魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
外はもうすっかり夜だ――――スマホで時刻を確認すると、もう19時を回ろうとしていた。
時期は5月。外気はまだまだ震えるほど寒い。念の溜め着込んでおいて正解だったな、といろはは思う。
鶴乃はというと、上着に薄いセーターを着込んでるくらいで、首元は顕わだし、下半身に至っては、ミニスカートの下から細い生足が丸出しになっていた。
いろはが、寒くないんですか? と尋ねると、普段から体温が高いから寒くは無い、と豪語する。
相変わらずこの街に来てからアクシデントが多いなあ、といろはは思う。
予定していた通りにこれっぽっちも動けなかった。本来なら午後に、ういと、灯花と、ねむが入院していた筈の神浜総合病院に向かう筈だったのだが、この時間帯ではもう開いていない。
「はあ……」
いろはは溜め息を吐いた。鶴乃と交友関係が築けたのは素直に嬉しい。しかし、自分には一刻も早く探さなくてはいけないものがあるのだ。今日は日曜日、明日は学校。今日が駄目だった場合、また次の土日まで引き伸ばさなければならない。
「~♪」
目と鼻の先を歩く少女は鼻歌を唄いながら、軽快なステップを踏んでいた。
言いたいことを言えたので、気持ちが軽くなった様子だ。
こっちの事情も知らないで……とついつい恨めしく彼女の背中を睨んでしまう。そうする自分に余計に苛立った。
「はあ……」
「どうしたの?」
二度目の溜息が聞こえてしまったらしい。鶴乃が振り向いて怪訝そうに尋ねてくる。
「いえ、何もっ」
「もしかして、妹さんのこと?」
「!!」
慌てて首を振ったが、鶴乃には見透かされてしまったらしい。
「……いろはちゃんがこの街に来たのは、もしかして妹さんのこと?」
「はい」
根拠は無い。だが、この街で探していればういは必ず見つかるはずだ。
そう伝えると鶴乃ははにかんだ。
「じゃあ、ちゃんと見つけないとだね!」
鶴乃はくるりと半転していろはの眼前に躍り出るとその両手を掴み上げる。
「わたしも、出来る限りは協力するからさ!」
その言葉にいろはの心が熱くなる。
自分は本当に報われている。この街の人は本当に良い人ばかりだ。
「あ、でも……」
「? どうしたの?」
いろはが顔を曇らせる。
「由比さん、ご家庭の事で大変なのに……協力して頂くのは悪いですよ」
「あー……」
鶴乃は罰が悪そうに頬を書いた。
「気にしない気にしない! だってもうウチには」
――――厄介な人は、いないから。
「……! それって……」
最後の言葉に、背筋が冷える様な感覚。悪い予感がした。自分は踏み込んではいけない領域に足を入れてしまったのか。
だが、鶴乃は明るく笑う。
「あるきながら、話そうか」
鶴乃の表情は快晴の様に眩しかったか、声色は無機質に聞こえた。
☆
二年前、参京区――――
「七海やちよが、来たって……?!」
祖母は追い出され、大叔父が家を取りまとめたことで、ようやく由比家が、そして鶴乃自身が落ち着きを取り戻した矢先だった。
大凡一ヶ月ぶりに商店街組合事務所へ足を運ぶと、寝耳に水の情報が入ってきた。
――――治安維持部長、七海やちよ。
神浜市が誇る最強の魔法少女が、参京商店街にお忍びで来たと言うのだ。
訪れたのは、万々歳と同じく北側に店を構える関 幸四郎の呉服店。一体何の用事で――――と考えるまでも無かった。
十中八九、再開発の件だろう。
「でも……」
鶴乃はそこで眉を顰める。彼女の周囲には、商店街の経営者達が集まっていた。
顔ぶれを見て、反対派も賛成派も関係なく集まっていることに、ほんの少し安心した。
皆、なるべく気持ちを一つに纏めたいという気持ちが根底にあるのかもしれない。まだ、商店街の結束は解れを見せなかった。
「治安維持部の魔法少女は、いつ如何なる場合に於いても、行政の施策に参加させてはならないって……市条例で定められている筈だよね?」
神浜市のみならず、政治に魔法少女が参加する権利は現状認められていない。
政治家が魔法少女を――厳密に言えば、彼女たちの『魔法』を――利用しようものならば、たちまち社会からバッシングを受ける事になりかねないからだ。
魔法は大変便利だが、一歩間違えれば、自分の首を締めかねない諸刃の剣となりかねないため、彼女達を避ける政治家も多い。
また、魔法少女には投票権も認められていない。
過去に東京都のある大都市圏の区長選挙で、ある魔法少女のチームが、自分達が支持する政治家を『魔法』で不正に当選させた事例が過去に有ったからである。
以上の現状を踏まえて、治安維持部に所属する魔法少女も、その名が示す通り、治安維持以外の活動は厳禁とされている。
(――――と、言っても、どこまでが『治安維持』の範囲なのか。その辺りの線引きが曖昧である為、各チームリーダーの裁量に委ねられているのだが……)
「確かにそうだが……」
鶴乃の言葉に頷くも、渋面を浮かべたのは小柄なメガネの老人・斉藤 正だ。
「副部長の梓みふゆは、サンシャイングループの御曹司。そして部長の七海やちよは両親が10年前に亡くなっている。成年後見人を買って出たのが……梓つむぎだ」
鶴乃の顔に分かりやすい苛立ちが浮かんだ。奥歯をギリと噛み締める。
「最初から、
その話を聞きながらも、『中山陶器店』中山三郎と定食屋『いなほ』の川野ケイ子は黙したまま、じっとパイプ椅子に座り込んでいた。
梓つむぎの合理的手段に反対派も当初は為す術無しかと思われたが、以外にも、彼らは根気良く反発を続けていた。中山と川野の元に、TOYAMA不動産や行政の職員が度々足を運んで立ち退きの交渉をするも、中々首を縦に振ろうとはしなかった。
――――だが、その矢先、七海やちよが此処に訪れた。それが意味することは一つしかない。
「このままじゃ埒が開かないから、魔法少女を派遣した……?」
「俺はそうは思えねぇな」
鶴乃の懐疑的な言葉に、即座に反論したのは『斉藤寝具店』店主・斉藤 司だ。
「七海やちよは平等主義者で有名だろ? それに、俺も仕事でよく中央区に行くが……あいつの支持者は多い。それこそ、幼稚園児のガキンチョからヨボヨボの婆さんまでな。あんなに多くの住民から慕われてる人間が、行政に従って、此処の店を潰そうなんて思うか?」
「どうだか」
息子の訴えに、正は鼻で笑う。
「平等主義者でも所詮は人だ。恩人の頼みを無碍にはできんだろう」
「それは、どうだろうねえ?」
川野が反応を示した。こちらを向いた顔は、どこか懐かしそうに目を細めていた。
「七海ちゃんは小っちゃい頃はよくお父さんに連れられて、こっちに買い物に来てたじゃないか」
「…………」
余計な事を――――と、言いたげに川野を横目で睨む正。
「おっ! 川野の婆さん、知ってるのかいっ?」
「おお知ってるとも。とんだじゃじゃ馬でねえ、元気にはしゃぎまわっては頻繁に迷子になって、お父さんを困らせていたよぉ~。なっ、しょうちゃんっ!」
川野は快晴の様な笑顔を正に向ける。彼は渋い顔を浮かべていた。
「……俺もその時の七海やちよは知ってるがね……。今は市役所の職員だろう」
正はあくまで冷静だった。
「このタイミングで此処に来た。しかも反対派の関の店にだ。十中八九再開発の交渉に違いない」
淡々と現実を突きつけてくる。
川野の顔から笑みが消えた。笑みを刻んでいた筈の口元がへの字に曲がる。忽ち、重い空気が場を支配した。
「魔法少女が相手ならばもはや俺らには何も太刀打ちはできん。大人しく諦めることだな」
「親父っ!」
「まだだっ!!」
父に苛立つ司の怒鳴り声を、鶴乃の必死の叫びが掻き消した!
「鶴ちゃんっ?!」
「まだ、諦めるのは早いよ!! 七海やちよが昔よくここに来てたっていうのなら、相当思い入れがある筈だよ!! 説得の余地だって……」
「七海やちよはあるだろうが、梓みふゆには
必死の訴えも、正の冷徹な言葉に一刀両断された。
七海やちよは下町育ちだが、梓みふゆは温室育ちの令嬢。恐らく下町の人間の気持ちなど意には介さないだろう。
経営者達の顔が意気消沈する。
「確か……梓みふゆの魔法って……」
「ああ、聞いた所だと、『幻覚』って言ってたよな……」
「ああ、マジかぁ~~……」
「俺達、このまま反発続けてたら、幻見せつけられるんかなぁ……」
「その間に、店を取り壊された、なんてことになったら……」
「くっ……」
一様に頭を抱える老人達。鶴乃が苦々しく顔を歪ませる。為す術は無いのか――――
そう思った矢先、ふと中山の顔を見ると、完全に顔が青褪めてしまっていた。
「中山の爺ちゃん、だいじょぶ?」
心配になって傍に寄る。中山は血の気の引いた顔を俯かせながら、何かをブツブツ祈るように唱えていた。
こんな中山の様子は見たこと無い。流石に心配になって、傍による。
――――お鶴ちゃんが、…………だったら。
「えっ」
聞こえてきた言葉に、鶴乃の頭が一瞬、真っ白になった。
「今、なんて――――」
思わず、問いかける。
中山は怯えた子供の様に情けない顔を鶴乃に向けると、懇願するように、はっきりとこう言った。
「お鶴ちゃんが、
「!!」
それは、紛れも無い願望だった。
自分が予想もしていなかった、連中の立ち向かう事ができる、可能性の一つだった。
衝撃の余り、息が止まりそうになった。
だが、瞬時に周囲の経営者達の敵意が中山に向けられる。
「おいっ!! 中山の爺さん!! 今自分が何を言ったかわかってるのかっ!!」
「っ!?」
司の怒号が、場を震撼させた。中山がハッと顔を上げる。
自分は今、何て言った?
「魔法少女がどういうものか知ってとるんか!! 『魔女』とかいう妖怪と永久に戦わされるんじゃぞ!!」
「鶴ちゃんがどんだけお前の事を心配してると思っとるんじゃ!!」
「わしらの鶴乃ちゃんに死ねっと言うんか!!」
司の激昂を皮切りに老人達が次々と怒りの矛を中山に突き刺す!
中山の顔が一気に焦燥に染まった。崖っぷちに追い込まれた精神がとんでもないことを口に出してしまった。
「自分らの為に若い
「そ、そうじゃないっ!」
普段の冷徹な正すらも、静かな怒りを目に滾らせていた。
一瞬で四面楚歌の状況に追い込まれた中山は震え慄くが、懸命に自分の意見を伝えた。
「ただ……このまんまじゃあ……俺達の商店街は、いいようにされちまうって、思ってさあ……」
中山は顔を俯かせて、再び首が下るほど重い溜息を吐いた。
「ごめんな。お鶴ちゃん、ごめん……」
心底申し訳無く、深々と頭を下げる中山に、鶴乃は何も言えなかった。
中山の状況を思えば、何かに縋り付きたくなるのは当然の感情だ。攻めることはできない。崖っぷちに立たされているのを知っていながら、何もできない自分に彼を攻める資格は無い。
「そろそろ……かねえ……」
その様子を眺めていた川野が何かを呟いたのがはっきり聞こえたが、今の鶴乃の頭には届かなかった。
☆
鶴乃は自宅に戻っていた。
ベッドに端座位になりながら両手を合わせて、瞑想を唱えていた。
「キュゥべえ……どうか、来てください……」
願うのは、『願い事を伝えるだけ』で少女を魔法少女にしてくれるという獣の来訪だった。
自分の元に来てくれたことは一度も無い。
参京商店街を守るには、もう、あの獣にすがり、七海やちよと同等の力を得るしかない。
「お願いします……。どうか……来てください……お願いします……っ!!」
鶴乃は時間が許す限り強く念じた。一時間も、二時間も、ずっと念じ続けていた。
しかし――――
「駄目だ……っ」
瞑想を止めた。これ以上続けても無駄だと悟ったからだ。
「どうして、来ないの……!?」
わたしには、叶えたい願いもあるのに。魔法少女の力を必要としてるのに!!
心の中で悲鳴を挙げるが、届く筈も無かった。
諦めるしかなかった――――
鶴乃はこの時、後ろを振り向かなかったのは幸か不幸か。
窓の向こう側――――夜に閉ざされた暗闇の中で、真紅の光が二つ、妖しく瞬いていた。