魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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FILE #55 彼女達のスタート地点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――楽園

 

<ここが貴女の“出発地点”です>

 

 ねむの助手を務める二匹の伝説の魔物――――【九尾の白狐】ヨヅルと、【カーバンクル】月出里(すだち)に導かれて辿り着いた先は、自分がこの世界で最初に居た場所だった――――らしい。

 ……というのも、歩き始めて数時間は、空は蒼・地は花畑という今と全く変わらぬ景色が続いていたからだ。いろはには、全く判別が付かないが、二匹には分かるらしい。

 ヨヅルがいろはの体の倍はあろうかという巨大な前足を伸ばし、

 

<これから、月出里の力で、貴女を現世に送ります>

 

 ――と、その地点を指し示しながら、テレパシーで教えてくれた。

 月出里はちょこんといろはの肩に乗る。横目で見ると表情は自信に満ちていて、いつでも準備オッケーと言いたげだ。

 

「ありがとうございます」

 

<よろしいのですか?>

 

 二人に感謝を述べて、ヨヅルの差した地点へ移動するいろはだが、ヨヅルに呼び止められた。

 

「えっ!?」

 

 振り向くと、その威厳溢れる風格に相応しい、黄金に光輝く巨眼が自分を真っ直ぐ捉えていた。

 瞬時に、猫に狙われたネズミの恐怖を理解したいろはは、硬直して足を止める。 

 

<貴女には知らなければならない事が沢山あった筈。“教授”に尋ねなくて、本当によろしかったのですか?>

 

「……っ」

 

 目が一瞬だけ下を向き、下唇を噛んだ。

 それは、自分がよく見る“夢”の話だろう。

 記憶に無い。だけど、本当に経験したかのように、リアルで、鮮明な内容。

 

 ねむは確かに言っていた。“自分はいろはの記憶に確かに存在する”のだと。

 だが、別人――――

 あの輝かしい日々で共に遊んだ無垢な子供では無く、洞穴の様な場所に閉じ込められて、夥しい“何か”を研究していた、知らない大人だった。

 

「そうだね……」

 

<何故、無碍にしたのですか? こんな機会は二度と無いかもしれないのに……>

 

 ヨヅルはその精悍な瞳でいろはをじっと見つめてきた。肩に乗る月出里も、心配そうにいろはの顔を覗き込む。

 だが、いろははふふっと笑い返した。

 

「ヨヅルさんなら、分かりますよ」

 

<??>

 

 何がだろう。純粋に分からない、と言いたげにヨヅルは首を傾げた。

 

「だって、ねむちゃんって意地が悪いから。聞いたって教えてくれませんよ、きっと」

 

<ああ、成程>

 

 納得いったように上下に首を振り回すヨヅルにいろはは可笑しくなった。

 

「だから、いつか、私の準備が出来たら(・・・・・・・・・)聞きに行くって、伝えておいてください」

 

<かしこまりました>

 

「ありがとうございます。ヨヅルさん、今日は失礼しました。 あと、月出里さんも!」

 

<ふむっふむっ!>

 

 笑顔で呼びかけた途端、自分の肩に乗っていた桃色の珍獣が、嬉しそうな鳴き声を挙げながら元気よく飛び回った。

 

<またきてねー、と月出里は申しております>

 

「分かるんですね……」

 

 まさかの通訳にいろはは唖然。

 なんだろう。魔法少女がテレパシーでお互いに会話できるように、怪物同士、何か通じ合うものがあるのだろうか。

 

<ええ。かつて私は心理学者でありましたので、月出里の表情、仕草を見るだけで、何を伝えたいのかが手に取るように分かります>

 

「へえ……えっ!?」

 

 一瞬納得しかけたが……よくよく考えるとおかしい話だ。

 怪物の心理学者ってそもそも何だ。そんな職業が彼女達の世界に存在しているのだとしたら、相当文明が進んでいるに違いない。

 

「凄い……」

 

 思わず口から感嘆が零れるのも無理は無い。一方のヨヅルは首を傾げるだけ。

 

<何が、でしょうか?>

 

「……いえ、なんでも」

 

<では、月出里>

 

<ふむっふむっ!>

 

 月出里は頷くと、再びいろはに肩に乗った。

 そして額に嵌められたルビーから紅い粒子を放出し、いろはの全身を覆い始める。

 

 

 ああ、これから帰るんだ――――

 何だか凄い体験をしてしまった。

 天国のような場所で、伝説の魔物と遭遇し、探してた人に出会えた。

 

 今日のことを何て伝えようかな。

 みかづき壮のみんなに、鶴乃ちゃんとか葉ちゃんとか、友達に。

 みんなビックリしちゃうかな。

 それとも、羨ましがられちゃうかも?

 

 

 

 期待に胸を躍らせながら――――いろはの視界はゆっくりと、闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 ――――

 

 

 

 

<無事、行かれたようですね>

 

<ふむむ、ふむ>

 

<珍しく嬉しそうな顔してるね、と?>

 

<ふむ!>

 

<……そうですね。羨ましかったのだと思います。彼女が>

 

<ふむ?>

 

<……環いろは、いつか私も自由の身となり、貴女のように>

 

 

 ――――大切な人を探しに行きたい。

 

 

 ――――そして、自分が“何者”で有ったのか、確認したい。

 

 

 九尾の怪物は、月出里から目を逸らし、いろはが消えた場所をずっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッと意識が戻った頃には、視界に見覚えのある景色が広がっていた。

 

 ――――神浜市役所・市長執務室。

 

「おかえりなさい、いろはさん」

 

 見覚えのある木彫りのデスクと、見覚えのある初老の女性が、いろはの居る場所を証明していた。

 帰ってきたのだ。現実の世界に。自分が、戦っていく舞台に。

 不意に目線を下に向けると、いつの間にか服装も私服に戻っている。

 

「今のは……?」

 

「ん?」

 

「……今のは、何だったんですか?」

 

 震えた声でいろはは先ず、青佐にそう問いかけた。青佐はニッコリと笑って、

 

「ただの道案内よ」

 

 そう返す。当たり前だが、それで納得いく筈も無く。

 

「でも、今のあれは、普通の人じゃできないですよ。もしかして青佐さんって」

 

 魔法少女なんですか? と問いかけると、青佐は吹き出した。楽しそうにクスクスと笑い声を響かせる。

 

「……笑わなくてもっ」

 

「ふふ、ごめんなさい。素直に『はい、そうです』って答える私を予想してるのかなあ、って思ったら可笑しくなっちゃってね」

 

 いろはは目を丸くした。

 

「違うんですか?」

 

「それも、課題として与えるわ。いろはさん」

 

「そんな……」

 

「大丈夫。貴方だったら、いずれ分かるから。……それよりも、“彼女達”から知りたいことは聞けた?」

 

 それに関しては、勿論。

 いろはは反射的にコクリと頷いた。その表情は自信に満ち溢れていたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――一方、由比鶴乃

 

 ――――東京都・目黒区

 

 時は少し遡る。

 鶴乃は神浜とは遠く離れたこの地区にあるという中山の息子夫婦の家を訪ねていた。

 理由は単純。かつて同じ商店街で仲間だった陶器店店主の中山三郎に会う為である。

 河野と違うのは、彼は突然、参京商店街から出て行ってしまったのだ。

 誰にも何も伝えず、伴侶同然と言っていた商店も、そのままに。自作の陶器類も置き去りにして、店を閉めて……

 だが、先日、中山が皇グループや七海やちよの企画に乗り、中央区で店を営む若い陶芸家や職人、学校の子供たちに、(テレビ電話や分身ロボットを通じて)芸術指導を施していると聞いて、嬉しかった。

 中山はまだ活きている。今もまだ、自分と同じ志を抱いている――――

 だが、胸を躍らせながら久しぶりに会った彼は、依然とは別人と見紛う程色白で、痩せていた。

 

「そうか、お祭りには行けなかったが……大成功だったか」

 

 彼の書斎に招かれた鶴乃は、近況を報告していた。

 久しぶりに会えた鶴乃の元気な姿と、先のお祭りに於ける商店街の大盛況ぶりを聞いて、喜びと共に血色もみるみる良くなった。

 

「うん! 皇さんもしばらく滞在してくれるって! それにこれ、見てよ!」

 

 鶴乃はショルダーバッグを下げると、一枚の手紙を取り出した。

 

「やちよから貰ったの! 樹里姉からだって!」

 

 その名前に中山は意表を付かれた。目を見開いて手紙を受け取る。

 

「お樹里ちゃんか。長らく話を聞かなかったが、あの子も元気にしとるのかね……?」

 

「っていうか、変わってない」

 

「??」

 

 若干呆れ混じりに笑う鶴乃。中山不思議そうに首を傾げながらも、手紙を読み始める。

 

 

 

 “よーおつるー!! ひさっぷりー!!

 

 そういやお前もうスマホ持ってるよな?

 これ樹里サマの電話番号、夜露死苦! → ×××-×××ー××××”

 

 

 

「……なんだね、これは?」

 

「そりゃこっちが聞きたいよっ! 15年ぶりだってのに感動も何もありゃしない」

 

 プッと中山は吹き出した。

 

「……変わらないな」

 

「河野の祖母ちゃんは、時代の変化で人も変わるって言ってたけど……変わらないものがあるとホッとするよね」

 

 鶴乃は穏やかに笑う。全くだ、と中山もコクリと頷いた。

 

「でもさ、わたし、スッゴイワクワクして電話を掛けたの。そしたら“お鶴コノヤロー!! 樹里サマを二年間もほったらかしにしやがって一体何やってんだ! 今すぐウェルダンにしてやろうか!?”ってマジギレ。いや、やちよが今まで渡さなかったのが悪いんだよって言っても聞く耳無し!」

 

 鶴乃はお手上げしながら呆れ返る。

 結局弁明を伝える隙も無くギャーギャー騒がれて、一方的に切られた。

 なんだよコイツ……! っと鶴乃が忌々しく思った直後に、LINEが届いた。

 

 

 

 “よー! おつるー!!

 元気にしてるかー!! お前の姐御の樹里サマは今日も元気だー!!

 

 理恵だけど、ウチで面倒見てるからなー! アイツも元気でやってるぜー!

 あとこの前、神浜市の公式HP覗いたんだけど、お前魔法少女になったんだってな!?

 お前そういうのは早く教えろよ!! 昔からの悪い癖だぞ!!

 言い忘れたけど樹里サマも魔法少女なんだよ。 キツイことは多かったけど、何だかんだで12年もやれてる。心配すんな、大丈夫だから

 

 店が大変かもしんないけど、暇が取れたらこっちに来いよ!

 樹里サマがビシバシ鍛えてやっからな!! 腑抜けたこと言いやがったらウェルダンにしてやるぞ、二ヒヒ(^皿^)!

 

 じゃなー!”

 

 

 

「と、まあ、こんな長文が届いた訳ですよ」

 

 心底メーワクそうに吐き捨てながら鶴乃はスマホの画面を見せた。中山は興味深そうにまじまじと見つめる。

 

「ほう、今はやりのズンドコ……? というやつかね」

 

「ツンデレね。ってか樹里姉のツンはぶっちゃけ死んでほしいレベルだけど」

 

 鶴乃がきっぱり言うと、中山は笑い出した。

 

「……本当に相変わらずだな……」

 

「全くだよっ!」

 

 鶴乃は樹里にプンスコ怒っていたが、中山は違っていた。

 彼は一頻り笑った後、急に神妙な面持ちで鶴乃を見つめ始める。

 

「爺ちゃん?」

 

 中山は胸に手を翳した。

 

「……いや、お鶴ちゃん。そうやって明るく笑ってる君を見てると、つい安心してしまってな……。だから、罪の気持ちがここに(・・・)残る内に言っておきたい」

 

 え? と鶴乃は呆気に取られていると――――彼は突然、頭を下げた。

 

 

「申し訳無かったっ! お鶴ちゃん!」

 

 

 頭を畳に擦り付けて自分に強く訴える中山に鶴乃は仰天。

 

「爺ちゃん!? どうしたのっ!?」

 

 中山は一体自分に何をしたのか――――鶴乃にはまるで訳が分からなかった。

 ずっと年上で、経験豊富な経営者で、祖父の友人でもあった彼。罪悪感が有るにせよ、尊敬する大人の一人である彼に頭を下げられるのは、正直気分が悪い。

 鶴乃は慌てて、頭を上げるよう促したが、中山が頑なに上げず、

 

「俺のせいで、君の人生を滅茶苦茶にしてしまったっ!」

 

 声を震わせながら、喚いた。

 

「……え?」

 

「俺があの時、君が魔法少女だったら、等と言わなければ……!!」

 

 中山は涙を流しながら、当時の事を語り出した。

 

 ――――それは、二年前に遡る。

 

 鶴乃が魔法少女になったと聞いた時、中山は胃が灼ける様な激痛が走ったという。

 木次郎と隼太郎は気にするな、鶴乃の面倒はちゃんと見る、と言ってくれたが……自分があの時、うっかり零してしまった失言が、鶴乃の背中を押してしまった。

 それからずっと彼は後悔していた。

 魔法少女になれば二度と一般人には戻れない。魔女と永久に戦う宿命を背負い、いつ死ぬか分からない。

 魔法少女の延命法が究明されている神浜市とはいえ、10年以上生きてるケースはまだまだ数少ないのが現状だ。

 

「今回のことは、せめてもの償いのつもりだった。何も言わず商店街から出て行った事を、どうか許してくれ……! 俺は怖かったんだ……君が、雉さんが、もしかしたら俺を恨んでいるんじゃないかと思うと、怖くて……怖くて……っ!」

 

 目の前の鶴乃に怯えるように、彼はその大柄の体躯をガタガタと震わせながら、嗚咽を漏らしていた。

 実のところ、中山を追い詰めていたのは由比家の罪悪感だけではない。

 鶴乃が魔法少女になってから、先の中山の失言を聞いた経営者達がこぞって冷たい視線を向けてきたのも、苦痛であった。

 

 ――――子供を生贄に捧げた畜生が。

 

 ――――この人殺し。

 

 今まで仲間だった一部の住民達が掌を返すように、執拗な嫌がらせを行い、そんな罵詈雑言をしめやかに浴びせることも少なくなかった。

 

 ――――もう、ここには居られない。

 

 苦渋の決断だった。

 重度のストレスで、持病が悪化した中山は、店を置き去りにしたまま、息子夫婦が暮らす目黒区で療養することに決めた。

 それは、再開発計画を止める為に、普通の生活を捨てた鶴乃に対する裏切りに他ならなかった。

 

「俺は、大馬鹿者だ……! 一番辛い思いをしているのはお鶴ちゃんだと分かっていながら……っ!」

 

 我が身可愛さに、逃げた。

 その後、医師の治療によって、暴れ回っていた病魔は治まってくれたが、罪は拭えない。

 

「頭を上げてよ、爺ちゃん」

 

「……お鶴ちゃん?」

 

 グシャグシャに歪んだ顔を上げて中山は驚いた。

 自分に怒るとばかり思っていた鶴乃が、優しく微笑んでいたのだから。

 

「爺ちゃんは、何も悪くないよ」

 

 その顔が眩しくて見ていられない。

 中山は目を逸らして、クッと歯噛みする。

 

「だが、俺は……」

 

「魔法少女になったのは、私の勝手だもん。自分の責任は、自分で持つよ」

 

 中山はその言葉に食いついた。

 

「しかし……! 君のお母さんとお婆さんは、亡くなってしまったじゃないか……! あれも、もしかしたら……っ!!」

 

 悍ましい怪物を目の当たりにしたように、中山の顔は蒼褪めていった。

 あれも“魔法”の仕業では?

 目に見えないものが、人の運命さえも操作し、あんな残酷な結末を創り出したのでは無いのか……!?

 中山がつい、そう問いかけようとした瞬間。

 

「あれはっ!!」

 

 突然、叫んだ鶴乃に、中山が震えを止めてギョッと驚く。

 

「……………………運が、悪かったんだよ。たまたま乗った船にあんな奴らが、テロが、居たから、殺されちゃっただけ(・・)なんだよ。誰も悪くないんだよ。わたしも、おんじも、爺ちゃんも……っ!!」

 

 鶴乃は隠すように、顔を下に向けながら、小さく呟いた。

 それは、どこか自分に言い聞かせるようにも聞こえたし、急激に湧いた怒りを必死に喉元で抑え込んでいるように聞こえた。

 

「お鶴ちゃん?」

 

 しかし、その怒りが自分に向けられているものでは無いと分かり、中山は目を丸くする。

 

「……それにね、爺ちゃん」

 

 鶴乃は迷いを振り切るようにかぶりを振ると、再び穏やかに笑って見せた。

 

「私、今、幸せだよ」

 

「え?」

 

「魔法少女になってから、友達が出来たの。その子のお陰で、私は本当にやりたいことを見つけられた」

 

 だから、もう迷わない。間違わない。鶴乃はもう誰の為に頑張らない。これからは、今の自分の幸せを守る為に精一杯働く。そして、自分に幸せを教えてくれた人達の為に、努力して、強くなる。

 だから――――

 

「安心して、爺ちゃん。私は大丈夫だよ」

 

 太陽の様にニッコリと笑って、鶴乃ははっきりと伝えた。

 

「……! そうか……安心して、いいのか……」

 

 強張り続けていた中山の肩が、力が抜けたように、すとんと落ちた。

 中山の顔は相変わらず涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったが、そう呟いた口元は、微かに笑っていた。

 

「それよりもさ、爺ちゃん! やちよに聞いたけど、子供たちに陶芸教えてるんでしょ!? そのことちょっと聞かせてよ!」

 

 彼にずっと取り憑りついていたものを、ようやく祓えたのだろうか――――そうあってほしい。

 鶴乃は願いながらも、中山が前へ向いていける話題を振った。

 中山は猿の様に皺塗れの赤くなった顔で、笑って答える。

 

「ああ、それはね――――」

 

 楽しそうに話し始める中山。ウキウキと話を聞く鶴乃。

 二人が居る書斎にはいつまでも、暖かくて、穏やかな空気が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――楽園・万年桜の木の下

 

 楽園にも夜は有る。

 ねむ個人には必要無いのだが、生物であるヨヅルや月出里、そして群がる花々に一時の安息を取らせる為に、眠る時間を設けたのだ。

 巨大な桜華の傘の下で、ねむは幹に背中を預けて、黒マントをタオルケット変わりに体に掛けて眠っていた。

 

<ふむ、ふっ、ん……>

 

 ――――が、安息は束の間で終わった。

 足元で苦しそうな呻き声が聞こえて目が覚める。

 

「……(うな)されているのかい、月出里」

 

<ふ、むっ……ふっ……>

 

 黒マントをめくると、膝の上でカーバンクルが丸くなっていた。

 瞼は閉じてるから、眠れてはいる。しかし、何かに怯えるようにガタガタと震えていた。

 

<教授>

 

 と、そこで、巨大な九尾がゆったりと花畑の向こうから歩み寄ってくる。

 

「ヨヅルかい」

 

今日も(・・・)、ですか>

 

 うん、とねむは頷く。

 楽園に時計は無い。しかし、ねむは現実の時間を正確に把握していた。

 ――――数え始めて一週間と8時間、月出里の眠りが浅い日が続いている。

 起きている時は、普段と変わらず無邪気に花畑を跳ねまわり、宿る魂魄を癒してくれているのだが……眠っている時だけ、明らかに様子がおかしい。

 だが、月出里に尋ねても、全く覚えていないのだ。

 亡くなる魂が増えたので、疲れが溜まっただけかもしれない――と、ヨヅルは言うが、ねむは気がかりでならなかった。

 月出里は、ヨヅルとねむが()()()()()()()()()()()()()()()()

 超常的な――――筆舌に表現し難い、“何か”を。

 

<ふ、む……ふっ、ふん……>

 

 普段の元気溌剌な姿に癒されているのは、ねむも同じだ――表には出さないが、恐らくヨヅルも――。

 震えながら、ブツブツ何かを苦しそうに唱える彼女の様子は見ているだけで辛い。

 

「だけど、珍しく寝言を言っている。分かるかい?」

 

<……>

 

 ヨヅルは黙して、じっと月出里に視点を合わせると、強く念じた。

 

<!>

 

 ――――やがて、驚いたように瞳が大きく開く。間髪入れずにねむが問いかけた。

 

「何て言っている……!?」

 

 気持ちを取り直すように一呼吸してから、ヨヅルは答えた。

 

<目が見える、と申しております>

 

「目……?」

 

<血のように真っ赤な目が、私を睨んでいる、怖い、助けて……と、申しております>

 

「ッ!!」

 

 そう伝えた瞬間――――ねむの顔が豹変する。

 

<教授?>

 

 突然、今にも憤激せんとばかりに険しくなったねむの形相を、ヨヅルは怪訝そうに見つめる。

 だが、今のねむはヨヅルを全く意に介さず――――その鋭くなった瞳で虚空を睨み据えながら、怒りを噛み殺すような低い声で呟いた。

 

 

「……やはり、貴女(・・)の仕業なのか……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたくしの挑戦状は受け取ってくれたかにゃー?? 柊 ねむ」

 

 ――――楽園とは一転。

 

 黒一色に塗り潰された暗黒の中枢で、少女は無垢に嗤っていた。

 豪著な玉座の上で悠然と立ち尽くすその姿は、まるで自らがこの世界の王だと証明しているのかの様――――当然だ。“ここ”は彼女のテリトリー。誰も足を踏み入れる事も、見る事もできない。

 日秀源道や梓みふゆさえも決して辿り着くことは叶わぬ、彼女だけの聖域。

 

 赦されるのは――――

 

 

<ご無沙汰しております。プロフェッサー>

 

 

 ――――“適合者”のみだ。

 

 プロフェッサーと呼ばれた女の子・里見灯花は、突如漆黒に大きく映し出された正方形の画面に映る、その女の顔を見据えながら、胸中で独り言ちる。

 

「“490(よんきゅーまる)”。久しぶりねー」

 

 灯花にそう呼ばれた女の口元が微かに吊り上がる。

 女の相貌は、見た所、灯花とは同じ年齢か、少し上の12~4歳程の少女に見えた。

 だが、その微笑みは冷たく、灯花と視線を交じ合わせる右眼は鋭利に研ぎ澄まされていて、子供らしい純朴さなど微塵も内に無い事は明確だった。

 

「そちらの様子はどう?」

 

 画面の女の笑みが深まる。

 

<順調です。我が担当地区の重工業は全て、プロフェッサーの計画に賛同を示しました>

 

「良い傾向ねー」

 

 計画が思い通りに行くほど愉快な事は無い。

 灯花は心の底から、嬉しそうに笑って見せた。画面の女も、その表情を待ち望んでいたとばかりに、満足そうに頷き返す。

 

<それとプロフェッサー、予てよりご要望されていた【ドロシー】ですが、今しがた試作機の製作が完了いたしました。近日中にご照覧頂きたく願います>

 

 エメラルドの右目が不気味に瞬いた。灯花は念願の玩具が手に入った子供のように喜んだ。

 

「ありがとー! じゃあ第二フェーズに以降したら、そっちに行くよー」

 

<貴女様のご来訪を、心より楽しみにしております。それでは――――>

 

 女はそう言って恭しく頭を下げた後、敬礼。

 

 

<全てはプロフェッサー・マギウスが思い描く、我ら魔法少女の未来の為に>

 

 

 ――――失礼いたしました。

 

 女は最後にそう会釈すると、画面を閉ざした。

 再び漆黒が完全支配する空間で、プロフェッサー・マギウス(里見灯花)は、静かに独り呟く。

 

 

「さて、環 いろは。貴女はどう出てくれるのかにゃー?」

 

 

 両目が鮮血の如き真紅に染まった彼女の形相は、残忍に歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




先生!!
どうして一週間で書くつもりだったのに、一週間経たないとモチベーションが上がらないんですか!?

最近の悩みはマジこれです……ああ、早く執筆して次の展開に行きたいのにぃ!!

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