魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
刹那の雑音。
みたまの声が“彼女”と入れ替わったのは、その直後。
「っ…………っ」
パクパクと唇が上下し、開閉を繰り返す。
この世から酸素が消えた。
この世から光が消えた。
息苦しく、どこまでも果ての無い漆黒。
そこに、いろはだけが唯一人、ポツンと取り残されたかのように。
「っ…………あ」
分かっていた。
これは、“彼女”の声が訊けたことへの生理的反応。
強い衝撃――それは、記憶の片隅に居る、懐かしき親友に会えた歓喜とは違う。
この感情は――苛立ち、怒り、悲しみ、嫌悪、憎しみ、絶望のような、激しいマイナスの起伏――それが違和感で。自分にとって不愉快過ぎるその感情の群れが、動悸を加速させる。
「あ、あなたは……」
急速に襲い掛かってきた悪寒に膝が震え、折れそうになるのだけは耐えながら。
体の中に取り残された酸素を、どうにか絞り出していろはは掠れた声を発した。
『んー?』
「私の知ってる、灯花ちゃんじゃ、ないんだね……」
『くふっ』
よく聞いた含み笑いの後、一瞬の沈黙。
『わたくしに関しては、ヒントを上げるねー☆』
そして、少女は記憶の頃とは一切変わらぬままの声色で、語り始める。
「っ!!」
歌を謳うように発せられたその詩に、いろはは瞠目。
それは、彼女自身の言葉というよりも、誰かの言葉を引用したかの様だった。
「あ…………あ…………っ」
いろはの視界が歪み、口から自然と嗚咽が漏れた。
そこにあるのは“闇”。
追い求めれば、探し続ければ、いつかはその答えに辿り着くのは、
大粒の涙が瞳から零れた。鼓動が激しいせいで胸が強く痛み、悪寒が酷くて膝の震えが止まらない。
「ちょっとは、思い出してくれた?」
「……っ」
でも、少女の声は無邪気そのままで。
自分の中に有る、とても大切で、輝かしい世界の住民のままでいてくれて。
――――いや、違う。
ねむだってそうだったじゃないか。あの輝かしい記憶は全て幻想で、偽りだった。
だって、そこにあるのは“闇”だから。
思い出したく無かったもの。脳の片隅にしまい込み、封じ込めていた暗黒を、自分自身が白く塗り替えて、作り物の“光”で照らしていただけで――!!
「あぁ……!!」
懺悔の言葉が頭の中で無限に彷彿する。
それは彼女にとって傲慢で、極めて愚かな行いの筈だ。
“
裏切り者で、落伍者の愚考――恐らく彼女からは、永久に赦される事は無い。
『くふっ』
――――やめて。
“
叫び出したくなる衝動は、急激に湧いた不快感に止められた。
胃が荒々しく掻き乱され、汚いものが喉元まで昇り詰める。
こんな気持ちになるなら。これから先、ずっと続くなら。
「灯花ちゃん……」
見ないまま、
ねむも、青佐も、やちよも――それが自分の為だと、言ってくれた。
それでも、いろはは。
「貴方は、一体、何者なの……?」
かぶりを振り、暗黒に手を突き入れた。
自分の中の“深淵”――そこにある本当の姿を知るために。
例え、自分自身の手で彩った空想の偽物であろうとも、大切にしていた人達を取り戻していく為に。
“
その為なら、耐え難い苦痛だって受け入れてやる、と。
『聞けば、何でも教えて貰えると思ったのかにゃー? まあでも、これだけははっきり言えるよ。
それが、
プツン。
“彼女”との会話が途切れ、刹那の雑音――――そして。
―――――――………………ああ、良かった! 繋がった! 一体なにが……!?』
「…………」
数拍置かれて、聞こえてきたのは、みたまの声。
いろはの口が、自然と酸素を取り込んだ。
世界が光を取り戻し、同時に群集の喧噪が騒がしく耳を打つ。
常闇から開放された意識は、『神浜市中央商店街』へと戻された。
まるで、今の数分間の“彼女”との会話が、いろはの夢であったかのように。
「みたまさん」
しかし、いろはにとっては、紛れも無く現実だった。
だから――
『! ……なあに、いろはちゃん?』
「一緒に、戦ってくれますか?」
――覚悟を決める。
『え……?』
本当のことは、未だ分からないままだ。
現実だと思っていた“
だけどいろはは、この胸に誓いを立てる。
「一緒に、彼女を……里見灯花ちゃんを、止めてくれますか?」
絶対に全てを取り戻すと。
何があっても、生き抜いて、戦い抜いてみせると。
☆
「お帰りなさいませ。プロフェッサー」
暗黒の中枢に戻った灯花を、白衣の少女が出迎える。
恭しく緑髪の頭を下げた彼女を、灯花は一瞥し、
「ただいま、『490』」
とだけ、静かに告げる。
490と呼ばれた白衣の少女――灯花の“助手”が頭を上げた。エメラルドの右眼がメタリックに輝いている。
「如何でしたか、“環いろは”は?」
微笑を浮かべて、490は主に問うた。
くふっ――と、灯花は彼女に振り返らず、それだけの含み笑いを零す。490はそれを見て、満足そうに頷いた。
その端的なやりとりが二人の関係の深さを現していた。お互いに言葉など、今更必要も無い。助手は主の考えを、表情を見れば即座に理解して汲み上げ、それ以上、追及はせず。
主もまた、助手の先の質問の意図を理解していたから、言葉を返す事はなかった。寧ろ、明確な解説など、助手とのコミュニケーション間では、時間の無駄だと。
暗晦の中枢を根城にする孤高の王。
血に飢えた怪物の如く、その冷たき紅眼で世界を見下ろす、少女の姿をしたマッドプロフェッサー。
その思考を理解できる者は、常人は愚か、彼女自身が立ち上げた組織にさえ、一人だっていなかった。
“天才”がチームメイトと認める者は、同じく“天才”のみ。
それは此処にいる『490』と――――
「おかえり、『896』。そしてようこそ、“マギウスの翼”へ」
490とは反対側の暗闇から、歩み寄ってくる靴音が聞こえた。
既に誰か理解していた主は瞬時に振り向き、笑顔の花を咲かせた。現れたのは、490とは頭一つ分は背丈が高く、然し幼女の如く無垢な顔付きの、少女であった。
――――彼女もまた、“助手”。
血の様な真紅のドレスの上に羽織った白衣がその証左だ。彼女もまた、主に深々と頭を下げた。
「お招き頂き、恐悦至極にございます。プロフェッサー」
896と呼ばれた少女が浮かべる笑顔は、主や490とは違って、人間らしい暖かみが感じ取れた。
生来は優しい性根の持ち主だと分かる。
けれど、そんな彼女も、目前のマッドサイエンティストに心酔し、忠誠を誓っているのだ。向かい側に立つ490と同じく、天才独特の狂気に魅了された者の一人だった。
「我等“両翼”を再びお傍に置いて頂けるとは」
「計画の様子をプロフェッサーと同じ席で鑑賞できるなんて……」
490と896はお互いに喜びを抑えきれない様子で、期待に満ちた眼差しを向けた。
主は再び、くふっ、と嗤い、
「これからの先のことを考えたら、
490は敬礼。
「承知しております。プロフェッサー」
「我等“両翼”、全て貴女様の為に……!」
896も、彼女の動きに合わせるように、頭を深く下げた。
「……ですがプロフェッサー、僭越ながら私より一つ、意見を挙げても宜しいでしょうか?」
「いいよー?」
490に、灯花は頷く。
「
「まー、その辺の人事はおいおいとねー」
助手の質問に、灯花の態度は素っ気ない。
秘密結社・『マギウスの翼』の最高幹部は、里見灯花・日秀源道・梓みふゆの三名となっており、三人の合議制によって組織方針が決められている、とされているが、あくまで表向きだ。
実際、里見灯花にとっては、源道もみふゆも眼中に無い。一般人から見れば二人の才能は非凡に映るだろうが、生まれながらの天才である彼女から見れば、愚鈍な俗物に過ぎない。
故に――――
「だって、羽根の実用性を証明できるのなら、
「仰る通りです。『マギウスの翼』は
人が創造する世界は美しい。
我等が崇拝する主が創り上げる世界ならば、より一層。
それは例え、女神にさえ模倣できない。
そう、全ては――――
そして、明ける闇に。
溺れる光へ。
漆黒に満ちる少女達を、天高き位置から静かに。
黒鉄の生気を映さぬ虚無の双眼が見下ろしていた。