魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
――――米国人は生を崇めるが、我々は死を崇める。
あるテロ組織の主導者はそう言った。
狂っている、と思った。
でも、自分にはまだ遠い世界だと思っていた。
「君には魔法少女としての素質がある」
暗澹とした世界に、二つの赤い光を瞬かせながら、白い獣が嘯いた。
「本当なの……!?」
少女が息を飲み込む。魔法少女がどういう存在であるのかは知っている。
命を捨てて怪物と永遠に戦う使命を背負わされる――――それを聞いて、恐怖を抱かない筈が無かった。
しかし、心の何処かで、彼がやってくるのを待ちわびてた自分が居た。
「さあ、願い事を言うといい」
「わたしは……」
少女は口を開いた。
「おじいちゃんが言ってたの。努力すればいつかは報われるって……でもダメ。色んなことを誰よりも努力しても、ちっとも報われない」
「君が身を置く状況はあまりにも悪すぎる。不運に恵まれていると言っていいぐらいだ。どうだい? いっそ逆にしてみる、というのは?」
真紅が更に輝きを増したように見えたが、彼の真意は少女にとってはどうでもいいことだった。
「逆……?」
「“幸運”を願ってみる、ということさ」
「“幸運”……」
少女はその単語について想いを馳せる。
わたしにとっての幸運――――商店街が権力に脅かされない、家族がバラバラにならない、何より万々歳が繁盛する。
それらが、叶うというのなら、わたしは――――
「そうだね。それがいいよ」
「決まりだね。では、君の口から僕に告げるといい」
「わたしは――――」
“幸運が欲しい”
☆
「――――と言ったものの……」
店のカウンターテーブルを、除菌洗剤付きの布巾でせっせと磨きながら鶴乃は独りごちる。
魔法少女になって一週間が経過したが、鶴乃の身辺で変わった様子は無い。万々歳の客の出入りも相変わらず疎らである。最近は掃除している時間の方がより増えたように感じた。
魔女という怪物とも未だ出会ってない。キュゥべえ曰く、神浜市の魔女は他の地域よりも強いとのことだが、鶴乃の潜在能力は高いので、戦い方さえ分かれば難なく倒せるらしい。
魔女が出現を確認した場合、治安維持部に通報する義務が市条例で定められているが、鶴乃にその気は無い。商店街は自分の手で守ってみせる! ――――そう意気込んでいたのだが、魔女が出現しなければ話にならない。
「はぁ~……」
「お嬢さん、何かお困りですかな?」
「そうなんだよぉ~。……って誰っ!?」
父や大叔父のものでも無い声。びっくり仰天した鶴乃が振り向くと、口元を襟首で覆った、コート姿の女性が佇んでいた。
「今度此方で自営しようと考えている者ですな。視察に馳せ参じたのですが、道中、お腹が空いてしまいまして一歩も動けませぬ……」
女性が捨て犬の様な悲しい目で鶴乃を見上げた。同時にお腹をクゥ、と鳴らす。途端に鶴乃の顔が光り輝いた。
「あっ! お客様ですねっ!! いらっしゃ~~いっ!!」
「ラーメンと餃子をお願いできますかな?」
「今すぐにっ!!」
笑顔でカウンターテーブルに案内すると、厨房に飛び込んだ。
やがて、女性は提供されたラーメンと餃子をペロリと平らげると、看板娘の顔を見つめる。
「……そういえば、お嬢さん」
「何ですか?」
「何かお困りの様ですが……もしかして、再開発の件ですかな?」
図星――――言い当てられて鶴乃はギクリとしたが、笑って誤魔化した。
「あっはは、まあ、そんなところかな……? でも、よく分かりましたねっ?」
「小生、こう見えても神浜総合病院で看護師を務めているので御座りまする。故に、困っている人の顔は見ればすぐに分かりまする」
看護師さんってこんな変な喋り方だっけ? と鶴乃は疑問に思ったが、女性の目は真剣そのものだ。ふざけている様子は微塵もない。
「お嬢さん。失礼ですが、掌を拝見してもよろしいですかな?」
「はあ……いいですけど」
鶴乃は不審に思いながらも女性に向けて手を伸ばしてみる。
「ふむふむふむ…………」
まるで診察するように、女性が掌を睨みつけた。
「あの、何か……ありました?」
「ふむ、こんな手相は見たことありませぬ」
「えっ!」
看護師さんって手相を占うの!? と鶴乃はこれまた疑問に思ったが、自称看護師の女性は、真摯な瞳で告げた。
「“三奇紋”ですな」
「さんき、もん?」
「運命線と太陽線と財運線が集まり1本の線になっている手相のことですな。お喜びくだされお嬢さん。今は不幸でも、近々大金が懐に舞い込んくるのですな」
「大金って……いつ? どこから?」
お金が来ると聞いて素直に嬉しいが、大金持ちの知り合いなんていない訳で。だから、いつ、どこからそれがやってくるのか皆目検討もつかない。
「今すぐ、呼び込んでしまえばよろしいのですな」
女性は自信有り気にそう言い放つ。「えっ?」と目を丸くした。
「大将殿、僭越ながら、お嬢さんを暫し外にお連れしたいのですが、よろしいですか?」
「あぁ~いいですよぉ。今はそんなに忙しくないし」
女性は鶴乃に承諾も得ずに、店主の隼太郎に告げる。
「いや、ちょっと……」
「っという訳です。お嬢さん、一緒に宝くじを買いに行くのですな」
「ええ……」
強引に決められてしまった。
☆
自称看護師は、朝香美代と名乗った。
後々、鶴乃とは数奇な縁で結ばれていくが、そんなことは当時の二人が知る由も無い。
彼女に誘われるまま、宝くじを購入したものの……これまで不幸続きだったのだ。キュゥべえに願ったといっても、自分のところに幸せが転がり込んでくるのだろうか?
そう疑問を抱きながら、数日が経ったある日――――
「えええええええええええええええええええええええええええ!?!?」
何気なく新聞を眺めていた鶴乃の口から突然、ビックリ仰天の叫び声が上がった!!
「おい、どうしたっ!! 鶴っ!?」
普段冷静な木次郎が慌てて飛び込んでくるのも無理はない。
「おんじ、あたった……あたったよぉ……!!」
鶴乃の声は感動のあまり震えていた。木次郎は「そんなことか」と言わんばかりに、はあ、と溜息。
「ああ、この前変な女に誘われて買ったっつう宝くじか……。どうせ5千、良くて一万だろ?」
「ち、違うっ!! 見てっ!! とにかく見てッ!!!!」
「お、おう」
新聞の内容を顔面に押し付けられた。目を細めて字面を確認すると――――
『一等、8億円』
魂が抜けるかと思った。
「な、なんじゃこりゃあああああああああああああああああああ!!!!???」
普段冷徹な彼ですら、目先に映った“コレ”にはビックリ仰天せざるを得ない。
大声を聞いて、隼太郎と紀子が急いで駆けつけると、半乱狂になって走り回る鶴乃と、白目を剥いて仰向けに倒れて気を失っている木次郎の姿があった。
ある意味、地獄絵図であったのは想像に難くない。
☆
その夜。鶴乃と紀子が寝静まった後――――鶴乃の父・隼太郎と、木次郎は小さな灯りが付いた居間で、話し合っていた。
内容は言うまでも無く、鶴乃が宝くじで当てた『8億円』の処遇に関してだ。
まず、木次郎が懸念したのは、不審な輩が万々歳に近寄ってくる、ということだ。しつこい嫌がらせや、覚えの無いクレームを付けて、高額な金銭を要求してくるケースが必ず発生するだろう。
そして、何より魔法少女が跳梁跋扈する世の中である。参京区より大分離れた大東区では、『傭兵』と呼ばれるヤクザ御用達の魔法少女も多く居住しているのだ。金の為ならどんな汚れ仕事も引き受けると謂われている彼女達が、やってくる可能性も否定できない。
「鶴の為だ。万々歳の評判が落ちることは避けたい。隼、どんな奴が来ても毅然としてろよ」
「おう」
甥は胸を張って応える。
「それと、治安維持部にも相談しておけ。鶴には内緒でな」
「うん。あ、そうだ叔父さん」
「何だ?」
そこで、隼太郎は少し顔を俯かせた。
「このお金でさ……サンシャイングループから渡されたお金を返そうと思うんだ。地元の名士であるうちがいつまでもあいつらに恩を売ったまんまにする訳にもいかないしさあ」
かつて、隼太郎はサンシャイングループ代表・日秀源道の甘言に乗せられてしまい、祖父と父が作り上げてきた万々歳の秘伝のレシピを渡してしまった。
当時は父に対する復讐心が強く勝っていたのと、単純にお金が欲しかったが故の軽率な行動だったが、結果として鶴乃を悲しませたことを、今は後悔している。
「確かにそうだが……」
甥の決意に木次郎は素直に頷くが、表情は硬いままだ。
「? 叔父さん? 何か浮かない顔してるねぇ」
「いや、なんとなぁく、引っかかるものがあってな……」
木次郎は、喉仏を掻く仕草をした。
例えるなら、魚の小骨が此処に刺さったような感覚だ。今ひとつ、現状を飲み込めない。
「でも、ビックリしたよなぁ。いきなりこんな大金が舞い込んでくるなんて。ほんと、鶴乃は
「……!」
鶴乃がよくやった――――その言葉に木次郎はピクリと反応する。
「ああ、鶴乃がってよりは、あいつの“運”が、かな?」
(まさか……!)
木次郎の背筋に気色悪い虫がざわざわと這い出した。
しかし、そんな木次郎の不安など。
“幸運”を手に入れて、絶頂の最中にいた鶴乃の気持ちなど、一息で吹き消す様な――――
大事件が起きた。
☆
B国の首都Iで爆撃テロが発生した。
自爆ベルトを装着した狂信者数名が、ショッピングモールに忍び込んで一斉に起爆させた。死傷者は200人以上だった。
でも、自分には、まだ関係無かった。
家に帰ればいつものように家族が待っている。
気が弱いけど温厚な父、頑固だけど頼もしい大叔父、お金にちょっとがめついけど明るい母、いつもの人達と変わりなく日々を過ごすことが、目まぐるしく変わる世界の中で唯一の心の支えだった。
これだけは失いたくない。誰にも奪わせない。
そう思っていた矢先だった――――
「出て行けッ!! 出ていきやがれぇッ!!!」
鶴乃は目先の出来事に瞠目した。
玄関の入口から聞こえてくるのは大叔父の怒り狂った声。そして、直後に入り口から女性が吐き出された。
「お母さん!?」
何が起きたのか――――考える前に鶴乃の足は動いていた。
「どうしたの!?」
母に駆け寄り、声を掛ける。あまりに力強く突き飛ばされたせいで、地面に体を強く打ち付けたらしい。顔面と手の甲に出来た赤い擦り傷が痛ましい。
「つ、鶴乃……!」
母の顔は恐怖に怯えているようだった。鶴乃は咄嗟に玄関先に目を向ける。鬼の様な形相の木次郎が仁王立ちしていた。
「おんじ、どういうこと……!?」
普段冷徹な木次郎は滅多に感情を顕わにしない。ここまで女性相手に憤怒するのは、何か理由があるに違い無かった。
彼は、怒りの余り充血した瞳で母を見下げて言い放った。
「鶴、そいつはまた、裏切った」
彼は強い怒りに支配されているようだった。後ろから咄嗟に父が羽交い締めにする。
「叔父さん!! もう勘弁してくれっ!」
「黙れ隼ッ!!」
だが、父は呆気なく払いのけられて、尻もちをついてしまう。
凄まじい気迫を見せる叔父の姿に、鶴乃は困惑するしかない。
だが、その原因が母にあるのなら――――
「お母さん、何をしたの?」
問い詰める。母親は「ヒッ」と体を小さく震わせた。涙目を鶴乃に向ける。
その目が訴えていた。助けて、と――――
「鶴、そいつにもう構うな」
だが、木次郎は酷く冷たい声で言い放った。鶴乃が唖然と目を見開く。
「えっ!?」
「そいつは、また遺品を質に入れようとしやがった」
鶴乃の全身が急激に冷えていった。
「今度は、なにを売ろうとしたの」
声から感情が抜けていく。今の自分は機械と同じだろう。
「家宝だ」
耳を疑った。
“家宝”――――それはかつて、曾祖父が昭和天皇陛下から頂いた、万々歳への直筆の感謝状に他ならない。
「つ、鶴乃……」
母は懇願するように鶴乃に縋り付こうとする。
纏わりつく母の体温が、異様に気色悪かった。
「……っ!」
強烈な嫌悪感を覚えて、その体を突き飛ばした。母が再び地面に転がる。
「……てよ……」
無様な姿のそれを自然と睨みつけていた。こいつはもう、母親じゃない。
「どっか行ってよ!!」
「……!?」
母はたった今耳にした事が信じられないといった、愕然とした形相で鶴乃を見つめていた。
まさか、娘にさえ拒絶されるとは夢にも思ってなかったらしい。
彼女の前に、一枚のカードが投げ込まれた。同時に木次郎の怒号が鳴り響く。
「そんなに金が欲しいのか!! だったらくれてやるっ!!」
「叔父さん、あれは……」
「8億だッ!! そこに8億が入ってる!! それを持って何処へでも行っちまえっ!! その代わりもう二度と万々歳の暖簾を潜るなッ!!!」
その言葉が母親の耳と心を貫いた。
彼女は、愕然と震えていた。
しばらく、彷徨う様な目で、冷たい表情の鶴乃と、落ちている銀行のカードを目配せしていたが――――やがて、銀行のカードを拾った。
「鶴乃……」
銀行のカードをギュッと、愛おしそうに握りしめながら、娘を今一度見つめる、母だった者。
「…………」
――――ああ、この人は結局、家族よりも、“それ”を選ぶのか。
鶴乃の心は、怒りも呆れもとうに超えて、一種の悟りの境地に入っていた。
もう目の前の女が何をしようと、自分は何も心を動かすことは無い。
「ごめん、なさい」
彼女は、一度、頭を下げた。
同時にポツリと言った言葉が本心かどうかは分からなかった。
そして、ゆっくりと立ち上がると、何処かへと走り去ってしまう。
もう二度と家に来ることは無いだろう。
鶴乃は小さくなる背中を見送りながら、そう確信した。
☆
その後、鶴乃に母親から連絡が来たのは、一度だけだった。
「世界中を旅して、自分を見つめ直そうと思う」――――それだけ告げて、祖母の美江と海外旅行に出発した。
しかし、1億円も懸かる豪華客船で回る、というのがなんともあの二人らしかった。
世界旅行が無事に終えたとしても、身に染み付いた金の亡者としての理性は、決してあの二人から放れそうにない。
「その時は、こう思ったんだ。もうわたしって、二度とお母さんとも、お婆ちゃんとも関わることは無いんだなって……」
「寂しく、無かったんですか……」
「寂しい、ってよりは、多分、ホッとしたんだと思う。もう亡くなったひいお爺ちゃんとお爺ちゃんが脅かされることは無いんだなって」
鶴乃は振り向き、満面の笑みを向けたが――――
「その気持ちが、
酷く乾いていて見えた。いろはは唖然と目を見開く。
「間違いって……どういうことですか?」
「2016年の7月25日――――何があったのか覚えてる?」
「…………!」
その日、大々的なニュースが四六時中報道されたことはいろはも鮮明に覚えている。
まさか、と思った。
こんなことが有り得るのか。
だって、あの事件は――――鶴乃の“願い”とは何も釣り合わないじゃないか。
「テロだよ」
その単語を聞きたく無かった。胃の中が、ずしりと鉛の様に重かった。
「イスラエルを拠点にしてる過激派の武装組織がさ……お母さんとお婆ちゃんが乗ってる豪華客船に潜伏してたんだ」
「お二人は、どうなったんですか……?」
恐らく、聞くべきでは無かった。
しかし、興味の方が勝ってしまった。
「運が悪かったんだと思う。一番に人質にされて」
――――殺されちゃった。
「……っ!」
気持ち悪かった。興味本位で聞いてしまった自分が心底呪わしい。
喉元に酸っぱいものがこみ上げてきて、いろはは咄嗟に口を塞いだ。青ざめた顔で鶴乃を見つめる。
彼女は、相変わらず、乾いた笑みでそれを告げてくるのが、怖い。
「でもね、そのとき、わたし……悲しく無かったんだよ」
鶴乃が背を向けて、呟く。
「……え?」
「笑ったの」
一瞬、鶴乃が何を言ったのかよく分からなかった。
「お母さんとお婆ちゃんが殺されたのが、嬉しかった」
――――ああ、そうか。
いろはは告げられた言葉に、ようやく理解した。
それが“願い”によって齎された、由比鶴乃にとっての“
もう、なんか、色々とすみません。
拙作の鶴乃は、サンシャイングループから多額の金銭を既に頂いているのと、祖母は既に万々歳から追い出されているので、お金には特に困っていません。
なので、宝くじ一等をピンポイントで願うのはどうなんだろう、と思い、願い事は原作とは違っても固有魔法は同じものを手に入れられそうな内容のものに変更させていただきました。
何卒、ご了承頂ければ幸いです。