魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
☆
流れ込んできたものが、脳の隙間に入り込んでいくと、自分の視野いっぱいに、コマ送りみたく次々と映し出された。
何れもが見たことのある映像で、『自分のもの』だとはっきり認識した。
――――『あの子』は、先天性白血病だった。
生まれてから、たった一ヶ月でそう診断された。
それからというもの、『環』の家で家族と過ごした時間はごく僅か。人生のほぼ全てを病院で過ごす事を余儀なくされたのだ。
里見灯花と柊ねむがいる。院内学級で彼女達と一緒に勉強と励み、林檎を割った甘酸っぱい臭いが漂う優しい、陽だまりの様な世界。
でも、あの子に取っては…………牢獄の様な世界だったのかもしれない。
だから、出してあげたかった。自由な外の世界へと羽ばたかせてあげたかった。
だって、『あの子』は願ったのだから――――!!
『
――――おねえちゃん?
そうだ、“あの子”は、自分の事をそう呼んでいた。私にとって大事な家族だった。世界一の宝物だった。
『お願い、病気を治して……! 元気にしてあげて!』
だから、“妹”を救うためなら、どんな犠牲も厭わなかった。私は全てを捧げるつもりでそう願ったんだ。
あの子の、あの子の名前は――――!!
●●と一緒に、学校に行きたかった。
●●と一緒に、買い物に行きたかった。
●●に、オシャレを身に着けさせてあげたかった。
●●と一緒に、外で思いっきり遊びたかった。
●●と一緒に、料理を作りたかった。
●●に今度こそ、ちゃんとしたハンバーグを食べさせてあげたかった。
でも、なにより――――
●●と一緒に、家族みんなでもう一度、笑い合いたかった。
いつもの『終わりの言葉』に、初めて
途端、世界が暗転した。
☆
ガウン、ガウンと――――無機質な機械音が耳を叩いて、目を覚ました。
ああ、前と同じだ。あの知らない白衣の男性が居た場所の様な、全く知らない世界へと放り込まれた。
そこは、まるで工場の管理室の様な場所だった。
前方には広大な窓ガラスが有り、白衣を纏った、研究員の様な女性が中央に立って張り付き、向こう側をじっと眺めている。腰まで伸ばされた茶髪が、天井に設置された大型エアコンの温風に吹かれてユラユラと、漂うように揺れていた。
身体が小刻みに震えている。よく見ると、立っているのもやっとの状態に見えた。今にも崩れ落ちそうに、ガタガタと震える足を、杖や補助具も使わず、その強靭な意志の強さだけで支えていた。
周囲を見渡すと、無数のデスクの上に、見たことも無い機械やコンピュータが並んでいたが、何れのモニターの中では砂嵐が巻き起こっていた。
窓ガラスの前の女性以外に他の研究員らしき人の姿は見当たらない。放置されたデスクの上には幾つもの書類が乱雑に置かれて――――
字面を見て、ゾクリと、背筋が震えた。
まるで、親に構ってもらえなくて癇癪を起こした我儘な子供が、怒りの赴くままに暴力的に書き殴られた文字で、埋め尽くされていた。文脈の規則性も皆無で、蛇が這い回した様な字は、何を意味しているのか、全く読み取ることができない。
(――――!!)
目を震わせて眺めていると、一枚のA4サイズの紙が目に付いた。
それだけが、全く異なって見えた。
自分の手が、引き寄せられるようにそれに伸びて、ぎゅうっと掴んだ。
顔の直前まで持ってきて、文面を確認する。用紙の中央で、柔らかな正楷書体で書かれた文字を、小さな声で読み上げた。
――――戦慄した。
頭の中身が頭蓋を内側から叩き割らんばかりの勢いで荒れ狂う。胃の中の酸液がグラグラと煮えたぎってきて、猛烈な不快感と同時に吐き気が喉元まで迫ってきた。
――――なんだ、これは。
これは、本当に、わたしの記憶なんだろうか。
だったら、この場所は、なんだ。全く見覚えが無い。
――――でも、この文字列は、
だけど……これが、なにを意味しているのか、思い出せない。
わたしは、一体、何を見ている。
この悪魔の夢の中の様な管理室で、わたしは、一体、
「くふっ」
唐突に、含み笑いが耳朶を叩いた。
持っている用紙を顔から外して、聞こえてきた方向へ咄嗟に振り向く。
あの女性からだ。背中を向けたままだが、未だ眺めている窓ガラスに顔が映り込んでいた。
今にも枯れ果てそうな老婆の様に、皺まみれの衰弱しきった顔の下で――――口の両端が吊り上がり、残忍に溢れた愉悦を滲ませている。
呆気に取られたままそれを注視していると、自然と、ガラスの向こうの景色も伺えた。
巨大なクレーンがゆっくりと降下していく。
見えなくなった途端、ずぶりっ、ぬちゃり、と気色悪い生々しい音を、静かに響いた。
一拍間を置いてから、上昇していく。
大量に掴まれた赤いものを見て――――その場で吐きたくなった。
生肉だ。鮮血が、濡れた雑巾を絞った様に、びちゃびちゃと流れ落ちている。
両手で口を抑えて、膝を床に付いた。心の底が冷え付き全身がガタガタと震えて、これが自分の中にあるものだと受け入れたく無かった。
だが――――何かが胸の内側から訴えている様に感じた。
これは紛れもなく、お前の一部なのだと、目を背けるなと、叫んでいた。
だから、怖くて怖くて仕方ないのに、目を逸らせなかった。
そこで、ガラスに映る女性の両唇が、ゆっくりと上下した。
それは、彼女自身の言葉というよりも、誰かの言葉を引用したかの様だった。
攣られる様に自分の口が動いて、そう返した。
意味は分かってない。しかし、頭にフッと過った。胸の内側で叫んでいた誰かが、これを言え、と差し出した様だった。
それは彼女が呟いた台詞への明確な反論とも聞こえた。
「『罪を犯した人が身に受けるこの地獄の生存は、実に悲惨である。だから人はこの世において余生のあるうちになすべきことをなして、
女性が続けて吐き出した言葉は、聖人の教唆というよりは、尊大なる覇者が自らの
それに対する反論も、即座に口から出てきた。
「『地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、常にことばとこころをつつしむべきである』」
言いながら、疑問に感じていた。
果たして
今この時だけ、誰かが自分の身体を乗っ取って言わせているんじゃないだろうか。
その思考は、自身の内側に居る“誰か”にも投げかけるつもりだったが、そこから返事は帰ってこない。
「唾棄すべき思想だ、反吐が出る」
女性が振り向き、そう吐き捨てるのと同時に、ギロリと、剥いた目を見せた。
強く見開かれた瞳から、爛々と紅蓮の光が瞬き、自分の心を焼き焦がす様な意志の強さを放っていた。
「たまき」
呟かれたのは自分の名字。
たった3文字だが、身を震わす程の憎悪と侮蔑が存分に乗せられていた。
――――向き合え。
誰かがそう囁いた。
だから、自分も、恐怖心に押しつぶされそうになりながらも、女性を強く見つめ返した。
「
女性の笑みが、ニタリと歪む。
「っ!?」
低い声で、放たれた言葉が、一石となって思考の海に投じられた。波紋が広がり、混乱が更に増していく。
前の夢で会った白衣の男性とは、正反対の言葉を、女性は訴えてきた。
「せいぜい屍の様に生き永らえて、安寧の日溜まりから深淵を見下ろし続けるといい」
気を失いそうなぐらい意識が混濁する。クラリと頭が揺れた。
だが、女性はそんな自分の状態など、まるで意に介さず冷酷に告げる。
「お前は落伍者だ。救世主になる為の痛苦から逃げ出し外道と蔑まれる道を選んだ。
一頻りの罵詈雑言を訴えると、最後に笑みを消して――――真剣な表情で、一言、放った。
「
――――それが、お前に相応しい結末だ。
☆
「うんっ……?」
光が瞼の隙間から差し込んできて、パチリと目を開けた。
白い天井が視界いっぱいに広がる。見覚えの有る場所の様に感じられた。
(市役所の静養室……?)
まさか、本日二回も同じ場所にお世話になるとは思わなかった。
なんか、ここに立ち寄ってから、職員の人達に迷惑ばかり掛けてる気がする。
「大丈夫?」
そんな事を考えていると、右側から声を掛けられた。細くて、綺麗な声。
振り向くと、青いロングヘアーの女性が、座椅子に腰掛けて見下ろしていた。
「七海部長さん……」
神浜市役所直轄の独立治安維持部隊の長。この街で“英雄”と呼ばれし最強の魔法少女。そして、先程自分が対峙していた相手。
よくよく考えたら、とんでもない人――最早、次元が違う――と戦ったものだ。自分はこんなに無謀な真似をする人間だったのだろうか。
それにしても……小さなキュゥべえに触れて、夢を見ている間に、現実の自分はどうなっていたのだろう?
「貴女、気を失ったのよ」
確認しようと口を開くよりも早く、やちよが教えてくれた。
「そうですか……」
そう呟くと、顔をキョロキョロと動かすいろは。美代とピーターの姿が無い。
「二人は?」
「ピーターさんも美代さんも、心配してたけど……仕事があるから。だから、私が介抱したの」
なるほど。あとで二人にはお礼を言わなきゃ。
そういろはは胸中で思うと、やちよの方へ顔を戻して、軽く頭を下げた。
「すみません、ご迷惑おかけして……」
「いえ、私の方も手荒な真似をして、ごめんなさい」
やちよも申し訳なさそうに眉を八の字にすると、ペコリと頭を下げて謝った。
いろははその顔をまじまじと見つめる。対峙した時に見せた、対象を凍り付かせる様な碧眼を貼り付けた能面では無く、穏やかで優しそうで――――どこにでもいる、ごく普通の温和な女性の顔がそこには有った。
恐らくこれが、彼女本来の素顔なのだろう、といろはは確信する。
「でも、最後の行動には、ビックリしたわ。まさか、ピーターさんからアレを奪うなんてね」
「あっ、え~~と……っ!」
見かけによらず随分大胆な真似をするのね、と付け加えて、フッと笑うやちよ。
だが、よく考えれば、納得できる行動でも有った。
何せ、
美代とドローンを囮にして、その作戦を結構したのだろう。見事なタヌキ振りである。
いろはも言われてからさっきの事を思い出した様だ。
確かに、自分らしからぬ思い切った行動を取った。なんだか恥ずかしくなってきて、頬が熱くなってくる。
「でも、気になったのは、どうして最初からそうしなかったの?」
自分からピーターに小さなキュゥべえが渡った瞬間から、彼女にチャンスは有った筈だ。
暗にそう籠めて尋ねると、顔を林檎の様に真っ赤にしたいろはは、目を丸くした。
「それは……っ! その……突発的に思いついたんです……」
「え?」
しどろもどろに呟くいろはに、きょとんと、首を傾げるやちよ。
「最初は普通にドローンを捕まえて勝とうって思ってました。美代さんの魔法でドローンをこっちに引き寄せたら、イケるって。でも……煙の中から七海部長さんが表れて、『あっこれはマズイ!』って思ったんです」
その時、いろはは思った。
「でも、たまたま後ろを振り向いたら、ピーターさんがいて……私、覚悟を決めたんです」
ピーターの右手には、小さなキュゥべえの入った袋が握られていた。
瞬間、いろはは飛びかかった。
半ば、やぶれかぶれの気持ちで――――
「……襲撃したのね」
やちよは呆気に取られた様子で聞いていた。
仮に自分が同じ状況だったとしても、そんな発想には至らなかっただろう。
「はい。それしか方法が浮かびませんでした」
ピーターと、意図せず囮役となってしまった美代には悪いことをしたが――――そう付け加えて苦笑いを浮かべるいろはを見て、やちよは目を細める。
(全く、とんでもない子ね……)
最初に彼女を見た時、一体の魔女どころか、数匹の使い魔にすら叶わず満身創痍の状態で意識を失っていた状態だった。
自分が駆けつけて魔女を倒さなければ、間違い無くそこで死んでいただろう。
『彼女は普通の魔法少女より弱い』――――そう確信したからこそ、神浜市の怪奇現象に結びついていると知った時、唖然とした。
これはなんとしても止めなくては、と正直、焦っていた。
しかし、そんな不安は、杞憂であった。
彼女は――――ベテランの自分に
仲間との連携、機転と勇気、そして、火事場の馬鹿力、全てを活かして。
これが彼女本来の実力なのだろう、と悟ると、自然と笑みがこぼれた。
「……でも、『勝った』なんて言っちゃいましたけど、ゲームには負けてますよね、わたし」
「いえ、貴女は私に勝ったわ、胸を貼りなさい」
「七海部長さん……?」
「敗北者に謙遜しちゃ駄目よ。やちよ、で良いわ」
和やかにそう告げると、いろはの顔も自然と緩んだ。
「ありがとうございます、やちよさん」
「ただ……」
そこで、やちよの顔に影が差す。
「アレに触れて、貴女の記憶は戻ったの?」
問いかけると、いろはの顔から笑みが消え失せた。顔を天井の方に向ける。何か考え込むような渋い面を浮かべながら、沈黙。
何かいいたく無いものでも、見たのだろうか――――やちよは心配そうに、その顔を見つめていると、
「………………………
数拍間を置かれてから、奇妙な二文字が、少女の口から放たれた。
「えっ?」
思わず素っ頓狂な声を出して、首を捻るやちよ。
「うい、なんです。『あの子』の名前は、ういなんです……っ!」
いろはが、急に自分の方へバッと振り向いた。
「!? その子は……?」
その目尻に涙が溜まっていて、やちよは驚くきながらも、その二文字の名を持つ者が一体、何なのか、問い質す。
いろはは、満面を悲哀に歪めながら、唇を噛み締めつつ、答え始めた。
「私の大事な家族……妹です。私、ういの為に魔法少女になったのに……そんなことも忘れてて……」
「忘れて、いた……?」
やちよは、口を閉じるのをすっかり忘れていた。
この少女の言葉が、自分を呆然とさせたのは、本日何度目だろう――――思わずそう現実逃避したくなりそうだった。
大切な家族を、ましてや妹を、忘れる――――そんな事が、現実的に起こり得るのか。
いろはは、打ち明けていく内に感極まったのか、ポロポロと涙を零し始める。
「そう、なんです……っ!」
頬を濡らしながら、上体をゆっくりと起こすいろは。
「ういに纏わる記憶だけが、そっくりそのまま、消えていたんです……っ! 私の頭の中だけじゃない……っ!! お父さんとお母さんからも……家にも、あの子に関わるものは全部なくなってしまっていて……っ!!」
グスグスと、鼻頭を赤くして、泣き続ける。その悲痛な姿を、見ていられなくなった。
やちよは逸らす様に顔を下に向けながら、いろはの背中を撫でて、慰める。
「今日のところは、家に帰りなさい……」
もっと気の聞いた言葉は言えなかったのか――――と自分が腹立たしくなった。
それでも、やちよは続ける。
「次の休日の時に、来ると良いわ。協力してあげるから」
「やちよさん、でも……」
彼女は部長の身。多忙の筈だ。
自分個人の為だけに、そこまでしてもらうのは、申し訳無い気がして、断ろうとした。
「貴女に足りないのは、“力”よ」
だが、それを言う前に、やちよからそんな言葉が返ってくる。
「……え?」
「貴女には高い機転と洞察力、仲間の能力を最大限に活かせる連携力も有る。この街で生きていくには申し分ない実力と判断したわ。でも、『力』だけがどの魔法少女よりも劣っている」
いろはが顔を俯かせる。
言ってしまってから、『劣っている』なんて言い方は辛辣だったか――――と、やちよは自身の言葉選びの悪さを憎んだ。
「私が、それを補ってあげる」
故に、即行でフォローの言葉を作り上げて、口に出す。
「やちよさん……!」
その言葉にいろはが顔を上げる。曇りが晴れた表情を見て、やちよも少しばかり安心した。
そして、真剣な表情で彼女と顔を合わせる。
「治安維持部は、どんな魔法少女も、見捨てない」
強く放ったその言葉に、一片の迷いは含まれていなかった。
《七海部長……。だから貴女は甘いと謂われるのです》
だが、出張先の町で、チームリーダーを務める魔法少女から告げられた冷淡な一言が、唐突に頭を掠める。
《今、我々が“非情”に徹さなければ、市民の安寧は到底守れそうに無い。故に、その魔法少女が如何なる労苦や事情を抱えていたとしても、不穏分子で有れば即行で排除しなければならない。……違いますか?》
確かにそうだろう。
この神浜市に最近、疫病に様に広まりつつある黒い影に、やちよは勘付いていた。
目の前の少女が、その一角である可能性は、否定できない。本来なら彼女と同じ様に、
しかし、それでも――――消えた家族を必死に思ういろはの姿に、嘘偽りは無い様に感じた。
見ていると、失い掛けていた“何か”が沸々と胸の奥底から湧き上がってくる。
(私は、もう二度と、死なせない……!)
そして、自分にそう言い放った彼女に、証明してみせる。
やちよは、決意を固めると、両膝の上に置いた拳を、強く握り締めた。
☆
――――フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』第一四六節
☆
お気に入り数が既にゆかマギに追いつきそうなのと、UA数が1500届きそうなのに、ビックリな小生です……。
読んでくださった皆様に、この場を借りて、お礼申し上げます。
本当にありがとうございます!!
はてさて、大問題の9話でした。
以上を持ちまして、第一章「はじまりのいろは」分のエピソードは完結となりますが……如何だったでしょうか?
オリキャラのピーターと朝香美代は一話を書いてたらいきなり出現したキャラであり(要は気付いたら作って)ました。
ストーリー展開も、ドローンを追いかけてやちよさんと勝負とか、途中で鶴乃が参戦したりとか……
構想段階では全く予定していなかった出来事が次々と頻発して、色々混乱を起こしかけたものの、とりあえず一応は、最初のターニングポイントまで主人公=いろはを辿り着かせる事ができたので、一安心ではありました。
次回か次次回以降からは、鶴乃をメインにした話になりますが、構想段階でかなりシリアスになっているので、作者自身もう誰か止めてくれ状態になってますが……これからも、応援して頂ければ、嬉しい限りです。
それでは!