ゾンビになったけれど、私は元気です   作:トクサン

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覚醒の調

 世界はゾンビに支配された。

 

 恐ろしく簡略化した言葉で語ればそういう事になる。よくあるアニメやドラマ、漫画の題材と言えばそうなるが実際になってみると案外シャレにならない。世界規模の災害の様なものだ、感染爆発なんて目じゃない。多くの人間が逃げ惑い、死んで、死んだまま動く屍になった。

 

 無論私も即その仲間入りだ、私はヒーローじゃない。そんなゴリゴリのサバイバル世界で生き残れる程のメンタルとフィジカルを持っていなかった。

 問題なのは街中で食われたとか単なる被害者ではなかった事。

 馬鹿馬鹿しい話だが――ゾンビウィルスを作った人間の一人、それが私なのだ。

 

 このゾンビウィルスはDNAウィルスの一種である、コイツは種特異性が高く主に人間に感染する。元々は脊椎動物に感染する類のものだったが改良によって感染種に指向性を持たせた。コイツは生物兵器として運用する為に研究したものだった、人間にしか感染しない為環境破壊の心配もなく生態系への影響もない。完全に人を殺す為だけに創られたウィルス、弾頭に詰め込んで発射、着弾すれば無色透明で拡散した事にすら気付かない優秀な兵器だ。

 奇しくも人は自らの手で作ったウィルスによってその数を大きく減らした。

 

 核多角体病ウイルスを参考に何度か内部改良を加えたモノだったが――今では大分記憶も薄れ、その構造さえ忘れてしまっている。これも感染の影響だろう、何せ私は【最初に感染した人間】だから、大分脳がやられているのかもしれない。

 

 だが最初に言っておくが私は悪くない、このウィルスの管理は徹底していた。だと言うのにどこかの馬鹿がウィルスの入っていたケースを不用意に開けやがったのだ。外部の人間か内部の人間か、アラートが鳴り響いて危険を知らせた時にはもう遅かった。何か別のケースと勘違いしたのかもしれない、けれど今では確かめようもない。兎に角拡散したウィルスは研究室内の私達の体に入り込み、気付けば世界全土に感染は広がっていた。

 

 研究室には万が一何かしらのウィルスが広まっても密封し外に漏れだす事を防ぐ機能が備わっていたが、中の人間が無理矢理抉じ開けたのかもしれない。もし内部の人間が外に助けを求めたらどうだろう? IFなど幾らでも想像が出来た。

 

 私が意識を取り戻したのは感染が始まってから凡そ一ヶ月後――ゾンビウィルスは未だ完成には至っていない、本来はウィルスに更に手を加え着弾した地点から大きく拡散しない様に改良するつもりだったのだ。しかし未完成のまま拡散してしまったゾンビウィルスは恐ろしいまでの感染力を誇っている。

 

 このゾンビウィルスは感染者が死亡した場合、凡そ数日掛けて感染者の体を【苗床】に作り替える。そこからゾンビウィルスを放出する体液を分泌させ問答無用で感染を広める。肌に触れただけでも怪しい、粘液に触れれば一発で感染だ。更に悪い事にコイツは苗床と成っても空気感染も起こす、確率は半々だが正に最悪のウィルスと言って良いだろう。因みに感染した人間は狂暴性を増し周囲の人間を問答無用で襲う、傷口に唾液でも入れば感染確定だ、故に噛まれた場合は手遅れとなる。これを戦争で利用すれば自国の兵を疲弊させる事無く同士討ちを狙える理想的な兵器だった。

 

 さて、本来ならば言った通りコイツに感染すれば理性の枷が外れ思考など出来る筈もない。生きている限り暴れ続け、人間を探して彷徨い、力尽きれば苗床になる運命。しかしどういう訳か私は――意識を取り戻した。

 

 最初は困惑した、困惑したまま慌てて周囲を見渡し愕然とした。周りには苗床と成り果てたゾンビ共がゴロゴロ転がっていたのだから。私は訳の分からない事を叫びながら研究室を飛び出し、そのまま外の世界に躍り出た。セキュリティルームは既に壊滅しておりカードキー認証などは全て死んでいた。施設内を走り抜けエントランスホールに出る、其処でも苗床と成り果てた研究員やスタッフがゴロゴロ存在し、私は息を切らしながら外を求める。

 途中、割れた自動ドアのガラスに映った自分の姿を見て言葉を失くした。其処には真っ白い髪と真っ白い肌をした男が映っていた。誰だこれはと思った、顔の造形など人間離れしている。まるで人形だ、私の顔じゃない。その顔からは生気を欠片も感じられなかった。

 

「誰、誰だお前は……」

 

 震えた声で呟く、鏡に写った人物が呟く。それは紛れもなく私だった、けれど私自身が知っている。こいつは私じゃない、かと言って研究所に居た誰かでも無い。確実にウィルスが作り出した【新しい私】であった。

 

 見れば私が来ていた衣服はそのままであった、他の感染者は一部が肥大化したり皮膚がぐずぐずに崩れていたりしたのに、私の衣服は欠片も破損せず肌も寧ろ若返っているかのよう。私は訳が分からなくなり、兎に角家に帰りたくなった。だから自動ドアを椅子で破壊し街へ降りて、放置され埃を被っていた愛車に乗り家に帰ったのだ。道中私を見つけたゾンビ共は恐ろしい叫び声を上げて襲って来た。私はそれを轢き殺しながら必死に運転した、もう倫理観や道徳なんてものは吹き飛んでいた。

 ただ恐ろしさに突き動かされていたのだ。

 

 それが――一ヵ月前の話。

 

 家に到着した私はひたすら引きこもっていた。不思議な事にこの体は飯や水を欲する事無く、また排泄などの行為も行う必要がなかった。一ヵ月あの場所で倒れ伏していたのに餓死していないのだから当然だろう、暫く家に引きこもっていると少しだけ考える余裕が出て来た。

 

 私の体に関してはゾンビウィルスが作り替えたというのが正しいだろう。恐らく顔だけじゃない、臓器や体細胞全て、DNAも全て弄繰り回されている。きっと脳味噌も、自意識が残っている事が幸いだが【これが私の思考なのかも定かではない】、私の人格を模した他の誰かの可能性だってあった。つまりその場合、私自身は死んでいる事になる。

 

 つまり【スワンプマン】だ。

 

「私は私なのか?」

 

 もう何度となく繰り返した自問自答、答えはいつも同じ。「私は私だ」、それ以上でも以下でも無い。けれどこの体は既に人間のソレから逸脱している。私が手を前に突き出し力を籠めると、何か管の様なものが皮膚から生えだし腕を覆い出した。そして全身をソレで覆い尽くし私は巨人となる。

 目さえ覆った私は何も見えない暗闇で眼球を動かす、そうすると額の辺りから新しい眼球が三つ生え出しぎょろりと周囲を見回した。

 

 体組織の改造、つまり強制的な進化――或は退化。

 

 私の体には二つの変化形態があった。先程の人間の形、そしもう一つがコレだ。二メートルを超える体に丸太の様な両腕。人間であった頃の雪の様な肌とは異なる赤黒い肌、それに三つ目。暫くすると背中の筋繊維が蠢き、追加で四本の細い腕が生え出て来る。コレが今の私に与えられた変化形態、憶測だが私の中でゾンビウィルスが進化を遂げたのだろう。なぜこのような形になったのか私には分からない、この巨躯は街に居たゾンビとは比較にならない程強靭だった。

 

 感染した日数が関係しているのかもしれない、あの研究所の中で生き残っていた――正確に言えば私は死んでいるのだろうが――人間は私一人、そしてもしゾンビ化したまま生き続ければ巨大なゾンビとして進化するのではないかと。

 記憶を虫食いにされた今の私はこの程度の推測しか出来ない、しかし強ち間違いでもないのだろうという気持ちがあった。

 

 何故私はゾンビ化したというのに意識がある? 抗体が存在したのか? 私だけがウィルスに適合した? 分からなかった、何せワクチンはまだ完成していなかったから。ウィルスに適合し得る肉体など想像もつかなかった。これではまるで強化人間だ。

 

 私は暫くゾンビ姿のままで頭を抱え続けた。二メートルを超える巨躯で部屋の隅に這い蹲ると言うのは実にシュールだっただろう。そうして精神を落ち着けた私は人間に戻りテーブルの上に散乱していた水や食料を見る。

 人間の習慣というのは恐ろしい、飯を食わなくても良い、水を飲まなくても良い、けれど腹が空かなくとも、喉が渇かなくとも【食べる】という行為には一定の精神を落ち着ける効果があった。生前為していた行為が『私は生きて、今飯を食っている』という感情となって心を慰めた。

 だから私はこの一ヵ月、まるで人である事に拘るかのように飯を食って、水を飲んだ。けれどもう家には食料も水も無い。それが無くなった時、私は深い絶望の中に叩き落とされた。

 

「水と、食料を……買い出しにいかなくちゃ」

 

 私はフラフラと立ち上がって外へと出かける準備をする。もう金銭で物品を買い揃える時代は終わったというのに、己の作り出したウィルスが世界を破壊し、そして自分もそのゾンビに成り下がったという事実が頑なに私の世界観を守ろうとした。

 

 フラフラと覚束ない足取りで外に出た私は財布を片手に街を歩く。車は研究所から走って家に着くまでにボロボロになって、動かなくなった。今では家の前の道路に乗り捨てられていてフロントには赤黒い血がべったりと付着しベコリとエンジンまで凹んでいる。恐らくもう走り出す事はないだろう、愛車を失った悲しさはなかった、そんな感情はもう擦り切れていたのだ。

 

 ゾンビ形態の私は幸いな事に他のゾンビから襲われる心配がない。その外見が余りにも厳ついからか、それとも人間としての体を完全に覆っているからなのかは分からない。恐らくこの腕で殴り付ければ普通のゾンビなど一瞬で粉々に出来るだろう。その確信が私にはあった、けれど私は快楽殺人者でもなければ好んで暴力を奮う人間でも無い。私は道行くゾンビの合間を縫いながら付近のスーパーマーケットに足を進めた。

 

 

 ☆

 

 

 スーパーマーケットに辿り着いた私は巨躯を僅かに屈めながら自動ドアを潜る。そして大分荒らされた陳列棚やレジを見て暫く途方に暮れた。まるで世紀末の様な状態の街を見て理解すべきだった、そりゃそうだろう、人間は食い物と飲物がなければ生きて行けない。ある意味こうなる事は必然の事の様に思えた。

 私は手に持っていた財布を強く握り締め、グシャリと言う音に気付いて慌てて手を緩める。万力の様な力で握り締めた財布はペシャンコになっていて、中のカードなど割れてしまっていた。私は泣きそうになりながらも足を進め陳列棚から僅かなジャンクフードや水を探し出す。この際飯でなくとも良かった、兎に角食えるものと飲める物さえあれば良かった。何か食い物を口に入れて安心したかったのだ。

 

 その時だ、ガタン という音が耳に届いたのは。

 

 私が音に気付いて素早く背後を振り向けばゾンビ――いや、人間がいた。

 

「――ぁ、あ………」

 

 小さな腕で幾つかのビスケット箱を抱え、私を見上げて蒼褪める小さな少女。中学生位だろうか、全身を震わせてビクビクと怯えている。その視線は真っ直ぐ私に向いていた。今にもへたり込みそうな具合だが膝を笑わせながら必死に立っている。服装は学生服で少し汚れていた。

 

 人間だ、人間だ、生きている人間だ!

 

 私は無性に嬉しくなった、何せこの一ヵ月ゾンビばかり見ていたから。私の作り出したウィルスでこの街にはとっくに人が居なくなっているものだとばかり思っていた。だから私は自分の今の姿など忘れ少女の元に駆け出した。

 二メートルを優に超える巨躯で喜びを表し、タイルを踏み砕いて地響きを鳴らしながら加速した。ゾンビ形態である私の肉体は人間の限界を簡単に超える事が出来る、風の様に加速した私の体は少女の目の前で停止し少女を三つの眼球で見下ろした。

 

 少女にとっては悪夢のような光景だろう。

 二メートルを超えるゾンビが凄まじい速度で接近して来たと思ったら、目の前で急停止し六本の腕を振り上げる。私はただ声の代わりに腕で喜びを表現しただけだったのだが、少女にとっては正に取って食われる数秒前の様に見えた。

 

「あ、あぁぁ、ぁあぁあぁあああああッ!」

 

 少女は持っていたビスケットの箱を放り出し、その場に尻餅を突く。そしてずるずると後ろに後退りながら涙を零し、いやいやと首を振った。その表情は悲惨の一言、私は蒼褪め涙を零し始めた少女を目撃し漸く自分の今の姿を自覚した。

 そうだ、私は彼女にとって他の有象無象(ゾンビ)と同じ――いや、それ以上に恐ろしい存在なのだ。振り上げた六本の腕、自分を見下ろす三つ目は恐怖の象徴。私は突然自分が惨めな存在の様に思えた。

 

 人間になれば誤解は解けるだろうか? 私はそう思ったけれどすぐに考えを改めた。こんな巨大なゾンビがら突然人間が出て来たって扱いは変わらない。ゾンビはゾンビ、化け物は化け物だ。

 私は振り上げた腕を力なく下ろし、ただ茫然と泣き喚き体を震わせる少女を眺め続けた。少女は恐怖の余りか失禁してしまい、しゅるしゅると黄色の液体がタイルに広がっていく。それを気にする余裕は彼女には無い、私はどうする事も出来なかった。ただ悲しかった、【お前はもう人間じゃないんだぞ】と真実を突き付けられたような気分だった。

 

「小苗ッ!」

 

 叫び声が聞こえ、陳列棚の影から少しだけ大人びた少女が飛び出す。恐らく姉か何かだろう、彼女も制服を身に纏っていて黒い髪を一つに纏めた高校生くらいの女の子だった。彼女は小苗と呼ばれた少女と私の間に飛び出し、それから私の方をキッと睨めつけ――ギョっとした。

 

 その風貌が余りにも恐ろしかったからだろう。普通のゾンビとは違う、大き過ぎる体に六本の腕、そして三つの目。明らかに他と違う、肥大化した筋肉の塊、或は本当の【化け物】。

 半ばで折れたモップを手に勇んで飛び出した少女であったが私を前にして膝が震え出す。その巨大な腕で殴り付けられば細い彼女の体など簡単に折れ曲がってしまうだろう。けれど小苗と呼ばれた少女を絶対に守るという意志は瞳から伝わって来て――私はもっと悲しくなった。

 

「っ、ぅ、ぁ、ぅぅぅ……!」

 

 恐怖から涙が流れだす、けれど折れたモップを突き出した私を威嚇する姉。小苗と呼ばれた少女は力なく首を横に振りながら彼女の足に縋っていた。「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」と叫びながら首を横に振る。その声から逃げて欲しいという切実な感情が伝わって来た。

 やはり彼女は血の繋がった姉か何かなのだろう、それを見ていると私は居た堪れなくなった。

 

 腕を下ろしたまま私はゆっくりと後退り、悦び勇んで突撃した瞬間に手から零れ落ちた財布とジャンクフードを拾う。その様子を見ていた姉はどこか驚いた表情をしながらも手にしていたモップを投げ捨て、未だ泣き喚く小苗を無理矢理立ち上がらせ私から急いで距離を取る。

 私はそんな少女達を尻目にレジに行くと財布から千円札を摘まんで清算台にそっと置いた。

 

 やはり私は化け物なのだ。

 

 きっとその背からは哀愁が漂っていたに違いない。涙を流しながら私の背を見送る二人の少女を置いて、私はスーパーマーケットを後にした。この時ばかりは涙の流れない体に感謝した、きっとこの時私は泣いていただろう。

 ただただ悲しかったから。

 

 

 





 人間形態はご飯食べる用なので出番ないです。

 ゾンビ物の小説読んでいたら「主人公がゾンビを操って英雄(ひでお)になる」サクセスストーリーはあるのに、主人公がバイオハザードのボスになってひでおになるストーリーはあんまり見ないなぁと思って、気付いたら書いていました。
 神様失格もちゃんと書いていたのご安心ください。ただ一区切りついたしちょっとくらい良いかなぁって……(慢心)
 今書いたのでストックないです、プロットもないです。
 続き今から書きます、はい。

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