魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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FILE #04 覚悟は、あるか?  ―七海やちよ 編―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――エレベータは静かな機械音を立てて上を目指していく。

 

 

 先程の慌ただしさが嘘の様に、小さな白い縦長の空間は静寂に満ちていた。

 やはり、一人の方が落ち着ける。一人の方が色んな事に熟考できる。

 

(でも、楽しかったな……)

 

 ピーターとみたま、この街で最初に出会い、自分に優しく接してくれた二人組。

 一回り以上歳が離れているかもしれないのに、性格は子供のように無邪気なところがあって……だからなのか、自分が大人になった気がして、凄く話し易かった。

 あんなに喋ったのは久しぶりだと思う。

 

(ねむちゃんと、灯花ちゃんと、『あの子』が居た頃は……もっとよく喋ってたんだっけ)

 

 ふと、思い出すいろは。

 それがいつかは、はっきりと思い出せない。

 でも、あの3人が近くに居た頃は、正に光溢れる輝かしい日々だったと記憶している。

 

(でも――――)

 

 いろはは顔を俯かせる。

 今、現在、あの3人はどうなってしまったのか、分からない。

 退院したのだろうか。いや、確か……あんな小さな体では到底背負えそうにない重い病気を患っていた筈だ。

 

 最悪、死――――

 

(ッ!!)

 

 いろははそこで、ブンブンとかぶりを振る。今、自分は最低な事を考えようとした。3人の友達失格だ。

 そんなことは、『小さなキュゥべえ』を見つけないと分からない。

 どうしてかは分からないが、アレを見た時、直感した。アレは自分に関わっていると。アレに触れれば欠けていたものが取り戻せると。

 

(だけど――――)

 

 調整課を出る前に、みたまが言っていた事が、気になる。

 

 

 

『私ね……ソウルジェムに触れると、その人の過去が、頭に流れ込んでくるの』

 

『勝手に見たのはごめんなさい……。でも、一つだけ、聞かせてもらえる?』

 

『貴女は、何を願ったの?』

 

 

 

(私の願い事って、何……?)

 

 魔法少女がキュゥべえと契約する時に叶えた願い事……みたまに言われてずっと引っかかっていた。

 全く、思い出せない。ただ、凄く大事な事を願った気がする。自分では無く、誰かの為に――――。

 

(!!)

 

 そこまで考えて突然、ハッと顔を上げるいろは。

 もしかしたら、あの3人の誰かの事かも。「病気を直して欲しい」って、願ったのかもしれない!

 一番、有り得そうなのが、自分と一番距離が近い、『あの子』――――!!

 

(でも、『あの子』が夢の最後にいつも言う……「“死神”と会う約束」って何のこと?)

 

 しかし、不可解な言葉が引っかかった。

 “死神”――――ということは、あの子は死を望んでいたのか。自分はその願いを裏切ったのか。

 

(でも、生きたいって思うのは誰だって同じの筈……)

 

 間違った願いでは無かった筈だ。

 本当に、キュゥべえにそう伝えて契約したのかどうかは、まだ、確証は持てないが。

 

(それに、あの白衣の男の人は誰? 病院の医者(せんせい)?)

 

 そして、施術中に見た夢の内容を思い出す。あの3人が居た場所を彼は、“闇”と断定した。

 

(私の知り合い? “闇”ってなんなの? 私の何を知ってるの?)

 

 一度思い込み始めると段々ネガティブに染まっていく。それはまるで、深い底なし沼にズブズブと足元から吸い込まれていくかの様だ。

 ピーター達と一緒だった時は、そこまで考えなかったのに……。

 

(っっ! とにかく……!!)

 

 暗澹とした気持ちを払う様に、もう一度かぶりを振ると、フンスッ! と鼻息を蒸すいろは。

 悩んだところで、解決しない。とにかく今は、やるべきことをやるだけ――――!

 市役所2階で保護申請の手続きを済ませる。そうすれば、自分は神浜市内で自由に動ける。

 

(そうすれば!)

 

 小さなキュゥべえを探しに行ける!

 魔女に襲われてから大分時間が経ってしまったが、まだ大丈夫だという確信があった。自慢するつもりは無いが、自分の魔力感知能力は高い、と思っている。

 それが告げているのだ。キュゥべえはまだ近くに居る。この市役所付近に――――!

 

(よしっ!)

 

 エレベータの扉が開く。

 希望を胸に込めて、いろはは飛び出した――――!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5分後――――

 

「だ、ダメなんですか……?」

 

 治安維持部の窓口で、呆然となる少女。

 

「ええ、申し訳ありませんが」

 

 カウンター越しに相対しているのは、眼鏡を掛けた、如何にも生真面目でクールそうな雰囲気の女性職員。

 

「そ、そうですか……」

 

 先程の勇姿はどこに行ってしまったのか。

 希望の火が掻き消され、すっかり意気消沈した少女が、ガックリと頭を項垂れていた。

 心なしか、ドロドロと黒いアトモスフィアが漂っている様に見える……。

 

「な、なんとかならないんですか……っ?!」

 

「保護条例で定められていますので、こればかりは」

 

 それでも諦めきれずに、目尻に涙を溜めて必死に訴えるが、女性職員の応対は実に冷ややかだ。

 

 ――――お役所仕事というものを、すっかり舐めていた自分が、忌々しい。

 

 保護申請の手続きは、まず、魔法少女であることを受付で証明しなければならない。ソウルジェムが有るか、魔法少女に変身できるか――――それはクリアした。

 次に、『調整』を受けた証明書の提出。これも難なく、クリア。自分のサインとみたまの名字の印鑑が押されている書類を職員に提出した。

 だが、最後で、しくじった。

 『身分証明書』――――いわば学生証の掲示を要求されたのだが、今日は生憎、「土曜日」である。

 休みの日の外出に、そんなものを携帯している学生がいるのだろうか。いや……大半は自宅の自室の机に置いている事だろう。自分もそうだ。

 更に――――

 

「『身分証明書』と『住民票』が無ければ、保護登録は致しかねます」

 

(『住民票』って……)

 

 極めて冷徹に言う女性職員の言葉に含まれたある単語に、いろはは目眩を覚えそうになった。

 ――――身分証明書はまだいい。家に帰ればもって来れる。だが、住民票は違う。

 

(確か、自分の住んでる町の役場で、お金を払って貰わないといけないんだっけ?)

 

 時間が掛かるし、結構面倒くさかったと記憶している。それをわざわざ作りに戻れば、時間が掛かるのは必定。

 もし、その間に、小さなキュゥべえが何処かへ行ってしまったら――――最悪、明日に持ち越さなくてはいけなくなる。

 

(神浜市って凄い大きい街だと思うし……探しきれるのかな……?)

 

 最悪のケースを考えてしまう。

 先程、エレベータから下りた直後、前方の壁に貼られたポスターには『神浜市、人口300万人突破!!』とデカデカと表記されていた。

 それだけの人が住んでいるということは、つまり、土地も広大な筈だ。巨大な都会で、一匹の小動物を探すなんて困難を極める。一週間……いや、一ヶ月……一年……  

 

(永遠に見つからなかったら……どうしよう……)

 

 いろはの纏うアトモスフィアが漆黒に染まっていく。

 この少女は、勝ち気そうな吊目と、人が良さそうな顔つきからあまり思われないが、その実態は――――内気で根暗な……典型的な草食系女子であった。

 自分に自身が持てず、友達もいない。更に、一度ネガティブに思考が向かうと、とことん泥濘(ぬかるみ)にハマっていく悪癖を持っていた。

 ――――そんな彼女を、女性職員も流石に見かねた様子だ。

 眼鏡をクイッと直すと、打って変わって温和な愛想笑いを浮かべてから、こう告げる。

 

「……もし、事情がお有りでしたら、治安維持部の方で承りますが」

 

「へ?」

 

 まさに願っても無い申し出。

 いろはは顔を上げる。女性職員は、スッと、一枚の紙を差し出した。

 

「こちらに要望をご記入して頂ければ、後で私の方から、部長の七海にお伝え致します」

 

 七海と聞いて、ハッとなり顔を上げた。

 暗い顔に、天井の光が差し込み明るく照らし出す。

 七海やちよ――――治安維持部の長であり、神浜で『英雄』と称される魔法少女が協力してくれるなんて、心強い!

 

「七海さ、じゃなくって……部長さんはいらっしゃるんですか?」

 

 期待を胸に込めて女性職員に問いかけるいろは。

 

「生憎、出張中でして……17時頃には戻られるかと」

 

「……えっ?」

 

 17時=PM5時。

 即座に脳内変換したいろはの顔が、驚愕に染まる。

 バッと首を、女性職員の後ろの壁に有る丸時計へと向ける。

 現在の時刻は12:00。七海やちよがこちらに戻るまで――――まだ5時間もある。

 

(そんな……!)

 

 いろはの顔が青褪めて、複雑に歪む。頭上のエアコンから暖房が吹いている筈なのに、悪寒が走って震えそうになる。

 

 ――――諦めるしか無かった。

 

「……あの……出張から戻ったばかりの、部長さんに……申し訳、無いので……住民票、作って、また……もどり、ます……」

 

 そうした方がまだ早い。いろはは、青褪めた顔のまま、消え入りそうな声でボソボソと女性職員に申し出る。

 

「……そうですか」

 

 女性職員も何処か哀れみが含んだ目を向ける。

 彼女に背を向けて、いろはは暗~い気持ちで、真っ黒~いオーラを全身に纏ったまま……頭をガックシと項垂れ、煙の様な溜息を吐きながら、トボトボと去っていく――――

 

 

 

 

「その必要はないわ」

 

 

 

 瞬間だった――――

 鈴の音色の様に綺麗な声が、唐突に耳朶を叩いた。

 

「えっ?」

 

 いつかテレビで聞いたことのある声と、よく似ていた。

 いろはは、顔を上げる。

 

「七海部長っ!?」

 

 女性職員も、その姿を視認したらしい。いろはの後ろで声を張り上げる。

 

 

 ――――目の前で歩み寄ってくるその人は、紛れも無く女性だった。

 だが、普通とは明らかに隔絶していた。

 誰もがその姿を見た瞬間に目を奪われるであろう、そう思ってしまうぐらいの美貌の持ち主だった。

 白く細い手足、腰まである藍色の長髪は絹のようにサラサラと舞い、うっすらと化粧が施された相貌には、少女の様な幼さが残っていた。 

 反面、紺色のスーツとタイトスカートを身に付けて、スタスタと歩く姿は凛としており、彼女の内面に有る男性的な力強さを感じられた。

 

 

(七海、やちよさん……!!)

 

 この人が、神浜市が誇る英雄。

 テレビで広報活動をしているのを何度か観たことあるが、受けた印象としては――――見た目とは対照的に庶民的で、緊張もあるのだろう、しどろもどろに芸能人達と話し合う姿は、可愛気が有った。

 だが、今此処にいる彼女は微塵も、そんな雰囲気は無い。正に、女神と呼ばれるに等しき神々しさを放っていた。天井の証明が、まるで後光の様に映える。

 

「部長! お帰りなさいませっ!」

 

 真横で声がしたので、振り向いたら――――ギョッとした。

 いつの間にか、受付の女性職員が自分の隣に立って、深々とお辞儀している。

 

「ただいま、白木さん」

 

 七海やちよは、軽く会釈すると、慈母の様な柔らかい笑顔を女性職員へと向ける。

 

「しかし、部長、出張中の筈では?」

 

「予想以上に要件が早く終わりましてね。溜まってた事務所類をいい加減片付けようかと思いまして」

 

 と、そこで、やちよはいろはへと目を向けた。 

 

「……この子の様子から見るに、何かあったようですね?」

 

「……!!」

 

 柔らかい笑みのまま、目を細めて見つめてくる。深い海色の瞳は、まるでサファイアの様に、溜息が出るほど美しくて――――心拍数が自然と上がった。ドキドキと高鳴る胸を抑える。

 

「ええ、実は――――」

 

 白木と呼ばれた女性職員は、やちよの隣に立つと、耳元に口を寄せて、かくかくじかじかと伝える。

 

「それなら、話が早い(・・・・)わ……」

 

 事情を飲み込んだやちよはフッと笑うと、そう独りごちた。

 

「え?」

 

 その微笑の意図が読めず、きょとんと首を傾げる白木を尻目に、やちよはいろはの眼前へと歩み寄る。

 

「……『治安維持部長発言令』を行使します」

 

「!!」

 

「えっ? えっ?」

 

 やちよがそうはっきりと宣言した瞬間――――白木の顔が、ギョッと驚きに染まる。

 何が何だか分からず、困惑するいろは。

 

「環いろはさん、と言いましたね。私の権限で、貴女を『仮登録』と致します」

 

 その一言に、いろはが驚いて目を丸くする。

 

「今から24時間――――翌日の午後12時10分まで貴女は保護の対象となります。市内で自由に魔法少女として活動することを許可します」

 

 つまり、時間限定ではあるが、神浜では自由の身――――!

 それを理解したいろはの顔が、驚きから、歓喜の色に、パアッと明るく染まっていく。

 

「ぶぶぶ、部長!?」

 

 そこで、白木が慌てて割り込んできた。やちよの両肩をガシッと掴んで詰め寄る。

 

「『治安維持部長発言令』は市長から、緊急性(・・・)のある案件で無いといけないって仰せつかった筈じゃ……!」

 

「目の前で困っている魔法少女が居る。これも十分、緊急性のあるものです」

 

「しかし――――」

 

 納得いかずに顔を顰める白木は、再びやちよの耳元に口を寄せて、ボソボソと語る。

 

(この子が、反社会的組織のスパイの可能性もありますよ……!)

 

 いろはを横目でチラチラ見る白木。

 

(それは、ありません)

 

 やちよは小声でそう断じると、いろはの方を見つめる。

 『何を話してるのかなあ?』と聞きたげに頭上にハテナマークをポコポコと浮かべて、小首を傾げる女の子。純粋無垢な桃色の瞳で、二人を見つめている。

 

(この子から悪意の類は感じられない。私の“勘”がそう告げています)

 

(しかし……『部長発言令』をそんな簡単に行使されては、貴女の威信と沽券に)

 

(もしこの子が、何かを起こしたら……私が責任を持って対処します。それで、宜しいですか?)

 

 関わりますよ! と訴えようとしたが、迷い無き言葉にピシャリと遮られた。

 その刹那――――やちよの瞳から蒼い光が瞬き、白木はウッと息を飲む。

 絶対零度の眼光。まるで百戦錬磨の狩人が、獲物の猛獣を遠くから狙撃する際に、息を殺しながら見せる、凍てついた瞳。

 一般人である白木をその場で震えさせ、硬直させるには十分だった。

 

「それでは環さん、貴女が早急に保護申請をしなければならない理由をお聞かせ願いたいのですが?」

 

 ピシッと凍りついた白木はほっとくとして、やちよはいろはに温和な笑みを見せながら、問いかける。

 

「実は、小さなキュゥべえを追ってまして……確か、ピーターさ、レイモンドさんも知ってると思うんですが……」

 

 同じ職員であるピーターも知ってることだから、恐らくやちよも知ってるに違いない。彼の名前を出せば何かしら反応を示す、と思った。

 やちよは、「ふむ……」と顎に手を当てて、僅かに目線を下に向けて、考え込む仕草を見せると、

 

「それなら、心当たりがあります」

 

 そう、顔を上げた。

 

「本当ですか!」

 

「もし、宜しければ……私も一緒に捜索を協力願いたいのですが」

 

「っ!!」

 

 いろはの顔が歓喜に染まる。暗雲に覆われて冷たくなった心に、陽の光が差し込んで温まっていく。

 断る理由は無い。一人より二人の方が良いに決まってる。まして彼女は、治安維持部長、神浜の地理は詳しいだろうし、大いに助けになってくれる!

 

「お願いします!!」

 

 いろはの決断は早かった。90度に深々とお辞儀して、歓喜混じりの声色で要請する。

 やちよはコクリと頷いて承諾。

 二人は、並んでエレベータへ向かっていくと――――二階から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エレベータに乗った二人が向かった先は一階ではなく、何故か屋上であった。

 

 

 先をスタスタと足早に歩くやちよの後ろを、いろはは慌ててついていく。

 20階もある高層物の頂上から眺める、神浜市の街並みは盛観の一言だが、今は悠長に観賞している暇は無いはずだ。

 怪訝な表情で、やちよを見つめるいろは。対するやちよは、屋上の中心部まで歩くと、そこで足を止めた。

 くるりと振り向き、2mぐらい後ろに立ついろはと、真正面から向き合う。

 

「…………」

 

 人形の様な色白の相貌に浮かんでいるのは、先程の人当たりの良い笑顔では無く――――無の表情。

 感情を一切削ぎ落とした様な、空虚さが感じられる顔面を向けながら、睨みつけてくる。

 

「……っ!」

 

 いろはは、一瞬ビクリと肩を震わしてから、ゴクリと唾液を飲んだ。

 やちよの雰囲気は確実に変わっている。その証拠に、彼女の瞳から放たれる凍てついた光が、体をぞっと怯えさせた。

 すると、やちよは肩に掛けていたバッグのジッパーを開けると、中身を弄った。

 そして――――取り出したものに、いろはは愕然となる。

 

 

「小さい……キュゥべえ!!」

 

 

 自分が探し求めていた存在を、彼女が持っていたのだ。

 小さなキュゥべえは、透明な袋に詰め込まれた状態だが、窒息で苦しむ様子は無く、「モキュッ! モキュッ!」と元気に暴れている。

 やちよは、そっと、足元に置いた。

 

「!!」

 

 自然と、いろはの足が飛び出す!

 やちよの足元のそれに向かって、姿勢を屈めて両手を伸ばした!

 

 

 刹那――――ガンッと何かが、叩きつけられた。

 

 

「……っ!!」

 

 いろはは瞠目。

 自分と小さなキュゥべえの間に割って裂く様に、青い槍が床に叩きつけられた。

 

「……なんの、つもりですか……」

 

 ゆっくりと立ち上がり、もう一度やちよと向き合う。

 既に、彼女の姿は変わっていた。

 

 ――――いくつものサファイアを付けたヘアバンド。

 

 ――――肩と胸部を覆う上半身のアーマー。

 

 ――――下半身は深い青色のドレスだが、左側に大きく開いたスリットからは艶やかに白い太ももが露出している。

 

 魔法少女――――神浜市の英雄を体現するその姿を初めて目の当たりにした。

 圧倒されそうになる。しかし――――

 

「その子を、わたしてくださいっ!」

 

 眉間に皺を寄せ、相手の顔をしかと見据えて、精一杯のお腹に力を込めて、叫ぶ。

 

 

「欲しければ、奪ってみなさい……!」

 

 

 刹那、やちよの瞳から放たれる冷気が絶対零度へと変わる。

 

「環いろは」

 

 やちよは叩きつけた槍をヒュンッと旋回してから持ち直すと、切っ先をいろはへと向けて、その名前を読んだ。

 その態度が表すのは、彼女に対する、明確な敵意――――!!

 ピリピリと突き刺す様な空気が、いろはにかつてない緊張感を齎した。

 

 

「私と、戦いなさい」

 

 

 最強の味方は、僅か数分で、最悪の敵に変身した。

 その事実に――――いろははただ混乱するしかない。頭が激しく揺れて、おかしくなりそうだ。

 

(でも――――!!)

 

 目的のものが目の前にあるのだ。ここで下がる訳にはいかない。

 七海やちよの意図が全く読めないのが不気味だが、今は早くあの小さなキュゥべえを手に入れなくては!!

 ――――そう思うと、いろはも魔法少女へと変身。目眩をなんとか堪えて、やちよと睨み合う。

 

「!!」

 

 刹那――――やちよの姿がフッと、消えた。

 直後、下に気配。目線を下に向けると、驚愕!!

 いつの間にか、やちよが身を屈めた状態で肉薄していた。

 

「っ!」

 

 咄嗟に両手をクロスして防御姿勢を取るいろは。

 しかし、やちよは踏み込んだ足に力を入れると、その反動を使って勢いよく槍を振り上げる。先端が両手のガードを弾き飛ばし、いろはの態勢が崩れた。

 

「ああっ!」

 

 倒れながらも、思った以上にダメージが少ない事が不思議に感じて、やちよの槍を確認するいろは。

 柄の部分が空に向かって弧を描いている。刃の切っ先では無く、そこで攻撃したらしい。

 

「あぐっ!」

 

 仰向けで倒れ伏すいろは。傷は無くて済んだものの、両手が受けた衝撃は凄まじく、激しい痛みと痺れに襲われて動かせない。

 呻いていると、やちよが更なる追撃を加える。

 

「がっ!」

 

 腹部に圧迫感。胃酸が込み上げてきて、口から押し出されそうになる。

 ハイブーツを履いたやちよの足が、いろはの下腹部を踏みつけてきた。

 

「パスカルが書いた『パンセ』を知っているかしら?」

 

 無で染まった能面と、底冷えするような冷眼で見下ろしながら、ポツリと呟くやちよ。

 

「…………っ!!」

 

 ――――聞いたことが無い。パスカルって誰? パンセって何?

 

 いろはは、苦痛に顔を歪めながらも、未だ痺れが治まらない両手を床に付き、いっぱいの力を込めて上半身を起こそうとする。

 まだ、彼女の戦意が失われていないと、感づいたやちよは、冷ややかに語った。

 

「第六編・思考の尊厳にこう書かれていたわ。

 『彼が自慢したら、私は彼を(へりくだ)らせる。彼が遜ったら、私は彼を褒めてやる。

  そして、いつまでも彼に逆らってやる。彼が認めるようになるまでは。

  自分が不可解な怪物であることを』」

 

「どういう……意味……ですか……?」

 

 猛烈に襲ってくる痛みと吐き気に意識が澱んでくる。それでも、いろはの目は、やちよの顔を捉えて離さない。

 

「神浜市の全てよ」

 

 そこでやちよは、足を離した。

 解放されたいろはが、ゼェ、ゼェ、と荒い息を吐く。

 

「この街には、様々な思惑が飛び交っている。生半可な覚悟では生き残れない」

 

「わたしは……ただ……その小さなキュゥべえに……触れたい……だけで……」

 

「実を言うとね」

 

 やちよが後ろを振り向く。いろはもそれに傚って彼女の目線の先を見つめた。小さなキュゥべえは相変わらず袋の中で藻掻いている。

 

「『小さなキュゥべえ』は一匹だけじゃない」

 

「!!!」

 

 いろはの目が大きく見開く。

 

「この街に生息する全てのキュゥべえがアレと同じになっている。神浜市全体で起きている、未だ原因不明な現象なのよ」

 

「そんな、ピーターさんは、一言も……!」

 

 ピーターはウワサになっていると言っていたが、沢山いるだなんて言ってなかった。

 自分もてっきり、一匹しかいないものだと思い込んでいた。

 

「よく身に覚えておきなさい。神浜市とは、そういう場所なのよ」

 

 いろはの脳内で、重たい物がガンと押し付けられた感覚がした。

 やちよが何を言いたいのか、分からなかった。

 

 

貴女を利用して(・・・・・・・)、怪奇現象を暴こうと思った」

 

 

 やがて、騙された(・・・・)のだと――――いろはが理解した瞬間、ヒュン、と風切り音。

 やちよの獲物の柄の部分が視界を覆った。

 それで、頭を叩き潰されるのだと、思ったいろはは、静かに目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつまで経っても、痛みはやってこない。

 いや、寧ろもう既に叩かれてしまっていて、意識を失っているのだろうか――――

 でも、不思議だ。いつも見る筈のあの夢が、今回は浮上してこない。視界は漆黒に覆われていて、何も見えてこなかった。

 

 

 

「やれやれ、新人指導にしては些か行き過ぎでは無いですかな? 七海くん」

 

 

 

 暗黒の世界で、聞いたことのある声が耳を叩く。なまりの強い、特徴的な声だ。

 そこで、いろはは、自分がまだ意識を失っておらず、目を瞑っているだけなのに気がついた。

 気になって、瞼を解放すると――――驚く。

 

 

 

 自分がこの街で、味方を作り上げていた(・・・・・・・・・・)という事実に。

 

 

 

「それは、貴女の仕事では無いはずよ」

 

 やちよの、苛立たしさを含んだ低い声が、聞こえてくる。恐らく、割り込んできた邪魔者を睨みつけている筈だ。

 

 

「……朝香美代さん」

 

 

 直後に、タッと踏み込み音。やちよが槍を携えて、飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 結構無理やりまとめた様な気がします……。

 今回から3話ぐらいかけて、やっちゃん加入回となります。
 順序としては、やちよ→鶴→フェリ加入の順に書いて、新展開に移ろうかと。

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