魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
――――2018/06/27 (土)
それから、数日が経ち……
――――週末・土曜日。
あれ依頼、フェリシアは変わった行動は見せなくなった。
変わってる、というのは、出会った初日に市役所で見せた傍若無人と、みかづき荘で見せた優秀ぶりである。
どちらも同一人物だと、未だに、いろはには信じ難い……が、フェリシアは火曜日からはどちらの様相を微塵も伺わせることなく、めっきり大人しくなった。
まるで、借りてきた猫のように。
ようやく、居場所を見つけて安心したのかもしれない。
ただみかづき荘は、いろはは通学、他の4名は市役所出勤の為、昼間に残るのは必然的にフェリシアだけとなる。
小さな子供とは言え、曲がりなりにも元は“傭兵”。一人にして大丈夫なのか、とまさらが珍しく不満を顔に出して意見したが、ピーターに、ここで不義を働く愚か者はいないわよぉ、と笑顔で返された。
なるほど、確かにみかづき荘の面々に恨みを買うような真似をしたら、後でどんな報復をされるか、想像するだけでも堪ったもんじゃない。
フェリシアも、その辺りは理解しているのだろう。
無論、最初に出会った時のイメージがあまりにも強すぎたせいで、みかづき荘が散々な状態になるのでは? と、いろはも最初は不安でいっぱいだった。通学中もずっとドキドキしたが――――彼女は、ピーターややちよの言いつけはよく守っていた。寧ろ、暇があれば、買い出しと片付けを行ってくれた。
――――現在。神浜中央商店街。
いろはとフェリシアは仲良く(?)来週分の食材の買い出しに出かけていた。
不意に、隣を歩く金髪の少女を見た。両手にぶら下げた、大量に野菜やら飲み物やらが詰め込前れた買い物袋をものともせず、聞いたことの無い鼻歌を鳴らしている。
(でも、料理とかは、絶対私にやらせるんだよなあ……)
フェリシアは家に残っているものの、掃除と料理だけは、専らいろはに任せていた。
確かに自分の帰宅すると大体5時半過ぎ、他の面々が返ってくるのは6時半~7時になる為、帰ってから人数分の食事を作っても間に合うのだが……
『作ってくれたっていいと思うんだけどなぁ……』
家にずっといるのなら、そうして欲しい――――
ある日、夕食を作りながら不意にいろははそう愚痴を零したことがあった。すると、
『当番が作るって決まりだろ? 決まりは守らなきゃなー』
……等と、ニヤニヤ笑って返された。頭に来たので、次の日の朝まで口を聞かなかった。
(ああいうことがあったのに……)
フェリシアは手に下げたレジ袋の一つから、出来立てのコロッケを一つ取り出して、頬張っていた。
「やっぱ肉屋で買ったコロッケはうめーなっ! いろはも食うか?」
「ううん、お昼ご飯が近いからいいよ」
フェリシアは、ちっとも気にせず、自分にガンガン話しかけてくれる。
それに比べて自分は、なんと卑屈なのか。
普通に話せばいいのに、つい目線を逸らして、当たり障りのない返事をしてしまう。真正面から向き合うと、
「ふーん……」
フェリシアは一瞬だけ目を細めていろはを見た後、二つ目のコロッケを頬張り出した。
その後二人は、会話無く、国道の交差点まで足を運ぶ――――すると、
「父ちゃんの馬鹿!! 死んじゃえ!!」
「「っ!!?」」
不意に前方から聞こえてきた声に、揃ってギョッとなった。
二人が前を見ると、ひとりの小学生ぐらいの男の子が、逃げるような勢いで横断歩道を走っていた。
幸い、青信号。危険は無い。
だが、何があったのか――――いろはが気になって少年を見つめていると……
「ほぉーら捕まえたぁー!」
フェリシアがバッと飛び出し、少年の前で身構えた。そして真正面から抱き締める。
「なんだよお前っ!! いきなり何すんだ放せよ!!」
少年がバタバタと藻掻き、フェリシアの拘束を振り解く。そして顔面に向けて拳を振り抜くが、フェリシアは一瞬で彼の背後に周り、羽交い絞めにした。
「おいガキ。元気いっぱいなのは結構だが、今の言葉はやめろ」
「なんだよ! お前にゃ関係ねーだろ!!」
フェリシアは少年を路面に下すと、僅かに屈んで、目線を合わせた。
「ああ、関係ねーよ」
「……っ!?」
瞬間――――少年の顔から怒気が消滅。ゾクッと、背筋が凍えた。
感情を消した表情の中で、氷よりも冷え切った瞳が、少年をその場に釘付けた。
「けど、今すぐとーちゃんに“ごめんなさい”って謝れ。いいか?」
怯えながらも少年は嫌悪感を顕わに怒声を張り上げた。
「な……何でだよ! あんなクソ親父! 死んだ方がマシだよ!?」
「オメーなあ」
フェリシアは後頭部を掻いて、呆れた表情を見せた。
そして、何かを少年に言おうとした矢先だった。
「光一!! 待ってくれっ!!」
――――突如、悲鳴のような叫び声が聞こえて、三人はギョッとした。
そして、聞こえた方向を見た時――――一斉に肝が冷えた。
少年の父親らしき中年男性が、横断歩道を走っていた。赤信号で。
表情は完全に焦燥しきっており、
それは、危険行為以外の何ものでも無かった。
「危ないっ!!」
「っ!!」
いろはが咄嗟に叫んで、父親はハッと我に返る。聞こえてきたのは複数回のクラクション音。
状況を把握しようと父親が目を横に動かした時には――――
ドンッ!!
全てが遅かった。
青色の乗用車がいろは達の視界に入り込み、横断歩道と重なると同時に、とても短くて、力強い轟音が盛大に耳朶を響いた。
次の瞬間、いろは達は呆然となった。
父親の体が宙を舞っている。その瞳孔に光は無く、虚ろで。
余りにもショッキングだった故か、その壮絶な光景は三人の目にはスローモーションのように展開され、彼の体はコンクリートの路面に背中から勢いよく叩きつけられた。
刹那――
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
――と、急ブレーキを掛けた車の背後を、三台の車が立て続けにぶつかった!!
玉突き事故だ! 最前列の車両からガラス破片が飛び散り、現場は一気に騒然となった。
「父ちゃあああああああああああんっ!!」
絶句する目撃者達の中で、少年が腹の底から絶叫を響かせるよりも早く、二人の魔法少女は動いていた!!
真っ先にフェリシアが飛び出し、後を追う様にいろはが付いていく!
「いろは、足を持て!!」
「う、うん!!」
ここは交差点のど真ん中だ。まずは負傷者の安全を確保しなくては。
いろはとフェリシアは父親を抱え上げて、歩道へと連れていく。
「おいっ! 誰か交通整理をやってくれっ!! 車がどんどん来るぞっ!!」
「もうやっているっ!」
「よしっ」
フェリシアが喉が枯れる程の大声で、いつの間にか歩道に密集していた野次馬に向かって指示を出すと、叫び声に似た返事が即座に返ってきた。
男性が二人ほど交差点に躍り出て、手信号で向かってくる車を避けるように誘導する。
その間に、フェリシア達はまず、男性の応急処置を行うことにした。
安全を確認して横にする。フェリシアは口から吐瀉物が無いことを確認してから、肩を叩いて声を掛けた。
「おい! 大丈夫か!?」
フェリシアは屈みこみ、肩を叩きながら大声で二度、声を掛ける――――反応が、無い。
まさか、と思い、口元に耳を近づける。
「……っ!!」
ゾッと、フェリシアの背筋が震えた。
愕然と目を見開くフェリシアに、いろはが恐る恐る問いかける。
「……フェリシア、ちゃん?」
「駄目だ。息がねえ」
「! 私の魔法で……」
咄嗟にいろはがフェリシアを押しのけようとした。
その両手には淡い桃色が瞬いている。
いろはの固有魔法であった。過去にも彼女はこれで、故郷で
「バッカヤロウ!!」
耳元で怒号。いろはがビクリと体を震わした。
「大量の魔力を急激に送り込んだら、体の細胞組織が一気に老化しちまう危険があんだよっ!!」
その言葉に、いろはは固まった。
「えっ」
「一般人の人体を治癒していいのは、資格を持った魔法少女だけだ!! お前は車に乗ってる連中を見て回れ! ヤバくても無事でも構わねぇオレに伝えろ!! おい、そこのおっちゃん、119番!! そこのねーちゃんは115!! そこのにーちゃん達はAEDを持ってこい!! できるだけ多く、早くな!!」
たじろぐいろはを意に介さずフェリシアは周囲の人だかりにテキパキと指示を飛ばしていく。
そして、いろはが蒼褪めた顔のまま事故車両の列へ向かっていくのを確認すると、目下の父親を確認した。
――――まずは気道確保だ。
フェリシアはあご先を持ち上げるようにして頭を後ろに反らす『頭部後屈顎先挙上法』を取った。
そして、胸の真ん中に片方の掌の基部を当て、その上にもう一方の手を重ねて置いた。両肘を伸ばし、肩が圧迫部位の真上になるような姿勢になる。
そして、胸が少し沈むように強く早く圧迫を繰り返した。
心臓マッサージだ。
そして、三十回行うと、再び頭部後屈顎先挙上法で気道を確保してから、自分の口を大きく開いて父親の口を塞ぎ、息を吹き込んだ。
人工呼吸だ。息が鼻から漏れないように、頭部を後屈させている右手で鼻腔を塞ぐ。
一旦口を離して、もう一度上記の方法を繰り返す。
「ちっ……」
人工呼吸をした時、負傷者の胸が2回とも持ち上がれば大丈夫だが、それが無いということは……フェリシアは口を離して忌々しく舌打ち。
救急車か、あるいは、やちよ達が来るまでもたせるしかない。フェリシアは再度心臓マッサージを行うと、
「……!」
脇に誰かいることに気付いた。
チラリと横目で見ると、いつの間にか少年の細い両足が見えた。
顔を見上げると、彼は目の前の父親の状態が信じられないといった様子で、目を震わせていた。
「おいガキ、
「っ!!」
心臓マッサージを続けながら、冷徹な一言。
ギクリと、少年の肩が強張った。フェリシアは心臓マッサージを続けながら、ニッと嗤う。
「オメーのとーちゃん、このまま死ぬぜ」
「…………!」
少年が感じたのは恐怖か、興奮か――――
凍えるように、ガタガタと体を震わせながら、虫の息すら無く、瞠目したままの父親をじっと見下ろしていた。
「死んでほしかったんだろ、なあ」
笑いながら少年を見つめるフェリシアの瞳が、氷の様に冷たく瞬いた。
しかし……
「……ぅ」
少年がフェリシアを強く睨み返し、首を振った。
「あ?」
「……
少年の口が、大きく開いた。
「死んでほしくないっ!! オレ……ホントは、構って欲しかったんだっ!! 今日は久しぶりに遊べるって思ったのに……また仕事の電話が来ちゃってさ……オレ、頭きて、つい、あんなこと言っちゃって……っ!!」
少年は赤くなった瞳から大粒の涙を流し、フェリシアに叫んだ!!
「頼むよにーちゃん!! 助けてよっ!! オレ、とーちゃんに謝るから……ごめんなさいって言うから……殺さないでっ!!」
ひっく、ひっくと、少年は涙を拭い、嗚咽を漏らしながら、懸命に訴える!
「よしっ」
フェリシアは笑みを消して、コクリと頷いた。
「にーちゃんは不正解だが、その判断は正解だっ!!」
フェリシアは父親に向き直すと、叫んだ。
「おいバカ親父!! ガキの目の前で死ぬんじゃねーぞ!!」
そういうと、再び人工呼吸を行う。しかし――――
「フェリシアちゃん!!」
「っ!!」
直後、いろはの悲鳴に、ギョッと目を剥いた。
彼女が一番に向かったのは、父親の少年を轢いた車だ。まさか――――
「息がねーのか!?」
「ううん……息はしてるみたいだけど、顔が青くて、苦しそう……!!」
「なんだとクソっ!」
フェリシアが吐き捨てる。
「いろは、変われるか!?」
「えっ、えっと……」
無理か。
いろはの感情を支配しているのは、恐怖と混乱、そして自分の無力感への怒り。
相貌は青白く、眉間に皺が寄り、口元は歯を固く喰いしばっている。冷静な判断は期待できそうにないし、この状況は彼女のキャパシティを完全に超えているのだろう。
こいつは、使えない。
ならば、自分が行くしか無い――――しかし、僅かでも心臓マッサージが出来なければ少年の父親は死ぬ。
フェリシアは咄嗟に首を挙げて、周囲に向かって吠えた!!
「誰かっ!! 変われるヤツはいねーか!? 心臓マッサージと人工呼吸だ!!」
人だかりの大多数は、この混乱を現実と認識していない。
その証左に、距離は遠く、「すっげー!」「マジやべー!」等どいった歓声を挙げたり、スマホで動画を録っている者も見受けられた。
「はいはいはい!! ここにいます!!」
よって、時間が掛かるだろうと思っていたフェリシアは、驚いた。
即座に甲高い声が耳朶を叩いたからだ。しかも、僥倖なのは、聞き覚えのある声。
振り向くと、人込みを掻き分けて、一人の少女が姿を見せていた。
「オメーは……」
由比鶴乃だ! 彼女が駆け寄ると、僅かに漂うにんにくと油の臭いが鼻腔を刺激する。
「ボウズ、この人は任せて!」
「いいのか!?」
「だいじょーぶ!! この前教習所で習ったばっかりだから! それにわたし、“ラッキーガール”だから!」
「ラッキーがテメーだけじゃねーのを祈るぜ!!」
鶴乃に変わって貰うと、フェリシアはいろはが立往生する事故車へ飛び掛かった。
「どけぇっ!!」
蒼褪めた顔でオロオロするいろはを押しのけると、フェリシアは車内に飛び込んだ。
幸い、運転手の意識はまだある。だが、右胸を抑えていて、ぐうう、と唸り声を挙げている。
呼吸が浅く、まるで溺れたかのように青白い顔で必死に藻掻いている姿は見ているだけで苦しそうだ。
フェリシアが、運転手のYシャツを開けて胸を指で叩くと、太鼓のような音が鳴った。
頚静脈は――――
(張り切ってる……こいつぁ)
フェリシアの頭に一つの可能性がよぎった。
「外傷性気胸か……!?」
「えっ!?」
「折れた肋骨が肺を傷つけて、そこから漏れた空気が胸腔内にたまって肺が膨らまなくなってるんだ……このままじゃこのおっちゃんも死ぬぞ!」
「えっ……えっ!?」
いろはの額に冷や汗が溢れ出す。
伝えた所でパニックが増すだけだろうが、誰にも伝えないよりはマシだ。同じ状況が二度も無いとは限らない。
フェリシアは車内を見回した。何か応急処置に使えるものは……あった!
運転手の胸ポケットからライターを発見し、取り出した。あと、必要なのは、先端が尖ったもの……。
「っ!」
そこでフェリシアは何かを見つけると、グッと体を伸ばし、“それ”を拾い上げた。
(折り畳み傘……?!)
それで何をするのか、といろはが問うよりも早く、フェリシアは外に向けて傘を開くと、柄の部分を一つ両手で握り――――ベキンッ! とへし折った。
そして、折れて尖った部位を、ライターの火で炙ると……。
「っ!!」
いろはが隣でギョッと目を見開く。同時に唾を飲みこむ音が聞こえるが、フェリシアは構わなかった。
熱くなった傘の柄の尖端を、運転手の右胸に向けたのだ。そして、一呼吸すると、勢いよく尖端を突き刺した!
「げぇぇッ!!」
不意に生じた苦痛に、運転手は堪らず叫んだ。
「っ!!?」
その衝撃的な光景に、いろはの足元が一瞬ふらついた。
「ええっ!?」
「何してんだおい!!」
「殺す気かー!!」
「やめてフェリシアちゃん!!」
その行為を目の当たりにした野次馬が一斉に喚き散らし、いろはが咄嗟にフェリシアを後ろから羽交い絞めにして、運転手から引き離した!
しかし――――刺したところから、ぷしゅう、と空気の漏れる音が聞こえて、フェリシアはニッとはにかんだ。
「おっし、当たり!」
「何がっ!? ……えっ!!」
いろはは運転手の方を見て、仰天した。
あれだけ苦しそうだった表情が、安らいでいる。更に、呼吸も正常に戻っていて、血の気もみるみる内に良くなっているのだ!
「大丈夫か!?」
いろはをふりほどき、フェリシアが運転手の肩を叩いて大声で呼びかける。
彼の意識はまだ朧気だが、しっかりと、頷き返した。
「あ、ありが、とう……」
「……えっ」
「胸腔ドレナージだ。肺を刺して、空気の逃げ道を作ってやった」
「えっ……え?」
立て続けに驚愕を目の当たりにしたせいか、フェリシアが何を言ってるのか分からなかった。
彼女は、一息つく間も無く、後ろの玉突きの車両群に向けて叫んだ。
「そっちは無事か――――!!?」
「うん、こっちは大丈夫ー!!」
「こっちも運転手は両腕は痛がってるが、全員息と意識はあるぞー!」
「こっちは親父がハンドルで瞼を切っただけだ!!」
「お、俺もなんとか……」
背後の玉突き車両では、既に自主的に救助に向かっていた人達が、乗客の安否を確認していた。
幸い、重症なのは、引かれた男性と、立て続けに背後をぶつけられた一番前の運転手だけで、残りは軽傷で済んだ様子だ。
「ボウズ―!! AEDが届いたよー!」
次いで、反対側を見ると、女性からAEDを受け取った鶴乃が叫んでいた。
「おい、使い方は分かってんだろうな!? 絶対に死なせんじゃねえぞ!!」
「おねーちゃん、お願いっ!!」
「任せとけって!!」
少年の涙の訴えに自信満々な声が返ってきて、フェリシアは一息付いた。
鶴乃は少年の父親のワイシャツを開けると、テキパキとした動作で、電極パッドを胸の右上と左下側の肌に直接貼り付ける。
「離れて!!」
AEDの音声指示と同時に鶴乃は周りに向けて声を張り上げて、父親から手を離す。
「…………」
少年が固唾を飲んで父親を見守る。
あれだけ心臓マッサージを行ったのに、未だに反応が無い。
このAEDという――少年にとって初めて見る機械――が、恐らく最後の頼みだ。
――――父親の体が一瞬だけ、びくんっと飛び跳ねた。
電気が流れたのだ。次いでAED本体から『ショックが実行されました』と、音声が聞こえる。
少年だけでなく、鶴乃も、両手を固く握りしめて、父親の無事を祈っていた。
周りの人だかりも、静かにその様子を見つめている。
「…………ぅ……」
「っ!!」
「父ちゃんっ!?」
聞こえてきたのは、微かなうめき声。
鶴乃が咄嗟に耳を傾けると――――
「呼吸が、聞こえる!」
「……っ!!」
その言葉に、少年の涙が止まった。顔から恐怖が拭い去り、光が差し込んだ。
「大丈夫ですか!!」
「ぅ……ぅ……」
鶴乃が大声で父親に呼びかけると、彼は呻きながらも頭を左右に動かした。
そして――――
「こう……いち……」
ゆっくりと瞼を開いた。
そして、生気の伴った瞳をしかと少年に向けて、確かに彼の名を呼んだのだ!
「意識が戻ったっ!!」
瞬間、鶴乃の顔は歓喜に満ちた。
声を張り上げると、周りを囲んでいた大人達もワアッ! と囃し立てる。
「すげえ!!」
「やったじゃねえか姉ちゃん!!」
「たいしたもんだ!!」
「ボウズ―!! いろはちゃーん!! やったよー!!」
鶴乃の心の底から嬉しそうな声と、周囲の歓声が届いた瞬間――――
「!! …………」
「やれやれだぜ……」
二人は全身の力が抜けたように――――へなへなと路面に腰を下ろした。
☆
その後、救急車と警察、やちよと朝香美代をはじめとした魔法少女達が駆け付け、迅速な人命救助と事故処理が行われた。
幸い、死者は無し。意識を取り戻した少年の父親は救急搬送され、少年は鶴乃と共に救急車に同乗した。
人がごった返し、大混乱の現場は、次第に落ち着きを取り戻すと、いろはとフェリシアの両名は事件の重要参考人として、警察にしばらく拘束された。
そして、事故関係者者全ての事情聴取が終わり、漸く解放されたころにはすっかり日が暮れていた。
二人は買い出しの荷物を一度、みかづき荘に置いてくると、少年の父親が搬送された先である神浜総合病院に向かった。
あれだけの大事故だ。父親の体もそうだが、少年のメンタルの方も心配だった。
受付で尋ねると、つい先ほど手術は終わったらしく、腰の骨は折ったが、命に別状は無いらしい。
なお、神浜総合病院は基本的に、家族以外の面会は禁止とされており、病棟へ入るにも『入館証』が必要となるのだが……今回は、受付担当者が少年に直接問い合わせ、彼が了承したことで、特別に面会が許された。
病室に向かうと、鶴乃が個室の扉に背を預けて立っている。彼女は二人の姿を見ると、陽気に声を張り上げて手を振った。
「いろはちゃん、ボウズ!」
「鶴乃ちゃんっ」
「オメーまだいたのか」
あとボウズじゃねー、とフェリシアは呆れ顔で鶴乃に言い返す。
「あの子は?」
いろはが問いかけると、鶴乃は微笑んだ口元の前で人差し指を立てた。
二人が首を傾げると、鶴乃は「ちょっと覗いてみ?」と言い、僅かに扉を開けた。二人が覗き込むと、ベッドで横になっている父親が見えた。大柄の体躯に白い浴衣のような病衣を羽織り、口には酸素マスクを装着されている。スーツ姿の時よりも大分弱々しい印象だ。
ベッドの脇には、心拍数や血圧、SPO2が表示されたモニターが置かれており、まだ油断は許せない状態なのだろう。
だが、彼の目にはしっかりと生気が戻っており、隣で椅子に座る少年をじっと見つめていた。
「……父ちゃん、ごめんなさい」
二人が見た少年の姿は背中だけ。しかし、声は涙ぐんでおり、泣いていることは明らかだった。
父親が手が、すっと持ち上がった。
少年の肩が、ビクリと挙動する。
あんなことを言って逃げた。父親は自分を追いかけて重症を負った。
だから、怒られると思ったのかもしれない。
頭頂部に来る衝撃に備えて、少年は嗚咽を堪えながら、身構えた。だが――――
少年は愕然とした。
父親の手が、自分の頭を優しく撫でたのだ。
「父ちゃん……?」
少年が呆然と目を見開くと、父親は、酸素マスク越しに、掠れた声で呟いた。
「光一……ごめんな」
「……!!」
「父ちゃん……お前が寂しいの、分かってて……仕事を選んでた。お前と向き合ったら、嫌われるんじゃないかって、思うと、怖くなっちゃって……逃げてた。俺……悪い父ちゃんだった……」
父親の呼吸はまだ浅く、喋るのも苦しそうだ。だが、彼は笑って少年と話していた。
「…………」
「これからは、しばらく、ここにいるから……どこにも、いかないから……。 一緒に、色んなこと、話そうな……。それで、父ちゃんが、元気になったら……! また一緒に、遊ぼう……っ!」
「父ちゃんっ!」
少年がベッドに走り寄り、わんわん泣き出した。父親は少年を頭を優しく抱き寄せた。
――――その様子を見届けた三人は、ホッと一息ついた。
「一件落着だね」
「うん……」
鶴乃は笑ってそう言うと、いろはは涙を拭いながら頷いた。フェリシアは何故か窓の方へ向かい、夜空を見上げている。
「何ボウズ? 泣いてんの?」
「うるせー。それよりオメー、万々歳はどうした?」
背中を向けたまま、フェリシアが不意に尋ねると、鶴乃は可笑しそうに笑った。
「何々心配してくれてるー?? だいじょーぶ。店番はちゃーんといるからさ」
フェリシアが振り向いて――ハッと、鼻で笑い飛ばした。呆れ返るような瞳で冷徹な一言。
「なーんだ、只の暇人かよ」
「ああもうっ! せっかく見直してやったのに、やっぱりコイツ嫌い! 環師匠、なんとかしてよ!!」
「あはは……」
鶴乃はいろはの脇にピョンと飛び跳ねると、腕に縋りついて喚いた。いろはは苦笑い。
「師匠?」
その笑みが、どこか固く、引き攣っているように見えた。
問いかけると、いろはは申し訳無さそうに、首を下に落とした。
「……ごめんね、二人とも」
「「??」」
いきなりの謝罪に、鶴乃とフェリシアは揃ってきょとんとなる。
「二人とも、テキパキ動いてて、本当にすごかった。カッコよかったよ……っ! 私なんて、頭がぼーっとしちゃって、何も出来なかった。……それどころか、余計な真似して、もしかしたら、あの子のお父さんが、もっと大変な事に……!」
あの現場で、自分は完全に邪魔者だった。
自分の出来ることを理解できず、人命救助に奔走するフェリシアの足を引っ張ってしまった。
改めて痛感した。自分とフェリシアとの明確な差を――――フェリシアを妬む資格すらない。だって、同じ土俵にすら立てていないのだから。
後悔と恥辱が一気に押し寄せて、拳が震えた。頭がカーッと熱くなり視界が涙で揺れる。今にも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。口では自省しながらも、そんなことを考える自分が余計に嫌いになる。
「初めてだったんだろ。しゃーねーよ」
顔を上げると、フェリシアが溜息混じりにそう言った。
「そうだよ。私だってたまたま覚えたばっかりだったから良かったけど……何も知らなかったら多分、いろはちゃんみたいになってたと思う」
鶴乃はフェリシアの言葉にうんうんと頷きながら、いろはの肩を抱き寄せた。
「次がねーこともねーんだ。そん時に活かしゃいい」
それで、いいのだろうか。だって自分は……。
――――思考が自嘲の袋小路に入り始めたその時だった。
個室のドアが勢いよく開かれて、少年が飛び出してきた。
「
鶴乃がプッと噴き出す。フェリシアは一瞬、ゲッと顔を歪めて頭を掻いた。
「……よう小僧、とーちゃんにはちゃんと言えたか?」
フェリシアは少年に近づくと、屈んで目線を合わせた。彼は笑顔で「うん!」と頷いた。
「そーか……とーちゃんのこと、しっかり守ってやれよ」
「うん、ありがとうにーちゃんっ!」
「だからにーちゃんじゃねーって」
フェリシアがひらひらと手を振ると、少年はきょとんと小首を傾げる。
「そうなのかー? 男みてーな喋り方してるし、自分のこと“オレ”って言ってるじゃん」
「だったら……証拠、見てみるか?」
フェリシアがニヤリと不適に笑って、ズボンのジッパーに指を――――
「「それはダメだってっ!!」」
掛けるよりも早く、いろはと鶴乃がフェリシアの両腕を抱きかかえる。
少年がその様子を見て、ケラケラと愉しそうに笑った。
「にーちゃん、ねーちゃん達! 本当にありがとうっ! オレもう絶対にあんなこと言わないよ!」
フェリシア再び少年と目線を合わせると、小指を立てた。
「そーか。約束するって誓えるか?」
「うん、ちかうよ!
「だからちげーっつの……」
少年は笑顔でフェリシアと指切りを交わす。
――――彼らは、もう大丈夫だろう。
フェリシア達はそう思うと、立ち上がって背中を向けた。
「ねーちゃん達、とーちゃんを助けてくれて、本当にありがとう!」
去り際に、三人の背中に向けて、少年がそう言ってくれた。
三人は振り向いて、笑顔で手を振った。
「ま、終わりよければ、全て良しだな」
「……うん!」
ようやく、いろはも笑顔を見せた。
少年の笑顔と、フェリシアのその一言に、救われた気分だった。
そして――――不意に窓の外を見ると、漆黒に満ちた夜空の真ん中で、半月が瞬いていた。
微かに雲が覆い、不気味に感じるくらいの深い紫色に染まっていた。
とまあ、大混乱な話となってしまいました。どうしてこうなった……。
今回は伏線仕込みの話となります。
フェリシアのお話はあと二話ぐらいでどうにかなるかと。
追記
※今回の応急処置の場面は(特に胸腔ドレナージ)は古い医療漫画を参考にしています。
よって現在の方法とは、食い違っている部分も多少有るかと思われますが、何卒、フィクションと解釈して頂くようお願い申し上げます。
お姉ちゃんぶるフェリシアと、男の子扱いされて困るフェリシアを書きたい人生だった……。