三人で色々な事をした、生きる為に必死に毎日を過ごした。
恐らくこの一月はつい数ヶ月前の自分が羨む様な日々だったに違いない。
美香や小苗と送った日々よりも充足感に包まれる、最高の日々だったと言い切れる。良くも悪くも美香と小苗に対応していたのはゾンビとしての側面だった。けれど此処での生活は人間としての側面を押し出し、尚且つその不出来さを指摘される心配がない、正に理想の環境だった。
人間の真似をして満足する段階ではない、本当に彼女達と同じ飯を食って、ベッドで寝て、談笑して、共に物資を搔き集めて――同じ時を生き抜いたのである。
私は人間だった。
紛れもなく、その時だけは人間だった。
彼女達の傍に居た時の自分は、人間として自然に笑う事が出来た。
自分がゾンビだと自覚する暇なんて一秒もなかった。ただ彼女達と一緒に調達し、生活し、生きるのが楽しくて仕方なかった。こんな言い方をするのは悪いけれど、本当に楽しかったのだ。
夜、自分のベッドに潜り込んで一日の充足感に四肢を脱力させ、そこで漸く自分が眠れぬゾンビである事に気付く様な――そんな毎日だった。
人とはこんなに、幸福で精神的に豊かな生き物だっただろうか?
私は眠れぬ夜をそんな事を考えながら過ごす。生前の私でもこれほど満足感を覚えながら日々を過ごすような事は無かった。故にその落差に戸惑う、全てが新鮮で真新しい。
ゆっくりと布団の中から腕を抜き出し、天井に向けて突き出した。
瞬間――パキパキと零れる欠片。
それは私の頬を叩き、そのまま枕元へと落ちる。
私の右手、その指先の皮膚が硬化し剥がれ落ちていた。
零れ落ちる破片――過去、ソレを私は【人間性】と称した。
見れば手の甲から真っ直ぐ、蜘蛛の巣のように幾つもの溝が生まれていた。それは私の手首辺りで止まっており、月明かりの淡い光では確り見つめなければ分からない程度。けれど日々、着実にその罅は大きくなっている。そして指先からはパラパラと極小の欠片が落ちていた。その内側に覗いているのは――ゾンビ形態と同じ、赤黒い肌。
「これは、私の記憶」
私は呟いた。
この落ちていく欠片は人間性――つまり私の【人であった頃の記憶そのもの】、人で在った証明。きっと少し前の私なら零れていくソレを必死に掻き集め、何とか元に戻そうと躍起になっていたに違いない。
その気持ちは今でも少し存在する。
けれど私は枕元に落ちた破片を握り締め、そのまま宙ににパラパラと砕き棄てた。
私が人として生きた記憶、私が私と証明できる唯一のモノ、私の――人間性。
過去の私はこれに固執していた、これだけが私の在りどころであり『人として生きる目的』、その指標だったから。私が人間だと自分自身に言い聞かせる為に必要だった。人間だと自負する側面と、ゾンビだと自覚する側面。そのバランスを保つのに必要な核。
けれど今は違う。
私は枕元に放り捨ててあるケースを手に取る。皮の財布だ、私がゾンビ形態の最初期に持ち歩いていた過去の遺物。その中には少しばかりの金銭と折れ曲がったカードの類が入っている。
その中に一つ、比較的損傷の少ないカードがあった。
私の身元を証明する為の照合用IDカード、最初――私がこの家に来て、真っ先に確認した【己の証明】。私が人間として生きていた頃に使っていた名前、顔、生年月日などが刻まれている。他のカードと比べて一際頑丈なソレを財布から抜き出して、月明かりに照らした。
――笹津 瑛久
浮かび上がる黒文字、それが私の生前の名前であった。
隣には顔写真も印刷されており、凛々しい顔立ちの――今の私からは想像も出来ない男らしい顔の人間が映っている。笹津瑛久、笹津瑛久、繰り返し名前を呟く。
何度も何度も呟く。
けれど、どうしても私には馴染まない。凡そ道行く他の誰か、【他人】という感情以外浮かばない。自分自身である筈なのに、死ぬ程焦がれた人間であった頃の私だというのに。
私には彼が【自分自身】だとは到底思う事が出来なかった。
正しく彼は他人だった、私である筈の笹津瑛久、その彼は私とは文字通り別人だった。
パキリと一際深く罅割れる指先、そこから零れ落ちる破片。覗く赤黒い肌。
人間に焦がれたのは元人間だからではなかった。
人類を絶望の淵に叩き落としたのは私では無かった。
知らなくて当然だ、覚えが無くて当然だ、感情が伴わなくて当然だ。
だって、私は。
月明かりに照らしたIDカード、それを私は音もなく握り潰した。ぐしゃぐしゃになったカードを床に投げ捨てる。人間形態が歪み始めていた、此処までの力は今まで出せなかった筈なのに。ゾンビ形態と人間形態の境界が曖昧になっていく感覚。
薄々分かっていた、心の奥底では『もしかして』と思っていた。それがこうして人の輪に加わって、徐々に欠けていく記憶を見て確信に変わる。
私が『私』でないのなら――一体、此処にいる自分は何なのだろう。
その答えを知る者は居らず、視線はただ何も無い宙を漂う。何も持たない、名の無い死体【ジョン・ドゥ】、そうなる事が嫌で人である事に固執していたというのに。
彼女達と過ごした一ヵ月。
それは私の心を中途半端に強くして。
そして同じように中途半端に弱くした。
私達がコミュニティを構築してから――一ヵ月目を迎えようとしていた。
☆
「そろそろジョンさん――大きなゾンビの彼も帰って来る頃ですね」
三人で同じ家に住むようになって一ヵ月と一日目、相変わらず蝉は煩いし太陽は容赦なく日光を飛ばしてくる。そんな中を物資調達、ついでに田んぼ探しの為に歩き回っていた私達。街中で程々に物資をかっさらって来た私達は家に帰る途中、不意に美香が声を上げた。
ドキリと私の胸が高鳴った。
「もう一ヵ月かぁ、早いねぇ」
「えぇ、でもこのメンバーにジョンさん、彼も加われば正に鬼に金棒、と言うかもう怖い物なしです、彼の助力があれば農作業もうんと捗ると思いますよ」
「確かに、凄い力持ちっぽく見えたから……運搬機とか要らないかもね」
「お米があれば美味しいご飯も炊けます、今から楽しみです」
「あー……でもその前に謝らないとなぁ、最初に怖がっちゃった事」
「そんな、気にする人でもありませんよ、とても優しい人ですから」
ふんす、と鼻息荒くそう語る美香。その様子からどれだけ彼女がジョン・ドゥという怪物を待ち望んでいるのかが分かる。私は水を塗りたくった顔で何度も頷きながら、内心で覚悟を決め始めていた。
人としての殻を破ったと言えば語弊があるけれど、一度自分が真っ当な人間ではない、その記憶を引き継いだだけの存在だと認めた瞬間、まるで憑き物が落ちた様に晴れやかな気分になった。
そうだ、私は彼女達と人間として付き合っていきたかったのだ。
ゾンビなんかではなく、同じ生物として、同じ目線、同じ境遇で世界を見たかった。どうしようもなく人に焦がれていたのは元人間だからなんていう理由じゃない、人間に寄生した己が【人として生きたい】と願ったから。
人間としての側面なんて嘘っぱちだ、そもそも鍍金どころの話ではない。
そもそも私は人ですらなかった。
「――すみません、二人とも」
私は二人を呼び止めた。重いリュックサックを背負った二人は「うん?」と声を上げながら足を止める、最後尾を歩いていた私は振り返る彼女達を見つめながら口を開いた。
「……二人に伝えなきゃならない事があるんです」
「え、何、改まって」
「―――?」
美香とセツナの二人はパチクリと目を瞬かせ私を見る。私は彼女達を見ながら唾を呑み込む。嫌われるだとか、恐れられるだとか、そんな心配はしてなかった。そんなちっぽけで自己中心的な考え方よりも、もっと大切なものが私にはあった。
息を吸い込む、熱が肺を満たして熱気が体を駆け巡る。言おう、全て明かそう、いまこの場で。
「―――ジョンさん?」
全てを告白しようとした瞬間、美香が言った。
それはいつも彼女が私を呼ぶイントネーションではなかった。『君』ではなく『さん』。
私が目を見開き、驚きの声を上げようとして留まる。彼女の目は見開かれ、表情は驚愕に彩られている。けれどその視線は私ではなく、その背後に向かっていた。
思わず全力で振り向く。
「……………………は」
視界に――【私】が飛び込んで来た。
区道十七号線、乗り捨てられた車が散乱する中央線付近。凡そ五十メートル程先に佇む巨躯。大きな身長、分厚い肉体、六本の腕、それは正しく私のゾンビ形態そのもの。赤黒い肌も相まって同一人物と言ってしまっても良い。歪む空気の先でソイツは佇んでいた、私は驚愕に言葉を失くす。
アレは私か? ゾンビ形態の私? 一体なぜ、どうして。疑問が思考を覆い尽くす。
いや、違う。
よく見れば僅かに身長が低い、そして私の体と比べると幾分がスリムだった。元が元だけに筋肉質ではあるが常識的な範囲内でしかない。何より盛り上がった胸部、僅かに見えるくびれ、アレは――『女性型』だ。
私ではない、私の筈が無い。そうであるならばアイツは……一体なんだ。
「ジョンさん!? まさか帰って来――」
「違うッ!」
リュックサックを投げ捨て駆け出そうとする美香、それを今までに無い程真剣な声色と声量で引き留める。けれど私が声を荒げた途端、私達の視線の先に佇んでいた巨躯が蜃気楼の如く掻き消えた。一拍遅れてドン! とアスファルト舗装された道が砕け散る。
ぞくりと肌が粟立つ。私の左腕がピキリと管を生やし。
「ジョン君ッ!」
ドン と目前に突っ立っていたセツナが私を突き飛ばした。瞬間、私の立ち位置と入れ替わったセツナの体が宙に浮く。見れば先程まで遠くに見えた女性型の私がセツナを三本の腕で掴みあげ。
「――違ウ」
問答無用でぶん投げた。
圧倒的な筋力で放り投げられたセツナは砲弾の如く吹き飛び、近くに停車してい軽自動車のボンネットに衝突した。派手な破砕音にフロントガラスが粉々に割れる。降り注ぐそれが日光を反射してキラキラと光り、私は思わず彼女の名を叫んだ。
「セツナさんッ!」
返事はない、深く沈んだボンネットには両足を投げ出したセツナの姿。深く中に入り込んだ体、パラパラと破砕した硝子を砕きながら彼女は辛うじて声を出す。無事だ、生きている、けれど衝撃は確かに彼女の脳を揺らして肉体を傷つけた。何とか起き上がろうとする彼女の額からは血が流れている。最悪どこか骨も折れているかもしれない。焦点の合わない瞳で此方を見るセツナは小さく、蚊の鳴く様な声で「逃げて」と言った。
「ッ!」
セツナに向けていた目を今しがた目の前に聳え立つゾンビに向ける。大きい、人間形態の私が百八十だとしても、目の前のソイツは百九十はあった。さらに腕が六本ある為か威圧感がとでもない、目は私と同じ三つ、そして胸のソレは乳房だろう、けれど人間の頃の面影なんてそれくらいなものだ。
女だと判断出来る部位が少なすぎる。
「ォ、ぉ、ぉおォ」
「くそッ」
私に向かって手を伸ばしてくる女ゾンビ、ソイツの手をリュックサックで払いながら大きく後退する。セツナを見捨てて逃げるなんて選択肢はない、そして今の行動で分かった――コイツは『私』を狙っている。
セツナが突き飛ばしていなければ今頃コイツの手に握られていたのは私の体だ。意図せずセツナを掴んだからこそコイツは「違う」と言ったのだ。
何の為に? どうして? 疑問は尽きない、そもそも私と酷似した怪物が存在しているなんて。
考えている暇はなかった、ゾンビの六本の腕は後退する私のどこかしらを掴もうと殺到する。それを躱し、叩き落とし、逃げ惑っていられるのはゾンビが全力ではないからだ。後は人間形態とは言え私の筋力は常人のソレではない、最近ではゾンビ形態との境目があやふやになっているからか更に力を増しているような気さえする。
「ジョン君、下がってッ!」
「! 美香さんっ」
私がゾンビの怒涛の攻めに圧倒されていると、拳銃を抜き放った美香さんが私の側面に飛び出した。目の前のコイツがジョン・ドゥではないと理解した彼女に躊躇いは無い、ゾンビの頭部に向けて貴重な弾丸を何発もブチ込む。
バキン! バキン! と金属の弾ける音が鳴り響き、マズルフラッシュが網膜を焼いた。
そして私に手を伸ばしていたゾンビの顔が弾ける、上半身を仰け反らせて蹈鞴を踏む。全弾命中、顔面に直撃した。普通のゾンビならこれで死んでいる。カランカラン、と空薬莢が地面に弾んだ。
「やった!」
確かな手ごたえを感じたのだろう、彼女は両足を広げた射撃姿勢のまま喜びの声を上げる。けれど私は仰け反ったソイツを見ても悪寒が止まらなかった。リュックサックを掴む手に力が入る。想像したのだ――ゾンビ状態の自分が頭部に弾丸を受けて死ぬかどうか。
答えは否だ。
「美香ァッ!」
叫んで手を伸ばした、けれど一拍遅い。
恐るべきスピードで上半身を立て直した怪物は血走った三つの目でギョロリと美香を睨めつけ、振りかぶった六本の内の一本で強かに美香の横っ腹を殴り付けた。腕が伸びた、まるで手品のように細長くなった。
体をくの字に折り曲げた彼女は、そのまま腕の力だけで吹き飛ばされる。彼女の服に触れた私の指が擦れ、入れ替わるように彼女の体が横に弾ける。そして近くにあったガードレールに激突し、「かふっ」と空気が口から抜けた。
カラカラと彼女の手から零れ落ちた拳銃がアスファルトの上を滑る。
「――――」
ぐったりとガードレールに凭れ掛かる美香、べっこりと凹んだガードレールは衝撃の強さを物語っている。彼女は人間だぞ、そんな強い力で殴り付けたら――。
「がグッ!?」
「ぉ、ォォオ」
私の体が凄まじい力で締め付けられる。捕まった、殴り飛ばされた美香に意識を持っていかれている内にゾンビの六本の腕が私に殺到していた。凄まじい力だ、両側から抑えつけられた腕が伝わる怪力。ミシミシと骨が軋んで内臓が圧迫される。
未だにボンネットに埋まったまま起き上がれないセツナが顔を顰めて私に手を伸ばす。美香は殴られた衝撃で意識が朦朧としているのか、咳き込みながら虚ろな目で此方を見るばかり。私を助けようと必死に滑り落ちた拳銃に手を伸ばすも、彼女の体は震えるばかりで全く動かない。
「ぉ、ぁ……ぁ、さ――」
「ぐ、ッゥ!?」
私を握り締めながらゾンビは何かを口にする。私と同じ不格好な口、それをまごつかせながら何事かを口にしようとしていた。何度も歯を擦り合わせながら私を三つの目で凝視し、奴はたどたどしい口調で言った。
「さ、ぁ、ささ――ささつ、ぁ、き、ひさ、サン」
「――――」
ささつ、あきひさ。
笹津瑛久。
私が私となる前の、人間の名前。
「ッ!」
ガッ、と私は体を拘束する腕を掴む。そして腹の底から、絞り出した様な重低音で奴を睨みつけながら言った。
「知らないよ……そんな奴はッ!」
めきめきと体が音を立てる。私がその名前を否定した瞬間、奴の体を掴む力が強まった。まるで私を握り潰してやると言わんばかりに、思わず口から苦悶の声が漏れる。常人より頑丈と言っても限度がある。このままじゃ握り潰されて死ぬ。視界が白黒になってパッ、パッ、と光が点滅した。
死ぬ、このままだと確実に。
左腕から――いや、両腕から管が生え出る。
死ぬ、死んでしまう、自分だけじゃない、セツナも美香も皆。
死ぬぞ、殺されるぞ。
コイツに。
両腕に握り締められる私。
その私の脳裏から美香と小苗の怯える顔が掻き消えた。代わりに彼女とセツナの死と言う未来が現実的な感触として私を襲った。思い出すのは美香の泣き顔、小苗が死んだと聞いた時に胸に飛来した――マグマの様な憤怒、その感情。
人はこれを怒りと呼んだ、私の体に纏わりついた感情はソレだ。あれをもう一度味わうのは嫌だった、良く分からないが嫌だった。もう二度と『あぁ』はならないつもりなのに、けれど人間では無いと認めた私にブレーキは存在しなかった。
ただ感情の赴くままに、在るがままに、己のままに――人ではない自分で。
制御できない怒りを目の前のゾンビに叩きつけた。
美香が、セツナが、私を驚いた表情で見る。まんまると目を見開いて、まるで信じられない物を見る様に。
私の両腕に管が渦巻いていた。四肢から蠢く筋繊維が体を包んでいく。ミチミチと私を握り潰さんと力を籠めるゾンビに対抗する様に、肥大化した私の体は首から下まで
俯いていた私が奴の顔を至近距離から覗き込むと同時――パキリと。
私の頬から大きな破片が一つ、零れ落ちた。
「 」
咆哮、人間の声帯で吼えた全力。
直に私の顔面すら覆われ、そこから三つ目が覗く。続々と背中から生え出る腕、目の前の女性型と比べても太く大きい。こうして並べれば違いは明確、そして私は構築された口を大きく開けながら全力で目の前の顔を殴り付けた。
ゴッ! と空気の歪む音、それから私を掴んでいた女の体が後方へと吹き飛ぶ。奴の拘束から逃れた私は地面に両足を着き、ズン! とアスファルトが沈む。着地と同時に私は踏み込み、今しがた吹き飛んだ女性型の追撃に移った。
女性型は両足で地面を踏み締めながら勢いを殺し、ガリガリと道路の上を滑っていく。そして再び飛び込んで来た私を迎え討つ為、細長い六本の腕を並べる。
力比べのつもりか?
カパッ、と私の口が開く。そして勢いそのままに激突した私と女性型は、そのまま六本の腕を正面から組んだ。加速した勢いのある私に押された女性型は再び道路の表面を削りながら後方へと押し込まれる。乗り捨てられた車や標識などを巻き込みながら私は女性型を奥へ奥へと更に追いやった。震えた細い六本の腕は徐々に後退し、触れ合いそうな程に接近した顔を見つめながら私は吼えた。
「そンな細腕で、オレに敵うワケねェだロォがァッ!」
歪な声が口から飛び出した。
継ぎ接ぎだらけの声帯、複数の人間が一変に喋った様な声だった。ゾンビ形態と人間形態の境目が曖昧となる――成程、ならばゾンビ形態で人間形態の真似事が出来るのもまた必然。
完全に圧し負けた女性型の体が後方へと反り、私は右足で女性型の腹部を強かに蹴り飛ばす。ズン! と重々しい音が鳴り響き、女性型は後方の建物に突っ込んだ。支柱を破壊して建物の背中側から飛び出した女性型はそのまま体を折り曲げながら六本の腕を地面に擦り付けて減速、もうもうと立ち上る砂塵の奥にいる私を見つめる。
するとその砂塵の向こう側から白い光がカッと瞬いた。
――消し飛べ
収束する極光、群衆を消滅させる破壊の光。
私の顔面が反動で後ろに押し出され、口元から眩い光が照射される。私の両足がズン! と半ばまで沈み込み、凄まじい光と熱風が周囲を覆った。砂塵を切り裂いて飛来した光は今しがた女性型がぶち抜いた建物を溶け落し、向こう側で私を見ていた女性型の胸元を捉える。そして奴の体を貫通した光は遥か遠くの山々すら貫通、街の一角を直線状に文字通り【消し飛ばす】。
極光と爆裂、熱射跡から火柱が立ち上り、世界が炎に包まれた。爆風が私の肌を撫で全身から凄まじい量の蒸気が立ち上った。地面に接する私の足がジュウと音を立てる。
「ァ、カ、ササツ、サン」
果たして、奴は無事だった。破裂した胴体、左右に割れて風船のように散り散りとなった癖にポコポコと体が膨らんで再生する。一瞬で顔面が象られ、その口から私の名を呼ぶ声。溶け堕ちた建物群の中から這い出る奴は完全に人間をやめている。
なんてしぶとい奴だ――そう思った瞬間奴の口に極光が宿った。
「―――」
驚きに硬直するよりも早く、奴の極光がピンポイントで私の顔面を捉える。幸い斜めに射出されたそれは街に直撃する事無く空へと伸びた。危なかった、このまま直射されていれば美香達に当たってしまったかもしれない。
直撃を許した私の顔面はドパン! と溶け落ち、視界がブラックアウト。一拍遅れて周囲が炎に包まれる。避ける余地などなかった、狙われた瞬間に飛んで来る不可避の光、風よりも速く、弾丸より疾い。
あぁそうだよな、私が使えるんだ――当然コイツも使えるだろう。
爆音と共に消し飛んだ頭部が一瞬で再生する、三つ目がギョロリと女性型を捉え浮足立った両足を地面に突き立てる。私は視界が戻るや否や立ち上る火柱を突っ切って女性型に掴みかかった。伸びて来た腕を払い除け、そのまま奴の首を掴む。
奴の腕もまたぐにゅりと歪に折れ曲がり私の首を捉えた。だが首を掴まれたからなんだ、コイツの非力では私の首をへし折る事は出来ない。
――このまま至近距離で塵一つ残さず消してやる。
そう思って大口を開けた瞬間、奴も全く同じタイミングで極光を口に含む。考える事は同じだった、そう思考した次の瞬間には全く同じ極光が互いの体を貫いた。
再び轟音と共に炎の柱が聳え立つ。凄まじい熱に体が溶け落ち、今度は上半身と下半身が別々に吹き飛んだ。空へと伸びた二本の極光は莫大な熱量と共に大地を溶け落す。飛び散った体はしかし数秒もすれば上半身から下半身が生え出る。ゴキンと骨を鳴らした私は燃え盛る炎の中、ゆっくりと立ち上がった女性型を見る。私も地面に這い蹲った状態から荒々しく腕を叩きつけて起き上がる。
胸の中は正に嵐の如く、憤怒ばかりが募っていく。
「ササ、ササツ、アキ、アキ」
「おぉぉォオオオオオッ!」
叫び、突貫。
格闘技のイロハなんて知らない、ただ本能に任せた野蛮な突撃。
私の突進に合わせて女性型も飛び出す、六本の腕を互いに広げた状態で激突。地面が衝撃で捲り上がり土砂の雨が降る。合わさった両手からマグマの様な熱、互いに赤熱した手のひらがジュウジュウと音を立てていた。体が蒸気を吹き上げている、熱射を行ったからではない、オーバーヒートは一度死んだことでリセットされている。
これは感情の昂ぶり、その現れだ。
張り付いた腕を無理矢理解き、大きく振りかぶってから女性型の顔面を殴りつける。バクン! と肉を打つ音が響き、女性型が大きく仰け反った。同時に私の横っ面にも衝撃、解いた腕が私の顔面を強かに打った。
けれどなんて事はない、この程度の攻撃は攻撃ですらない。
互いに三本の腕を組んだままの殴り合い、全力でぶん殴り、ぶん殴られ、視界が右へ左へ激しく揺れる。けれど同じ数だけこちらも打撃を叩き込む、打ち込む度に踏ん張る足元が軋みを上げ空気が揺れた。
「ササ、ガッ! あ、アキィっ! ササ、ゴッ! アキヒサ、サンッ!」
「ソんな奴、知らなイって言ってンだろッ!」
「アキヒサ、アキヒササンッ!!」
「アァァあぁァアアアアッウルセェぇェんだよォぉォオオッ!!」
一際強く殴り付ける、女性型の体ががくんと仰け反って、しかし繋いだ三本の腕で無理矢理引き起こす。瞬間、ぐりんと半ばまで抉れた女の顔面が私を見た。そしてパカリと大口が開かれる。
収束する極光、熱射の前兆。
「ッ!」
私はその光を見た瞬間、三本の内の一本を女性型の口に叩き込んだ。一拍遅れて閃光が網膜を焼き尽くし私の右半身が消し飛ぶ。しかし口内で炸裂した爆発は女の上半身を吹き飛ばした。爆炎と共にクレーターが出来上がる、火柱に焼かれながらも残った女の下半身がぼこぽこと再生を始めた。
私は炎に焼かれながらも女の断面に腕を叩きつける。ポコポコと風船のように膨れる肉の芽、それを片っ端から叩き潰した。下半身を殴り付ける、殴り付ける、殴り付ける、ぐちゃぐちゃの肉片になって地面にこびり付いても手は止めない。再生した残り三本も加え塵も残さないとばかりに殴り付ける。
「燃え散レェぇッ!」
トドメとばかりに六本の腕を全力で振り下ろす。まるでハンマーのような使い方、着撃した瞬間に地面が捲り上がり、追加で口から限界まで収束させた極光を放つ。自分の六本の腕諸共地面を焼却。特大の火柱と共に爆撃でもされたかのような衝撃、街の中心がべっこりと凹む。
火柱が立ち上り、その中から私の体が飛び出した。
熱射の反動が凄まじく腕というバランサーを失った体が宙を舞った。そのまま地面に衝突し、全身から何も見えなくなる程の蒸気が立ち上った。パキパキと皮膚が零れる、表面が炭化していた。どうやらこの肉体でも耐え切れない程の熱量だったらしい。私の皮膚に接していたアスファルト舗装が黒ずむ、再生した手を地面に着くとジュウと音を立てた。真っ赤だ、赤黒かった肌は真紅のように変色していた。
体に力が入らない、蒸気を発していた体がどんどん消えて行く。まるで地面に溶けていくようにドロドロになって、私の中に還っていく。
そうして残ったのは【ジョン君】と呼ばれていた一人の人間、その模造品。
身体中がボロボロになって、中から赤黒い肌を覗かせる人形の様な少年。パキリと音がなった、そして額に張り付いていた『
「か、は、ハーッ、はーっ、ふ、はぁ、ハッ!」
未だに体からは蒸気が立ち上っている。カラカラと音が鳴った、全身から人間性が零れ落ちていた。もう壊れかけ、殆ど継ぎ接ぎだらけの体。最初は指先が剥がれた程度だったのに、たった一度我を忘れただけで此処まで欠片が剥がれて消えた。
もう記憶が虫食い状態だ、自分の頭の中にあった筈の思い出、記憶、人である証明が虚空に散っていく。顔、首、肩、腹、腕、指、腰、背中、太腿、足首、どこもかしこも剥がれている。そこから私の本能が、創られた私が顔を覗かせていた。
「ぁ、ササ、さ、ささつ」
「ハァ、はッ………!」
立ち上る火柱、徐々に細くなっていくその中から真っ黒い影が這い出て来る。全身が炭化して誰なのかすら分からない。髪もなく、顔も無く、シルエットから辛うじて女性だと分かる程度。火に焼かれた彼女はぺた、ぺた、と緩やかに進む。這い蹲りながら、私目掛けて。
ゾンビ形態が解除されて、人間形態に戻ったのか。
その状態で炎に焼かれたのだ、もう助からない、コイツは死ぬ。
私はうつ伏せに倒れた状態でソイツを見る。彼女は倒れ伏した私の直ぐ傍まで這って進んで来た。
そして私の目と鼻の先までやって来ると、震えながら懸命に私に向かって手を伸ばし――指先に、微かに、優しく、その炭化した指先で触れた。
「ぁ――瑛久、さん」
パキリと音が鳴った。私ではない、彼女の体から鳴り響いた音だった。
そしてそれを最後に彼女――笹津涼子は動かなくなった。
「……………」
轟々と世界が燃えていた。
溶け落ちた街、抉れた地面、真っ赤に染まった空。蝉の音なんか少しも聞こえてこないし太陽も見えない。私はそんな世界の中で一人倒れ伏し、微かに触れた彼女の指先の感触を記憶しながら呟いた。
「もう、居ないよ………笹津瑛久なんて人間は、どこにも」
そう言って拳を握り込む。何故か酷く胸が痛んだ、罅割れた音が体から響く。私はただ『彼』の記憶を持っただけの怪物なのに。
ゆっくりと体を回転させて仰向けに転がった。熱気が酷く喉が張り付いていた、水なんか要らないはずなのに無性に水が飲みたかった。ケホッと肺の空気を吐き出す、熱気で歪む視界、手をゆっくりと空に伸ばせばパラパラと破片が落ちる。
指先から手首まで、ボロボロになった手のひら。もう人間の皮膚に見える部分は半分程しかない。随分と失ってしまった、そう思った。
歪んだ視界に誰かの影が見える。ゆっくりと視線を横に倒せば血相を変えて駆け寄って来るセツナと美香が見えた。燃え盛る街の中、必死に駆けてくる二人。私は彼女達が無事だった事に内心胸を撫で下ろし、少しだけ口の端が上がった。
けれど、あぁ、どんな顔で彼女達に逢えば良いか分からない。
二人は炎の中を突っ切る為に水を被ったのか、髪が僅かに濡れていた。
「ジョン君――じゃない、ジョンさん!」
「うわっ、ちょ、これどうすれば良いの!? 凄いボロボロなんだけど!」
二人とも顔が煤で汚れている。しかし怪我は無いのだろうか? 特に美香なんかは思い切り横合いから殴り付けられていたのに。セツナは私に触れようとして、余りの熱さに手を引っ込める。美香が「セツナさん、水、水です!」とリュックサックからペットボトルを引っ張り出す。キャップを空けて私に中身の水をぶちまけると、皮膚に触れた水が音を立てて蒸発した。
「ジョンさん、ジョンさん!? 生きていますよね? 死んでいませんよね!?」
「ジョン君、しっかり、傷は浅いぞ!」
「………いえ、コレ……結構、深……」
セツナの言葉に思わず言葉が出る。私とセツナ、美香の三人分の飲み水を全て私に振り掛ける。端から蒸発してしまう程の熱だったけれど、調達してきた分も含めて五、六本ほど振りかけると水は蒸発せず私の体を伝った。
ずぶ濡れになった私を確認した美香はペットボトルを投げ捨てて私の頬に手を当てる。
「美香ちゃん、急いで此処を離れよう、火の勢いが強まってる!」
「分かりました――ジョンさん、余力があれば掴まって下さい!」
三人分のぺちゃんこになったリュックサックをセツナが抱えて、美香が私を負ぶさる。彼女が殴り飛ばされた時はゾッとしたけれど、どうやら大事なかった様だった。だらんと垂れさがった私の両腕は無理矢理彼女の首元へと回される。
そしてセツナが先導し私達は家へと戻る道を駆ける。炎の合間を潜り抜けながら、私は彼女の背に深く体を預けた。
「……色々言いたい事はあります、ジョンさん、けれど今は聞きません」
私を背負った彼女がそう呟いた。私は半目のまま彼女の横顔を眺め、小さく「ごめん」と呟く。
彼女から恐れの感情は感じ取れなかった、それどころか先導するセツナさえも私を嫌悪せず、軽蔑せず、失望せず、今まで通り――【人間のように】見ていた。
私の恐れていた事など何一つ存在しなかった。
先を行くセツナが叫ぶ、こっちは火が無いよと。美香は頷きながら私を背負い直し、強く地面を蹴った。揺れる視界の中で私の頬から破片が零れる、けれどもう恐ろしくはなかった。
「帰ったら色々教えて下さいね、全部、約束ですよ」
「……えぇ……約束、します」
私は人間ではないけれど、ただの怪物だけれど。
彼女の背に体を預けたその時だけは自分が怪物である事を忘れられた。
パキリと欠片が零れた。
欠片は宙に砕けて消えた。
これが全て砕けて人の記憶が無くなった時、私はどうなるのだろう。そう思った。
視界の隅に、倒れ伏したまま動かない怪物の姿が見えた。
一話の文字数がえらい事になるんじゃぁ~~
三日もすればインフルなんのその、大分回復しました。
ご心配おかけしました、ゾンビにはなってないけど私は元気です。
取り敢えずこれで大体一冊分くらいでしょうか?
キリの良いところで締めたい感ある。
ラスボスに対抗できるのは同じラスボス、ハッキリ分かんだね。
でもどっちもあと二回変身残してるからな~俺もな~。
スタァァァァズからは逃げられないってそれ一番言われてるから。