魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
―――夢を見た。
いつもの場所。
いつもの人達。
窓に映るのはいつもの景色。
陽が目一杯差し込む、白い輝きに満ちた病室に自分は立っていた。
リンゴの花の臭いが、鼻の奥を刺激して、記憶を呼び覚ます。
――――ああ、懐かしい。
これが夢の中だったとしても、今この時だけは、自分はあの頃に戻れる。
何もかもが有って、決して欠けることの無い、いつも満ち足りていた、あの日々に。
目と鼻の先に、あの子が居る。
腰まで垂れた緩くふんわりとした桃色の髪、少し日に焼けた赤色のパジャマ――――それらが目に入るだけで、もう嬉しくて堪らない。今まで体験した苦労など、死に掛けた事など、どうでもいいとさえ感じるほどに。
――――大切な妹、うい。
まだ自分に気付いていないのだろう。彼女は背中を向けて、窓の外を眺めているようだ。
自分も窓を見た。
青空の中で、
多分、ういは、願っているんだろう。
いつか自分が、おねえちゃんと一緒に、あのツバメ達みたいに、どこまでも広い世界に羽ばたけていけたらって――――
うい
自分は信じてる。疑うまでも無い。だって、私とういは――――
――――
「おねえちゃん」
不意に声が聞こえて、いろははハッと我に返る。
ういは背中を向けたまま、自分を呼んだ。
自分は何をしているんだろう。ういも自分を求めていたのに、ここで突っ立ってるなんて。
いろはは、そんな自分を恥じつつ、ういに駆け寄った。
そして、振り向いてもらうべく、肩に触れようと――――
「たまき」
――――した瞬間、声が聞こえた。
よく、聞き覚えのある声だった。
だが、その語気は刺すように強くて、夢心地の最中に居る自分を現実に呼び戻そうとしているようで。
振り向くと、ねむが居た。
自分の記憶にある、
だが、その表情は、いつもの穏やかなものではなく。
固く、険しい――――憎しみにも似た、強い怒りを噛み殺しているように見えて、怖かった。
彼女は射る様な視線で自分を見据えて、強く訴えてきた。
「君は、本当に、その先へ行くつもりかい?」
陽を遮るように、ベッド周りのカーテンを半分閉めているせいで、ねむの顔には影が掛かっていた。
深藍に瞬く瞳が、いろはの目に付いた。その色は、悲しみに満ちている。
「ねむちゃん……でも」
自分はういを取戻したい。その信念は今も変わらない。
ねむもその気持ちは分かっている筈だ。だが、彼女は酷く辛そうに口元をクッと歪めた。
「そこにあるのは……“闇”だ」
「……!!?」
ぞくりと、心臓が凍えるような感覚。
――――いつか、自分の夢に現れた白衣の男性と、ねむの言葉が、重なった。
「ジークムント・フロイトの言葉だ。『夢は現実の――――」
聞きながら、いろはは深呼吸。
ねむの言いたいことは分かっている。
だけど、彼女が心配しないように、できるだけ笑顔を取り繕って、答えた。
「表出であり、想像の産物ではない』だね。知ってるよ、ねむちゃん」
ねむはコクリと頷いた。睨み据えたまま。
「でも私、ういに触れたいの。例え夢の中だとしても、ういに会えるのはこの時しかない。ねむちゃんが止めたい気持ちも分かるけど……今だけは、私の好きにさせてほしい」
愕然としたように、ねむの頭が項垂れる。
「そこまで言うのなら、僕にもう、君を止める権利は無い。でもたまき。これだけは頭の片隅に留めておいて……」
――――真実はいつも、君の心を強姦し、蹂躙する。
「うい……」
ねむの最後の言葉を聞きながら、いろははういの肩に触れた。
柔らかい感触に、つい抱きしめたい衝動に駆られる。
だけど、今は、その時ではない。
「ごめんね。お姉ちゃん、まだ貴女の手掛かりをちっとも掴めてない」
だけど――――と、いろはは表情を真剣に固めた。窓の外に映るのは神浜市の全景を見渡す。
「この街に住む人達に支えられて、ようやく私は一歩を踏み出せた。お父さんが伝えてくれた、大賢者様と会えるきっかけもつかめた。いつまで掛かるのか、分からないけど、確実にういに近づいてる気がするの」
そこまで言うと、いろはは、穏やかな笑みを浮かべて、ういを見下ろした。
「だからうい、もう少しだけ待ってて。お姉ちゃん、必ず貴女を取り戻すから」
微動だにしなかったういの肩が、ピクリと動いた。
彼女の顔がゆっくりと、後ろを振り向く。
「うそつき」
「えっ?」
――――ういの肩が、急に冷たくなった。
「私のこと、何も知らない癖に」
頭が、真っ白になった。
悪寒が脚の爪先から、頭頂部まで一気に駆け抜いた。
笑顔を魅せると思っていたういの顔は――――
「私がこうならなかったら、心配しなかったんでしょ?」
ベタリと、一色の黒に塗り潰されていた。
「……っ」
奥歯が、ガチガチと揺れ出す。
違う、私はそんなことを思ってない。今まで、これっぽっちも――――だが、口が震えてしまって、否定できない。
「お姉ちゃんはいつもそう。口から出るのは、綺麗な言葉ばっかり」
ういの言葉は、酷く淡々としているけど。
自分への嘲り、侮蔑、怒り、そして、ありったけの憎しみが感じられて。
覚えの無い、罪悪感が、心臓をメキメキと締め付けてきて。
――――いやだ。
――――やめて。
胸の痛みに堪えきれず、両膝が折れた。
端から見ればその様子は、神父の前で跪き懺悔する罪人のようであった。
いろはは両手で耳を塞ぐ。ういの口から、そんなことは聞きたくない。
自分を嫌う様な言葉は、断じて。
「まるで、童話の主人公みたいだね」
だが、ういの言葉は耳の蓋を容赦なく貫いた。
皮肉だった。
だが、冷たい刃となって、いろはの心を突き刺す。
☆
――――全ての光が消えた。
そこにあるのは、見渡す限りの闇、闇、闇……。
永遠に続くトンネルの様な、果てしない暗黒の最中にいろはは立っていた。
―――――ああ、まただ。
自分の知らない世界に、迷い込んでいる。
認識した途端、全身が四肢の末端から急激に冷めていくのを感じる。
ここは酷く寒い。
“閉ざされた空間”と、何故か理解していた。だから不思議だ。風が入る隙間さえ無い筈なのに、この凍える様な冷感は一体……。
ペタペタと、何かがゆったり近づいてくる足音。
灯りを持った女性がいた。
――――いや、違う。
よく目を凝らすと、彼女は中々に不思議な状態だった。灯りは灯りでも懐中電灯のようなものを握っているのではなく……
彼女が自分の目先まで歩み寄る。
身長は自分よりも頭半分ぐらい高く、顔立ちも凛々しい。だが、いろはは“少女”だと認識できた。推測するに、年はやちよか鶴乃と変わらないだろうか。
自然と、いろはの肩肘がグッと張る。眉間に皺が寄り、表情筋が固くなっていく。
それは少女の格好を見たからだ。
自分は白衣で全身を覆っているのに、少女の方は、紙切れのような白い布一枚だけ。頼りないそれのせいで、上下肢が全て露出している。
だが、少女は別に寒くなさそう。彼女の意識は、皮膚が感じる冷気よりも、抱きかかえている“光”の一点のみに向いているようだった。
「たまきさん」
彼女は穏やかな笑みを浮かべて、光を見下ろし、自分の名を呟いた。
いろはも、じっと光を見つめる。
よく目を凝らすと、光の中にぼんやりと、実体が浮かんで見えた。
――――少女が、抱いているのは。
「この子は、望まれない子でした」
赤ん坊だった。
まだ、生まれたばかりの。
少女は、タオルで包まれたその子の体をギュッと抱きしめると、愛おしそうな瞳で、見つめた。
「でも、この子は、生きている。未来がある」
何故だろう。
少女が語る希望を、はっきり否定したかったのは。
それを、言わなければ、少女の為にならないと思ったのは。
――――私は、何か、知っている?
「自分の人生を自分で歩むことができる。私はもうダメですけど……この子には私の分も幸せになって欲しいんです」
いろはは知っている。
この“深淵”に潜む魍魎・悪魔にも匹敵する鬼畜共が少女に与えたのは、地獄に堕ちるにも等しい数多の苦痛。
赤ん坊は、恐らく――――
しかし彼女は、自分に憎しみも怒りも、ましてや悲嘆さえ向けず、ただ光輝く瞳を向けていた。
「人間は皆、生まれた時にその権利が与えられているはず。そうですよね? たまきさん」
自分は、少女の問いに「うん」と、頷いた。
何で、頷けたのか分からなかった。
少女の希望に、無垢な期待に応えたいと思ったのだろうか。
――――自分は知っていたのに。
――――赤ん坊が、これから辿る運命を。
―――――殺せ。たまき。
――――いやだ。
―――――その子は、この世に必要の無い人間だ。
――――いやだ。
―――――ゴミは散らかした者が片付けなくては。
――――やめて。
―――――だから、お前の手で処分するんだよ、たまき。
――――神様……どうか……。
―――――さあ、やれ。
――――願わくば……私が手を下すよりも早く、この子を御救い下さい……!
「やめてぇっ!!殺さないでぇっ!! その子は私の」
金切り音のような悲鳴。銃声。目の前が真っ赤に染まった。
「やめてぇっ!!殺さないでぇっ!! その子は私の」
金切り音のような悲鳴。銃声。目の前が真っ赤に染まった。
「やめてぇっ!!殺さないでぇっ!! その子は私の」
金切り音のような悲鳴。銃声。目の前が真っ赤に染まった。
――――ごめんなさい。『かすみ』ちゃん。
――――本当に、ごめんなさい。
☆
――――翌日。
――――みかづき荘。早朝。
昨日の夢は、何だったんだろう。
いろははボンヤリとした眼のまま、自室のドアを開けた。
目覚めは……ものすごく悪い。両肩に重りが乗っかっているようで、倦怠感が酷い。座ったまま眠ったせいもあるだろうが、十中八九夢の内容のせいだろう。
胸がずきずきと痛む。
所詮、夢は夢でしかない。幻。ならばさっさと忘れて現実に目を向けた方が良い。
だけど、ねむちゃんの言葉通りなら……あれは……。
「よっ!」
いろはは思わず「げっ」と眉を顰める。全く同じタイミングでフェリシアが
あれ、ちょっと待てよ……。
「戻ったんだ、部屋に……」
「……まーな」
今の自分の状態はすこぶる悪い。
フェリシアにまた言い当てられるかもしれないと、身構える。
――――が、目を丸くした。
そのフェリシア自身が、罰が悪そうな顔で、視線を逸らしたからだ。
「……あの、私、起きたらフェリシアちゃんに一番に聞きたいことがあって」
「……奇遇だな、オレもいろはに聞きたいことがあったんだ」
二人の間に、緊張感が張り詰めていく。
いろははフェリシアの瞳をしかと見つめて。
フェリシアも、どこかやりにくそうに顔を顰めつつも、いろはの瞳を見据える。
「あなたは」
「オマエは」
二人の声が、ピッタリと重なった。
梅雨時期は、メンタル不調で、自律神経がほぼ死んでしまい、全ての興味が失せていました。
14日頃にようやく、回復の兆しが見えて、少しずつ執筆し続け、ようやく完成にこぎつけました。
マジ季節の変わり目やべえです。
改めまして、お待たせしてしまい申し訳ありません。
次回は26日を目途に投稿を目指します。