ゾンビになったけれど、私は元気です   作:トクサン

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 本日二度目、書けたので更新します。


姉妹

 家に帰ってからは戦利品のジャンクフードをぽりぽりと食べながらベッドの上に座ってぼうっとしていた。この人間形態があって良かったと私は心から思う、ゾンビ形態には口が無いのだ、それでは水も飲めなければ飯も食えない。

 

 私には家族がいた、正確に言えば妻――だろうか。

 

 結婚はしていない、所謂事実婚という奴だった。私も二十代後半、科学や生物学に傾倒した変わり者だったと自負している。私にはそれしか出来なかったのだ。そんな私を愛してくれた不器用な女性だった。半狂乱になって帰宅した私は勿論彼女を探した。けれど荒れ果てた家に彼女の姿はなかった、逃げ出したのか、避難所に向かったのか、或は――そこから先の想像はしなかった。

 

 化け物になった事はショックだ、何より彼女に拒絶されてしまうのではという想いがあった。けれどその彼女が居ないのなら意味はない、特に先程のスーパーマーケットでの件は堪えた。私はまだ人間としての意識が残っていると自負している、けれど肉体はとっくにゾンビとして出来上がってしまっていた。

 

「………寂しいなァ」

 

 私は孤独感に包まれた。無性に誰かと話したかった。人は独りでは生きて行けないという言葉をいつかの私は鼻で笑い飛ばしたが、その言葉が存外真実である事を今理解した。一ヵ月誰とも語らず、話さず、ただ時を過ごした。

 一人きりの家はとても広く感じたし独り言も増えた気がする。兎に角私はコミュニケーションに飢えていた、【人として生きている実感を得たい】という衝動に駆られていたのだ。

 

 二日、三日、たった三袋のジャンクフードを少しずつ食べて自分の生を実感する。それでも排便はしないし排尿もしない、何より睡眠という欲求が生まれない状態は酷く時間の流れを遅くした。夜も一日中起きていなければならない、私は暫くベッドの上で蹲ったまま沈黙していた。けれど最後の水とジャンクフードを食べ終わった時、空っぽのそれを見つめながら「また調達に行かなければ」と口にした。

 

 スーパーマーケットには足を運びたくなかった、けれど付近で一番大きな店は其処しかなかった。あの少女達と鉢合わせになりたくない――いや、嘘だ。例え畏れられようとしても私は彼女達との再会を本当は願っていた。

 誰かと会いたい、心の中でそう思いながらもその感情を直視せず、一番大きな店だからという殻を被せて渋々向かっている体を装ったのだ。私は酷く嘘つきな人間だった。

 

 家から歩いて十分の距離、車なら五分も要らない。私はゾンビ形態の状態で歩き、スーパーマーケットに向かった。人間状態で外を歩こうとは思わない、私は一度死んだ身だが二度も死ぬ気はなかった。人間の細腕では連中の枷が外れた怪力を振り解く事は出来ないだろう。

 

 ゆっくりとした足取りでスーパーマーケットに入った私は財布片手に陳列棚から食料と水を漁る。食べるものなら何でも良い、ただし腐った生物はアウト。大抵は荒らされて空っぽの状態だったけれど稀に段ボールの下や奥の方に残っていたりする。入口から籠を持って来た私はそれらをせっせと放り込んだ。時折店の中を見渡してみるものの、私以外の存在の気配は欠片も無い。私はその事実にホッとしながら同時に落ち込んだ。

 

 それはそうだ、そんな運良く鉢合わせになることなど無い。何せ彼女達にとっては外に出る事そのものが命懸けなのだから。

 そうして自分を慰め、食料調達を行っていると不意に。

 

「あッ――!」

 

 と声がした。それは聞き間違いでなければ数日前に聞いた少女の声だ。

 私がバッと振り向くと丁度今しがた店に入って来たのか、小苗と呼ばれた少女とその姉が青白い顔で此方を見ていた。

 姉は自分が声を出してしまった瞬間しまったと顔を顰め、手で自分の口を塞ぐ。しかし声は確かに私の鼓膜を刺激した。

 

「っ……何で、あの時のデカイ奴……!」

「お、お姉ちゃん……」

 

 早苗が姉の袖を引いて涙目で後退る。私と彼女達の間には大きな距離があった、そして彼女達の怯えた表情に再び私の胸がきゅっと締まる。どうせこの形態では話す事も出来ない、私は背筋を伸ばし彼女達の方を見ていた顔をふいっと逸らすと、そのままいそいそと食料集めに戻った。

 

「……………………?」

 

 二人は暫く身を硬くして私の動向を伺っていたものの、自分達に見向きもせず食品棚を漁る様子に訝し気な顔をする。数分程そうやって私を警戒していたが、一向に手出しをしない気配を感じ取り姉は小苗の肩を引っ張った。

 

「お、お姉ちゃん?」

「アイツ、襲って来ない、今の内にご飯を集めよう」

「で、でも、怖いよ」

「大丈夫、それに此処が一番大きいから、ご飯も残っているって知っているでしょう?」

「うん……」

 

 小苗と呼ばれた少女は渋っていたが姉の説得で折れる。やはり彼女達も食料調達が目的らしい。そして一度侵入を果たしたのに何の成果も無く戻る事は躊躇われたのだろう。姉と小苗の二人は身を低くしながら私から遠めの陳列棚を漁り始めた。

 妹の小苗は少しでも早く済ませようと一心不乱に食品棚を漁っていたが、姉である少女はかなりの頻度で私の方に視線を飛ばす。警戒しているのだろう、もし彼女に尻尾があったなら逆立っていたに違いない。

 私が棚を移動する度にビクリと肩を震わせ、じっとこちらを凝視するのだから。

 

「あっ、お姉ちゃん、パンあったよ」

「消費期限を見て、カビてたりしない?」

「えっと……多分、大丈夫かな」

「じゃあリュックに詰めて」

「うん!」

 

 少女達は順調に物資をリュックサックに詰めていく。そして私の方も食料や飲めそうな飲料を見つけては籠に放り込んだ。少女達の方を見て思ったのだが私もリュックサックか何か詰める物を持ってくるべきだった。

 尤もこの籠ごと持ち帰った所で責める人間は誰一人居ないのだろうけど。

 

「………何でアイツ籠なんて使っているのよ」

「お買い物しているみたいだね」

「――買い物」

 

 小苗の言葉に姉が私の持つ財布に視線を注ぐ。そう言えば前来た時、千円札を律儀に置いていた。きっとそんな事を考えているに違いない。

 私は彼女達の様子から遠回しな人間アピールで無害を証明できないかと画策した。未だに人間性の残っているゾンビと証明出来れば多少なりとも譲歩の姿勢を見せてくれるかもしれない。兎に角触れ合いたい、接点を持ちたい、私は食料そっちのけでそんな事を考えていた。

 

「きっと変異種よ、アイツ等のやる事に意味なんて無いわ……!」

 

 しかし私の思惑はバッサリと斬り捨てられ、内心で肩を落とす。二十後半の良い大人が子どもの言葉に一喜一憂、悲しいものだ。私は籠を半分程食料で満たすとレジの方へと足を向けた。サッと立ち上がって小苗を守る様に壁となる姉、私はその脇を何でもない様に通り過ぎながら財布を開き、中から三千円取り出してレジに置く。

 レジには私が数日前に置いたまま放置されている千円札があった。

 

 最後にチラリと二人の少女を一瞥する。三つ目で凝視された少女達はびくりと肩を震わせて、しかし私は何をする訳でも無く背を向けスーパーマーケットを後にした。

 悲しみはあった、けれど彼女達とまた逢えた事が嬉しかった。次も逢えるだろうか? 彼女達にとっては恐怖以外の何物でもないだろうが、私にとっては唯一の人間性を確かめられる希望だった。

 

 

 ☆

 

 

 人が生きるには色々な物が必要だ。この世界になってから電気もガスも水道も止まった、当然だ、それを管理し動かす人間が居ないのだから。家に自家発電用の装置などない、故にソーラーパネルか発電機を探す必要があった。ついでに水もどうにかして確保したい。

 

 私は食料を家に置いた後、少し遠くのホームセンターまで走り小型の発電機と浄水装置をかっぱらって来た。本当は金を置いて行きたかったが銀行はやっていないしATMも全て荒らされている、纏まった金を手に入れる手段がなかった。

 気分は盗人だが誰も咎める人間が居ない為、私の倫理観が破壊されるのにそう時間は掛からなかった。そうでなくともゾンビを轢き殺しているのだ、窃盗よりも重い罪を犯していると思えばなんて事は無い。

 

 私が車から抜き出したガソリンを発電機に入れ電源を押し込むと、エンジン音が鳴り響きパッと家の灯りが点いた。文明の利器を取り戻した瞬間である。発電機の音で周囲のゾンビ共が私の方を向いたが音の発生地に人間がいない事を確かめると興味を失ったようにうろうろと散会した。

 浄水器には雨水でも溜めて後で使おう。私は家の外にバケツやら諸々を並べると家の中に籠り、人間形態で今日買って来た食料にありついた。中には完全に消費期限が過ぎ味のおかしくなったものもあったが取り敢えず食えれば満足だった。

 

「次はいつ出掛けようか」

 

 私はそう呟いてベッドの上で丸くなる。私はゾンビ形態であれば他から襲われない、それは大きなアドバンテージの様に思う。けれどこんな荒廃した世界で何をすれば良いのだろう、どうすれば良いのだろう。

 

 私は人間で――同時にゾンビだった。

 

 飯も食えるし水も飲める、けれど根本的に私にはソレが必要ない。ある意味この状態に慣れた一年後、二年後、私はただ其処に居るだけの存在にならないか不安だった。何せ生きるという事だけを考えるのなら私は横になっているだけで良いのだ。それは正に無機物としての在り方だった。だから必要なのだ、レーゾンデートル(生きる理由)が。

 

 取り敢えず、人間と話したい。

 会話したい、触れあいたい。

 当面の目標はソレだろう。

 また逢えると良いな、あの二人に。私は一抹の罪悪感を覚えながらそう願った。

 

 

 ☆

 

 

 調達した食料は大体三日から四日で尽きる。だから私はその周期でスーパーマーケットに足を運んだ。幸いあそこには裏側の倉庫もあり段ボールに残っていた食料は結構な数であった。故に度々私はあのスーパーマーケットに足を運んでは食料を調達する、ついでにあの姉妹に逢えるのではと期待を持って。

 

 逢える日もあれば逢えない日もある。彼女達は凡そ一週間の周期でスーパーマーケットに足を運んでいた。二人分の食糧と水をリュックサック一杯に詰めて帰る。最初は私を見る度に警戒心を抱き、まるで猫の様に威嚇していた姉、怯える妹。しかし二度、三度、四度と繰り返す内に二人の態度は徐々に軟化していった。

 いや、軟化と言うよりも『無関心』と言うべきか。

 

 そこに居ても居なくても気にしない、正に置物と同じと言うべき。しかしある程度の警戒心は未だ持ち続けているのか私が大きく動くと視線を此方に向ける。最初の頃の様に肩を跳ねさせるような事は無くなったが依然ゾンビという認識は変わらなかった。

 

「今日も居るね、巨人さん」

「……そうだね」

 

 小苗がそう口にすれば姉はしげしげと此方を見ながら頷く。今日は逢えた日と内心で喜びながら食料を漁る。最近ではかなり消費期限が切れたモノでも躊躇い無く籠に入れるようになった。どうせ腹に入れば一緒である、多少カビていようが腐っていようがこの体ならば問題無かった。人間の頃だったら考えられない、一応これは適応と言って良いのだろうか。

 

 食料を漁りながら三つ目の一つで少女達の姿を捉え、人間観察に精を出す。私には『人と同じ空間で同じ事をしている』という事実がたまらなく嬉しかった。自分の人間として活動しているようで、何か言い表せぬ欲求が満たされるのである。

 

 籠を半分程満たした水と食料に満足し、私は踵を返す。じっと此方を見つめる姉の視線を感じながら私はいつも通り財布から札を取り出してレジに置いた。既に通い詰めたスーパーマーケットのレジには札束が乗せられている。家にある貯金も持って来たのだ、通算で数万円にはなるだろう。既に窃盗を犯していた私からすればただの自己満足に過ぎないものであったが、この行動には彼女達に対する人間アピールも含まれていた。

 

 今日も今日とて会話はない。きっと彼女達にとって自分は脅威ではないが好んで近寄りたくもない存在。けれど今はそれで良いと思う、何せ見た目は完全に化け物なのだから。いつか彼女達に近付ける日が来れば良いな――その程度の淡い希望。

 私はいつものように姉の視線を振り切り、スーパーマーケットを後にしようとして。

 

 

「お姉ちゃんッ!」

 

 小苗の叫び声に思わず足を止めた。

 

 


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