魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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お待たせいたしました。


FILE #40 いろはの新しい生活へ①

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方。

 やちよに案内されて、いろははその場所に着いた。

 

「ここが、みかづき荘よ」

 

「わあ……」

 

 市役所の裏にある、自動車一台分通れる小道を少し進んだところに、みかづき荘はあった。

 古い建物と聞いていたから、田舎町の民宿のような木造りのアパートを想像していたが、外見を見て驚いた。新築同然の豪邸にしか見えない。

 

 みかづき荘は元々、やちよの祖母・七海 天(そら)が民宿として経営していたが、彼女が亡くなると同時に廃業。

 住宅街の火災被害拡大防止の為にも古い木造式の建物は取り壊すべきだとの声も挙がったが、市長が反発。みかづき荘を買い取り、改築工事を行い、新たに職員寮として再運営することを決定したのだという。

 

(買い取っちゃうなんて、ずいぶん思い切りがいいなあ……)

 

 やはり器の大きい人なのだろう、といろはは感心する。

 みかづき荘は、市長にとっても思い出深い場所らしく、かつてはテレビ報道で一時取り上げられる程の人気が有った民宿だったそうだ。

 この話には、神浜市の歴史を象徴するものを、例え形を変えてでも残したい、という彼女の意気込みが感じられた。

 地元への強い執着と、思い切りの良さこそが市長たる所以なのだろう。

 

「さ。部屋は用意してるし、上がって上がって」

 

 思いに耽ってるところで、やちよの声が突き刺さり、我に返った。

 いつの間にか、玄関を開けて待ってくれていた。

 

「あっ! 失礼します……」

 

 慌てて駆け込むいろは。

 そういえば、家族以外の人とこれから寝泊まりするのか――――そう思うと、ドッと緊張が押し寄せる。

 前日、鶴乃の家にも泊まったが、あれは彼女の人となりを理解した後だったから、全く気を遣わなかったけど……こちらは、やちよ以外に住居人が3人もいるというのだ。その人達とも今後上手く(・・・)共同生活を送らなくてはいけない。

 

(大丈夫かなあ……)

 

 ドキドキと胸の鼓動が早まり、少し息苦しい。

 自分は、昔から集団で行動すると、周りに合わせようとして自分を抑え込んでしまう悪癖があった。自分の意見や行動一つで、空気が変わってしまうのが怖くて……。

 

 

 ――――いろっちはさ、もっと自分を出した方がいいと思うよ。怖いのは仕方ないけど、いろっちの良さって前に出た時に見えるんだからさ。

 

 

 不意に頭に穏やかな声が過る。

 以前、前の街で組んでいた魔法少女チームのリーダーに相談したら、そんな答えが返ってきた。

 でも……気持ちは晴れなかった。

 

 だって、前に出るきっかけすら無かった時はどうすればいいんだろう。

 

 そう質問したら、次の様な答えが返ってきた。

  

 

 ――――そうなったら、周りと自分は合わないって思って逃げちゃうのさー。

 

 ――――無理して合わせに言ったって碌なことないかんねー。

 

 ――――あたしは逃げに逃げ続けた結果、「逃げ足の累さん」なんて呼ばれちゃってるけどー。

 

 ――――そうしなきゃ、自分の身も心も守れなかった訳さー。

 

 

「ふふっ……」

 

 何だろう。言い表し方は悪くなるけど、あの間の抜けた笑顔を思い出すと、不思議と頬が緩んだ。

 集合時間には必ず遅刻するし、頭が痛くなるくらいテキトーな人ではあったけど……一緒にいると、不思議な安心感があった。

 今も、真面目なあの子と一緒に喧嘩を繰り返しながら、元気に活動しているのだろう。

 

「きっと、そうだよね」

 

「どうしたの?」

 

 ハッと我に返るいろは。

 独り言がやちよに聞かれてしまった。恥ずかしさで顔面が一気に熱くなる。

 

「あっ、なんでもありませ……わあ!」

 

 否定しようと顔を上げた直後。

 みかづき荘の大広間が視界に展開していた。思わず驚嘆してしまったのはあまりにも広い、ということだ。

 目線を左側に向けると、キッチンが有り、その前には人数分座れるイスに大型のガラス張りのテーブルがある。食事を取るのはそこだろう。

 中央には、大型のソファに大型のテレビが置かれている。

 目立ったアンティークの類は置かれておらず、窓際に置かれたスイレンの花がオレンジの光を帯びて空間を彩っているだけだ。

 ざっと見た所、生活に必要最低限のものしか見当たらない。

 

 どこか、やちよの性格を反映しているようだった。

 なんでも受け止めてくれる心の中で、寂しさが際立っている。

 

「なんだか……5人で暮らしても広く感じそうですね……」

 

「ええ。だから少しでも狭く感じるには住居人は多いに越したことは無いんだけど……治安維持部で働きたい子なんて滅多にいないでしょ。だから、貴女が来てくれて本当に良かったと思ってるわ、いろは(・・・)

 

「えっ?」

 

 意表を突かれた。

 

 今、やちよさんは私の事を、何て――――?

 

 聞き間違いだったのかもしれない。けど、確認すべく問いかけようとした矢先だった。

 

 

「いらっしゃ~~~~~~~いっ☆☆☆」

 

 

 みかづき荘が、一瞬だけ震撼した。

 

「ッ!?」

 

 ――――いろは、硬直。

 彼女の全身が黒い大きな影で覆われた。

 ……間違いない。背後に何か、立っている……。

 すごく軽快で艶やかな口調だったけど……声色は、地響きするぐらい野太くて、低い。

 

「まさか……」

 

 聞き覚えのある声だった。恐る恐る後ろを振り向くと、案の定だ。

 金髪の角刈り、澄み切った翡翠色の瞳、浅黒く焼けた肌と、岩山のようにゴツゴツとした筋肉質の肉体、パンパンに張った胸板――――

 

「ピーターさん!?」

 

「ピンポンピンポンピンポ~ン♪ 私のみかづき荘へようこそいろはちゃ~~ん☆☆ 歓迎するわねえ☆☆☆」

 

 まるで黒い巨塔のような体躯の男、ピーター・レイモンドは、ニンマリと笑みを携えながら、天高くいろはを見下ろしている。

 怖い。

 しかも、その筋骨隆々の体躯に、可愛いネコちゃんのイラストが描かれたピンク色のエプロンを纏っているのだ。

 怖い。

 

「それにしても……二日しか会ってないのに、ずいぶん久しぶりな気がするわねえ……」

 

「はっ?」

 

「ピーター、それは言ったら駄目よぉ」

 

 なんかメタな事を言い出すピーターだが、いろはは訳が分からず、ポカンとなる。

 ――――と、そこで新たな声。今度は女性だ。今日も聞いた声だから誰かすぐに分かった。

 

「みたまさん!」

 

 スーツの上着を脱いでYシャツとタイトスカート姿になった、みたまがいつの間にかやちよの隣に立っていた。

 

「…………」

 

「どうしたのぉ? いろはちゃん」

 

「あ、ごめんなさいっ。お二人とも、本当に綺麗だなーって思っちゃって……」

 

 絶世の美女二人が立ち並ぶ姿は、それだけでも絵になった。

 思わずボーっと見惚れてしまうが、きょとんと首を傾げるみたまの声を聞いて、我に返る。

 

「ふふっ、ありがとう☆」

 

「まあ、元ミス神浜と、現ミス神浜だからねぇ……」

 

 みたまが朗らかに笑うと、どこか呆れた様にピーターがそう呟いた。

 

「元……あれ? みたまさんの年齢って確か……」

 

 刹那、みたまが消えた。

 ――――瞬時にピーターの真後ろへ移動すると、膝裏へローキック!!

 

「あいたーッ!!」

 

 乾いた音と、ピーターの悲鳴がみかづき荘を再び震撼させた。

 

「うぐぐ、アンタ……後で覚えてなさいよっ」

 

「フンっ!」

 

 鍛え上げているとはいえ、ピーターは只の人間である。

 魔法少女の本気の蹴りが筋肉の無い所に決まったとなれば、ひとたまりも無い。悶絶すること間違いなしだ。

 膝裏を抑え、床に蹲るピーターは涙目で睨みつけるが、みたまは悪びれず鼻を鳴らした。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「ああ……ありがとう、いろはちゃん」

 

「みたま、やりすぎよ」

 

「フンッ」

 

 ピーターを介抱するいろはの傍で、やちよがみたまを叱責するがどこ吹く風だ。

 

「“元”は事実じゃない。……あと、年だってもうすぐみs……」

 

「なんかいった?」

 

「いえ、なんでも……」

 

 ボソッといったら、即座に“良い笑顔”を向けられたので、やちよはおずおずと引き下がった。

 

 

「……」

 

 ――――神浜市最強の魔法少女すら怯えさせてしまうなんて……みたまさんって何者なんだろう……?

 傍目でその光景を眺めながら、みかづき荘の上下関係を理解したいろはは、苦笑いを浮かべるしか無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その後、ピーターはみかづき荘の管理人であり、みたまは大家であると知った。

 先ほど、ピーターが「『私の』みかづき荘」と声高に言ったのは、そういう意味合いも有ったらしい。

 

「あ、それと……住んでもらう以上、家賃滞納は許さないから、そのつもりで」

 

ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ……!

 

 どこぞの能力者バトル漫画の様な仰々しい擬音と黒いオーラを召喚しながら、いろはに“良い笑顔”を向けてくるみたま。

 

「ええっ!? でも私、中学生ですし……」

 

「神浜市なら、魔法少女は年齢問わず就業は自由よぉ」

 

「だ、だけど……働ける自信なんてないですし……」

 

 不安が募り表情に影が宿る。

 ……が、みたまはそこでベっ、と舌を出した。

 

「なーんちゃって。だいじょーぶよぉ。いろはちゃんの家賃は市長の給料から差し引くつもりだから」

 

「っ!」

 

 心の中で、ここにはいない青佐に土下座した。

 

 

 

 

 

 ――――

 

 

 一方、そんな青佐はというと――――

 神浜市役所・最上階の執務室で、未だに書類整理に追われていた。

 

「ハックションっ!」

 

「おや、青佐。風邪かい?」

 

 急に肩が震えるような寒気を感じて盛大にクシャミをすると、頭の中に声が響く。

 かの人物が淡々とした口調で、語り掛けてきた。

 

「かも、しれませんね」

 

「憎まれっ子は病知らず、とよく言うけど……」

 

「それを言うなら、“憎まれっ子世に憚る”、“馬鹿は風邪を引かない”の間違いでしょう。いよいよボケましたか?」

 

「冗談のつもりで言っただけだから、そんなに睨まなくても……。君ももういい年だから、あんまり無理をしないで欲しいんだよ」

 

「動ける今だからこそ、無理するんですよ。“教授”」

 

「やれやれ……」

 

 二人(?)の他愛ない会話は、いつまでも続いていたという――――

 

 

 ――――

 

 

 

 

 

 

 ――――一方、みかづき荘。

 

「そういえば、あと一人は……」

 

 ふと思い立って、皆に尋ねるいろは。

 みかづき荘の住民はこれで3人。やちよの話ではあと一人、居る筈である。

 

「もう帰ってる筈よ」

 

 と、ピーターはその人物の部屋の扉を指さした。

 近寄って見ると105号室と表記されている他に、『加賀見 真良』と書かれた名札が下げられている。

 

「かがみ……? ま……? しんりょう?」

 

 当然ながら、名字・名前ともに初めて見る字だったので、困惑した。

 名字はなんとなく読めなくもないが、名前はどう読めばいいのかわからない。

 また、名前の字面から男性なのか女性なのかも想像つかない。

 

 

「まさらって読むのよ」

 

 

「ひゃあっ!!」

 

 ――――いろはの両肩がビクンッ!と飛び跳ねた!!

 急に真後ろからボソリと声を掛けられてビックリ仰天。慌てて後ろを振り向くと、

 

「えっ……」

 

 思わず見惚れてしまった。

 美女の顔が、目の前にあったからだ。

 鼻筋が通って唇の形がよく。整った卵型の白貌はまるで人形の様で――――

 

「自己紹介するわね。私は加賀見まさら」

 

「っ?」

 

 いや、正に人形。

 新たな住居人を前にしても、まさらと名乗った少女は一端も歓迎する素振りを見せない。

 表情筋どころか眉一つ動かさず、淡々と自己紹介を始める。

 

「105号室に住んでる。魔法少女。固有魔法は『透明』。普段はこころと一緒に市長の秘書として働いている」

 

 透明……ということは、市長の執務室に入った時に、クローゼットから感じた気配は、もしかしたら彼女だったのか。なら、どうしてあそこに隠れるなんて真似を?

 そして、秘書とは――目の前の少女から受ける印象は、感情豊かなこころとは正に対極と言い表してもいい。

 こころが太陽なら、彼女は月だ。

 見惚れちゃうぐらい綺麗だけど、冷たくて、暗くて……何より、寂しそう。

 

「まあ、仲良くできるか分からないけど、よろしく」

 

「よ、よろしくお願いします……」

 

 初対面の相手に対して無礼千万とも取れる言い草に、いろはは少し辟易した。

 それでも右手を差し出してきたので、いろはも右手を伸ばし握手を交わす。

 

 ――――どうしよう、苦手なタイプだ。

 

 元来、人付き合いが苦手ないろはは、遠目から他者の人間関係を観察することが多かった。

 それで、分かっている事が、一つある。

 『素っ気ない態度』を取るのは、大抵相手の事が気に入らないか、嫌っている証拠だ。

 そう思うと、自分がここにいるのが、彼女に迷惑を掛けている様な気がしてきて……

 

「ダメじゃない。まさら、そういうこといっちゃ」

 

 やちよが注意するも、まさらは悪びれる様子も無く冷淡に言い放つ。

 

「でも、この子と仲良くするメリットがまだ分からなくて」

 

「……!」

 

 その一言が、頭を鈍器で叩いた様な衝撃となっていろはを襲った。

 自分の推察通りだ。この少女は、自分の事を……

 

「あの、私、何か、加賀見さんにご迷惑を……っ」

 

 知らない内に、かけたのかもしれない。

 急激に寒気のような感覚が全身に迸ってきた。咄嗟に頭を下げて、謝ろうとするが、

 

「……?」

 

 まさらは、いろはの言葉と行動の意味がまるで分からず、きょとんと首を傾げるだけだ。

 

「いろはちゃん、あんまり気にしないで」

 

 申し訳無さで震えるいろはの両肩を、ピーターの手が優しく抑える。

 

「ピーターさん、だけど」

 

「この子はね、すっごく素直なのよ」

 

「えっ?」

 

 すかさずみたまがビュンと、割り込んできた。

 

「そうそう。こう見えて結構熱くなっちゃう所もあるしねぇ☆」

 

「私、みかづき荘に来てから風邪を引いたことなんて無いけど……」

 

「そういう意味じゃないわよ」

 

 みたまの言葉に、眉を八の字にして反論するが、まるで見当違いである。

 そのやりとりが可笑しくて笑みを零しつつも、やちよはツッコミを入れた。

 

(ね。人の言ってる事は、そのまま受け止めちゃうし、自分の思ってる事はそのまま言っちゃうのよ)

 

(本当に……素直なだけ、なんですね……?)

 

 ピーターは小声でそういうが、釈然としない。

 

(そ、だから、ちゃんと仲良くなりなさいな。好きになってもらえたら『好きだ』としか言わなくなるから)

 

 ピーターはパチン☆とウィンクしてそんなことを言ってのける。

 

(えっ!?)

 

 いろはの顔がカッと熱くなる。

 

 ――――でも、仲良くなんて、どうしたら……?

 

 だって、この子には、歓迎されてないんだから。

 たった今、ピーターからまさらの人間性を知ったのにも関わらず。

 彼女の態度のせいで、ついそう邪推してしまういろはに、みかづき荘での今後の生活への不安が一層深まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そして、暫しの休憩の後、いろはの歓迎会は開かれた。

 

 大広間に集まった5人が囲むテーブルの上には、彩とりどりの菜食が所狭しと並べられている。いろはの好みを考慮してか和食が中心だ。

 これらは全て、ピーターが一人で作ってくれたらしく、改めて彼の料理の腕前に感嘆する。

 (なお、みたまも手伝おうと奮起したらしいが、『デス味覚が手を出したら後でトイレがインフェルノね』『みんなを殺す気?』と一蹴されたそうな)

 

「ピーターさん、ありがとうございます」

 

 必然的に上座席に座ったいろはが、ピーターに深くお辞儀する。

 

「私の好きでやったことだから、いいのよ」

 

 と返しつつも、彼はふふん、と鼻を鳴らして得意気だ。  

 

「それでは、これより……」

 

 そこでやちよが立ち上がり、いろはの隣に歩み寄る。

 住居人全員を見渡すと高らかに宣言する。

 

「みかづき荘へ新たに入居致しました、環いろはさんの歓迎会を始めたいと思います!」

 

 直後、盛大な拍手が巻き起こる。

 

「「イエ――――――――イッ!!☆☆」」

 

 完全に調子付いたピーターとみたまが大きな拍手と共に、揃って歓声を挙げ、

 

「…………」

 

 まさらも、無表情ではあったけど、小さな拍手をパチパチと送ってくれた。

 

「それでは、環さん。これから一緒に暮らす皆さんに向けて、何か一言、ご挨拶を!」

 

 今まで見た事ないぐらいの輝かしい笑顔で、やちよがそう促してくる。

 

「えっ?」

 

 ギクリとした。

 流れに身を任せるつもりでいたので、“何かを言う”なんて予想だにしなかった。

 

「は、はいっ!」

 

 しかし、促されてしまった以上、何かを言わなくてはならない。慌てて立ち上がるが……

 

「っ…………」

 

 ――――どうしよう、何も出てこない。

 一気に緊張感が押し寄せて、いろはの顔が表情が硬くなる。

 盛り上がっていた雰囲気が一気に静まり返り、皆が苦い顔を浮かべ始める。

 

「だ、大丈夫かしら……?」

 

「いろはちゃん、ガンバッ!」

 

 心配になったピーターとみたまがそう声を掛ける。

 先ほどまでの愉快満面だった二人の顔がどんどん不安に染まっていくのは、見てて辛かった。

 

「挨拶は後回しでいいんじゃないですか」

 

 まさらに関しては、素っ気なくそう言い放つ始末だ。

 恐らく何の気無しの言葉だろうが――今の状況のいろはにとっては一番突き刺さる。

 申し訳無い気持ちが腹の底から噴き出してくるが、立ち上がってしまったからには、何か言わないと引き下がれない。

 

「あっ! えっと……その……あの……っ」

 

 しかし、上手い言葉が思いつかない。

 頭の中は真っ白。視線は皆の顔を避けるように右往左往。

 冷や汗が滲んできたのか、背中が冷たく感じる。

 

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 どうしよう。

 

 

いろは(・・・)

 

 

 突如耳元で囁かれた言葉に、ハッとした。

 強い違和感を覚えて振り向くと、穏やかな笑みを浮かべたやちよの顔があった。

 

「やちよさん……?」

 

 困惑の眼差しを向ける。

 やちよの笑顔はまるで慈母のようで。

 不安の迷宮の最中にある自分を包み込んでくれそうで――――だけど、安心できなかった。

 だって、不思議だったから。

 

「あの、やちよさん、今、私のこと……」

 

 呆然といろはは問いかける。さっきもそうだった。

 やちよはどうして、自分のことを、

 

「ええ、いろはって呼んだわ」

 

 名前で(・・・)呼んだのだろう?

 

「だって、さっきまで『環さん』って……」

 

「馴れ馴れしくはないわよ。みかづき荘では、住んでいる人は全員、家族と思うのがルール。みんなで協力し合わなくちゃ家は守れないでしょ?」

 

「家……」

 

「もうここは貴女の家なのよ、いろは。そして私達は貴女の家族。だからもう、安心していいの」

 

 それは、ポッカリと空いた穴が埋められていく様だった。

 

 家族……?

 ここにいる皆を、そう思っていいって?

 

「貴女のままで、貴女の言葉をみんなに伝えて」

 

「……!!」

 

 いろはは目を大きく見開いた。

 それは、一番求めていた言葉だったのかもしれない。

 

 最初から、遠慮なんてする必要は無かった。

 だってここはいろはの家なのだから。皆はいろはの家族なのだから。

 

 これから自分は皆に迷惑をかけるだろう。

 好きなことを言って好きなだけ言ってしまうだろう。

 喧嘩だってするかもしれない。

 でも、家族は、自分を支えてくれる。

 お父さんとお母さんも……ういだって、そうだった!

 

「……っ!」

 

 いろはの眼に強い光が戻った。ぎゅうっと拳を握りしめる。

 

 やちよはとっくに自分を家族と認めてくれた。それが、堪らなく、嬉しい。

 お父さんとお母さんも、ういも居なくなり……頼りにしていた灯花とねむはどこかへと消え去って、自分一人が広い世界に只一人、残されたような孤独感。

 それが一生、付き纏うんじゃないかと思い始めていた。

 

 でも違った。

 新しい家族が、今、自分の周りに居る。

 だからまだ、前を向ける。立って歩ける。

 

「…………」

 

 まずは自分がみんなを受け入れよう。新たなスタートを切るのは、それからだ。

 

 いろはは一度、深呼吸すると、みかづき荘の皆を見渡す。

 不安な色は誰一人顔に浮かべてない。みんな、いろはの言葉を心待ちにしているようだった。

 だから――――はっきりと伝えられる。自分の気持ちを。

 

「皆さん。お待たせ致しました。改めて挨拶させていただきます。環 いろはといいます」

 

 その声を聞いた瞬間に、みんなの顔が安心感で満たされた。

 もう大丈夫だろう。

 いろはの声はとても凛としていて、もう不安は微塵も感じられない。

 

「本日は、私の為に歓迎会を開いてくれまして、ありがとうございます……。えっと……まだ私、神浜市のことは何にも知らなくて、皆さんにいろいろ聞くと思いますし、たくさん迷惑掛けますけど……その……!」

 

 緊張を振り切るようにグッと顔を挙げた。

 

「やちよさんが言ってくれました。私はもう家族だって。だから、安心したんです。ここに居ていいんだって、自信が持てました」

 

 だから、心から自分の気持ちを伝えられる。

 

 

「皆さん、私を助けてください。私も同じくらい皆さんのことを助けます。だから、よろしくお願いします!」

 

 

 いろはは深々と頭を下げた。

 直後に、巻き上がったのは、全員の盛大な拍手だった。ピーターとみたまは再び盛大な歓声を送り、まさらは相変わらず無表情だったけど、さっきよりも大きな拍手を打ってくれた。

 やちよも、心の底から安心したように、笑顔で拍手を送ってくれた。

 

「じゃあ、席に付いて食事にしましょう」

 

「はい」

 

 やちよに促され、いろはも席に座る。

 

 

 

 

 

 

 楽しい団欒は夜が更けるまで、いつまでも続いた。

 

 

 

 

 今宵、いろはの人生の新たなるスタートは、切られたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎おまけ

 

 

 

 

 ――――ある日の事。

 

「……そういえば、いろはがうちじゃ最年少なのよね」

 

 やちよが何の気なしに言ったその一言が始まりだった。

 

「じゃあ、私も貴女のことを『いろは』って呼ぶから」

 

 すかさずまさらが、きっぱりと言い放つ。いろはは目を丸くした。

 

「えっ」

 

「市長に確認したけど、貴女15でしょ。私は17で年上。呼び捨てなのは当然でしょう?」

 

 彼女なりに歩み寄る姿勢のつもりなのだろうが、冷淡な表情のせいで威圧しているように見える。

 

「えっと、じゃあ……『まさらおねえちゃん』で……」

 

 恐る恐る伝えるが、まさらは眉を八の字にした。

 

「違和感覚えたから、呼び捨てでいいわ」

 

「ええ……」

 

 バッサリ切られて、いろはは呆然となる。

 この素っ気ない態度の彼女に慣れるにはまだまだ時間を費やしそうだった。

 

「それで、やちよさんは……」

 

「私は好きに呼んでもらって構わないわ」

 

 やちよの口端は完全に吊り上がっており、何かを期待しているのは明白だった。

 

「じゃあ、『やちよおねえちゃん』……」

 

「は~~~い☆☆☆」

 

 組み合わせた両手を頬に寄せて、飛びっきりの笑顔でそう言い放つやちよ。

 

 

 

 

 

 ……みかづき荘の空気が、一瞬で凍り付いた。

 

 

 

 

「……それ、似合いませんよ」

 

 静寂を最初に破ったのはいろはだった。

 何か、見てはいけないものを見てしまった気がする……。

 場を瞬間冷却した元凶は、はっきりと指摘されたのが以外だったのか、目をパチクリしている。

 

「あらそう? ざんねん。みたまのようにはいかないのね」

 

「それはみたまさんだから許される技能だと思います……やちよさんがやると全然しっくりきませんよ……」

 

 いろはが苦笑交じりにそう指摘すると、みたまがコクコクと頷く。

 

「やっぱりやちよさんは、やちよさんって呼びますね」

 

「そう……。私一人っ子だからお姉ちゃんって呼ばれてみたかったんだけど……」

 

 やちよは残念そうに顔を俯かせた。ピーターが肩をポンと叩く。

 

「ねーさん、ねーちゃんって呼んでくれる子はいっぱいいるじゃないの」

 

「あれは、『姐さん』とか『アネゴ』って意味のお姉ちゃんよ」

 

「じゃあ、私が呼びます。『やちよお姉ちゃん』」

 

「まさらが言うと、何か義務で呼ばせてる感が凄いわね……」

 

「……?」

 

 やちよが苦笑い。無論まさら自身にそんな自覚は微塵も無いのだろうが。

 

(……やっぱり濃すぎるなあ、ここの人たち……)

 

 皆キャラクターが強いし、テンションも独特だ。

 早くもいろはは、今後のみかづき荘での生活が心配でならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




9月20日に、運転で罰金7000円取られ、観たかった映画が満席で観れず、きな臭いセールスマンに丸め込まれ個人情報を開示させられ、警察に相談したら直後に交通事故を起こすという、一年分の不幸を一日で味わったhidonです。

そんな状況下でも、作品に向き合えば、いくらか現実逃避できますね(ぉ


まあ、そんなこんなで初っ端から賑やかになってしまったみかづき荘……どうしてこうなった。
ここから新たな一歩を踏み出すいろはの人生を、何卒、ご期待ください。

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