魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
同日。
19:00、大東区――――明京町役場。
常盤ななかの執務室では、彼女が誰かと連絡していた。
「それでは、十日後の商工祭の警備の件、何卒よろしくお願いいたします」
普段通りの冷徹な顔がいつにも増して強張っていた。
<承知いたしました、常盤主任>
対する連絡先の相手は、冷血さすら感じられる程の涼しい声色の女性だった。
<我ら蒼海幣。今後とも治安維持部の皆様とは、善良且つ公正なお付き合いができることを祈っております>
「ありがとうございます、
告げると、相手もまた「よい夜を」と唱えて通話を切った。
――――張り詰めていた緊張の糸が解けた。
ななかはふう、と大きく溜息を吐くと、座椅子に深くもたれかかって肩を竦める。
虚空を仰いで額の汗を拭った。
今の気分は――――マラソンの全国大会で、自分の力を出し切って無事にゴールまで走り抜けたのと同じか。
それだけ、電話先の相手から強いられる【プレッシャー】は鉛の様に重かった。
常盤ななかがリーダーを務めている「チーム・アメノハバキリ」は、彼女以外に、純 美雨(チュン=メイユイ)、志伸あきら、夏目かこの4人で構成されている。
「犯罪撲滅」を理念に掲げ、最近、「犯罪率0%」を達成できたのは記憶に新しい。
それは各人の目覚ましい活躍の賜物だが――――あくまで表舞台での話だ。
現実的に考えてほしい。
10代半ばの少女4人だけで、麻薬問題や移民、熟練の魔法少女(傭兵)が蔓延る大東区の火種を完全に抑えることなどできるだろうか。
答えは簡単。
無理だ。
不可能。
「犯罪率0%」達成の背景には、蒼海幇に属する
そして、治安維持部の力など、彼女達からしてみれば吹けば飛ぶぐらいの矮小なものでしかない。
――――蒼海幇。
戦前より中国・台湾移民らによって創設された【互助組織】だ。
商店街の支援や明京町の警備、祭り等の行事企画執行などを行っている。
そして現在では、後述する“ボス”により、株式会社『蒼海グループ』に名を変えて、あらゆる事業を展開し、成功させている。
――と、表向きは、クリーンな組織だ。
しかし……。
一般的には【マフィア】【ヤクザ】等と恐れられている。
理由は、以下の3つだ。
戦後、神浜市で頻発した荒事に度々携わり鎮圧してきた事。
同時期に、闇市でアヘンを売り飛ばし、莫大な財力を得たという“噂”があること。
そして、最後の理由にして、最大の理由が――
「堕龍(デュオロン)……」
蒼海幇に所属する魔法少女のみで構成された、荒事対策専門チームだ。
地に堕ちとされ、一切の陽を遮られた龍の集い。
しかし、それは――――今の神浜市内で最も強大な力を持った、恐るべき戦闘集団であった。
主に、蒼海幇や市民の安寧を綽名す暴力団組織への牽制。
最近大東区内で、頻出する麻薬密売人の摘発を主に行っている。
人数は治安維持部の総数よりも遥かに上回る、30人。
年齢層も10~30代と幅広く、そのトップには【五強聖】なる凄腕の格闘家達が君臨している。
(その五強聖のトップに君臨しているのが……)
ななかがスマホを開く。
画面には、純 美雨が調査してくれた堕龍のメンバーの詳細が記載されていた。
ページの一番上には、太陰太極図に似た紋章が映る奇異な瞳の女性の画像が有った。
王 海龍(ワン=ハイロン)――――
堕龍の実質的な指導者。
蒼海グループの代表取締役会長。つまり、蒼海幇の“ボス”である。
なんといっても驚嘆すべきはそのプロフィールだ。
年齢は34歳、魔法少女の経験年数は実に23年。
その力量たるや、美雨を始めとする蒼海幇の組員の間では【闘神】と噂されている。
まさに別格。別次元の来訪者のような偉人。
だが、彼女の他にも――――
ななかは親指で画面を下にスライドする。
深緑のショートカットヘアの、瞳を閉じた女性の画像が映り込んだ。
今しがた連絡した相手――――「鄭 咲蘭」(チャン=シャオラン)だ。
彼女もまた、「五強聖」の一人であり、年齢は29歳。経験年数は17年という鉄人であった。
「…………」
ななかは少し首を俯かせて、小さく息を吐いた。
魔法少女は短命――――契約してからそう聞かされてきたななかは、彼女達の存在を知った時、酷く驚いた。
こんな魔法少女がいるのか、と。
だが、現に目の前に実在しているのだから受け入れる他に無い。
思わず自分の人生を恥じた程だ。
畳みかけるような苦境を乗り越えた先に手にした今の地位――――中学生の頃の自分がそれに陶酔しなかった事も無い。
しかし、自惚れもいいとこだった。
(公正なお付き合いを……ですか)
電話を切る前の
彼女の言葉は、皮肉だ。
皮肉以外の何があるというのか。
蒼海幇の資料を確認する。
昔は『長老』をトップとする、【老人会】によって運営されていた。
しかし、10年前にアメリカで【大事件】が発生。
世界が魔法少女を認知してから、組織内の情勢が大きく変動した。
これまで、日の眼を浴びることが無かった【堕龍】がこれ幸いにと、急激に権勢を伸ばしていったのである。
今では、老人達は全て引退に追い込まれ、王 海龍を頂点とする【五強聖】達による新体制が確立されていた。
株式会社化もその一環だ。
そんな深慮遠謀たる者達がただの小娘に【公正】を求めるとは――――
(……)
両膝に置かれた手が、拳を作り上げていた。
正直、悔しかった。
彼女達の前では、自分もまた凡百たる魔法少女の一人に過ぎないのだと、自覚せざるを得なかった。
明京町や役場内では、ななかを【女帝】だの【影の支配者】だのと囃し立てる声が聞こえるが――――正直、大層な肩書きなんて身に余ると思っている。
この街の守護者は【堕龍】だ。
そして、女帝と呼ばれるべき真の支配者は王 海龍だ。
対等な関係なんて築けやしない。
ましてや、彼女達の尽力が無ければ今日の治安維持は叶わなかったのだから、頭も上がらない。
人員・経験・頭脳・戦力、何れの面を見ても治安維持部は【堕龍】の足元に及んでいない。
(やはり対等になるには、治安維持部も力が有ることを示さなければならない)
五強聖達の狙いは分かっている。
『マフィア』とか『ヤクザ』とか……古くから組織に根付いた“悪”のイメージを完全に払拭したいのだ。
その為の手段こそ、『正義の味方』になることだ。
つまり、“治安維持部の乗っ取り”である。
中国武術こそが“最強”であり、弱き民を護る“盾”となるべきだ、と海龍らは考えているのだ。
牽制しなければならない。
しかし、ななか個人がいくら力を付けようが、覆しようも無いし、意味が無いのだ。
象徴たる人物にこそ、それを示して貰わなければ意味が無い。しかし、市民から聞こえる噂や、自分が見たところ、彼女からその気概は薄れているように感じられた。
(頼みますよ……七海部長)
故にななかは一計を投じた。
非情であり、悲惨な結果を生み出すリスクも高いが――――治安維持部が生き残るには、ああするしかない。
「ななか」
我に返った。
椅子ごと回転して声の方向を向くと、執務室の扉が開いていて、一人の少女が歩み寄ってきていた。
「魔女退治、お疲れさまでした。あきらさん」
ななかは笑顔で彼女を迎える。
対する少女――――志伸あきらは少年のように溌剌な笑顔で返してくれた。
空手の有段者であり、身長が高く、肩幅も広くて胸板も厚い。全体的に筋肉質な体躯だが、性格はチームメンバーの中では一番年頃の少女らしい、とななかは評価していた。
「まあ、なんとかね。そっちも順調?」
「ええ、工匠区管轄の
「良かった。これで祭の準備は安心して進められるねっ!」
無邪気だった。
性善説を信じている彼女は、堕龍の狙いなんて知りようも無い。
彼女達が本心から人々に尽くしてくれる集団だと、信じて疑わない。
――――それで、いいのかもしれない。
真実を知るものは、極一握りでいい。
彼女と“あの子”は、陽を浴びてこそ育つ。だから陽の当たる世界だけを見て欲しい。
人々から根強い支持を受けている二人の顔に影が差せば、明京町の空気は呆気なく澱んでしまうのだから。
「ときどき、あきらさんの事が羨ましいと思います」
「えっ?」
あきらが呆気に取られた顔をしたので、思わず自分もビックリして目を見開いてしまった。
思っていたことが、つい口から出てしまったらしい。
「いえ……素直に感情を表せるあきらさんが羨ましいんです。私は、中々そう在れませんから」
そう、自分はひねくれているのだ。
言い方が悪いが、彼女のように真っ直ぐ生きれれば、楽だったかもしれない。
「何柄にも無く弱音吐いてるのさ、女王様っ」
あきらがななかの背中をバシッと叩く。
「町の治安が保たれているのは君が居てこそじゃないか。あんまり辛気臭い顔してたら、おけらさんに喝を入れられるぞ?」
「うっ、それは御免こうむります……」
更に蒼くなった顔を見て、あきらが笑った。
ななかも彼女の笑顔を見てると、少しだけ心が温まった。
☆
――――某県内 春浪(はるなみ)市、郊外。
車通りの少ない道路の路肩に【神浜市役所】と記載された一台の車が停まっていた。
中の助手席には、一人の少女が退屈そうにスマホをいじっている。
見た所、高校生ぐらいだろうか。
だが、整った童顔に、ボリュームのある煌びやかな金髪。体つきは程よく成熟しており、同年代の男女からも注目を浴びるであろう優れたプロポーションであることは見て分かる。
――――と、そこで運転席側の窓が、コンコンと叩かれた。
来たか。
少女はむくりと身体を起こすと、運転席側を向く。
開かれたドアから一人の美女が、乗り込んで来た。
「おかえり、
不適に笑ってそう言うと、美女の顔がたちまち嫌そうに歪む。
「屋じゃなくて“課”ッスよ。モモ」
美人を見ると、ついつい表情を崩してやりたくなるのは何でだろうな?
モモと呼ばれた少女は、そう思いながらも、彼女の美麗を極めた相貌を見つめる。
――――この美女の名前は、八重いずも、といった。
神浜市慶治町で役場に勤務している“調整員”だ。
少し癖っ毛気味な白いベリーショートカットは朝霜の様に美しく、整った小顔の肌もまるで白雪の様でライトを浴びると眩しく輝いている。
正直、絶世な美女と称するのなら、彼女だって七海やちよと八雲みたまに負けちゃいない。
「なーんで調整課にしろ、他のチームリーダーにしろ、美人さんが多いのかねえ」
そのせいで、【神浜は天女が集まる街】と評判になっている。
その天女の中に自分が含まれているのか、と思うと、素直に喜んでいいのか――――微妙だった。
少女の名前は「十咎(とがめ)ももこ」。
慶治町の治安維持部隊「チーム・カグツチ」のリーダーである……が、彼女自身に大きな特徴は無い。極めて普通というのが、一般的な評価だった。
といっても並び立つのが、七海やちよ、都ひなの、常盤ななかといった超個性派揃いの面子なので、どう足掻いても大衆からは見劣りされてしまうのだが。
「モモだって可愛さじゃ負けてないッスよ」
いずもがフッと笑ってそう励ましてくるが、ももこは露骨に嫌な顔をした。
「説得力無いよ」
それも当然である。
今のいずもの姿は八雲みたまと同じ、調整員の魔法少女特有の服装。
肩から露出した腕と、太ももから露出した下肢は、これまた白雪の様な白さで、人形の様に細い。ももこが彼女に勝てるといえる部分は、バストとヒップの大きさぐらいだろう。
「あたしが保証しまスって」
「よく言うよ。アタシなんて……松茸に紛れるジャガイモみたいなもんさ」
「おお、的確な例えっ」
「それより随分早かったね。調整はもう終わったのかい?」
いずもが待ってましたと言わんばかりに、眼鏡をクイッと直して、笑った。
「ええ、もうバッチリッス」
「流石。この街の魔法少女環境は中々に厄介だから時間かかると思ったけど」
「大抵一つの市街に、5人もいりゃあ多い方なんスけどねえ……」
そして街を守るのもその人数が丁度いいのだ。
「3チームも分かれている上に、1チーム当たりの人数が12、3人って……多すぎだろっ!! 十年前の
スマホで春浪市の魔法少女のデータを確認しながら、ももこが悲鳴を挙げる。
「それでもギリギリ賄えていたのは、この街に魔女が多かったわけで――つまりは使い魔放置もメッチャ多かった訳ッスが――……でも最近、流れ込んできた傭兵共がこぞって魔女を狩り尽くしちゃったッスからねえ」
「ああ、お陰様で3チームの均衡が一気に崩壊。
こうした春浪市の事情は、他県の魔導管理局・事務局がある地域にまで広まっていた。
事態を危惧した管理局員達が立ち入り調査依頼書を提出するも、市長に“キナ臭い”との理由で、悉く却下されていた。
「まあ、モモの叔父さんがここの市議会議員で助かったッスよ。お陰様で神崎市の管理局員達が調査に入れて魔法少女達の情報が入手できましたし。調整にしたって各チームのリーダーに働きかけて、立会人になってくれたお陰で、なんとか丸く収まりました」
「何言ってんだよ。全員を調整できたのはあんたのコミュ力の賜物だろ?」
いずもはニッとはにかんだ。
「そんな事も……あるッスけどね。モモも、もっと自信持っていいんスよ?」
「そうかな? アタシは部長みたいに偉大じゃないし、副部長みたいな頭も無い。ななかみたいな度胸も無い……だから、周りに頼るしか無かっただけさ」
――――人を上手に動かせる人は、“カリスマ”って呼ばれるんスよ。
いずもはそう言おうとしたが、余計謙遜されると思い、口を噤んだ。
☆
グリーフシードは希少だ。
それは魔法少女にとっての命綱であり、それを求めて仲間同士で殺戮し合う事態が世界各国で頻発している。
その現状を食い止めることが国際連合の課題となった。
故に各国の保護特区では、【
それは日本の神浜市とて例外では無い。
公にはしていないが、ソウルジェムの“調整”も、実のところ「延命法」の一つなのだ。
現在、神浜市は市内や、各地の魔導事務局に勤務する調整員を、日本全国に派遣する事業を行っている。
前述した通り、グリーフシード確保を題目に掲げた、魔法少女同士の殺し合いを抑える為だ。
そして何より――――使い魔放置による一般人の犠牲を防ぐ為である。
事業内容は単純明快。
魔導管理局、事務局が設立されていない地域に、調整員が赴き、縄張りとする少女達のソウルジェムに調整を施す――――というものだ。
調整はどんな魔法少女でも
全ての魔法少女を救いたい。
故に、
「あたしらが目指すのは、グリーフシードのいらない未来ッスよ」
「口を慎めよ調整屋。キュゥべえが聞いたら睨まれるぞ」
救済を掲げるのは簡単だ。しかし、社会は――元々は人間そのものが――混沌が常だ。
故に、それを実行するのは難しい。成就させるとなれば更に困難を極める。
誰かが泣いて、誰かが笑うご時世は、自分達が願わずとも、必然的に呼び込まれてしまうのだ。
「はっ」
しかし、八重いずもは自信満々に笑った。
混沌を目の当たりにしたというのに、その切れ長の眼差しからは羨望が瞬いていた。
「聞かれたところで、連中にはどうすることもできないッスよ。人の歩みを止めることはできない。だから人は進化したんス。奴らの与り知らぬところで、予測も出来ない形でね」
神浜市がそれを実現していると信じている。そうであって欲しかった。
「目障りなら鬼でも悪魔でも、魔女でも魔法少女でも差し向けて来いってか?」
「モチのロン」
「それをなんとかするのがアタシらなんだけど……なあ」
ももこはハア、と溜息を付く。
だが、直後に大きく瞳を見開いて、笑った。
「なあ、調整屋」
「なんスか?」
「アタシらのやってる事ってさ、宇宙の破滅に一躍かってるってことだよな」
「知ったこっちゃないッスよ」
「言うと思った」
お互いに笑い合った。暗い車内の中で二人の黄金の瞳が爛々と瞬いていた。
「だからって搾取されたままなのは割に会わないッスよ」
「だな、これじゃあ共存とは言えない。隷属だ」
「そ。それだと人類が生きている意味が無い」
「だから、意地でも奴らとイーブンに持ってってやるって?」
「当然」
言い終わったときには、いずもが車を走りだしていた。
ももこがふと気になって、窓の外を見ると、赤い瞳を持った白い動物が視界を横切ったが――――別に気にならなかった。