『統計学と”魔法使い”という生物』著:A.L 作:クローン少女
イギリスの国立公園、ハムステッド ヒース。
夏のレジャースポットとして有名なその公園は、ロンドンから少し離れた北部に位置していた。
手つかずの草原が広がる丘に、今年11歳になる小さな少年はごろりと寝転がっていた。少年は、ロンドンでは珍しい雲一つない空を見上げ、ぼうっと何も考えずにひたすら空を見つめた。
こうして寝転がっていると、青い空にすっぽり飲み込まれているような心地になる。なんだか空を飛んでいるような感じがして、少年の心はひどく休まるのだ。
実のところ、少年は遠足に来ていた。だが、彼の周りには誰もいない。
そっと、抜け出したのだ。煩わしい集団から。
この、一匹狼の少年。
名は、トム・マルヴォ―ロ・リドルという。
彼は孤児だった。
生まれて直ぐに孤児院へ預けられたので、親の顔も知らない。
この11年間、孤児院の鉄格子の中に閉じ込められて、不味いご飯とすさんだ子供たちと共に、彼は随分とひん曲がって成長した。
ひとつ、彼はものすごく賢かった。ふたつ、彼は超能力者だった。
みっつ、彼は絶世の美少年だった。よっつ、彼は孤独だった。
この四つだけで彼はここまで生きてきたのだ。
人格形成期に十分な愛情と庇護のないまま、度重なる大戦ですさむ人間界を切り抜けてきた。当然、食事以外の自分のことは、全て自ら管理してきた。
頼れるのは己の力だけ。
傲慢にならずしてどうなるべきであったか。
その上、彼は自分を天才だとか、そんな程度ではなく”神に選ばれし人間”だと認識していた。なぜなら、学校の勉強なんて簡単すぎていつもトップだったし、とくに勉強したりしなくとも、一度本を読めば頭の中に本があるようなものだった。
おまけに、自分は魔法のように不思議な力を操ることもできる。
そのすべてが、彼のひねくれた自尊心と傲慢さに拍車をかけていったのだ。
例え大人であっても、彼の周りに張り合える人間が存在しなかった。
それゆえ、孤児院から抜け出すことのできない自分自身に強い憤りを彼は覚えていた。自分の力だけで十分やっていけるはずであるのに、自分ではどうしようもできない、この無力感。
不幸な孤児たちを救い出せるのは、大人しかいなかった。
だが、取るに足らない大人たちは孤児院を社会の掃きだめと見なしていた。そればかりか、孤児たちは学校なんぞ通わずに、すぐに歩兵になるべきという論調であった。まるで、孤児は死ぬ以外社会の役に立たないお荷物とでもいうように。
しかし、幸運なことに少年は類をみない優秀な頭脳を持っていたので、なんとか学校へ通うことができていた。そのため、イギリスが国を挙げて行っていた「児童移民制度」からは免れた。
学校で成績トップの孤児。
自分の子より出来のいい少年を疎ましく思う保護者は多かった。
どこへ行っても少年は目立った。
その度に集団によるいじめを受けた。
その度に復讐をした。
その度に彼らの一番大事にしているものを根こそぎ奪ってやった。
それがお金であろうと、物であろうと、生き物であろうと構わない。
自分を見下し、虐げた人間は決して許さない。
彼は普段から自分自身にそう言い聞かせていた。
激しい復讐心と劣等感に苛まれていたのだ。
だが、一年に一度だけ訪れるこの公園では違った。
彼は自由だった。何のしがらみのない空は、少年のやり場のない怒りをすべて包み込んでくれたのだ。
・・・・・・
そう、その時少年は油断していた。あまりにも穏やかで清々しい日和だったから、ウトウトと微睡んでしまったのだ。
「大丈夫‥‥?」
どこからか、自分に呼びかける声にトム少年はうっすらと目を開けた。すると、猫のように大きな金色の瞳が二つ、自分を心配そうに覗き込んでいるのがぼんやりと見えた。
「死んでいるの?」
まだ幼い、少女の声だった。フワリと春風が吹いて、空よりも深い青髪がさらさらと風に靡き、あまりの眩しさにトムは目を細めた。
「‥‥君は空の妖精?」
「え‥‥違うよ」
少女は少し困ったように眉を下げたが、トム少年は夢うつつな心地から抜け出せずに大きな欠伸をした。そして、眠い目を擦ってむくりと起き上がった。
「‥‥君」
鮮やかな濃い青毛。琥珀色と呼ぶには明る過ぎる金の瞳。ロココ調の時代遅れの黒いドレス。少女のへんてこな装いにトム少年はもう一度目を擦った。
「このご時世に、仮装パーティー?」
「え、?」
「パーティーじゃないなら‥‥白昼夢だな」
「夢じゃないよ」
不満げにふてくされて少女はすくっと立ち上がった。
「わたし、気が付いたらここに居たの。お父さんとはぐれから、大変なの」
そう言う少女の顔は全然深刻そうではない。少女は100メートル程離れたところにある湖を指さした。
「水に触ってみればわかるよ。ちゃんと冷たいし、夢じゃないって」
「そんなことじゃ、分からないさ」
ふん、と彼は鼻を鳴らした。実に子供が考えそうなことだと思ったのだ。
「仮に水が冷たかったからって、夢じゃないなんて言いきれない。明晰夢という言葉を君は知っているかい?」
「知らないよ」
そう言ってパッと湖の方へ走り出した少女は、彼より幾分か年下に見えた。
トム少年は少し気まずくなった。自分がかけた言葉は、年下の女の子に対してあまりにも辛辣だったかもしれない。なんだか自分が思慮深くないようで居心地が悪かった。それに、少女は自分のことを心配して声をかけてきたのだ。
彼は仕方なしに鞄を持って立ち上がり、服についた草を払い落として、少女の後を追った。
「君、あんまりそっちに行っちゃだめだ。湖は深いし、危ないよ」
「大丈夫だよ」
少女はポイっと靴と靴下を脱ぎ捨てた。そして、裸足になると湖の縁に座り込み、足を水に入れた。
その少女の横顔は変に野性的で凛々しく、自由奔放な印象を与えた。
「うわっ、冷たい!」
「そりゃそうだよ。まだ、3月なんだから」
ため息をついて、彼は少女の隣に腰を下ろした。
「あのさ、君は迷子なんでしょ?あんまり動き回ってはいけないよ」
親切心、というよりかは、呆れに近い。迷子が呑気に遊んでいるのが理解できなかった。子供は大人の庇護なしに生きていけないのだから、特に小さい子供は不安になって泣き出すに決まっていると彼は思っていた。
「大人が探しているかもしれないから、公園のセンターへ行こう」
「んー平気。さっき、お父さんの気配がしたから、近くに来てる」
「‥‥はあ?」
「それに、この辺は人買いの匂いもしないし」
ふんふんと鼻を鳴らし、少女は狼のような瞳を細めてそう言った。
「‥‥人攫いのこと?」
匂いだとかなんだとかは意味不明だったが、戦時中のイギリスでは人攫いはさほど珍しくない。
「うん。でも、今から考えてみれば人買いなんて大したことないよ。怖いのは注射だけで‥‥」
そう言い終わるや否や、少女は勢いよく湖から足を上げて、嬉しそうに声を上げた。
「お父さん‥‥!」
トム少年は突然後ろに気配を感じ、ハッと振り返った。
「ああ、どこへ行っていたんだ。心配したぞ。おっと、靴まで脱いでるのか?」
突然現れた、身なりのいい中年の紳士は走り寄った少女をしゃがんで抱き留め、そのまま片腕で抱え上げた。
「ごめんなさい、でも、わたしは何もしてないよ」
「分かっている。あれはお前の魔力の暴走‥‥ところで、あちらは誰かな」
そう言いかけて、中年の紳士は不審げに少年の方に視線をやった。
それがとても冷ややかで、今までにないほど蔑んだ目つきだったために、咄嗟にトム少年は男を睨み返した。孤児を見下げる大人は多かったが、ここまで態度の悪い人間に彼は会ったことがなかった。
「わたしと遊んでくれてた。名前は知らないよ」
「マグルと遊んでいたのか?」
「お父さん、あの子マグルじゃないよ」
「‥‥では、マグル出身か」
マグル?、一体何のことだろうとトム少年は不快に思ったが、男の蔑んだ目つきは幾分か和らいでいた。
「でも、あの子魔力強いよ。めちゃくちゃ強い。お父さんと同じくらい」
「‥‥何を言ってるんだ。子供が私と同じなど、ありえん話だ」
「えーそうかな」
「‥‥まあ、いいだろう。帰るぞ」
少女の頭を撫で、男は穏やかに微笑んだ。
父親。自分にはいない、父親。
その優しそうな横顔を彼が複雑な心持で見ていると、バチンと目が合った。
すると、男は口角を上げニヤリと笑った。
そして、消えた。
「‥‥!?」
消えた。消えたのだ。文字通りに男は少女を抱えたまま消えてしまった。ぐにゃりと男の周りの景色が曲がって、そのまま居なくなったのだ。
トム少年は目を何度も擦った。狐に包まれているような気分だった。
「‥‥やっぱり、白昼夢?」
そう言って、少年はふと湖の方を振り返った。
黒い、小さなリボンが一つ、湖の横にポツンと落ちていた。
「夢‥‥じゃない‥‥‥‥?」
呆然としたその声は空しく中を漂い、広い草原へと吸い込まれて行ってしまった。
個人的にトムリドルは戦争の被害者だと思っています。
当時のイギリス孤児院はとても劣悪だったそうで、窓には鉄格子がされていたそうです。
すべての孤児院が劣悪だったか断言できませんが、「児童移民制度」という悪名高い政策は存在していましたし‥‥。
何と言っても、ホグワーツの夏休みとバトル・オブ・ブリテンが重なっている(-_-;)
ヴォルデモートも社会の負の遺産‥‥なのかなという考えが根本にあるので、彼びいきになってしまったんですよね‥‥
※作中に歴史的事実を含んでいますが、物語の都合上、捏造や想像もあります。
作者は歴史に詳しくないので、詳しい方のなかでこうじゃないということがありましたらお知らせください。個人的に気になります(笑)