魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
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――――ああ、常盤ななかか。
――――聞いているよ。無事、接触できたようだね。まあ、“アレ”にとっては朝飯前だろう。
――――ふふ、そう心配そうな声を出すな。この件を知っているのは君と、私だけだ。
――――だから、二人で期待しようじゃないか。
――――稀代の“英雄”は、人々にとっての“歩”で終わるか。
――――翻って……
☆
――――夜。
――――みかづき荘・大広間
「それでは新たに家族の一員となりました深月フェリシアさんの入居を祝いまして、乾杯!!」
「「「「「カンパーイ!!(……かんぱい)」」」」」
そこでは、やちよとピーターの計らいによってみかづき荘に住むことになった金髪の少女――深月フェリシアの歓迎会が開かれていた。
司会のやちよが合図を取ると、(まさらを除く)全員が笑顔で各々の好みが注がれたグラスを掲げる。
「深月フェリシアさん、これから一緒に暮らす家族に向けて、何か一言!」
やちよはそういって上座席に座る彼女に目を向けた。彼女は少し照れながらも満更でも無い様子だ。
満面の笑みをみんなに向けて嬉しそうに口を開く。
「へへっ、みんなありがとーな! オレ、いっしょーけんめーガンバルから! よろしくな!!」
「よろしくね、フェリシアちゃんっ」
「こちらこそ」
フェリシアから見て右側のソファに座るいろはが笑顔で返す。その隣に座るまさらも無表情だが、そう言って会釈した。
「よろしくね、フェリシアちゃん。私はピーター・レイモンド。みかづき荘のママよ」
「ママー?? おっちゃんどう見ても男だろ。ママはあっちでパパじゃね?」
フェリシアに指さされたみたまが「ママだなんてそんな……!」と頬を赤らめるが、ピーターは気にせず語り掛ける。
「ふっふ~ん☆ 見た目はパパだけど、心はママなのよ」
「訳わかんねー……」
「今は考えなくていい」
「そうね、あと7年経ったら一緒に考えましょう」
そう言って得意気に胸板を張るピーターだが、言葉の意味が理解できないフェリシアは首を傾げた。
すかさず、まさらとやちよが助け舟を渡す。
「よろしくね、フェリシアちゃん! よーやく元気いっぱいな子が来てくれて、ママ、嬉しいわぁ☆」
「ママは私よ」
笑顔の花を満開に咲かせたみたまの目は輝いていた。そしてピーターは無視。
「あれママ。私達じゃ不服だったの?」
「ママは私よ」
やちよがピーターを無視してそう問いかけると、みたまはコクリと頷く。
「ええ。だってみーんな物分かりの良い子ばっかりなんだものぉ。ママもたまには刺激が欲しいわぁ」
「ママは私よ」
「たまにどころかこれから毎日だと思いますけど……」
「まさらさん……」
本人の居る前でそんなことを言ってしまうまさらにいろはは苦笑。ピーターは無視。
「そんな訳で、私は一気に二人の妹を持つお姉ちゃんになってしまった訳だけど」
「なんだオメー? 困ってんのか?」
無表情で自分の現状を淡々といろはに語るまさら。だが、そこでフェリシアが横槍を突いた。
「ん、まあ」
一瞬だけ意表を付かれたように目を見開くまさらだが、すぐにいつもの人形顔に戻し、
「今までここじゃ末っ子だったから……」
「ああ、分かります。構われなくなるかもって心配しちゃいますよね」
「ン……まあ」
いろはは苦笑いでそう言うと、まさらは僅かに目線を下げて呟いた。
「……そう言えばいろははお姉ちゃんだったよね? 立ち振る舞い方、教えてくれる?」
「喜んでっ」
二人がそんなやり取りをしている中、フェリシアは既にテーブルの上に並べられた彩とりどりの料理に手を付けていた。
ちなみに、やちよが「牛が好き」だと事前にピーターに伝えていた為、肉料理メインである。フェリシアは目の前に置かれた大皿からはみでそうなサイズのステーキを嬉しそうに頬張りながら、
「うめえ! こんなうめえ料理生まれて初めてだぜ!」
と、歓喜の声を挙げて幸せを噛み締めていた。
いろはは、そんな彼女を見つめて、ふと思う。
(傭兵はヤクザの人と商売してるって聞いたけど……)
本人曰く元々は“傭兵”業だったそうだが、出会った時の泥汚れの酷いTシャツと、ボロボロのジーパン姿を見る限り微塵もそう感じられない。恐らくヤクザのヤの字も分からなそうである。
だが、両親が魔女によって殺された、という話から察するに、あまり良い暮らしはできなかったのかもしれない。
聞けば、親戚も無く天涯孤独の身だというのだ。一人で色んな所を放浪して、ホームレスの人達から衣類や食事を分けて貰っていたらしい。
(なんだか……)
いろははふと、自分の可能性について考えた。
もし、自分もやちよや青佐と出会わなければ、フェリシアのようになっていたかもしれない。
大切な人を失い、居場所を失い、ただ漠然と自分が生きる意味を求めて彷徨い歩く…………そこまで想像して、背筋がゾッと震えた。恐らく、自分だったら生きていけない。そんなタフな人生は歩めない。
(この子は誰にも頼らず一人で生きていくと決めた……それだけでも……)
強い、と思う。自分より遥かに。
――――そんなことを考えながら、いろはは皆と一緒に食事を取っていた。
やがて、ひと段落つくと、太鼓腹になったお腹をポンポンと叩きながら、フェリシアが嬉しそうに言った。
「ふぃ~くったくった! そうだっ! ウマいメシ食わせてもらったお礼に、デザート作ってやるよ!!」
「「「「「デザート??」」」」」
らしからぬ言葉にポカンとなる一同。
フェリシアは意に介さず上座から立ち上がると、「ちょっとおかって借りるぜ~」と足早にキッチンへと駈け込んでしまう。
「デザートって……意外」
いろはの顔は明らかに心配そう。
「確かに、料理をしている風には見えないし……それ以前に料理という概念を理解しているのかしら」
隣のまさらもコクリと頷いて同調。顔にはフェリシアに対する疑念の色がありありと映っている。
「まあ、コイツよりはマシでしょ?」
「ほっときなさい☆」
ピーターとみたまが軽口を叩き合うのを尻目に、やちよが意見する。
「例えどんな料理だろうと、心を込めて作られたものなら、ちゃんと味わって全部食べてあげるのが礼儀よ」
その言葉には賛成だ。
いろはとまさらは同時に頷いた。
――――しばらくして……
「作ったぜー!!」
元気溌剌な声と共に、フェリシアはお盆を抱えて現れた。
テーブルまで持っていくと、小さな容器に入った“それ”を一人ずつ配っていく。
「へえ~! 可愛いのが出来てる出来てるっ!」
途端、やちよが目を輝かせた。デザートを手に取って歓声を挙げる。
カップに満たされていたのは金色の固形物で、表面をきつね色に焼かれた砂糖が彩っている。
これは――――“ブリュレ”だ。
「……凄い」
「……意外」
鼻腔を刺激するのはバニラの甘い臭い。余計な物は入って無さそうで、正しくデザートそのもの。
いろはとまさらは揃って感嘆した。
「! ……私の負けね」
「いつ勝負したのよ……?」
何故か真剣な顔で敗北宣言するみたまに、ピーターが突っ込む。
だが、見た目は良くても、味はなんとやらだ。
大抵、食べてみたらゲロマズでした。後でトイレへレッツゴーリバース! というのはよく有る。
(みたまを除くみかづき荘一同談)
「「「「…………」」」」
「えっ!? 私っ!?」
そんな訳で、毒見役は誰にするか――――は、一瞬で決まった。
家族が女性ばかりの場合、貧乏くじを引くのは大抵父親と決まっているのだが、生憎ピーターは女性にカテゴライズされるので該当せず。
……そうなると、次点で末っ子である。
ジーーッと全員でいろはを見つめと、彼女の肩がビクリと跳ねた。
フェリシアも期待を込めた瞳をキラキラと瞬かせている。もう逃げられない。
「頂きます……」
南無三っ!
いろはは心の中で神仏に祈りを捧げると、覚悟を決めた。
スプーンでブリュレを掬って、口に運ぶ。
「っ!!」
――――刹那、電流が走る!
なんだ、これは?
イチゴやブルーベリーに似た果実の甘酸っぱい触感が舌を刺激。直後に穏やかな甘みが口いっぱいに広がる。
これはミルクに砂糖を投入しただけの人工物ではない。自然で、身体がすっと受け入れてくれる味わいだ。
――――表現できる言葉は、唯一つ。
「美味しい……」
自然と口から小さく零れたその一言を、みたまは聞き逃さなかった。
カッと目を見開いて全員に指示!
「みんな、頂くわよ」
「「「ラジャー!」」」
全員が一斉に、デザートを口に付けると、たちまちいろはと同じような反応を示した。
目が大きく見開き、驚愕。直後に口の中に広がる穏やかな甘みに顔が緩む。
……まさらだけは、相変わらず氷の表情だったが、口の端は微妙に吊り上がっていた。
「どこかで食べたことある舌触りねえ」
味は感じないが、触感には覚えがある。
みたまがそうボヤくと今度はやちよの目が光る。
「ええ。これは、ウォールナッツで食べたサツマイモ入りのブリュレにそっくりよ……!」
「ああ、言われてみれば……」
まさらが、口元をモムモム動かしながら、コクリと頷く。
先ほどから皆が食べているのを嬉しそうに眺めながら、フェリシアは言った。
「おおーっ! イモに気付いてくれるとは嬉しいぜ!」
冷蔵庫にあったからレンジで蒸かしたんだ!とフェリシアは満面の笑みで伝える。
「オレ実は、色んな所でよーへーやっててよ! たまたまウォールナッツのオーナーの弟って人がやってる店にしばらく世話になったことあるんだよっ! そこのオヤジさんが良い人でさー、いっぱい料理教えてくれたんだよなー!」
陽気にはしゃぐフェリシアに、やちよは笑みを返した。
「まるでお店に来たみたいね」
「それじゃあこれから毎日ウォールナッツ料理かしら?」
まさらが僅かにムッとなる。
「困ります。私といろはの立場が無くなるので」
「まさらさん……」
気遣ってくれるのだろうが、いろはは苦笑い。
ちなみにまさらの料理は、一日分のカロリーが計算されている上に必須栄養素も考えられている。いろはは最早語るべからず、古き良き昭和の日本家庭料理(薄味)だ。
故に味の濃い外食料理が主流になるのはノーサンキュー。
――――全員が食べ終わるとフェリシアは片付けた。
心配になったピーターが声を掛けるが、「こーいうのもやらされてたんだよなー」と言って、テキパキと夕食後の食器や調理器具も含めて、洗い物をサッサと済ませてしまった。
「良い子じゃない」
フェリシアが食器を片付けている最中、やちよがそう声を掛けると、皆が頷く。
「本当ですね。一時はどうなるかと思ったけど……」
その中で、いろははホッと息を付いていた。
「心配だったの?」
そういえばまさらは事情を知らなかった。怪訝そうな顔で尋ねてきたのでいろはは説明する。
「…………そんな感じで、市役所じゃ完全に暴れん坊って感じでしたから。あっ、ヤバイ子だなーって……」
それが、こんなに上品なデザートを振舞ってくれたし、片付けもキチンとできる。要領も良くて、行儀を弁えている子だったのだ。
「一つの事に優れてる人間は、人間性も秀でているものよ」
言いながら、やちよはまさらにアイコンタクトを送ると、彼女もコクリと頷く。
「第一印象って強いですからね」
「ですね。ふふ、なんだか私、あの子にすっかり騙されちゃった気分です」
「あの子とはやっていけそう?」
やちよが尋ねると、いろはは「はい」と頷いた。
「もう少し話さないとですけど……。まさらさんは?」
まさらは、腕を組んで首を僅かに傾げた。
「私は、暫く様子を見てから……かな? という訳でいろは、よろしく」
「はい……ってええ!?」
ポンッと肩を叩かれるいろは。
「だって貴女、あの子の教育係でしょう? 私は遠くから見て分析するから」
「分析って……自分で話し掛けてくださいよ~」
いろはが困り顔でそうツッコむと、露骨に目を泳がすまさら。
「私、人と話すのは苦手で……」
「それは私も一緒ですってば~」
「えっ」
――――まさらは、不得意な事はしない主義である。
何故なら合理的でないからだ。
苦手なものを無理に行えば、段取りが狂い、雰囲気が悪化。結果的に能率が低下する。
よって、得意な人間が代わりに遂行すれば物事は順序良く運ぶと考えていた。
……だが、いろはから意外な一言が返ってきて、まさらは意表を突かれた。
小さく目を見開いたが、彼女的に驚いたのだろう。
「だって貴女、初日で市長に啖呵切ったよね? それにやちよさんとはもう仲が良さそうだったし」
あー、といろはは返す言葉を失う。
「あの二人と初日から仲良くなれる人なんてまずいない。凄い子が現れたのだとばかり……」
「あー、あー……あははは」
自分としては成り行きでそうなっただけなので、いろはは苦笑い。
あれらもねむちゃんが言ってた“主人公”という【見えない力】が作用した結果なのだろうか?
「本当、印象って不思議よね」
二人のやりとりを眺めながらやちよはクスクス笑うのだった。
☆
――――20:00
歓迎会が終わって自室に戻ると、いろはは勉強机の前に座って宿題の続きを解き始めた。
はあ、と溜息――――宿題は苦手な数学だ。数字の羅列を眺めていると、先ほどの楽しい気持ちが嘘の様に沈んでいく。
「う~~ん、難しい……」
尖らせた唇の上にシャーペンを置き、鼻で挟む――昔ながらの悩むスタイルを取りながら、いろはは考えていた。
まさらややちよに聞けばすぐに教えてくれるのだろうが、自分の抱えた問題は極力自分だけで解決しなくては。
只でさえ二人には恩義を感じている身なればこそ、あまり迷惑は掛けたくない。
「……ってこんなに頑固だから、苦手なんだろうな。数学」
宝崎市に居た頃――――葉菜と一緒に、チームリーダーの累(一番年上だけど)に勉強を教えていたことを思い出す。
そういえば累さんって、数学だけは異常に飲み込み早かったっけ。
自分と葉菜も数学が苦手だったから、公式を教えただけで、派生問題をスラスラ解いてくれるのは正直、助かった。
「確かに累さんって頭が柔らかいんだよなあ……。まあ、教えた3日後には決まって『いろっちー! 前教えてくれたこの式忘れた―! おしえておしえてー!』ってせがんでくるからムカつくんだけどね……」
「そんなにおもしれーヤツいんのかー?」
「そうなんだよー……って誰っ!?」
自分以外にいない筈の部屋に知らない声が飛び込んできて、いろははビックリ仰天!
後ろを振り向くと、別室の筈のフェリシアが、漫画を読みながらベッドに寝っ転がっていたのだ!
「よう」
「ようじゃなくてっ! フェリシアちゃんっ、ノックぐらいしてよっ!!」
今の独り言も―ついでに累のモノマネも―聞かれてしまったということか。
恥ずかしさの余り顔が紅潮して、溜まらず怒鳴るいろはだが、フェリシアはビクともしない。
「開いてたんだ。入るだろ」
寧ろ一切悪びれずに素っ気なく言い返してきた。
よっ、とベッドから飛び起きると、デスクに近づいていろはの宿題を凝視。
「そんなにムズいのかコレ?」
興味深そうに丸々とした瞳で見つめて問いかける。いろはは頷く。
「うん。フェリシアちゃん……もしかして、分かるの?」
――て、分かる訳無いよね、と思い苦笑い。
フェリシアは両親が死んでから、学校には一切通っていないのだという。当然、知識も小学校高学年止まりだろう。いや……市役所での常識知らずぶりからして、教科書を開いた事さえあるのか怪しい。
「……………………」
フェリシアは暫く、黙って宿題のプリントを眺めていたが――――おもむろに口を開いた。
「625通りだ」
「え?」
一瞬、彼女が何を言ったのか、分からなかった。
フェリシアの顔を今一度、確認すると、今までにない真摯な眼差しでいろはを見据えていた。
「まず一問目。1から25までの整数が掛かれたカードを二枚抜き取るんだろ? 【1枚目のカードを取り出してから戻して、よくきってから二枚目を取り出す】なんて回りくどく書かれてるけど……惑わされちゃダメだ。考え方はシンプル。一枚目を抜く確率は25通り。二枚目を抜く確率も25通り。二つ合わせたら25×25で正解は625通りだ」
「えっ!?」
まさか、あの僅かな時間で計算したっていうの!?
驚愕に目を見開いたままのいろはを意に介さずフェリシアは続ける。
「で、二問目。引いた二枚のカードの和が9になる可能性だが、これは簡単だな。1と8、2と7、3と6、4と5、5と4、6と3、7と2、8と1の8通りだ。つまり、625通りの中で8通りは有るってことで、答えは625分の8だ」
で、三問目――とフェリシア。いろはは完全に呆然。
「【引いた1枚目のカードを
「えっと……?」
「600通り。その状態から引いた二枚のカードの和が9になる確率。これはさっき言った8種類しかないよな? もう分かっただろ。600分の8、イコール75分の1だ」
「…………」
自分が余白にペンを付けるよりも早く、フェリシアはスラスラと解答を言い当てた。
いろは、完全に硬直。
余りにも予想外過ぎる事態に、驚愕の余り思考が真っ白になってしまって、説明が全く頭に入ってこない。
「どうしたー? 手が止まってんぞー?」
はっ、と我に返ったいろはは、目を見開いたまま恐る恐る口にする。
「フェリシアちゃんって、一体何者……?」
「はあ?」
「いや、あの……凄いんだね、うん……」
どうにか微笑みを作ってそう褒め称えると、フェリシアは満更でも無さそうにニカッと笑った。
「へへ、ヨーヘイはいろいろ勉強しなきゃだからなあ」
「誰に教わったの?」
「ああ、それはな、とく」
――――そこで、フェリシアの表情が消えた。
“今の質問は、
「やちよさんっ!?」
自分が確認するよりも早く、いろはがその声の持ち主と驚愕に気付いて素っ頓狂な声を張り上げた。
フェリシアが振り向くと、七海やちよが棒立ちしていた。
「ノックぐらいしてくださいよっ?」
「開いてたのよ。入るでしょ、普通」
やちよは全く悪びれずに、笑って言い放つ。いろはは涙目で机に突っ伏した。
「何でみんな当たり前のように入ってくるんですかー!?」
「だって私の家だし……。それより深月さん、今のは誰に教わったの?」
やちよは微笑みを携えたまま、尋ねた。フェリシアは両手を広げてお手上げのポーズを取ると、
「とっくに昔のことだからなー。忘れた」
首を振ってそう答えた。やちよが申し訳無さそうに目線を下に向ける。
「……そう、悪いことを聞いたわね」
「おう。口の利き方には気を付けろよ」
フェリシアはぶっきらぼうに言い返すと、部屋を出て行ってしまった。
☆
――――翌日。月曜日。
――――AM6:00
みかづき荘において家事は、一週間の当番制と決まっている。
今週はいろはが当番。よって毎日、自分を含めた6人分の朝・夕食を用意しなければならないし、掃除も自室のみでなく、一日一日スペースを小分けに決めて掃除しなければならない。
「ふぁ~~……」
あくびを噛み殺して、いろはは自室を出た。
眠い。そういえば、昨日でフェリシアも料理できることが分かったから、彼女の分も加えなければならないのか。あとでピーターさんに相談しよう。
(えっ!?)
そう思った矢先に両足が硬直!
キッチンに灯りが付いていて、カチャカチャと調理器具の音が忙しなく響いている。
――――誰か、いるの?
一瞬泥棒かと思ったが、神浜の最強無比の面子が寝泊まりするみかづき荘に偲び込む愚か者はまずいない。そう分かっていても、ちょっと怖い。恐る恐る近寄り、キッチンの内部を覗き込むと、
「フェリシアちゃんっ?」
金髪の小さな少女を発見して、思わず素っ頓狂な声を挙げてしまった。
「よう!」
快活そうな笑みで陽気に挨拶するフェリシア。いろはもつい笑みを返す。
「おはよう……ってそうじゃなくって、フェリシアちゃん、何してるの?」
愕然とするしかない。
何せ、新参者の彼女が、自分よりも早く起床して、エプロンを纏い、キッチンでテキパキと何かを作っているのだから。
コンロを見ると、鍋一杯に、薄黄色の液体が浮かんでいた。
あれは――――スープだろうか。小さくカットされた彩とりどりの野菜とコンソメの臭いが鼻腔を刺激する。
「何って、朝だぜ? メシに決まってるだろ?」
「いや、メシって……今日の当番私」
あからさまに、フェリシアがムッとなる。
「あー? 細けえこといちいち気にしてんじゃねーよ。こいつでも飲んでう〇こでもしてろっ!」
言いながらフェリシアは、ミキサーの中にあるピンク色の液体をコップに注ぎこんで、無理やり手渡してきた。
「……これって」
「スムージーだ。あのみたまってねーちゃんが飲んでたろ。見て真似た」
「えっ!?」
何かさりげなく最後に凄い事言ったような気がしたが、恐らく空耳だろう。
甘ったるい臭いが、朝のぼんやりとした脳には心地よかった。自然と手が出て、いろはは口を付けた。
「美味しい……けど、何が入ってるの、これ?」
液体はトロリとして舌触りが良く、甘酸っぱさの中にコクを感じる。なんというか、深みのある味、と言えばいいのだろうか。
「ブルーベリーとかバナナとか豆乳とか……あと隠し味に甘酒だな」
「あ、甘酒っ?」
「やちよが風呂上りに呑んでたろ。あれ見て、ピンと来たんだよ」
酔うワケねーしな、と付け加えてフェリシアはニッと笑うと、今度はコンロのグリルで、魚を焼き始めた。
「…………凄いね、フェリシアちゃん」
口ではそう讃えつつも、いろはの表情は消えていた。
……なんだろう。敵わないと思ってしまった。
料理とは得意分野が少ない自分にとって、唯一のアイデンティティみたいなもの。
それが、新しく入ってきた子に、こうもあっさり抜かされてしまうと……なんだか、悔しい。
「凄くねーよ。色んな所で雇われたから自然と身に付いただけだっつーの」
「ううん、凄いよ」
比較するべきではないのは分かっている。
そもそも、いろはとフェリシアとでは育ってきた環境が異なる。
――――だとしても、フェリシアとの間に差を感じずにはいられなかった。自分は頭も鈍く、要領も悪い。どこまでいっても凡人でしかない――――
努力をしてるのに、ちっとも報われない。
寧ろ、彼女みたいな子に、積み上げてきたものを横取りされる。
それがどうしようも無くむず痒くて堪らない。
「何、卑屈になってんだよ?」
フェリシアの呆れた声が飛んできて、いろははハッとなった。
「なってないよ」
「いや、なってんじゃん」
「なってないってばっ」
いろはの眉間に皺が寄った。それを見てフェリシアは、的を得たかの様にニッとはにかんだ。
「ははーん。さてはオメー、目立ちたがり屋だな」
「っ!!」
ギョッと目を見開くいろは。
「みんなに良い奴と思われたいから、あれこれ気ぃ回すけど、かゆい所まで手が届き過ぎて空回っちまうことが多い……。そんで、相手が好意に気付かなかったり、甘えてきたりするようになれば、ムカついて距離を置くんだろ? 『何で自分の気持ちを分かってくれないの』って」
「…………」
ゾクリと、背中が冷えた。
急にフェリシアを視界に入れられ無くなって、反射的に目を逸らす。
両手が自然と握りこぶしを作り、震え始めた。
「オメーはオレが料理をテキパキ作れるのが気に食わねーんだ。テメーの腕に自信が有るからな。でもそれは、テメーじゃ絶対に公表しない。自慢に聞こえたらみんなが不快な思いをするから。これまで築き上げた“良い奴”の土台を崩したくないし……だから、みんなが自分の料理を食べて称めてくれる時を、いつも待ってる」
調理を手際よく6人分の皿に盛りつけるフェリシア。
いろはは顔面が紅潮して、全身が掻きむしりたい衝動に襲われた。
全て図星だ。フェリシアの器用さも、料理の上手さも、全てが気にいらない。
「……いつも思ってんだろ。気にしなきゃ楽だって。でも一度気にしたら夜も眠れない。でも、こんなことで悩むのは下らなくて人に相談するまでも無い、とも思ってる。我慢はするけど……気になる要因は無くならないといつまで経っても楽になれねーんだ」
盛りつけが終わると、フェリシアは、その不敵な笑みをいろはに向けて、冷ややかに言った。
「オメー、オレがジャマか」
そこまで言い放つと、一瞬だけ、いろはの表情が変わった。
本当に1秒にも満たない刹那だが―――――
「そんなこと……っ」
何でこんなにムシャクシャするんだろう。
こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。これ以上、彼女の言葉を聞いてしまったら――――
「嘘付くなよ。
「っ!!」
キッといろはが振り向く。本性を剥き出しにしたその顔をフェリシアに向けた。
「どうして……っ!!」
震えた声。だが、フェリシアはその様子を観察するように目を細めた。
「どうして、合って間もない貴女が、私のことをそんなに知ってるの……っ!?」
怒鳴りたい衝動をどうにか抑えながら、いろはは問う。
すると、今度はフェリシアの表情が変化した。
1秒に満たないくらいの一瞬だが――――フッと、口端が吊り上がった。
「言っただろ、オレは経験豊富なんだ」
「えっ」
答えになってない、といろはは今度こそ怒鳴ろうと思ったが、
「テメー
表情を消したフェリシアに冷たく言われてしまって、いろはは返す言葉を失った。
――――直後、急激に下腹部が違和感を覚えて、いろははトイレへ飛び込んだ。
そして10分後……。
開かれたドアから、今までに無い清々しい表情で彼女が現れたのはまた別の話……。
ようやくメンタルが落ち着きましたので、執筆再開しました。
各地の映画館も開き始めましたね。
まさか、旧作を大画面で観るチャンスに巡り合えるとは……