魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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FILE #91 少女が見る世界は 神の未来か、悪魔の過去か

 

 

 

 刹那の雑音。

 みたまの声が“彼女”と入れ替わったのは、その直後。

 

 

「っ…………っ」

 

 パクパクと唇が上下し、開閉を繰り返す。

 この世から酸素が消えた。

 この世から光が消えた。

 息苦しく、どこまでも果ての無い漆黒。

 そこに、いろはだけが唯一人、ポツンと取り残されたかのように。

 

「っ…………あ」

 

 分かっていた。

 これは、“彼女”の声が訊けたことへの生理的反応。

 強い衝撃――それは、記憶の片隅に居る、懐かしき親友に会えた歓喜とは違う。

 この感情は――苛立ち、怒り、悲しみ、嫌悪、憎しみ、絶望のような、激しいマイナスの起伏――それが違和感で。自分にとって不愉快過ぎるその感情の群れが、動悸を加速させる。

 

「あ、あなたは……」

 

 急速に襲い掛かってきた悪寒に膝が震え、折れそうになるのだけは耐えながら。

 体の中に取り残された酸素を、どうにか絞り出していろはは掠れた声を発した。

 

『んー?』

 

「私の知ってる、灯花ちゃんじゃ、ないんだね……」

 

『くふっ』

 

 よく聞いた含み笑いの後、一瞬の沈黙。

 

『わたくしに関しては、ヒントを上げるねー☆』

 

 そして、少女は記憶の頃とは一切変わらぬままの声色で、語り始める。

 

 

 

一切(ものみな)はただ火炎なり』

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

 歌を謳うように発せられたその詩に、いろはは瞠目。

 

 

 

 

『天空覆いて(くま)なし

 

四方および思維(しゆい)

 

地上にも空隙存せず

 

一切の暗き大地は

 

悪人みな遍満す

 

われいま帰するに所なく

 

孤独にして同伴なし

 

悪所の闇中に在って

 

大火災の(なか)に入る

 

我は虚空の中にして

 

日・月・星を見ざるなり』

 

 

 それは、彼女自身の言葉というよりも、誰かの言葉を引用したかの様だった。

 

 

『然し、私は生きている。

 

今を生きて、この生命(いのち)を噛み締めている』

 

 

 

 

 

 

「あ…………あ…………っ」

 

 いろはの視界が歪み、口から自然と嗚咽が漏れた。

 そこにあるのは“闇”。

 追い求めれば、探し続ければ、いつかはその答えに辿り着くのは、()()()()()()()なのに。

 大粒の涙が瞳から零れた。鼓動が激しいせいで胸が強く痛み、悪寒が酷くて膝の震えが止まらない。

 

「ちょっとは、思い出してくれた?」

 

「……っ」

 

 でも、少女の声は無邪気そのままで。

 自分の中に有る、とても大切で、輝かしい世界の住民のままでいてくれて。

 ――――いや、違う。

 ねむだってそうだったじゃないか。あの輝かしい記憶は全て幻想で、偽りだった。

 だって、そこにあるのは“闇”だから。

 思い出したく無かったもの。脳の片隅にしまい込み、封じ込めていた暗黒を、自分自身が白く塗り替えて、作り物の“光”で照らしていただけで――!!

 

「あぁ……!!」

 

 懺悔の言葉が頭の中で無限に彷彿する。

 それは彼女にとって傲慢で、極めて愚かな行いの筈だ。

 “現実()”に生きる少女に対して、自分は“空想の絵空事()”に浸り、苦しみから逃れてきた。痛みから開放されてきた。

 裏切り者で、落伍者の愚考――恐らく彼女からは、永久に赦される事は無い。

 

『くふっ』

 

 ――――やめて。

 “輝かしいあの頃()のまま”の貴女の声で、いつもの笑い方をしないで。

 

 叫び出したくなる衝動は、急激に湧いた不快感に止められた。

 胃が荒々しく掻き乱され、汚いものが喉元まで昇り詰める。

 こんな気持ちになるなら。これから先、ずっと続くなら。

 

「灯花ちゃん……」

 

 見ないまま、空想()に癒しを求めていた方が、幸福なのかもしれない。

 ねむも、青佐も、やちよも――それが自分の為だと、言ってくれた。

 

 それでも、いろはは。

 

 

「貴方は、一体、何者なの……?」

 

 

 かぶりを振り、暗黒に手を突き入れた。

 自分の中の“深淵”――そこにある本当の姿を知るために。

 例え、自分自身の手で彩った空想の偽物であろうとも、大切にしていた人達を取り戻していく為に。

 “現実()”と向き合い、進むことを選んだ。

 その為なら、耐え難い苦痛だって受け入れてやる、と。

 

 

『聞けば、何でも教えて貰えると思ったのかにゃー? まあでも、これだけははっきり言えるよ。

 

【人の生命とは無限に有限。だから価値は無い。

為れば、私はこの生を掛けて、有限を無限へと創り代える。

私の人生の価値を、絶対的な唯一にする】

 

 それが、()()()“わたくし”だから。覚えておいてね。たまき」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プツン。

 “彼女”との会話が途切れ、刹那の雑音――――そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――………………ああ、良かった! 繋がった! 一体なにが……!?』

 

「…………」

 

 数拍置かれて、聞こえてきたのは、みたまの声。

 いろはの口が、自然と酸素を取り込んだ。

 世界が光を取り戻し、同時に群集の喧噪が騒がしく耳を打つ。

 常闇から開放された意識は、『神浜市中央商店街』へと戻された。

 まるで、今の数分間の“彼女”との会話が、いろはの夢であったかのように。

 

「みたまさん」

 

 しかし、いろはにとっては、紛れも無く現実だった。

 だから――

 

『! ……なあに、いろはちゃん?』

 

 

「一緒に、戦ってくれますか?」

 

 ――覚悟を決める。

 

 

『え……?』

 

 本当のことは、未だ分からないままだ。

 現実だと思っていた“光り輝く絵空事()”も、夢だと思っていた“現実”()も、実際の所は、まだ何も思い出せなくて、非常に曖昧で。

 だけどいろはは、この胸に誓いを立てる。

 

 

「一緒に、彼女を……里見灯花ちゃんを、止めてくれますか?」

 

 

 絶対に全てを取り戻すと。

 何があっても、生き抜いて、戦い抜いてみせると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ。プロフェッサー」

 

 暗黒の中枢に戻った灯花を、白衣の少女が出迎える。

 恭しく緑髪の頭を下げた彼女を、灯花は一瞥し、

 

「ただいま、『490』」

 

 とだけ、静かに告げる。

 490と呼ばれた白衣の少女――灯花の“助手”が頭を上げた。エメラルドの右眼がメタリックに輝いている。

 

「如何でしたか、“環いろは”は?」

 

 微笑を浮かべて、490は主に問うた。

 くふっ――と、灯花は彼女に振り返らず、それだけの含み笑いを零す。490はそれを見て、満足そうに頷いた。

 その端的なやりとりが二人の関係の深さを現していた。お互いに言葉など、今更必要も無い。助手は主の考えを、表情を見れば即座に理解して汲み上げ、それ以上、追及はせず。

 主もまた、助手の先の質問の意図を理解していたから、言葉を返す事はなかった。寧ろ、明確な解説など、助手とのコミュニケーション間では、時間の無駄だと。

 

 暗晦の中枢を根城にする孤高の王。

 血に飢えた怪物の如く、その冷たき紅眼で世界を見下ろす、少女の姿をしたマッドプロフェッサー。

 その思考を理解できる者は、常人は愚か、彼女自身が立ち上げた組織にさえ、一人だっていなかった。

 “天才”がチームメイトと認める者は、同じく“天才”のみ。

 

 それは此処にいる『490』と――――

 

 

「おかえり、『896』。そしてようこそ、“マギウスの翼”へ」

 

 

 ()()ぐらいだ。

 

 490とは反対側の暗闇から、歩み寄ってくる靴音が聞こえた。

 既に誰か理解していた主は瞬時に振り向き、笑顔の花を咲かせた。現れたのは、490とは頭一つ分は背丈が高く、然し幼女の如く無垢な顔付きの、少女であった。

 ――――彼女もまた、“助手”。

 血の様な真紅のドレスの上に羽織った白衣がその証左だ。彼女もまた、主に深々と頭を下げた。

 

「お招き頂き、恐悦至極にございます。プロフェッサー」

 

 896と呼ばれた少女が浮かべる笑顔は、主や490とは違って、人間らしい暖かみが感じ取れた。

 生来は優しい性根の持ち主だと分かる。

 けれど、そんな彼女も、目前のマッドサイエンティストに心酔し、忠誠を誓っているのだ。向かい側に立つ490と同じく、天才独特の狂気に魅了された者の一人だった。

 

「我等“両翼”を再びお傍に置いて頂けるとは」

 

「計画の様子をプロフェッサーと同じ席で鑑賞できるなんて……」

 

 490と896はお互いに喜びを抑えきれない様子で、期待に満ちた眼差しを向けた。

 主は再び、くふっ、と嗤い、

 

「これからの先のことを考えたら、()()()なるからねー。わたくしの護衛も兼ねてもらうけど?」

 

 490は敬礼。

 

「承知しております。プロフェッサー」

 

「我等“両翼”、全て貴女様の為に……!」

 

 896も、彼女の動きに合わせるように、頭を深く下げた。

 

「……ですがプロフェッサー、僭越ながら私より一つ、意見を挙げても宜しいでしょうか?」

 

「いいよー?」

 

 490に、灯花は頷く。

 

実働部隊(はねども)の指揮官は、本当に梓みふゆで、よろしいのですか?」

 

「まー、その辺の人事はおいおいとねー」

 

 助手の質問に、灯花の態度は素っ気ない。

 秘密結社・『マギウスの翼』の最高幹部は、里見灯花・日秀源道・梓みふゆの三名となっており、三人の合議制によって組織方針が決められている、とされているが、あくまで表向きだ。

 実際、里見灯花にとっては、源道もみふゆも眼中に無い。一般人から見れば二人の才能は非凡に映るだろうが、生まれながらの天才である彼女から見れば、愚鈍な俗物に過ぎない。

 

 故に――――

 

「だって、羽根の実用性を証明できるのなら、()()()()()し」

 

「仰る通りです。『マギウスの翼』は()()()に存在する。ゆくゆくは“解放”の為に――」

 

 人が創造する世界は美しい。

 我等が崇拝する主が創り上げる世界ならば、より一層。

 それは例え、女神にさえ模倣できない。

 

 そう、全ては――――

 

 

 

「我等が深淵の王、

プロフェッサー・マギウスによる

超越計画(トランセンデンス)の為に……」

 

 

 

 そして、明ける闇に。

 溺れる光へ。

 

 

 漆黒に満ちる少女達を、天高き位置から静かに。

 黒鉄の生気を映さぬ虚無の双眼が見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無惨な状況においてさえ

 

私はひるみも叫びもしなかった

 

運命に打ちのめされ

 

血を流しても

 

決して屈服はしない

 

 

――――ウィリアム・アーネスト・ヘンリー『インビクタス』(負けざる者たち)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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