、現地の料理人達の悲痛な叫びと絶望を目の当たりにした雀七は、彼ら一人ひとりの下に足繁く通い、中華料理の技術と知識を教わった。
そして、彼らの無念を晴らすべく――何より、彼らの料理と地元民に対する熱意を日本人にも伝えたいと――日本に帰ってから、中華飯店を始めた。
それが万々歳のルーツである。
鶴乃にはそんな曾祖父の偉大さがずっと頭に残っていた。
最も、調理レシピは現在、サンシャイングループの手の内にあるが、曽祖父の遺志だけは奪わせたりはしない。
彼がそうしてきたのなら、自分もまた同じやり方をするまで。
それが、他者の救済に繋がると信じているからこその、提案であった。
「………………………だめだよ、鶴ピー」
しかし――――理恵から返ってきた言葉は、まさかの拒絶だった。
「……え?」
喜ぶとばかり思っていた鶴乃の頭蓋に、鈍器で強く殴られた様な衝撃が走った。
思わず、目が震えた。
曽祖父と同じ行いが、自分の提案の何がいけなかったというのか!?
「で、でもっ!!」
気が付いた時、鶴乃は理恵の肩を強く掴み掛かっていた。
痛みに彼女が顔を歪めたのにも構わず、鶴乃は咆哮する。
「この店が、作り上げてきた
「だから、なんだよ……」
眉間に皺を寄せた鬼の様な形相で、今にも涙が溢れそうな眼差しを向けて必死に訴えてくる鶴乃に、ちゃんと応えられる様な気力は今の理恵には、もう無かった。
彼女の首が力なく垂れ下がる。ポツリと呟いた言葉は今にも、空気に混じって消え去りそうだ。
「万々歳がある鶴ピーに、これ以上背負わせられないよ……」
咄嗟に鶴乃は首を振った。強引に口の端を吊り上げて、無理やりな笑顔を見せると、威勢よく答えた。
「わたしは気にしないよ!」
「私が気にするんだよー……」
「っ!!」
だが、理恵の拒絶は変わらなかった。彼女は首を小さく振って、耳を研ぎ澄ませねば聞こえない程の音量で答える。
鶴乃は口をクッと結んだ。
これ以上自分が何を一生懸命言ったところで、もう彼女には届かない。
「もういいよ……」
「…………」
鶴乃の顔にはまだ激情が残っていた。
このまま終わらせる訳にはいかないと、まだできる事がある筈だと、彼女の爛々と瞬く赤い瞳は痛烈に告げていた。
――――どこまでも、鶴乃は優しくて、正しい。
だからこそ、彼女に残してしまうのは、申し訳無い。
彼女はここで、いつまでも前を向いて生きていって欲しいから。もう過去のものなる自分の店に、構ってほしく無い。
「もういいんだよ、鶴ピー」
だから、なるべく笑顔を見せて、彼女がこれ以上心配しないように、声色にできる限り普段どおりの愛情を込めて、告げた。
それが、最後の会話となった。
☆
一か月は長い。
だが、鶴乃は何もしなかった。
『自分には何もできることがない』という現実を痛烈に思い知ってから、何もかもが億劫だ。
朝、起きたら店内を掃除し、家族の朝ごはんを作り、学校へ行き、帰ったら閉店まで店を手伝い、パソコンの家計簿に一日の売り上げと食費を入力してから、眠りに付く。
そんな、まるで工場のロボットの様に、流れが一から十まで決まった一日を繰り返しながら、残された時間を無駄に費やしていた。
結局、曾祖父の様に、誰かを救う力は自分には無かった。
あれよあれよという間に、説明会の日を迎えてしまった。
朝食後、食器を洗っている鶴乃の耳に、たまたま居間のテレビの音声が聞こえてきた。
『この前、仕事が終わって帰ってる途中にいきなり意識無くしちゃって……気が付いたらビルの屋上にいたんですよ。……あ~、ありゃマジやばかったですね。【魔女の口づけ】ってのにやられてたんだと思います。もうちょっと歩いてたら、落っこちてました。だからねえ、命を助けてくれた魔法少女には本当に感謝しか無いんですよ……』
『最近テレビの偏向報道、酷くないですか? 迷宮入りした事件は、なんでもかんでも魔法少女に結び付けようとしててさあ。俺この前、魔法少女が人助けてるところ見たんですよ? 彼女達一人ひとりが犯罪を起こす様なタマだったら、とっくに日本社会は崩壊してますって。警察は自分達の無能と怠慢を曝け出してることにいい加減気づくべきじゃないですかね?』
『東京の方じゃあ、民間の企業が魔法少女の夜間警備隊を作って、夜中に街をパトロールさせてるっていうじゃないですか。だから政府にはさっさと神浜市の【治安維持部】みたいな警察組織を日本全国に創って欲しいんですよね。いつまでも検討中じゃなくってさ』
魔法少女を絶賛する、人々の声が。
いつもは、聞き流している筈のそれらが、今日は妙に耳朶を強く叩いている。
――――せめて、七海やちよか、梓みふゆの様な『魔法少女』であったなら、理恵ももう少しは自分を頼ってくれたのだろうか。
「ちょっと鶴ちゃん!」
「!?」
そんなとりどめの無い事をボンヤリと考えていると、誰かの呼び声が強烈に耳を貫いた。鶴乃はハッと目を見開く。
「おばあちゃん、どうしたの?」
声の方向を咄嗟に振り向くと、恰幅の良い貴婦人の様な老婆がしかめっ面で睨んでいた。
「どうしたの、じゃないわよ~! おばあちゃんが何回呼んだって上の空で~!」
そうだったのか。テレビの声を聞き取ることに全神経を集中していたらしい。鶴乃は誤魔化すべく明るく笑って頭を掻いた。
「いやーあははー。ごめんねー。ちょっと考え事してて……」
だが、強引に笑みを作ったせいで、口元が僅かに引き攣ってしまった。
それを、苦味と読み取ったのか、老婆は「まっ!」と口元に手を当てて驚く仕草を見せる。
「それは大変ねっ! 何か悩んでることがあるんだったら、おばあちゃんに何でもいいなさいよ、ねっ!?」
「う、うん……」
店を禄に手伝わない人間に、相談できることがあるんだろうか――――
鶴乃の頭の奥底で小さな苛立ちの火が灯されたが、目先の老婆がそんな自分の深層に気づいてくれることは永遠に無いのだろう。
「おばあちゃん、どっか行くの?」
鶴乃は、老婆の首から下を流す様に見た。先ほど老婆を『貴婦人』と例えたのは、その通りの恰好をしているからだ。分厚いが優美なミンクファーコート、被っている帽子も、一見何の変哲も無い赤いハットにしか見えないが、エクアドルという国で作られた『パナマハット』というもので、最高級品らしい。
これらは、恐らく
日秀源道から莫大な資金を提供された万々歳だが、由比家は質素倹約な生活を続けていた。
それは祖父の鶏太郎が、『経営者たる者、常に謙虚たるべし』と口うるさく教えてくれたからだと鶴乃は思っている。お金にどれだけ余裕があろうとも、周りの地元民や、常連客と歩幅を合わせられなければ、愛される店は作れない。
だからこそ、目先の老婆の恰好は、鶴乃にとっては、不可解極まるものでしかなかった。
「だって今日は日曜じゃな~いっ! 友達と中央商店街まで遊びに行ってくるのよ~!」
思わず「はっ!?」と出そうになった口を無理やりギュッと結んだ。
この老婆の言ってることが理解できなかった。正に常識の範囲外だ。
今日は、再開発事業の説明会。参京区に住む人間なら、何より重要な日と捉えておかしくない筈なのに。
「…………今日は、説明会の日、なんだけど」
内心で燃え上がった苛立ちが、鶴乃の口から言葉を噴出させた。
だが、老婆はおかしそうに、アッハッハと、哄笑を煩わしいまでに響かせるだけだ。
「だって私経営者じゃないしねぇ~! そもそも対象は東と南だから北のウチは関係無いじゃないのぉ~! おばあちゃん、鶴ちゃんがそこまで気にする必要無いと思うけどぉ~!」
だらりと垂れさがった鶴乃の両手が拳を形作り、老婆には気づかれないぐらいに小さく震えた。
恐らく、目の前の彼女が曲がりなりにも家族でなかったら、胸倉を掴み上げて問い質したいところだ。
『貴女に地元を愛する気持ちはあるのか』と――――
…………いや、やめとこう。
元々地元民ですらない彼女にそんな気持ちは微塵も無い。言及したところで、首を傾げられるだけなのは目に見えている。
老婆の名は、津和吹
万々歳に住んでいることから、亡き祖父・鶏太郎の妻――父・隼太郎の母親――と勘違いされがちだが、実際は、母・
元々彼女の出身は神浜町参京区ではなく、慶治町水名区である。
万々歳が再建されて、木次郎が店を去ると、入れ替わる様に、転がり込んで居候を始めたのだ。
(どうも、独り暮らしをしてたが、心配になった母が呼び寄せたらしい)
とはいえ、木次郎の様に店を積極的に手伝ってくれたりはしなかった。日々、居間でのんきにお茶を飲んだり、近所の老婆達と井戸端会議を楽しんでいるだけで、由比家では、「とりあえず居る」だけの置物の様な存在だ。
鶴乃としては、家族の一員である以上、店の事を手伝って欲しい気持ちは多分にあったが……如何せん高齢に鞭打つのは気が引けるし、誰かに迷惑を掛けている訳でもないから、放置することにした。
しかし――――最近、外出する事が多い。
朝から何も言わずに、豪華な恰好をして、ふらりとどこかへ出かけたかと思うと、夕方には必ず帰ってくる。ただし、その代わり、デパートの買い物袋を必ず手に提げて。
中身が何なのか、本人は何も言わない。コッソリ確認しようとも思ったが、家族の秘密を暴く様な気がして、何だか、気が引けた。
鶴乃は、家計簿をマメにつけているが、由比家の生活費から抜き取られているものではなかった。また、父にも確認したところ、銀行の口座からは一円も引かれていなかったらしい。
まさか――――サラ金?
せっせと玄関で靴を履いている祖母の後ろ姿を見て、そんな良からぬ事が頭を過った。
以前、母親の紀子に聞いた所では、祖母の美江は、水名区にある由緒ある家系の令嬢として生まれた過去を持ち、あの水名女学園の卒業生でもあった。若かりし頃は、周囲のライバルである令嬢達よりも上に立つべく、衣装や所有物に私財を投げ込んで最高級の物を身に纏い、精一杯見栄を張っていたらしい。
そんな過去を送った祖母が、万々歳での質素な暮らしに耐えられるかは、疑問だった。
欲望というのは厄介で、自分では完全に封じたと思っても、いつ何が原因で、再び頭をもたげてくるかわからないからだ。
しかし、だ。
今の鶴乃に、祖母を問い質すだけの余裕は無かった。
とにかく、再開発事業の事で参京区は混乱の渦中なのだ。神経は成るべく、そちらの方に費やしたい。
この時の甘さが、後に自分の精神を重く苦しめることになろうとは、思ってもみなかった。
鶴乃がいつまでもイライラしてて申し訳ありません……。
という訳で、先人たるジジイ達の活躍で今があるんだよ、な話でした。
なんかもう、書いてたら色々膨れあがっちゃって……原作とは色々食い違い過ぎちゃってて……ファンの方には本当に申し訳ないとしか言い様がありません…………